コードネームは
つぐみ達が事件現場である漁港へ到着したのと同時刻――
桜宮南中学校の屋上には白衣姿の神崎養護教諭と青空照臣が立っていた。
「青空くん、これを渡す前に確認したいことがあるのだけれど……」
神妙な面持ちで青空に話しかける先生の手には最新式のVRゴーグルとゲーム機本体があった。
青空はゴクリを唾を飲み込み、視線を上げる。
「今日からキミを『ナンバー・13』と呼んでいいだろうか?」
「……えっ!?」
「あっ、いや、それではちょっと長いか……やっぱり『サーティーン』と呼ぶことにしよう! あっ、それとも小泉クンのように『アオ君』が良いか?」
「長さの問題じゃありませんよ先生! 話がいきなり飛びすぎて戸惑っているのですよ、俺は!」
「いやいや、飛びすぎてはいないだろー。だって、日本国政府のエージェントはコードネームで呼ぶという決まりがあるのだから!」
「決まりなのかよっ! そんなことより俺が政府のエージェントにだって? そんな簡単になれるものなの? 先生の一存で!?」
「私の一存などではないよ。ちゃーんと上への許可は取り付けてあるよー。ほら!」
先生はVRゴーグルを渡して、白衣のポケットからスマートフォンを取り出した。青空が画面をのぞき込むが、口を開けてぽかんとしている。難しいことは中学生の彼には分からないようだ。
「逆に聞くけど、青空くん。キミはここまでの秘密を知っておきながら、普通の中学生に戻れるとでも思っているのかい?」
神崎先生はスマホをポケットにしまい、含み笑いをした。
「分かりました。俺としてもこのままで終わらすつもりはなかったんで。いいですよ入ります!」
「いいの?」
「はい!」
「ようこそ、宇宙防衛軍東日本支部桜宮派出所へ!」
右手を差し出した。
青空は慌ててVRゴーグルを左手に持ち替えて握手に応じた。
マニキュアで赤く塗られた先生の細い指はひんやりと冷たかった。
「えっと……宇宙防衛軍って……?」
「ああ、もともとはアメリカ合衆国が先導して作られた宇宙からの侵略者に対抗する軍隊なのだけどね、現状は異世界人の対応に追われているというわけだよ」
「そ、そんな軍隊がいつの間に……」
「その構想は20世紀の終わりごろには既にあったのだけど、本格的に始まったのは今世紀に入ってからなんだ。現在、日本の主要地方都市には巨大な地下空間がいくつも掘られていてね、この桜宮市は東日本の平和と安全を守る日本国宇宙防衛軍東日本支部の中核基地となっているのだよ」
「そんなことになっているなんて、まったく気付きませんでしたよ!」
「当たり前だよー、だってこれは国家機密事項なんだからー、うふふ」
神崎先生は黒革のリュックにゲーム機本体を仕舞い、青空に背負わせる。
ゲーム機本体とVRゴーグルはブルートゥースによって繋がっているため、本体はリュックの中にあっても大丈夫な仕様である。
「今回は特別に私のカバンを貸してあげるけど、次回からは自分のを使うのだよ、サーティーン!」
「あ、ありがとう……ございます……」
「さあ、ではゴーグルを装着してみなさい。東日本支部の技術者総動員で一晩かけて調整したサーティーン専用のVRゴーグルだ!」
「は、はい!」
先生の気勢に押されるように青空はゴーグルを装着した。
透明なレンズ面の中心に白い光点が浮かび上がり、そして消えていった。
「ん!? どうしたサーティーン、キミには何が見えている? いつも見えているというドラゴンはどうなった?」
「えっと……いつものように浮いていますが……」
「そうか、いつものようにか……おかしいな。失敗だったか――」
先生はあごに指を当てて考え込む。
青空は頭上に浮かぶピンク色のドラゴンを見上げていたが、次の瞬間その姿が2体に分離した。
「えっ……」
赤と緑の2体のドラゴン。
光がプリズム効果のようにねじ曲がる。
屋上の床がぐにゅりと曲がり、見えないはずの校庭の木々が頭上に見えた。
風景が無秩序に湾曲している。
激しいめまいと耳鳴りにうずくまる。
「あ、ああ……ああああああ――ッ」
全身に高圧電流が流れたようなショックが絶え間なく襲う。
激痛に悲鳴を上げる青空。
「どうしたサーティーン! 一体何が起きているというの?」
神崎先生は叫ぶ。
彼女には、屋上のコンクリートの床にうずくまり、悲鳴を上げる青空の姿しか見えていない。
「くそっ!実験は中止だ! サーティーン、今すぐゴーグルを外して――きゃあ――!」
青空に手を触れた瞬間、先生の身体に電気が流れた。
彼女は大きくのけぞり、床に腰を強く打ち付けた。
「なっ……!?」
彼女はこのとき、初めて青空の身体に変化が起きていることを理解した。
彼の背中から深紅の炎が立ち上っていく様子が見える。
それは真っ赤な大蛇のように屋上の空を暴れまわり、やがて青空の頭上の一点に向けて吸い込まれていくのだ。
そう、ピンク色のドラゴン、モモに向かって。
晴れていたはずの空に雷鳴が轟く。
青い閃光。
校庭の避雷針に稲妻が直撃する。
神崎礼子28歳は、目を見開き硬直した。
稲妻による衝撃のためではない。
屋上に降り立つ巨大生物。
それは、彼女にとって政府直属の任に就いて以来、初めての異世界生物との遭遇だったのだから。