初めてのダイレクトリンク
家から数十メートルのT字路で、私は雨霧拓巳と待ち合わせをしている。
遅いなー、まだかなー。
決して楽しみに待っている訳ではない。彼がワタシの家にくるなんてことは、迷惑以外のなにものでもないのだからっ!
あっ、来た!
彼はなぜかランドセルを背負っていた。T字路の真ん中で私を見つけると、にこやかに手を振ってきたけれど、私は気付かない振りをした。
「よう、待ったか?」
「べ、べつに待ってなんかないけどさ……ねえ、なんでランドセルなの? 雨霧は一度家に帰ったんだよね?」
「ああ、これ? 中にプレスト6とVRゴーグルが入っているんだ!」
彼はランドセルに隙間を空けて、私に中を覗かせた。ゲーム機本体もゴーグルも黒いから良く見えなかったけれど、確かにコードがはみ出しているからそうなのだろう。
「じゃ、行こうぜ! おまえの家、こっちだろ?」
「ねえ、本当に私の家に来るの?」
「何だよ今さら…… もしかして魔王に会うのが怖くなったのか?」
彼は鼻水をすすり、ニヤリと笑った。
「そ、そんなこと……」
私はイラっときて否定したけれど、本当は怖かった。だって、一度入ったら自力では脱出できないVR世界なんだよ? あの時、お兄ちゃんがゴーグルを外してくれたから、こうして私は現実世界に戻って来られたけれど、そうでなかったら今頃私はどうなっていたんだろうか。
私の家は住宅街にある小さな一戸建て。お兄ちゃんが生まれた年に、引っ越してきた2階建ての木造の家だ。
「じゃあ、上がって!」
「お、おう! じゃ、お邪魔します」
「緊張しなくていいよ。この時間は誰もいないから」
そう言ったのに、彼は律儀にも運動靴をきちんと揃えた。その隣に脱ぎっぱなしの私の運動靴が転がっている。やめてよ、ちょっと恥ずかしいじゃん!
「お兄ちゃんの部屋は2階だけど、このまま上がる? それとも下でジュースでも飲んでいく?」
「アイツが帰ってきたらヤバいから、すぐにやろうぜ!」
「そうね、6時半には部活が終わって帰ってきちゃうからね」
「ヤバい、もう2時間もないじゃん。すぐやろうぜ!」
「じゃあ、部屋に行きましょう」
私が先頭で階段を上がっていく。その後ろからランドセルを背負った彼が付いてくる。私がいつもの癖で忍び足になるものだから、それに合わせて彼も忍び足に。怪しい探検隊がお兄ちゃんの部屋へ潜入する。
「じゃあ、コンセントを借りるからな!」
部屋に入るなり、彼はランドセルから白い延長コード取り出した。三つの差込口があるやつだ。それを机の脇にあるコンセントに差し込んで、部屋の真ん中に座り込む。
「じゃあ、日笠も準備しろ!」
「準備って?」
「おまえの兄ちゃんのプレストとゴーグルをこっちへ持って来るんだよ!」
「それならここにあるけど……」
パソコンラックの下に隠してあるゲーム機を指差した。
「そこじゃ遠いんだよ。電源コードをこのテーブルタップに繋ぎ変えろ!」
「雨霧はさっきから命令ばかりしているけど、ここは私の家なんだからね!」
「分かってるよそんなこと。オレは怖いんだよ! アイツと鉢合わせになるのが!」
あー、そういうことなの。3年生のときにお兄ちゃんから受けた心の傷が、彼を焦らせているのか……
お兄ちゃんのプレスト6の電源コードを雨霧が持ってきたテーブルタップに繋ぎ変え、2台のゲーム機を並べた。
傷一つ付いていないお兄ちゃんのゲーム機に比べて、彼のは傷だらけだ。何かで削られたような痕もある。VRゴーグルも同じく傷だらけ。斜めに斬られたような傷もあるけれど、一体何をやったらこんな傷がつくのだろうか。
「じゃあ、早速ログオンしようぜ!」
「う、うん……」
VRゴーグルを持つ手が震える。再び魔王のいるVR世界に飛び込むことが怖い。
どうしよう。やっぱりやめよう……かな?
すると、雨霧の手が震える私の手をやさしく包みこんだ。驚いて彼の顔を見ると、いつになく真剣な表情で、
「オレがおまえを守ってやるからよ。心配するな!」
と言って、彼は鼻水をすすった。
あんた、そのセリフ、どこで覚えたの? イケメン王子さまの青柳君に言われたら惚れちゃうかもだけれど、あんたに言われても何も感じないんだからねっ!
でも、魔王の一番弟子という不思議な人に幾度となく会って、無事に生還しているという彼。その彼が一緒にVR魔王に会ってくれることは心強いことは確かだった。
「分かった。……何かあったら、私を守ってね?」
少し首を傾けて、上目遣いで言ってみた。それなのに、彼はもうゴーグルを装着していて私のことなんか見ていなかった。
むかつく! 雨霧のくせに!
