それぞれの思惑
「これが初期型のプレスト6、そして初代のVRゴーグルだよー。ちょっと触ってみちゃうー?」
部屋に届けられた機械を手に、軽いノリで神崎先生が言った。
青空の前に置かれた機械は箱形の黒い筐体。『黒い弁当箱』という愛称で親しまれた、バッテリー内蔵型のゲーム機だ。
ゲーム機本体からは黒いコードでVRゴーグルが繋がっている。ゴーグル本体の目の周りを覆う部分は黒いプラスチック素材で囲まれており、ゲーム中は外部からの光を一切通さない仕組みとなっている。
青空は緊張した面持ちで手を伸ばす。
「結構重いな……」
「被ってみちゃうー?」
「センセー、そんな軽いノリで言わないでくださいよ! もしアオ君に何かあったらどうするんですか!」
「その時は私が責任をとるよー。それが所長の一番の仕事だからね!」
小泉に向けてウインクをする神崎先生。
すると小泉は頬を赤らめて――
「セ、センセーはズルいです! 時々カッコ良いことを言いますよね……」
「ふふふふふ」
そんな二人のやりとりには目もくれず、青空はゴーグルを装着していた。
ゴーグルの中は真っ暗な世界。
やがて白い光点が出現し、砂時計のマークに変化する。
視界の中央から少しずつ明るい部分が広がっていく。
プレイストライクと英語で書かれたロゴマークが表示され、壮大なイメージの音楽が再生されていく。
「どうだ青空くん。初めてのVR体験はどんな気分だい?」
「すごいです! なんかこう……本物の部屋にいるような気分になりますね!」
「本物の部屋って、アオ君にはどんな部屋が見えているの?」
「えっと、高原の別荘って感じの暖炉がある部屋に座っているような……そんな感じです! だけどちょっと……」
そう言いながら、青空はゴーグルを外した。
「あれれ? アオ君、自分で外しちゃった!?」
「うーん、なんか違和感というか……視線を動かすときに頭がくらっとする感じがしたので……」
「うふふ、それは画面酔いだねー。青空くん自身が慣れていないというのもあるだろうけど、初期型にはその問題があったんだ。そして別荘風の部屋の画面はプレストVRのホーム画面だよー。そこからプレスト本体にダウンロードしたゲームを起動して遊ぶという仕組みなんだ」
「ああ、確かに四角い形のアイコンが並んでいました。視線を合わせるとタイマーみたいなマークが出てきたところまでは確認しましたから……」
「ところがだ――」
神崎先生は身を乗り出して、青空に顔を寄せた。
「異世界人との第一次遭遇者たちの証言によると、ゲーム機が用意した画面とは全く異なる、プレイヤーがいるその場の風景がそのまま映し出されたんだよー!」
「その場の風景がそのまま? ああ、カメラで周りの風景を撮ったものを合成処理していたという感じか……」
「うふふ、キミは本当に賢い子だねー。でも、よく見てごらん。当時のVRゴーグルにはカメラ機能は付いてはいないよ? そして、彼らが言うには外部の光を通さないはずのVRゴーグルが、顔に装着した途端に透明なガラスになったような感覚になったというのだよー」
青空はVRゴーグルの外観を改めて眺めてみた。どこから見てもカメラのレンズは付いていないし、それが透明になって周りの景色が見えるようになるとは思えなかった。
「じゃあ、特別なことが何も起きなかった俺は、先生の言う適合者ではないということですか……」
「いやいや、それは違うよー。さっきも言ったよねー、それは初期型だって。その後、画面酔いを軽減するチップを搭載した改良型が3年前の8月に発売されたんだ。それが市場に多く出回り始めたのが9月だよー」
「はあー!?」
青空は持っていたVRゴーグルを乱暴に机に置いた。
「どうせならその改良型というのを出してくれよ! 俺の反応を見て楽しむのはもう止めてくれ!」
「うふふふっ、でも青空くんには今でも異世界の生物が見えているんだろう?」
神崎先生は笑顔を作りながらも、鋭い視線を送ってきた。
青空は部屋付近に漂うモモを見上げ、こくりと頷く。
「それがキミの妄想や幻覚であれば良かったんだけれどねー。でも、先ほどの生体反応の波形を見るに、それは本当のことかも知れないと思い始めているんだよ、私は! そんなキミに今この場で改良型VRゴーグルを試す気にはなれないよー!」
「センセー、あなたは本当にズルい人です……」
小泉はほっぺを膨らまして顔を背けた。
「うふふ、怒った顔も可愛いね小泉クンは。青空くんどうだい、付き合っちゃえば?」
「はっ!?」
「へっ!?」
