帰還!
見渡す限り焼け野原となった大地の中心にピンク色の肌の巨大ドラゴンがぽつんと佇んでいる。
その足下で、青空は呆然と立ち尽くしていた。
わずかに焼け残った木の破片から白い煙が立ち上り、青空の鼻と目を刺激してクシャミが出た。
「やり過ぎでは……ないだろうか?」
鼻をすすりながら、青空はようやく口を開く。
『あのモンスターはマスターに害を成す者。殲滅せずにどうしろと?』
ピンクドラゴンはあごを地面に付け、横目で青空の顔をのぞき込んできた。
「モンスターのことじゃない。こっちの世界に来た俺のクラスクラスメートのことだよ。もう、みんな焼け死んでしまっただろうか……」
『マスターは助けたかったのですか?』
「……えっ!?」
『私はその人間どももまた、マスターに害を成す者と認識していたのですよ?』
「――ッ!」
ドラゴンの言葉に青空の心はざわめいた。
ドラゴンは三年間、彼の生活のすべてを見ていたのだ。
その彼女がクラスメートのことを『害成す者』と認識していた。
確かにその通りだと、青空は思う。クラスメートたちの多くは青空に対して冷たい視線を浴びせ、無視し、イジメをしていた。
しかし、ただ一人、学級委員長の小泉だけは違った。
彼女は彼に声をかけ、彼の奇行を見ない振りをしてくれた。
たとえ、それが学級委員長としての立場のためだったとしても――
「俺は……助けたかったんだ……小泉さんを! それなのにおまえは!!」
見回す限りの焼け野原。
生きとし生けるもの全てを消炭に変えた無機質な大地。
ふと、遠くの方に黒い立方体が見えた。
それはこの世界と元の世界を繋ぐ黒い立方体。
目を凝らすと、そこへ向かって飛んでいく二つの人影が見えた。
日笠つぐみと、もう一人は黒マントの男だろうか。
「あいつら二人だけで逃げるつもりか? 日笠の奴、俺をここに置き去りにして自分だけ現実の世界へ戻ってしまう気か!? くそぉぉぉ――!」
青空は空に向かって絶叫した。
その様子をじっと見ていたドラゴンはふと視線を下げ、まぶたを閉じた。
『マスター……こちらの世界で私と一緒に暮らしませんか? 不自由はさせませんし、何よりもマスターにはこの世界を掌握するに余りある力が備わっているのです。こちらの世界では――』
「バカを言うな! 俺はこんな世界に残りたくないぞ!」
そもそも彼はこの世界のことを肉眼で見える範囲のことしか知らない。だから、一面焼け野原と化したこの世界に残るなど考えたくもないことなのだ。
しかし、ドラゴンはそれ以上深く説明することはなかった。
『分かりました。ではマスター、私と共に元の世界へ戻りましょう。次元の狭間に飲み込まれたマスターのクラスメートも一緒に――』
「おい、それって小泉さんたちのことか? まだ生きているのか?」
『あの者たちは次元の扉が形成される際に生じる、次元の隙間に吸い込まれたに過ぎません。本来なら肉体が朽ち果てたその後も、延々と魂は彷徨い続けるのが運命なのです』
魂だけになっても延々と彷徨い続ける――
青空は背筋が寒くなった。
「それをおまえの力で元の世界へ戻せるということか?」
『そのためにはマスターの力も必要となりますが……マスターがお望みでしたら私はその意思に従います――』
「よし帰ろう! 俺達の世界へ!」
青空にはドラゴンのことばの意味はほとんど理解していない。でも、自分とクラスメートたちが現実世界へ戻ることが出来れば、それ以上の望みはない。
だから彼は笑顔になった。
ピンクドラゴンはそんな彼を見て、鼻から『むふ~」と熱い息を吐いた。
▽
青空は中学校の校庭の真ん中に立っていた。
「俺は……戻って……来れたの……か……」
