焼き尽くす
異世界へ通じる壁を越えた瞬間、青空は信じがたい状況を目の当たりにしていた。
縫いぐるみのような小さなピンク色のドラゴンが、現実世界と異世界の境界を越えた部分からメキメキと音を立てて膨れ上がっていく。まずは頭の先から長い首まで、そして胴体から重圧感のある胴体、最後には太くて長い尻尾という具合に、メキメキと音を出しながら巨大化していったのである。
頭の先から尻尾の先端までは優に30メートルはある巨大ドラゴンは、ファンタジー系の物語に登場するドラゴンそのままのイメージで、異世界の空を飛んでいた。
「ななっ、なんて大きさのモンスターなのよぉぉぉ――ッ!」
つぐみの声がするなり、二人乗りの魔法のステッキは真っ逆さまに急降下していく。
「落ちる落ちる落ちる、死ぬ死ぬ死ぬぅぅぅ――!」
青空は涙目でつぐみの体にしがみつく。
眼下にはジャングルの木々。
バキバキと音をさせて密林に突入していった。
悲鳴とも嗚咽とも言えない声を上げる青空。
彼の体は細かな木の枝により傷だらけになっていく。
一方のつぐみは、金髪の先端からキラキラした光の粒子が放出され、彼女の身体に触れる木々はしなやかに滑るように避けていく。
やがて地表すれすれで水平飛行に移る。
光がほとんど入らないジャグルの下層部は枝葉が少ない分、いくらかはマシだった。
太い木の幹の間をすり抜けていく。
「うわー、あのモンスター、何でまだ付いて来てるのよー!」
つぐみが後ろを振り返ると、顔面蒼白の青空の顔と、真っ赤な顔で二人を追いかける巨大ドラゴンがいた。
ドラゴンは飛ぶのを止め、木々をなぎ倒しながら四本の脚で走っていた。
彼らの行く先々で、ジャングルはどんどん破壊されていく。
『逃げないで欲しいのです!』
その時、女性の声が青空とつぐみの耳にしっかりと届いていた。
それはどこか幼い感じの、澄んだ女性の声。
『ようやく会えましたね……我が使い手……』
二言目でようやく気付いた。それは声ではなく彼らの心の中に直接語りかけてきているメッセージ。
「日笠さん、止まってくれ!」
「止まったら死ぬかもよ?」
「いや、大丈夫だから、たぶん……」
二人はジャングルの中の水辺の畔に着地した。
▽
異世界は意外な程に現実世界と似ている。ジャングルはテレビで良く見かける熱帯雨林の森と同じような雰囲気で、植物の種類をよく知らない青空にとっては違いも良く分からない。
ただ、木々の間からチラチラ見える小動物は、少しずつ現実世界のものとは異なっているようだ。
そして、彼らの目の前にはドラゴンの巨体が見下ろしている。その圧倒的な大きさは、ジャングルの木よりも頭一つ飛び出している程なのだ。
青空が近寄っていくとドラゴンは頭を地面に下ろした。それはまるで攻撃の意思がないことを示すかのように。
「おまえは……俺のそばにずっと付きまとっていたドラゴンか?」
あごを地面に付けているにもかかわらず、青空の背丈よりもずっと高い位置にある深碧の目が見下ろしている。
気のせいか、その瞳は若干潤んでいるようにも見える。
『はい、あなたのお側にて、こうして話ができる日を心待ちにしておりました。我が使い手よ』
「おまえの目的は何だ? どうして俺に付きまとっていたんだ? 俺はおまえのせいで三年間も……つらい思いを……」
ドラゴンの大きな瞳に映る青空は肩を震わせていた。
潤みを増す深碧の瞳。
『私たちドラゴン族は古来より一頭のオスを中心とするハーレム社会を作り繁栄した種族なのです。しかしあるとき、一族の唯一のオスが地上から突然姿を消したのです。世代交代用の卵もろともに――』
ドラゴンの言葉に顔を上げる青空。
ドラゴンは瞳を閉じ、そして首を空に向けて伸ばす。
『私はドラゴン族で最も若いメスとして、一族の存亡をかけて世界の果てまでオスを求めて旅をしていました。そんな折、突然に時空の歪に迷い込み、見知らぬ世界へと飛ばされました――』
「それが俺たちが暮らしている現実世界……ということか?」
『はい。そこで奇跡的な出会いを果たしたのです。それがマスター、貴方なのです』
「えっと……マスターって……それって、どういうこと?」
青空は首をひねる。
ドラゴンは話を進める。
『しかし、不幸にもそこはドラゴンが存在しない世界。私の体を維持するエネルギーが存在しない世界でした。そこで私はチャンスをずっと待っていたのです。マスターとこうしてお会いするこの日を……ずっと……マスター!』
ドラゴンが潤んだ瞳を青空に向けたその時――
「会話中悪いけど、モンスターが来たわよ!」
つぐみが声をかけてきた。
すでに彼女は魔法のステッキをかざして呪文を唱えている最中だった。
校庭で遭遇したのと同じタイプの恐竜型モンスターが群れで襲いかかってきた。
「私一人じゃ絶対無理よ! 数が多すぎなんだからぁー!!」
つぐみの涙声。
魔法で二体、三体と地面に沈めて行くも次々に新手が攻めてくる。
この場には黒マントの男はいない。彼は別の場所で戦っているのだろう。
「私、もうだめだからぁぁぁー! 離脱するからぁぁぁー!」
魔法のステッキに跨り、急上昇していく。
地上に残された青空は呆然とその様子を見上げていたが、突然彼の身体は宙に浮いた。ドラゴンが彼を咥えていたのだ。
ドラゴンは彼を自分のゴツゴツした背中に乗せて、大きく羽ばたいた。
『ここは世界一安全な場所ですよ、マスター』
目を細めて優しい眼差を青空に向けた。
足に食らいつこうと何体もの恐竜型モンスターが飛びついてくるが、それを脚で蹴りながら、ゆっくりと羽ばたくドラゴン。
ドラゴンの巨大さと比べると、大きいはずの恐竜型モンスターも酷く小さく見えてしまう。
ドラゴンは上空をゆっくり旋回しながら、口を開けた。
次の瞬間――
ドラゴンの口から曝炎の業火が噴出し、モンスターもろとも大地を焼き尽くしていったのである。