サラマンダーと初めての魔法のステッキ
2台のゲーム機がLANケーブルで繋がった瞬間、信じられない光景が広がった。
「あ、雨霧……そそそ、その人は誰?」
彼のすぐ後ろに全身が真っ赤な女の人がいた。長い髪の毛も、インドの踊り子のような服も、瞳の色まで全てが真っ赤な女の人。
その人が雨霧の後ろから抱きつき、スイカのような大きさの胸を彼の頭の上に乗せていた。
「紹介するよ日笠、この人が魔王の一番弟子であり、オレが仕える主人、サラマンダーのサラだ!」
雨霧はおっぱいが頭に乗っているこの状況を無視するかのように、その人を紹介してきた。
魔王の一番弟子というから、雨霧がこの世界で合っている相手もおじさんとばかり思っていたけれど、サラという人の見た目は充分に若くて、人間で言うと20台前半のお姉さんという感じがする。
どうしよう……私もおっぱいのことは無視して自己紹介した方がいいのかな?
すでに私の視線はサラのおっぱいに釘付けになってしまっていた。
私の戸惑いをあざ笑うかのようにチラリと視線を送ってきたサラは、イスに座っている魔王に歩み寄る。そして片膝を付き胸に手を当てる。
「魔王様、お久しぶりです」
「うむ、長い間待たせたなサラ」
「魔王様と離れ離れになって幾年。その間もずっと魔王様のことを想い続けておりました……」
「そうか、苦労をかけたなサラよ……」
魔王はサラの頭に手を当てながら微笑んだ。サラの目からは涙が滝のように流れ落ちている。
あーあ、床がびしょぬれになっちゃうな。ここ、お兄ちゃんの部屋だからバレたら私が怒られるのに……
「オレ様の適合者を見つけるのに時間を要したのだ」
「それがあの小娘ですか?」
サラは眉間にしわを寄せ、燃えるような視線を私に向けてきた。
「本当にあのような者が魔王様の適合者なのですか?」
「つぐみはオレ様と魔族の契約を済ませたぞ?」
「魔王様ほどのお力に釣り合う人間となれば、もっと屈強な人間であるべき。あのちんちくりんな小娘が魔王さまに適合するとは思えませんが……」
サラの視線が突き刺さる。その表情はとても冷たくて意地悪な感じがする。真っ赤なクチビルの端がつり上がってひくひく動いている。
で、……ちんちくりんってどんな意味?
「ねえ雨霧、サラって私が嫌いなのかな?」
「うーん、どうだろう。ちょっと雲行きがおかしくなってきたな!」
雨霧はズズッと鼻水をすすった。
「ひとつ、私にいい考えがあります。私とあの小娘を模擬戦で戦わせてください。私が一撃でも食らうようなことがあれば、あのちんちくりんを魔王様の適合者として認めましょう」
「うむ、それはいい考えだな」
「つぐみよ、今からサラと1対1のバトルをするのだ!」
魔王が命令した。その隣でサラはニヤリと笑った。
「バトルって……何の? ねえ雨霧、バトルって何のことなの?」
「このVR世界ではスキルに応じた魔法と武器が使えるんだ。用意されたステージの中でどちらかが倒れるまで戦うこと。それが模擬戦だ!」
「どちらかが倒れるって……あっ、それってあくまでもゲームの中だから痛くは――」
「このVR世界で負った傷はリアル世界に全て引き継がれる。当然、痛みも苦しみも全てがリアル世界と同じだ!」
「じゃあ、もしこの世界で死んじゃったら……」
「それは……」
雨霧はワタシから視線を外してうつむいてしまった。
「さあタッ君! ステージを開きなさい!」
サラが雨霧に命令した。
雨霧はサラに『タッ君』と呼ばれているのか。私がタッ君と呼んだら彼は怒るだろうか?
「オペレーションボード・オープン!」
雨霧が戦隊ヒーロー物の人みたいにカッコよく言った。
すると、彼の目の前にコンピュータの画面のような物が現れた。
「バトルステージを展開!」
雨霧の声と同時に周りの景色が一変。ぎらぎらに燃える太陽の下に広がる砂の大地。人の背丈ほどのサボテンが点在している他は何も無い砂漠の真ん中に私たちはいた。
「はあっー!? どうしてぇぇぇ――?」
「落ち着け日笠! オレ達はVRゲームの世界にいる。そう思えば少し気持ちが落ち着くだろ……?」
「落ち着かないよぉー! 落ち着くわけないじゃん、怪我も痛みも現実と同じなんでしょう? こんなのもうゲームじゃないよぉー!」
雨霧に文句を言った。でも彼はきっと悪くない。それは分かっているけれど、今の私は混乱しているのだ。
サラが両刃の剣を抜いた。よく磨かれた剣は周りの景色を鏡のように映している。その中にワタシの顔が見えた。彼女はワタシが怯えている様子を楽しんでいる?