彼はつい先刻までピンク色の巨大ドラゴンの背中にいた。ドラゴンの翼から光の粒子が放出され、それが周囲に広がっていくところまでは覚えている。次に気付いたときにはもうこの場所に戻っていたのだ。
彼の周りには十二名の体操服姿の生徒たちが、まるで胎児のような姿勢で体を丸くして眠っていた。彼はそれを確認すると、その直後に全身の力が抜けたように倒れた。
警察車両や救急車などの緊急車両のパトランプが忙しなく点滅する中、砂嵐によって近づくことができずに警察隊の面々は地団駄を踏んでいた。
やがて砂嵐の勢力が弱まり、校庭の中の様子が見えてくる。
黒い壁は忽然と姿を消していた。
隊員たちは一気に突入する。
「子供達がいたぞ!」
「よし、周囲を警戒し、子供を保護しろ!」
「救急の手配をしろ!」
警察隊に遅れて担架を持った救急隊が校庭の中心へ向かって走り出した。
それとほぼ同時刻、4階建て校舎の屋上に、命からがらの体で二人の人物が舞い降りた。
「あっぶな! あいつら急に次元の扉を閉じちゃうなんて……閉じ込められちゃったらどうしてくれるのよ――ッ!」
「ふむ、酷い目に遭ったものだな。つぐみよ、あの少年は危険人物だぞ。すぐにでも抹殺することを推奨する!」
「またすぐそれなんだから魔王さまは……抹殺するかどうかはじっくり検討してからでも遅くはないよね!? あいつ、使いようによっては私たちの戦力になりそうじゃない?」
VRゴーグルをきらりと光らせ、つぐみはニヤリと笑った。
「しかし、あの少年はドラゴンマスターだ。しかも相手がピンクドラゴンとなると益々危険だ……」
黒マントの男は異世界から来た魔王。彼はつぐみがVRゴーグルを装着している間のみ、この世界で活動できる立場の異世界人なのだ。
つまりは、異世界魔王はつぐみがいることによって、現実世界と異世界で存在できる、持ちつ持たれつの関係なのだ。
しかし、つぐみは自分の方が立場が下であると魔王に教育されている。
「魔王さまがどうしてもと言うなら私は従うしかないんだよね? 私はどうせ魔王さまの手下1号ですからーっ! でも、ピンクドラゴンってそんなに危険なの?」
「うむ、危険だな。色つきのドラゴンは特に危険だ!」
「ふーん。魔王さまよりも強いの?」
「うむ。オレ様が若い頃、色無しのドラゴンと一度だけ戦ったことがあるぞ。わが魔王軍の兵はその半数が殺されたが、我等は奴の頭の角をへし折ってやることに成功した。つまりは痛み分けといういうことだな。強さは五分五分だ!」
「そっ、そうなんだ。へえー……」
つぐみは小首を傾げてちょっと困ったような表情を浮かべた。
「あっ……」
つぐみのVRゴーグルがバッテリー切れ注意の赤いマークが点滅した。
これは背中の通学用カバンに入れたゲーム機本体の内蔵バッテリーがまもなく切れるというお知らせである。
「じゃ、魔王さま。今日もお疲れさまでした」
「うむ、つぐみもご苦労であったな。ではさらばだ!」
二人は丁寧な挨拶を交わし、つぐみはVRゴーグルの電源を消した。
すると黒マントの魔王の姿が消え、屋上にはつぐみだけが残された。
校庭を見下ろす。
そこではクラスメートたちが集められて、大人たちにあれこれ聞かれているところだった。皆、怪我もなく元気そうだ。そんな中、青空だけは酷く疲れた様子で、ぐったりと首を垂れていた。
その様子を見て、つぐみはどす黒い感情が湧き上がってくる――
あいつはドラゴンマスターですって? それに引き換え私は魔王さまの手下1号って……この扱いの差は何なんだろう?
この煮えたぎるような思いを胸に抱いて、午後の授業はサボろうと心に決める日笠つぐみであった。