永遠の誓い
創立10周年を迎える桜宮南中学校の校舎は東西に長く、その屋上は西側半分は太陽光発電のパネルが設置されている。そのため、フェンスのある東側のみが事実上の屋上スペースとなっている。
今、その屋上スペースにドラゴンが降り立った。尻尾は体育館のある東側に飛び出し、南北方向に伸びる翼は校庭と給食棟の上に突き出している。つまりは、屋上スペースには収まらない程にドラゴンは巨大なのである。
ウロコ状の皮膚は光の反射の加減によって茶色にもピンク色にも見える色合い。
(なるほど……これがこの子たちの言っていた、ピンク色のドラゴンか……)
神崎先生はコンクリートの床に座り込み、身動きがとれないでいた。
驚きのあまり、腰を抜かした状態になっているのだ。
ドラゴンは大きく伸びをするように翼を広げ、そして折りたたむ。
ゆっくり首を折り曲げ、床にあごを付けた。
その深碧の瞳に青空の姿が映っている。
瞳の中の彼は床にうずくまり、ぐったりとしていた。
『マスター……ごめんなさい……』
脳に直接届くそのメッセージは、神崎先生の耳にも届いていた。
それは苦しみ続けている青空に向けられた言葉。
ドラゴンは、彼が苦しむ理由を理解しているのかもしれない。
ドラゴンは翼を広げ、天を仰ぎ見る。
その次の瞬間――
ドラゴンの姿は霧のように拡散し、消えていった。
震える足を手で押さえ込み、青空に近寄る先生。
抱き抱えるように起こし、ゴーグルに手をかける。
上に持ち上げると、ゴーグルは外れた。
「サーティーン、大丈夫か? 意識はあるか?」
「……はい……なんとか生きています」
「そうか、よかった」
先生はそれだけ言って、しばらく彼を抱えこんでいた。
その間、青空は霧散していたピンク色のドラゴンが一つにまとまり、いつもの姿に戻っていく様子をぼうっと眺めていた。
やがて朦朧としていた意識がはっきりとしてきた。
そこでようやく、自分の後頭部が先生の豊かな胸にすっぽり収まっていることに気付き、慌てて立ち上がった。
「うっ……」
「急に立ち上がるやつがあるか、しばらく座っていろ!」
立ちくらみでよろけ、先生に支えられてその場に座り直す。
「すごくだるいです。全身の力が抜けてしまったような感じだ……」
「すまない、今回の件については私のミスだよ」
「先生のミスなのかよっ!」
「あっ、えっ? そんな反応? 私を責めるの? 私泣いちゃうよ?」
神崎先生は口調をころころと変えてくる。
「そんなのはいいですから、単刀直入に願います!」
「う~!」
神崎先生の話によると、通常の適合者はVRゴーグルを装着することで異世界人を認識し、自らの生体エネルギーを元に異世界人の活動に必要なエネルギーに変換する。しかし、青空が認識したドラゴンはあまりにも巨体であったため、彼の生体エネルギーが限界まで吸い取られようとしていたということらしい。
「しーかーも、そのドラゴンって適合者でもない一般人の私にも見えちゃったのよ? サーティーン、キミは自分でも気付かないうちに、ドラゴンの完全なる具現化を試みてしまったのよ!」
「完全なる……具現化?」
「つまり、この世界に存在しないものを形にしてしまうということ。もしかしたら、それはキミに秘められし力なのかも知れないわね」
「秘められし……力……」
青空は視線を落とし、コンクリートの床に置かれたVRゴーグルを手に持ってみた。すると、小さなピンク色のドラゴンがそのゴーグルの上に被さってきた。それはまるで彼がそれを持つのことに抵抗しているようにも見えた。
「残念だけど、それは返してもらうわ。私は政府の役人である前に生徒を守るセンセイだから、もうこれ以上キミに無理はさせられない」
「でも……俺が強くなれば問題はない……ですよね?」
「それは理屈の上ではそうかも知れないけど、無理よ!」
「でも……あいつはそれをやっているんですよね……」
「あいつ? ナンバーワンのことを言っているのなら、キミとは条件が違いすぎるよ。だって、あの子の相手は身長2メートルの異世界人で決して巨大ではないし……それに……」
「……それに?」
「あの子の適応力は天才レベルだもの――」
「天才レベル?」
青空は視線を上げた。
神崎先生はまっすぐ彼を見つめていた。
その時、先生のスマートフォンに着信があった。
発信元は『ナンバー・ワン』――
「はい、こちら特捜本部。もう事件は片付いたのかしら?」
先生は気を利かせてスピーカーに切り替える。仲間に加わった青空にもう隠し事は必要ないと判断してのことだろう。
ところが、聞こえてきたのはつぐみの声ではなく激しい戦闘音である。
「どうしたナンバーワン!? まだ戦闘中なの?」
モンスターの鳴き声に重なってづくみの呪文が微かに聞こえる。
その後に激しい爆発音。
そこでようやくつぐみの声――
『き、きりがありませんよぉー、次から次へモンスターが壁から出てきちゃうんですよぉー、どうしたらいいですか、センセー!?』
「落ち着いて状況を詳しく教えなさい!」
『とにかく、うじゃうじゃー、うじゃうじゃーとモンスターが現れて、私と魔王さまで退治はしているんだけどキリがないんですよぅー!!』
「日笠! 一度こっちへ退却して俺を連れて行け! 俺ならドラゴンで敵を殲滅できる!」
「サーティーン、何を勝手なことを……しかし、その手しかないか……キミなら壁の向こうへ進入すればドラゴンの力が使えるんだよね? しかし、キミの生体エネルギーの残量が心配だけと……」
「なら、他にいい方法があるんですか?」
「う~!」
神崎先生は額に手を当てて考え込む。
しかし――電話の先から思いもしない返答が――
『ダメだからぁ――!』
「はっ?」
『今度の壁は硬くて中に入れないのよ! きゃあ――』
つぐみの悲鳴と同時に通話が途切れた。
先生は急いでかけ直してみるも、繋がらない。
(壁の中に入れない? だとしたら……今の俺には何も出来ないということじゃないか……)
青空はくちびるを噛む。
何も出来ない自分が、これほどまでに不甲斐無く思ったことはなかった。
弱い自分が許せない。
自分は何の役にも立てないのだ。
思えば三年前のあの日、ピンク色のドラゴンに出会ってから転落人生が始まった。
ドラゴンが見えているのに信じてもらえない不幸。
嘘つきではないのに嘘つきと言われる不幸。
妄想ではないのに妄想と言われる不幸。
学校でのいじめ。
近所での悪評判。
変人扱い。
恨んで恨んで恨みまくったこの三年間の転落人生だった。
でも――
不思議な金髪の魔法少女に出会って全てが変わった。
あの……
――大切な忘れ物を探しに――
という言葉は今もなお、彼の心のどこかに引っかかっていた。
(そうだ、俺はまだ何も始めていないじゃないか! 俺はあいつと探しに行かなければならないんだ。きっと大切な忘れ物はそこにある!)
青空は黒革のリッュクを背負い歩き出す。VRゴーグルを手に持って。
それに合せて付いてくるピンク色のドラゴン。
屋上スペースの角で立ち止まり、
「モモ、おまえは生涯、俺と添い遂げると言ってくれたよな――」
ピンク色のドラゴンはピクリと反応した。
「ならば、俺も生涯、おまえと一緒にいると誓ってやる!」
モモの身体がピンク色から真っ赤に変わり、湯気を噴出した。
「だから――俺のすべてをおまえにやる! おまえのすべてを俺にくれ! 」
青空はVRゴーグルを再び装着した。