私の王子様とむかつく奴
「でも魔王さま、あなたはどうして私の部屋に?」
「ふむ、話せば長くなるのだが……」
そう前置きして話し始めた魔王の説明はやはり長くてほとんど覚えてはいないけれど…… 悪い人間たちに戦争を仕掛けられて、勇者一行と魔王城を舞台に壮絶な戦いが繰り広げられていた。そのとき、両者の放った最終奥義の一撃が変な風にこじれて時空の歪みが生じてこちらの世界に迷い込んでしまったというような話だった……と思う。
「ちょっと待っていろ!」
そう言って、パソコンを器用に操作する魔王。この短時間ですっかりインターネットを使いこなしている。これも魔法の力なのかな?
モニターに次々と表示されるのは剣と魔法のファンタジー世界。その綺麗なイラストを開きながら、魔王がいた世界と似ているものを指を差しながら説明している。
「魔王さまはこの世界に一人で来たの?」
「いや、きっと勇者の野郎も飛ばされてきたと思うぞ。それにオレ様の周りにいた両軍の兵士たちもな!」
この世界に勇者も来ている! それなら、その人に頼めば魔王を倒してくれるかもしれない。
「つぐみよ、何かを期待しているようだが……それは叶わぬ希望だぞ!」
「ええっ!?」
「勇者はオレ様よりもずっと高齢だ。老いぼれジジイだぞ!」
ホッとしたような、がっかりしたような、複雑な心境だ。
お爺さんの勇者とおじさんの魔王の最終決戦かぁ……
「そうそう、こんな感じのジジイだ!」
魔王が指し示した画像は、禿げているけれどカッコ良い役で有名なハリウッド映画に出てくる男の人だった。魔王さまよりもずっとイケメンだと思ったけど黙っておこう。
「では、つぐみよ。今後の作戦を話し合おうではないか」
「作戦って……?」
「世界征服の作戦に決まっているだろう!」
「世界征服う――!?」
魔王の目標が大きすぎて目がくらむ。
「オレ様とつぐみがやることと言ったらそれ以外にはないだろ?」
「魔王さまはともかく私は世界征服なんてしたいと思わないよ。きっとそれは犯罪だし……」
「何を言っているつぐみ。おまえはオレ様の手下1号、すでに魔族の契約を結んでいるのだ!」
「いつの間に!?」
「おまえはオレ様が遊んでやれば命令を聞くと言った。それが魔族の契約だ! 魔王の命令はゼッタイなのだ!」
「いやぁぁぁ――――っ!!」
小学5年生の当時の私には、泣き喚くことしかできなかったけれど、今それが起きても同じ結果になったと思う。だって、魔王と私は運命の鎖で繋がっていたのだから。
▽
「手始めにオレ様の仲間を探し出すのだ!」
「仲間ですか?」
「そう、オレ様と共にこの世界へと飛ばされてきたオレ様の仲間だ!」
「魔王さまの仲間ですか……」
「安心しろ、みんなオレ様の可愛い手下だ。つぐみもきっと好きになる」
「はあ……そう……ですか……」
ぜんぜん安心できない。魔王のカワイイ基準が私と同じはずがないもの。
「それで、どうやって探すのですか?」
「インターネットの掲示板で探すのだ!」
「魔王さまの言っていることが分かりません」
「はあっ? つぐみは知らないのか、インターネットの掲示板にはこの世界のあらゆる情報が詰まっているのだぞ?」
つり目の厳ついおじさん顔が哀れむように私を見てきた。ちょっとイラッときてしまった。
「掲示板ぐらい知っています! でもどうやって……」
「まあ待て。ちょっと書き込んでみるから」
そう言って魔王はキーボードをカタカタと打ち始めた。
魔王の大きな体でモニターが全然見えない。
なんだか疲れたな……
この間にちょっと休もうかな……
壁際のお兄ちゃんのベッドにゴロンと寝転がろうと歩いて行く。
「あうっ!」
寸前の所でグイッと頭を引っ張られた。
VRゴーグルとゲーム機本体をつなぐケーブルの長さが足りなかった。
「何をしているつぐみ、大人しくしていろ!」
「う~……」
呆れたように言い放つ魔王の元に、また戻るしかなかった。
「どんな内容を書き込んだんですか、魔王さま?」
「今終わるから待っていろ、送信っと……」
モニターをのぞき込む。