「小泉クンの監視対象はナンバーワンだけなのだから、キミたちが付き合うことには日本国政府としては不干渉だよ? 今後の話次第では監視対象に青空くんが加わってしまうが……その場合は私生活の監視も出来て一石二鳥ということになるよー」
「もう――! センセー、ふざけないでください!」
本気で怒りをあらわにする小泉の姿を見て、青空の心は傷ついていた。
▽ ▽ ▽ ▽
「さて、二人が落ち着いたところで話を進めるが――ナンバーワンである日笠つぐみが小学5年生のときに接触したのが、異世界では『魔王』と呼ばれていた異世界人だったのだよ。彼女が言うには、その『魔王』がネットの掲示板で『魔王降臨・仲間募集』みたいな書き込みをしてねー、大騒ぎになったらしいわよー、ぶっ……くっ……うふふふふ」
神崎先生は腹を抱えて笑い出す。大きな胸がふるふると震えていた。
「それって、絶対ナンバーワン本人がやりましたよね、センセー」
「そうだろう? 小泉クンもそう思うだろう? 私もそう思うよー、うふふふふふふ」
笑いが止まらない二人を前にして、一人真顔の青空は――
「何がおかしいんだよ!」
「ふふ……えっ?」
「小学5年生なんてまだ子供じゃないか! そんな小さな子供が突然得体の知れないモノに出会ったんだ。しかも……自分にしか見えないモノなんだぜ? 誰かに相談しようにも相手がいなかったら、掲示板にだって書き込みたくなるだろうが! そんなことも理解できないお前らにあいつを笑う資格はないだろうがぁぁぁ――!」
椅子から立ち上がり怒りをぶつけた青空は、ぽかんと見上げる二人の視線に気付いて顔を真っ赤にする。
「あっ、いえ……すみません……」
椅子に座り直して、床に視線を落とす。
「ご、ごめんねアオ君……私、適合者の気持ちを考えたことはなかったから」
「無かったのかよ!?」
「ごめんごめん、キミもつらい経験をしてきたんだな。しかし小泉クンの言うとおり、私たちには淡々と任務を遂行することが求められているのだよ。いちいち適合者の人権に配慮するヒマは無いのだ」
「人権ぐらい守ってやれよぉぉぉ――!」
叫びすぎで酸欠状態になる青空だった。
「もしかして……いや、さすがにそれはないと思うけど……日笠が不良になったのはあんたたちのせいじゃない……よな?」
「ああ、それはないよ、さすがにね」
「そうか、さすがにそうですよね」
少しだけ表情を和らげる青空だったが……
「ナンバーワンは魔法を使う度に髪の毛の色素が抜けて金髪になるんだよ。青空くんは知っていたかい?」
神崎先生は額に汗をかき始めていた。部屋は空調施設により快適温度に保たれているようだが……
「金髪は染めているんじゃなかったのか……そう言えばあいつが魔法使っている時に、髪の毛がキラキラ光っていたのを見たかも……」
青空はあごに手を当てて呟いた。
「そうなんだよー。しかし魔法のせいで金髪になっちゃってまーす、なんて学校側に説明させる訳にもいかないだろう? あっ、私たちが日本国政府の関係者だと言うことは桜宮市の教育長とうちの学校長しか知らない極秘事項だからね?」
「……それで?」
青空は半眼になってじろりと先生を見た。
「だから、いっそのこと不良になっちゃえばって提案したんだよ。そうすれば事件現場に駆けつけるときに学校を抜け出しても、ただのサボりだと思われるし、一石二鳥だよねってね……」
「……そして?」
「日笠さん本人が『それ、いいですねー』って快諾したんだよ。あっ、不良に見えるように改造した制服は日本国政府からの支給品だから経済的な負担も心配はないという条件でね!」
「ふっ……」
「ふ?」
「ふざけるなぁぁぁ――! そのせいで、あいつがどれだけつらい思いをしているのか、考えたことがあるのかよ!」
「いや、考えたことは無かったよ」
「やっぱり無いのかよ!」
「キミがそんなに言うなら、直接本人に訊いてみることにしようか――」
神崎先生はドアに視線を送る。
ドアノブがカチャリと回って、ドアが開いた。
「あの……先生、お呼びでしょうか?」
「ひ、日笠……」
「あれ? 青空くんもいたの? ええーっ、どうしてー、なんでー!? なんで青空くんが先生と一緒にいるのー?」
ヨレヨレの制服姿に通学用カバンを背負い、日笠つぐみが入ってきた。
白いブラウスの肩口には木の葉っぱの跡が付いている。
「ねえ、二人でなんの話をしていたの? あっ、もしかして私のチームに入ることに決まったの? ねーねー、ドラゴンの力を使ってモンスターをやっつけてくれるんでしょう?」
それは青空に初めて見せたつぐみの穏やかな表情だった。
『二人で』という言葉が引っかかり青空は部屋を見回したが、3歳年上の学級委員長、小泉志乃は忽然と姿をくらましていたのであった。