王子様、消えた…
ここは真っ黒で音のない世界。この時、耳がつーんとなるけれど、これはいつものこと。もうすっかり慣れてしまった。
小さな光の点が視線の中心に現れ、それがゆっくりと点滅するのに合わせてポーンポーンという音が聞こえてくる。やがて光の点は急に大きくなっていき、真っ白な光だけの世界に変わっていく。
まぶしい光がゆっくりと落ち着いてくると、再び元の風景に戻ってくる。でも、ここは現実なのに現実そのものではない不思議な世界。
ミニテーブルの上には2台のゲーム機。そこから伸びるキラキラ輝く透明なチューブのようなものは、私が装着しているVRゴーグルに繋がっている、本当は真っ黒なケーブル。そして真っ黒いはずのゴーグルも、この世界では透明なキラキラ輝くメガネをかけているように見えている。
「青柳君……?」
部屋を見回しても、どこにも彼の姿はなかった。青柳君の広い部屋に私だけが取り残されている? 私は急に不安になってきた。
ゴトッ――
クローゼットの中から物音がした。
「青柳君なの?」
私はそうっとクローゼットのつまみに指をかけ、スライドさせていく。
魔王だった。
大きな体を折り曲げて、魔王が隠れていた。
「よう、つぐみではないか……」
「……そこで何をしているんです?」
「何って……その……オレ様は魔王さまだぞ!」
魔王は何かを誤魔化すようにマントをペラっとめくりおどけた。テレビに出てくるお笑い芸人さんのモノマネだ。魔王はテレビの見過ぎだなんだと思う。一体、どこで観ているのかな?
「隠れていたんですか?」
「うむ……」
もしかして、魔王は私に気を遣っているのだろうか。公園での野外演習で人型の標的への攻撃を嫌がって泣いてしまった私のことを……
そうだとしたら嬉しいな。うまくすれば世界征服をあきらめることはもちろん、人間を傷つけないように説得することが出来るかも知れない。
「とりあえずそこから出てきてよ、魔王さま」
「オレ様に命令するな! 下僕民の娘のくせに」
「はいはい、その下僕民の娘から隠れていたんですか? 魔王さまのくせに」
「むむっ……」
魔王は一瞬険しい表情になったけれど、眉根を下げて頬をボリボリと掻いた。
「あれからオレ様もいろいろと考えたのだが、人間の標的を退治する訓練はまだ早かったかも知れんな。おまえはまだ幼い。これから経験を積んで慣れていけば良い!」
世界征服を目標としている魔王としては、これが最大限の優しさなのかもしれない。
でも、私は心に決めたんだ。もう戦わないと!
「魔王さま、今日は会わせたい人がいるんです!」
「ほう? 新しい男でもできたか?」
魔王は冗談で言ったのだと思う。でも、図星を突かれて私は赤面した。
「はぁ!? この世界の人間の子は随分とませているのだな。オレ様びっくりしたぞー!」
それは私も同じです。今日の昼休みからこの時間まで急展開に私自身、びっくり仰天ですから!
「で、その新しい男とやらはどこにおるのだ?」
「それが……どこかに消えてしまって」
「逃げられたのか?」
「はっ? そそそ、そんなことはありませんっ! きっと……」
手から変な汗が出てきた。でも、よくよく考えれてみると、ここは青柳君の家で、私は彼の部屋にいるわけで……彼が逃げるなんてありえない。
彼は私と一緒にゴーグルを装着しようとして、何か用事を思い出して部屋から出て行ったに違いない。戻ってくるまでに場を繋がないと!