【オレ様は魔王だ。今、この異次元空間に舞い降りたところだ。オレ様の手下はすぐに連絡してこい。オレ様はここにいる。住所は……】
「はあーっ!? なにやっちゃってるんですかぁー? この家の個人情報がダダ漏れじゃないですかぁー!」
「そんなことはオレ様には関係のないことだ。オレ様は――」
「早く消して消して消してぇー!」
ワタシは魔王の腕を掴んでお願いした。
魔王の顔が困惑に変わったところまでは見えたけれど――
「おまえ、僕の部屋で何をやっているんだ!」
お兄ちゃんの声。そして魔王の姿が目の前から消えた。
振り向くと、VRゴーグルを両手で持ち上げ、ワタシを真っ直ぐに見つめるお兄ちゃんがいた。
「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう!」
私はお兄ちゃんの胸に飛び込んだ。
▽
「あうッ!」
おでこがズキンと痛い。私はベッドから上体を起こして手を当てた。今でもあのときの痛い記憶は鮮明に私のおでこに記録されているの。
あの後すぐに、お兄ちゃんは私のおでこにげんこつを食らわせた。私が勝手に部屋に入り込んで、しかも隠していたゲームを見つけて勝手に一人で遊んでいたと勘違いしたの。
でも、その時の私は魔王から解放されたという安堵感で満たされていた。これでもうは魔王と二度とは会うこともないだろうと……思っていた。
しかし、その二度目はすぐにやってくるのである――
▽
それは魔王と出会った翌日のこと――
水曜日の3時間目は退屈な道徳の授業。でも、この時間には私だけの密かな楽しみがあったのだ。
校庭では6年2組の体育の授業が行われている。私はその様子を窓から眺めるの。あっ、いたいた! 青柳翔真君! 青柳君はうちの学校ナンバーワンのイケメン。地元のサッカークラブではエースストライカーで知らない人はいないスポーツ万能男子なの。
やっぱりカッコ良いな。もちろんそんな青柳君が好きな女子は沢山いるから、私なんて目を合わせてもらったこともない。いつも遠くから眺めているだけ。でも、それで良いの。だって私は――
「――つぐみちゃん、つぐみちゃんったら!」
前の席の恵子ちゃんの声で我に返った私。
えっと……
あれれ?
いつの間にか皆の視線がワタシに集まっていた。
「日笠さん、またボーっとしていましたね! 全く、あなたのような子こそ道徳の授業が必要なのよ。さあ、続きを音読なさい!」
「あっ、はい。えっと、どこを……?」
私があたふたしていると、隣の席の鈴木君が教科書のページを差して教えてくれた。ありがとう、鈴木君!
音読をつっかえながらも無事に済ませた私は、窓から校庭の様子を見るの。準備体操が終わった6年2組の皆は、男子全員がトラックを走っているところだった。ダントツに足が早い青柳君。女子たちがキャーキャー言っている声がここまで聞こえてくる。
「あうっ!」
頭に何かが当たった。それは机の上でワンバウンドし、床に落ちた。消しゴムだ。誰なの!?
犯人はすぐに分かった。三バカトリオの1人、雨霧拓巳がこちらを見て笑っている。
むかつく! でも、恋するワタシはあんな奴のことは無視よ!
ああ、青柳君が素敵な笑顔でゴールしたわ。女子たちが競うように汗ふきタオルを渡しに行っている。こんな光景、体育の授業で見られるなんて本当はおかしいことだよね? でも、青柳君の周りではそんな非常識も常識に変わっていくの。
「あうっ!」
また頭に何かが当たった。
むかつく! 今度は紙を丸めたボールだ。
犯人はまた雨霧拓巳ね!
「このぉ~!」
私がその紙ボールを投げ返そうと振りかぶると、雨霧拓巳が何かジェスチャーで伝えようとしているのに気付いた。
えっ? なに? この紙を広げて見ろ?
なんだろう?
紙ボールを開くと下手くそで汚い絵が描いてある。
何これ、私の似顔絵?
ツインテールの女の子がわんわん泣いている絵。『せんせ~もうじゅぎょーちゅーにねないからゆるしてぇ~』という吹き出しが付いている。
むかつく! これ、ワタシが低学年の時、厳しい男の先生に何度も泣かされていた黒歴史じゃないの! くそっ! 雨霧拓巳のやつ――!