「小娘よ、しばらく時間をあげるわ。そうでなければ倒しがいがないからねえ。せいぜい付け焼刃を磨いておきなさいな! ホホホホホホッ……」
サラは砂の地面を飛び跳ねるように後退していく。
「雨霧……私はどうしたらいい?」
世界中で私が頼れるのは彼だけになった。彼に見放されたら私は死ぬのかも知れない。でも、そんな彼は私の戦う相手、戦士サラマンダーの命令には逆らえない。
私、絶体絶命のピンチです!
「日笠、落ち着いてオレの話を聞け!」
「はい、私はあなたの話を聞く準備はできています!」
こんな時、私はなぜか丁寧語になってしまう。
「右手を前に出して、コマンドを唱えろ! さっきのオレの様子を見ていただろう? さあ、オペレーションボードを出せ!」
「分かりました! オペレーションボード・オープン!」
すると手の平の位置に真っ白い画面が浮かび上がった。中途半端に手を伸ばしたせいか、少し近すぎるので半歩後退した。
「ねえ、何か文字みたいなのが出てきたけど、一文字も読めないんですけど!?」
「あれ? おっかしいなー。おまえん家のプレスト6って、日本語バッチが入っていないのか?」
「えっと……バッチって、缶バッチ? それってゲームに関係あるの?」
「違う違う、そのバッチじゃなくってさー……」
雨霧が地団駄を踏んでイラついている。そんなに怒らなくてもいいじゃん!
私はゲームのことに詳しくないんだから!
「つぐみよ、このままだとサラに秒殺されるが、おまえはどうする?」
魔王の口がようやく開いた。
「魔王さま、私に命令して下さい――」
私は昔の機械みたいに棒読みした。
そうだ。この砂漠から生還するには雨霧は頼りにはならない。私が今従うべきなのは、変な動物の頭蓋骨を頭に乗せた、いかつい顔のおじさん魔王なのだ!
「つぐみよ、青いボタンを押せ! そして叫ぶのだ『エンチャント・魔法のステッキ召還』と!」
「………………えっ!?」
白い画面に浮き出た青いボタン。それを押そうとする私の手は震えていた。
「エンチャント・魔法のステッキ召喚――ッ!!」
いざ言ってみると、意外と恥ずかしくはなかった。よく考えるとこの場にいるのは雨霧拓巳とおじさん魔王、そして全身赤ずくめのサラだけなのだ。
「つぐみよ、ボタンを押すタイミングが遅いぞ! やり直すのだ!!」
「ええーっ!?」
「日笠、この世界の魔法発動条件はコマンド選択と音声のタイミングがとてもシビアなんだよ!」
「づぐみよ、時間がないぞ早くやり直せ! サラが間もなく攻撃を仕掛けてくるぞ!」
「ふえぇぇぇぇぇぇぇ――――!」
私は青いボタンを連打して『エンチャント・魔法のステッキ召喚』という変な呪文を何度も何度も繰り返す。
「よしっ!」
14回目で反応あり、私は自然とガッツポーズをしていた。
人は何でも真剣にやれば感動できるということを知った、日笠つぐみ11歳の秋でした。
魔法が発動すると、白い画面があったところに長い棒が現れた。それはモップの柄と同じぐらいの太さで、長さは2メートルぐらいの茶色い棒。それがふわりと私の目の前に浮かんでいる。
「さあつぐみ、魔法のステッキを右手で持つのだ」
「ええっ!? これが魔法のステッキなの?」
アニメに出てくる魔法少女が持つような物を想像していたのに、これはただの棒だ。色もぜんぜん可愛くないし、星もハートも付いていない。
「つぐみよ、魔法のステッキの構え方は、こうだ!」
強引に話を進めていく魔王。私と同じ茶色い棒を斜めに構えて手本を示してくれた。
「あれ? 魔王さまいつの間に私のお揃いのステッキを?」
「何を言っておるつぐみよ、これはおまえが出したものだぞ?」
「えっ、それってどういう……?」
「それはオレが解説しよう……」
雨霧が魔王と私の話にまた割り込んでくる。
「そもそもこのVR世界でのマスターとオレたち手下の関係は、ゲーマーとゲーム機と同じ様な関係だと思うといい。マスターの命令に従ってオレ達は動くゲーム機なんだ」
「なにそれ、私たちは感情の無い機械なの?」
「あくまでもたとえ話だ。で、ここからが重要なポイントだけど、このVR世界ではサラや魔王はオレたちを介して魔法や剣を振るえるけれど、一人では力を発揮できないらしい」
「えっと……それってどういう……?」
話が複雑過ぎてぜんぜん分からないよー!