私は怒りにまかせてVRゴーグルを装着したのだった。
目の前に光の点が現れ、英語の文字か表示される。ここまではプレスト本来の画面らしい。本当はこの後にアプリの選択画面が出てくるのだけれど、私たちの場合は現実世界の景色が映し出されるのだ。
隣には雨霧の姿。彼は耳に手を当てているような格好に見えるけど、実際はゴーグルのヘッドフォン部の位置を調整しているみたい。
顔を覆っているはずのゴーグルは、輪郭線が薄い線で見えているだけで、彼の表情はしっかりと確認することができる。
不思議な感覚ね。この世界ではゴーグルの存在は『見える』けれど『無い』ことになっている。
「や、やめろったらサラ、今日は友達がいるんだから!」
突然、雨霧が手足をばたつかせて声を上げた。
「ち、ちがうよ! 人間の友達だから、あ~、やめろー!」
立ち上がって何かから逃げるように動き回り始めた。
前から変なやつだとは思っていたけど……思っていた以上に変なやつだった。
雨霧のどたばたした足音に掻き消されてしばらく気付かなかったけれど、カタカタというキーボードを打つ音が聞こえてきた。後ろを振り向くと、そこにはパソコンを操作している魔王のうしろ姿があった。
「ま、魔王……さま?」
私が声に反応した魔王は手を止め、ゆっくりと振り向いた。
「おお、つぐみ。見てみろ、オレ様の掲示板の書き込みが大反響だぞ!」
魔王はうれしそうに笑った。
「魔王さま、最初に言っておきたいことがあります!」
「ん!? どうしたつぐみ」
「魔王さまの書き込みのせいで、私の生活がピンチです!」
「個人情報の流出の件か?」
「流出どころか、垂れ流しですよ! 魔王さまが私の個人情報を垂れ流しました!」
「うむ、確かにこの家の住所とつぐみの名については、インターネット上に拡散しているようだな。しかし、それがどうしたというのだ。つぐみはオレ様と共に世界征服を目指す女であろうが!」
「うっ……」
魔王は私の眉間にビシッと人差し指を当て、どすの利いた声でそう言った。怖い……助けて……
「あ、雨霧ぃ……」
人は恐怖を感じるときちんと声が出せないということを知った。ようやく絞り出すように彼の名を呼んだのに、当の本人は部屋の中を走り回ってふざけていた。
「雨霧――っ! 私を守ってくれるって言ったのにぃ――!」
怒りの感情がこみ上げてきて、声を張り上げることができた。それを見越して彼がふざけているとしたら相当のものだけれど、雨霧はただの変人だ。
「つぐみ、あの怪しい少年は何者だ?」
魔王、あんたがそれを言う? あんたの方が余程怪しいのよ?
変な動物の頭の骨を被ってるし、黒いマントだし、オジさんだし。
でも、口が裂けてもそんなこと……言えないっ!
「あれは私のクラスメートです」
「クラスメート? そうか、雲雀小学校5年2組の仲間か」
「はあっー? 魔王さまがどうしてワタシの学校名とクラスまで知ってるのー?」
「ほれ、ここに書かれているぞ!」
「ぐは――ッ」
見事に晒されていた。
住所と名前を書き込んだのは魔王なのに、みんな私のイタズラだと思っている。『バカな女がここにいるぞ、晒してやれ、ヤッホー』って感じに皆が私のことを調べて掲示板に晒しているのだ。
もう……終わったかも……私の人生。
私はその場に崩れ落ちた。
「どうした日笠!? 魔王に何かされたのか?」
ようやく私の異変に気付いた彼が駆け寄ってきた。
「遅い! 雨霧遅いよ! 私の心はもうボロボロだよっ! 私を放っておいて一人でふざけて走り回るなんて酷いよ! 雨霧酷い!」
「オレはふざけていた訳ではないけど、悪かったな日笠。オレのほうはもう大丈夫だ! それで、魔王はこの部屋にいるのか?」
彼は周りをキョロキョロ見回す。
「雨霧には見えていないの? 魔王さまはこのイスに座ってアンタを見ているよ?」
「まだ見えるわけないよ。これを繋がなくちゃ!」
と言って、ランドセルの中から一本のケーブルを取り出した。長さ50センチぐらいの青いケーブルで、両端に透明なコネクタがついている。
「それは……?」
「LANケーブルさ。まずオレのプレスト6に片方を挿して、もう一方の端子をおまえん家のプレスト6に挿すんだ。ほらっ!」
雨霧はコネクタ端子をお医者さんの聴診器のような持ち方でワタシに向けてきた。
ここで躊躇っても仕方が無いので、ワタシもゲーム機本体を持ち上げ、背面を彼に向けた。
「よし、挿すぞ!」
「はっ、はい!」
50センチの短いケーブルを挿すだけなのに、初めての体験にワタシの手は震えていた。
「ダイレクトリンク――!!」
雨霧は叫んだ。戦隊ヒーローが技名を叫ぶようなテンションで。
これが私と彼との、初めてのダイレクトリンクだった。