ワタシは開いた紙をグシャグシャに丸め直し、思いっきり振りかぶる。すると、また雨霧拓巳が何かジェスチャーで伝えようとしている。
えっ? なに? この紙を広げて、裏を見ろ?
黒歴史第二弾だったらコ・ロ・ス・ヨ!
表面の似顔絵にまたむかつきながら、裏をひっくり返す。
『昼休みに給食室のうらへ来い、一人でだぞ!』と汚い文字で書いてあった。
▽
戦慄の昼休みがきた――
ああ、何だろう?
雨霧拓巳がこの私に何の用だろう?
まさか、告白とかじゃないよね?
もしそうだったら、思いっきり振ってやるんだからーっ!
心配してついて来ようとする友達の尾行を巻いて、校舎の裏から回って給食室へ向かう。友達はこれは罠だからと心配していたけれど、三バカトリオの残り2人は校庭で遊び回っているのを確認したの。だから雨霧拓巳は1人で待っているはずよ!
給食室の裏は朝に給食用の食材を運んでくるトラックが入ってくるスペースがあって、しかもこの時間はほとんど人目に付かない隠れたスポットになっているのだ。
雨霧拓巳は食材を運ぶための階段に腰をかけていた。
「おまえ、本当に1人で来たんだな……」
「だって、1人で来いと書いてあったから……」
「だからって、バカ正直に1人で来るか普通?」
そしてズズッと鼻水をすすった。
彼は花粉症なんだと思う。
「雨霧はバカだけど悪い奴じゃないと思っているからね、私は! それに私に何かあったら私のお兄ちゃんが黙っていないし」
「――っぐ、アイツのことを思い出させるな――っ!」
雨霧拓巳は頭を抱えて空に向かって叫んだ。私たちが3年生の時にお兄ちゃんは6年生で、私に意地悪をした雨霧はお兄ちゃんにボコボコにされたことがあった。それがトラウマになっているみたい。
「で、あんた、私に何の用なの?」
「お、おう……あのさ……」
鼻の下を手でこすりながら、彼は私の顔をちらりと見てきた。目が合うとすぐに逸らされた。
なにこの微妙な空気感は。
えっ、まさか……
だって私は青柳君に憧れていて、青柳君のことばかり見ていて。イケメンな青柳君に比べて雨霧拓巳はツンツン頭で目付きは気持ち悪いし……確かに運動は得意かもしれないけど青柳君ほどではないし。そして何よりもあんたは私にちょっかいばかり出してくるのよ? 性格が全然ダメダメなのよ?
「あのさ……」
だめぇぇぇ――、それ以上何もいわないでぇぇぇ――っ!
「おまえの家に魔王いるだろ?」
「……はい?」
えっと、彼はいま、魔王って……言った?
聞き違いかな?
「さて、何のことかなー? あはははは……」
「ネットの掲示板への書き込みを見たぞ!」
「ひえぇぇぇぇぇぇぇーっ!!」
私は驚きのあまり飛び上がった。
そして片足を上げた姿勢で固まった。
「そんな派手な驚き方をする奴、初めて見たぞ! しかしおまえの家に魔王がいるのは本当だったようだな!」
「ど、どうかこの件は内密にぃー!」
私は生まれて初めて土下座というものを体験した。人はいざとなったら何でもできるという、悲しい事実を知った。
「まあ、これが先生に知られたら大騒ぎになるだろうからな。さすがに住所をネットの掲示板に書き込むのはマズいだろ……」
「う、うん……そうだよね……」
あれ? ちょっと待って…… 雨霧拓巳はさっき、住所の書き込みについてよりも先に魔王の話をしてきたよ?
「あの……雨霧さん?」
「おまえ、どこまで卑屈になるんだよ? 普通に呼んでいいぞ」
「う、うん。じゃあ雨霧はもしかして……あの掲示板の書き込みは魔王が書き込んだものだと信じてくれているの?」
私は恐る恐る尋ねた。こんな話、普通の人は信じてくれない。下手をすれば変人扱いされてしまうレベルの話だよ? でも、もしも雨霧の口から学校中に噂が広がって、先生や親の耳に届いたりしたら……私の学校生活はゲームオーバーだ。
しかしそれは私の取り越し苦労だったようだった。
「信じるも何も……俺んちにもいるから。魔王の一番弟子がさっ!」
そう言って雨霧拓巳はズズッと鼻水をすすったのだ。