「だーかーら――……」
「サラが攻撃を仕掛けてくるぞ!」
雨霧が呆れたような声で何かを言おうとしたとき、魔王が大きな声で事態の急変を告げた。
サラが両刃の剣を真横に構え、砂漠の上をジグザグに跳びながら私に向かっている。
雨霧と魔王はササッと私から離れていく。
はあーっ!? あなた達は私を見捨てるつもりなの?
「魔法のステッキを構えろ! そして唱えよ――」
魔王の命令。私は迷わずそれに従う。
私が生き残る唯一の手立ては、それしか残っていないのだから。
「エンチャント・サンドストーム――!」
魔法のステッキを頭上に振り上げ呪文を唱えた瞬間、周りの砂が舞い上がる。それが黒いカーテンの様に私を包み込む。
砂がぶつかり合う音と風切り音。それに加えて『ズンッ』という鈍い衝撃音がした。
魔法の効果はすぐに収まり、舞い上がっていた砂が大地に沈む。
「私の一撃を跳ね返すとは生意気な小娘ね! 初めての魔法とは思えないぐらいに強力なバリアだったわ!」
サラが鋭い目で睨んでいる。彼女と私の距離は20メートルぐらい。
えっと……
私、うまくやれたのかな?
「でも、これはどうかしら――」
サラが剣の柄をペロリと舐めて、次の瞬間に姿を消した。
いや、砂がザッ、ザッ、ザッと跳ね上がっているから、彼女は消えたのではなくもの凄く速い動きのため私の目が追いつかないのだ。
「エ、エンチャント・サンドストーム!」
ステッキを顔の前に突き出し、呪文を唱えた。
今度は間に合わないかもしれない。
嫌な予感が的中。
血走った目のサラの顔がすぐ目の前に迫っていた。
不敵な笑いを浮かべて剣を振り下ろす。
もうダメだ。私は死の恐怖に固まった。
「ぐはっ!」
ひねりを加えて斬りかかろうとしていたサラの脇腹を突くように、ジャストタイミングで砂のカーテンが上がっていく。サラの体は灼熱の太陽が降り注ぐ空へ突き上げられていった。
砂のカーテンに囲まれて、私は腰を抜かしてしゃがみ込む。
「つぐみよ、同じ魔法を連続して使う場合は呪文を略して唱えるのだ!」
「それを先に言ってよぉぉぉー! うわぁーん……」
魔王は酷い! 私は命令どおりにやっているのに、なんでそんなに冷たいの? 私の目から涙があふれて止まらない。
「お、おいこら! 今は戦闘中だぞ、つぐみよ……」
「日笠、立ち上がれ! おまえはそんなに弱い女じゃないはずだ」
魔王は手をあわあわさせ、雨霧はおろおろしながら鼻水をすすった。
「そもそもエンチャントってなんなのよ……サンドストームは何となく分かるけど、エンチャントって何なのよぉー!」
「えっと、enchantとは魔法をかけること。人をうっとりとさせること、らしいぞ!」
雨霧はオペレーションボードを操作しながら読み上げた。結局よく分からなかったけれど、魔法の呪文を言うときの決まりみたいなものなのだろう。
でも、本当はそんなことはどうでも良いのだ。私は手をこまねいて見ているだけの雨霧に文句を言いたかっただけなのだ。
「小娘が、泣き真似などして魔王様の気を惹く作戦か? これだから女はたちが悪いのよォォォ――ッ!」
「ひ、ひいぃぃぃー!」
砂のカーテンの効果が切れて、ゆらりと起き上がったサラが、鬼のような形相で私を睨んでいる様子が見えた。
私は何とか立ち上がり魔法のステッキを構える。
「タッ君、炎の剣にチェンジして! 小娘を本気で潰すわ。魔王さまに近寄る女は私が抹殺してやるわぁー!」
「はっ、はい! エンチャント・フレイムソード召喚!」
サラの手下である雨霧は、素直に命令に従っていた。
雨霧やはり私の敵だった。
「うふふふふふふふふ……、さあ、もう手加減はしないからね! 精一杯悪あがきをするがいいさ、小娘がぁーッ!」
サラは悪の組織のボスのようなことを言いながら、長剣を片手で軽々と素振りをする。すると、長剣の刃の部分から真っ赤な炎が噴き出した。
そして、高笑いをしている。でも、目は笑っていないの。とても怖い。
「魔王さま、私に強力な武器をください!」
このままではやられる一方だ。そんなの私は嫌だ!
