土下座
「う……ん……」
青空は硬いベッドの上で目を覚ました。
そこはカーテンで仕切られた病院のような狭い空間。
目の前に浮かぶピンク色のドラゴンが、音も立てずにふわふわと浮いている。
「モモがここへ運んでくれたのか?」
問いかけてみたがやはり反応はない。異世界では心を通わせ、名付け親にもなった青空ではあるが、現実世界へ戻ってみると相変わらずの関係に戻っていた。
起き上がろうとしてみたが、力が思うように入らなかった。
「そういえば……前回もそうだったな……」
校庭に出現した黒い壁から生還した直後もこんな感じだった。あの後、彼は1週間も原因不明の疲労により寝込んでしまっていたのだ。
それに比べると、今日の状態はまだマシな方だった。全身が気怠い感じが残ってはいるが、無理をすれば何とか動ける程度の疲れだった。
「おまえと話せたら、いっぱい訊きたいことがあるんだけとな……」
ピンク色のぬいぐるみのような形をしたドラゴンが、表情もなくふわふわと飛んでいるのを目で追っていたその時――
カーテンの向こうから勢いよく引き戸が開く音がして、足音が近づいてきた。
ゴトンと床に何かが落ちる音がして――
「ナンバーワン! あなたはどうしてこうも次々と厄介ごとを引き起こすの?」
「は、ははーっ! 申し訳ございませーん!」
「今度は民間人を巻き込んだりして――」
「あっ、それについてはこれからじっくりと――」
「口答えするんじゃありません!」
「は、ははーっ!」
それは大人の女性の声と少女の声――
驚いた青空はベッドから飛び起き、カーテンを引いた。
そこは病院ではなく見慣れた学校の保健室だった。
桜宮南中の美人養護教諭・神崎礼子28歳が腕組みをして立ち、その足元にはつぐみが……
「土下座!?」
青空から漏れ出る驚きの声。13年間生きてきて本物の土下座というものを見たのは初体験であったのだから無理もない。
「あ、目が覚めたのね青空くん。気分はどう?」
「あっ、えっと……」
声を詰まらす青空のおでこに手を当てる神崎先生。栗色のロングヘアの細身の身体でありながら、出るところはきちんと出ている中学の保健室にいる先生にしておくには惜しいほどの、グラビアアイドル系の女性である。
「ふーん、熱も下がったようね。ナンバー……ゴホン! ひ、日笠さんに運ばれてきたときは40度近くの熱があってね、心配したのよ」
そう言って、左腕をたわわな胸の下に回して右ひじを立ててふふんと微笑んだ。人差し指をあてがうピンク色の口紅が艶かしい。
「そ、そうでしたか……40度も……」
「気を失っているあんたを抱いてここまで運ぶのは、本当ーっに大変だったんだからねっ!」
「日笠さんは黙っていなさい!」
「ひっ、す、すみません!」
おでこをガンッと床につけて再び土下座するつぐみ。
それをため息を吐きながら見下ろし、くるっと顔を向ける神崎先生。
「ときに青空くん――」
「は、はい?」
「あなたには大事な話があります。放課後、もう一度ここへ来てくれるかしら?」
「保健室にですか?」
「そう。だって私、一応は保健の先生だしー、勤務時間中にプライベートなあれこれはできないでしょう? 中学生ならわ・か・る・でしょ?」
「えっと……はい」
青空は首を傾げながら返事をした。
「それともー、このままベッドで寝ていてもいいけどー、どうする?」
「あっ、授業に出ます。一応、これでも生徒なんで」
「ふふっ、青空くん賢い! どこかの誰かさんもそのぐらい機転を利かせてくれれば良いのだけれど……ね」
ため息交じりに視線を向けた先には、ぼうっと見上げるつぐみの顔。
「あっ、私も授業に……」
「あなたは現場の後始末があるでしょう? 戦場となった原生林を目立たないように直して来なさい! マスコミが来る前によ!」
「は、ははーっ!」
つぐみはまた床におでこをぶち当てて土下座した。
青空が保健室の引き戸を開けると、そこには少女が立っていた。
少女は青空の姿を見るなり、手をあわあわと振りながら慌てている。
「こ、小泉さん!?」
「あっ、青空くん、ぐぐ、偶然ねー! 保健室に何かご用だったの?」
「小泉さんこそ、どうしたの?」
「あっ、わた、わたし? 私はー、あはは……あっ、もうすぐ午後の授業が始まっちゃう! 教室に戻りましょうか」
「うん。そうだね」
「もしかして青空くんって、授業を抜け出してずっと保健室にいたの?」
「えっと……そ、そうなんだよ。腹痛と頭痛と発熱が同時に来ちゃってさ」
「えー、何それ」
「うん本当、何それだよねー、ははは……」
学級委員長の小泉志乃とのこの不思議な会話は、階段を4階に上がるまで続いていた。