「あっ、魔王さまー!」
「ん?」
「このゲーム機の中には魔王さまのお友達がいるんですよ!」
「オレ様の友達だと!?」
「はい。青柳君はその人の手下をやっているんです」
「なんと!」
青柳君が戻ってきたら、すぐにでも説得してもらおう。今の魔王なら、お友達の話も聞いてくれるだろうし、なんと言っても青柳君なら何でもうまくやってくれそうな気がする。
「う~む……オレ様の友達とは面妖な。オレ様には家来や弟子はいても友達とは……う~む」
魔王が首をひねって唸っている。
おかしいな。何だろう、この違和感は……
それに…… ちょっと眠くなってきたな……
疲れが溜まっているのかな……
そのとき、部屋のドアが開いた。
「あっ、青柳く――」
でも、振り向いてた私が見たものは青柳君ではなかった。
「おっ、いたいた!」
「うほっ、ツインテールの女の子みっけ!」
「つぐみちゃんて言うんだって? かわいい名前だね~」
水色のパーカーにスウェットのズボンを履いた男と、黒い革ジャンにジーンズを履いた男は高校生ぐらいの年齢だろうか。そして残る一人はピンクの縦じまワイシャツに紺色のズボンを履いた社会人っぽい男の人。
縦じまワイシャツの男はニヤニヤしながらドアにもたれ掛かっている。スウェット男と革ジャン男はまっすぐ私のところへ近づいてくる。
「ひっ……」
まるで喉の奥に何かが詰まったように声が出せない。
怖い。
「そのまま大人しくしていろ!」
「動いたらお兄ちゃん達、ヒドイことしちゃうからねぇ……」
二人の男にそう声をかけられ、まるで魔法をかけられたように動けなくなってしまった。
縦じまワイシャツの男は私が逃げられないようにドアを押さえているんだ。今更ながらにそれに気付いた。
「さて、始めるか……」
「誰から入る?」
「そりゃ、前衛のお前からだろ!」
「いきなり俺かよ? まずは耐久力のあるおまえからだろ!」
「俺は後方支援だからな、おまえらのどちらかが先だ!」
三人は何かをなすりつけ合い始めた。
ガチャ……ガチャガチャ――
ドアノブが激しく動いた。縦じまワイシャツの男がドアから離れると、また何者かが入ってきた――
青柳君だった。
「あっ、青柳く……」
彼の元に駆け寄よろうしたけれど、革ジャン男に腕を掴まれてしまった。
「センパイ方、駄目じゃないですかぁ、僕の部屋に勝手に入っちゃー。ドアの前で待っていてくださいって言ったのにぃー!」
眉を上げて相手を見下すようなしゃべり方。それは私の知っている青柳君の姿ではなかった。
「俺は待ってろと言ったんだけどよ、あの二人が早くやりたいって強引に押し込みやがって。相手が女の子ってことで興奮しちまったんだろ、ふへへへ……」
縦じまワイシャツの男が歯を見せて笑った。
「ロリコンかよ! まあいいや。つぐみちゃんが逃げなければ問題ない。じゃあ始めるよ!」
「よっしゃ~!」
青柳君のその言葉を待っていたかのように、それぞれが持っていたスポーツバッグからゲーム機を取り出した。
3人の男たちは慣れた手つきでそれぞれのゲーム機をHUBに接続し、VRゴーグルを頭の上に構える。青柳君もプレスト6に引っ掛けていたゴーグルを手に持った。
「4人同時に入るよ! 遅れたりフライングして勝手にやられちゃうような人は僕のチームには要らないからね! 入ったらすぐに作戦開始だ!」
「了解!」
「じゃあ、いくよ。3、2、1、GO!」
青柳君は一度も私と目を合わすことなく、3人の男たちと同時にVRゴーグルを装着した。
私には何が起きているのかさっぱり分からない。ただ、私は彼に騙されていたんだということだけは理解した。
「魔王さま……」
今、この世界に頼れるのは魔王だけ。そう直感した私は彼の元に駆け寄っていく。見た目は怖いけれど、時々優しくもしてくれる。そんな彼の元に――
しかし、私の考えは甘かった。
もう、魔王は私の味方ではなかったのだ。
「オレ様に近寄るなァァァ――!!」
魔王はマントから出した長い手で私を払いのける。
私の体は宙を浮き――
「ぐはっ!」
クローゼットの中に背中から激突したのだ。




