引退!?不良少女
翌日の朝――
部活動の朝練習を終えた生徒たちが続々と教室に入ってくる中、青空は一番後ろの席で頬杖をついてじっと座っていた。そんな彼のことを当然のように誰も相手にはしない。いつもと変わらない朝を迎えていた。
ただ、お洒落なメガネの少女、小泉志乃は時々青空のことを気にするように視線を送っている。
それに気付いた青空が目を合わすと、彼女はにこりと微笑みかけてくる。
(この、腹黒女め!)
秘密を知ってしまった青空は、苦笑いを返すのだった。
成績優秀で性格も優しくて、誰とでも分け隔てなく気さくに接する彼女はいつも2年3組の中心にいる。
しかしその実態は3歳年上の女子高生。日本国政府のエージェントとして身分を隠して中学校に潜入しているのである。
彼女の監視対象は魔法少女、日笠つぐみ。少しおっちょこちょいなつぐみが周囲の人間にその正体に気付かれないように監視し、情報操作をするのが彼女の使命なのである。もちろん、そのことはつぐみ本人は知らない。
青空は昨日の話を脳内で整理していた――
まず、適合者と呼ばれる者たちはナンバー1の日笠つぐみを始めとして12人確認されていること。彼らは皆、初代VRゴーグルの改良型を装着することによって異世界人と接触した。それが3年前の9月に集中して発生している。
12人が遭遇した異世界人は、人類族と魔族の2種類に分類される。異世界ではその存続をかけて人類族対魔族の戦争が繰り広げられていた。その最終決戦のときに何らかの現象によって異世界人たちはこの世界に飛ばされてきた。
ところが、この世界には異世界人たちが活動するために必要なエネルギー粒子が存在しない。質量もエネルギーもない彼らは、ただこの世界に漂流している『無』の存在だった。それが適合者の出現によって事態は急変した。
適合者はVRゴーグルを装着することで異世界人を認識し、異世界人は適合者の生体エネルギーを変換しこの世界に干渉できるようになったのである。
適合者とは先天的あるいは何らかのきっかけで魔法などの特殊能力を有している者。魔法のないこの世界においては、本来なら永遠に開眼することがなかったはずの能力。それが異世界人の干渉によって発動した者のことを指す。
(――と言うことは、俺にはドラゴン使いの特殊能力があったということだろうか? そう考えるとモモが俺に服従を誓ってきたのも納得できるけど……)
青空は頭上のピンク色の浮遊体を見つめた。モモは彼の視線に反応を示すことなく、ただ浮遊しているだけである。
適合者と行動を共にする異世界人たちは仲間を見つけ、敵を殲滅するための行動を起こした。当初、戦いの舞台は主に人目につかない山奥や夜の公園であったため、大きな事件にはならかったが、すでにその頃から日本国政府は適合者たちの特定作業に乗り出していたという。
昨年の2月事態は急変した。謎の黒い壁の出現である。日本国政府は、それが偶然に開かれたものではなく、何者かによって意図的に行われた挑発的な作戦行動であると見ているらしい。しかし、そこから先の情報は禁則事項となり青空は聞くことができなかった。
(あいつが政府の命令で異世界の扉を破壊していたとはな……日笠はどれだけのことを理解してその命令を実行しているのだろうか? もしかして、ただ言いなりになって使われているだけじゃないのか?)
青空の脳裏には神崎先生のしたり顔が浮かび、なんとも言えない感情が湧き出してくる。
始業のチャイムが鳴る――
教室のあちらこちらで談笑していた生徒たちは一斉に席に着く。学級担任の菅原先生が出席簿を手に入ってくる。定年まであとわずかという年齢のおじいさん先生である。
「あー、では出席をとるぞ。青木紗枝――」
「はい元気です!」
「ふむ……」
菅原先生は老眼鏡を鼻にかけ、出席簿に斜線を引く。同時に保健委員の小林美香は健康観察簿に斜線を引く。
「青空照臣――」
「あっ、はい……」
「ふむ、元気そうだな……」
青空が返事をするときには、教室のあちらこちらから意味のない笑い声が聞こえてくる。『元気』の一言を彼が発声することはない。それは彼なりの精一杯の抵抗なのだ。
次々に生徒の名が呼ばれていく。
そして――
「日笠つぐみ――は、今朝も遅刻か……」
老眼鏡の隙間から青空の右隣の空席をちらりと見て、菅原先生は丸を付けようとしたときのこと。
ガラリ――
後ろの扉が開いて、日笠つぐみが入ってきた。
数人の生徒たちが振り返り、そして目を見開いて固まった。
それを見て、他の生徒たちも後ろを振り返る。
教室中にどよめきが起きた。
金髪ツインテールのつぐみが標準服に身を包んでいたのだ。いつもの昭和世代の不良を思わせる改造制服ではなく、ひざ下10センチメートルのスカートの丈。ブラウスの首元には緑色の学年カラーのリボンはゆるく蝶結びされていた。
「ひっ、日笠……遅刻だ……あっ、いや……今朝はぎりぎり間に合ったことにするからな、うん!」
菅原先生は目をぱちくりしながらも、口元は緩んでいた。
「あー、せんせー、別にいいよ遅刻でも。今更どうってことないしさー!」
「いや、そんなことはないぞ日笠。うん、出席にしておこう!」
「あっそ、まあ別にいいけど……」
つぐみはカバンを乱暴に床に置き、どすんとイスに座る。
隣の青空と視線が合うと、
「――なによ?」
じろりと彼を睨みつけるつぐみだが、ほんのり頬が紅潮している。
「あっ、いや……」
青空は慌てて視線を外すが、思い直したようにもう一度つぐみと目を合わす。
そして――
「日笠……」
「なっ、なによ?」
「違和感ハンパないぞ!」
「……」
瞬く間につぐみの顔は真っ赤になり、
「あんたがそれを言うかぁぁぁ――!?」
何度も何度も何度も、青空を蹴りまくるつぐみであった。