「つぐみよ、唱えろ!『エンチャント・クリエイトウォーター』と!」
ウォーターって水のことよね。炎の剣に対しては水魔法で応戦という作戦らしい。
「わ、分かりました! エンチャント・クリエイトウォーター!」
新しい魔法は一発目で発動し、振り上げた魔法のステッキからサラに向けて水が放出されていく。ステッキの長さ全体からまるで透明なカーテンの様に放水され、太陽に照らされてとてもきれい。
虹が見えた。
「死ねぇぇぇ――!」
水のカーテンを難なく切り裂き、サラが炎の剣を振り上げてきた。
「いやぁぁぁー! クリエイトウォーター!」
魔法のステッキの先をサラに向けて再び呪文を叫んだ。すると、ステッキの先端から勢いよく水が塊となって飛び出し、サラの体を弾き飛ばす。同時に放水の反動で私は後ろによろけた。
「倒れるなつぐみ! また来るぞ!」
「――っく!」
魔王の声が私の耳に届き、後ろに転びそうな体勢から足を踏ん張ると、何とか持ちこたえることができた。
サラはもうすでに起き上がっていた。
「くたばれぇぇぇ――!」
サラが砂の大地を蹴りながら、ジグザグに迫ってくる。
でも、その動きは私の目でも捉えることができる速さだ。
すでに彼女は相当のダメージを受けているのだ。
「ウォーター! ウォーター! ウオーター!」
魔法のステッキを肩に担ぎ、両手でしっかりと持って呪文を唱える。その度に水の塊がステッキの先端から勢いよく飛び出していく。外れた水の塊は砂の大地にめり込み、派手に砂が舞い上がる。
「大したものだよ、それだけの攻撃をぶっつけ本番でモノにするなんてね。でも――」
私の攻撃を軽々と躱しながら、サラが近づいてくる。
「当たらなければ意味がないのよ? さよなら、小娘ちゃん!」
間近に迫るサラが剣を振り上げた。
「いやぁぁぁぁぁ――――ッ!!」
私は飛んできた羽虫をハタキでたたき落とすように、魔法のステッキを振り回す。鈍い手応えのあと、空中に弧を描いたステッキの先端が足下の砂にめり込み、砂の大地に地割れのような溝を作った。
いったい何が起きたんだろう?
私の体はステッキを振り回した勢いが止まらず肩から大地に激突した。
空にはサラの体が高々と舞い上がり、放物線を描いて大地に落下した。
肩の痛みをこらえつつ起き上がると、魔王が満足げな表情で私を見つめていた。魔王の持つ魔法がステッキが青く光っている。
「あれ? 私のステッキも色が変わっている?」
「オレ様が魔法をかけたからな。今、我らの魔法のステッキは地上に存在するどんな物質よりも固くて丈夫だ。しかも使い手の力を何倍にも増幅する効果もあるのだよ」
魔王が近寄ってきて、私の頭をポンポンした。とても穏やかなおじさん顔の魔王。
「ま、魔王様…… これは私と小娘の一対一の模擬戦ですのに、なぜ手をお出しになったのでしょうか?」
サラが剣を杖代わりにして、足を引きずるように近寄ってきた。
「つぐみは初めての戦いなのだ。このぐらいの手助けは問題なかろう?」
「で、ですが……」
「たとえオレ様の魔法を受けても、つぐみがそれを使いこなせなければ意味がない。そして、つぐみにはそれができた。これでもオレ様の適合者として不足しているとでも?」
「い、いえ。申し訳ありません。もう疑いません!」
サラは片膝を付いて頭を下げた。
「良かったな日笠。これでおまえも魔王の手下として正式に認められたぞ!」
「タッ君、気安く私に声をかけてこないで! そして触らないで!」
「ええっ!? な、何でぇ~?」
雨霧は私の肩に置こうとした手を上げて驚きのポーズをとった。
そして勢いよく鼻水をすすった。




