表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
7/41

堕ちた悩み

 程良く雲が流れる青い空。強過ぎず弱過ぎない心地良い風。外出するにはとても良い天気ですね。

 こんな日なのです。聖堂の付近では多くの人が東の都市ユーロスから帰ってきたグローリア様を一目見ようと賑わっている事でしょう。それに乗っかって商人は出店を開き、これまた様々な物を売っているはずです。

 なぜ『はず』かと言うと、私達はそれらの場所から離れた場所に居るからです。

 その場所とは中央都市ハーメラの西の端にある人気の少ない畑。都市の外周付近ともなると農作物を育てている土地も増え、主に農奴ばかりとなってきます。そうなるとやはり人の数は少なくなり、家の質も量もハーメラ中心地より圧倒的に低いものとなっています。おまけにこの辺りは治安が行き届いておらず、たまに賊すら現れるとの事。……まあ、悪さでもしようものならば今回のように商工会へ依頼が舞い込んで、賊は早々に拘束または討伐されてしまいますが。


「はー、だりぃ……。なんでこんな遠くにまで行かにゃならんのだ……」

「そういう仕事なんだから当たり前だよ主任」

「やめろ仕事って言うな。俺は仕事が大嫌いなんだ」

「遠くない未来で好きになってくれるように頑張るね」

「やめろ……やめろ……いや、ほんとやめやがれ下さい」


 社長さんと主任さん、この短い間にお二人の楽しそうな会話を目にするのもこれで何回目でしょうか。特に社長さんなど子供みたいに小さく笑うのですから、可愛らしいと思ってしまいます。……本当にこの人があんな惨たらしい事をしたり、あんな交渉をしてきたのかと思うと恐ろしくも思いますね。

 軽く頭を振り、その考えを振り払います。もうすぐ仕事も始まる事です。


「ここかな?」


 目の前にあるのは欠けた煙突のある一つの家と広々とした畑。それ以外には平原と遠くに山と森が見えているだけで他に無し。特長も一致しますのでここで間違いないでしょう。


「他に家も見当たりませんし、ここであっているかと」


 そう私が言うが早いか、社長さんは一切躊躇わずに扉を叩きます。軽快な木の音が家へ響き、程なくして中から返事と共にその扉が開かれました。

 中から現れたのは私より少し身長の低い少女。社長さんとほぼ同じで、主任さんとは比べるまでもなくかなり低めです。驚くほど透き通った美しい白い肌に映える宝石のような紅い瞳、そして光り輝く金色の小麦のような髪は背中辺りまで伸ばされており、頭の上にピョコりと跳ねた髪が自己主張しています。多少弱々しくも見えるのは、この子が優しい表情をしているからでしょうか。

 女性の私から見ても可愛らしくもあり美しさもある彼女に感嘆としてしまう程です。さぞかしご両親にとって自慢の娘でしょう。


「こんにちはっ。どちら様ですか?」


 意外にも活発な挨拶をする少女。凛としたその声にはしっかりとした意志を持っていると感じさせ、初めに受けた印象から少し変わりました。本当は元気な子なのですね。


「────────」

「?」


 一瞬、社長さんから妙な気配を感じ取ったような?

 ……いえ、気のせいのようです。彼女の顔を見ても普段と変わりありません。それとも、この少女の纏う雰囲気と性格の違いに意外性を感じたのでしょうかね?


「こんにちは。私達は商工会の依頼を受けて来たんだ。私の名前は社長」

「主任」

「わたくしはローゼリアです」

「商工会の方々でしたか。私はアリシアです。依頼を受けてくれて、ありがとうございます!」


 深々と頭を下げるアリシアさん。その姿を見て、昔を思い出しました。今回の依頼は決して大きいとは言えないものですが、これこそ『依頼』なのだ、と。

 困っているから誰かの手を借りる。善意で手を差し伸べる。解決したから報酬を渡す。……私も、この仕事を始めた頃はそういうものもやっていましたね。それは私の人生経験からか、やはり途中から捻じ曲がり、暗殺を主にするようになってからは依頼者のこんな明るい笑顔を見る機会は無くなってしまいました。

 ……たまにはこういうのも悪くはないですね。


「やけに畑が広いな。これくっそ大変なんじゃねえの」

「えっと、はい。ちょっと大変です。食べていくだけでしたらもっと小さくても良いですけど、やっぱり少しはお金が必要ですから。でも、ちょっと大きくし過ぎたかもしれないです」

「畑仕事は面倒だ……。俺はもうああいうのはやりたくねえ……」

「ええっと……大変でも慣れると楽しいです、よ?」


 ……なんというか、主任さんは本当、返答に困る事を躊躇無く言いますよね。


「早速だけど、依頼の内容を確認するよ」


 そんな状況を変える為か、社長さんが真面目な話を振りました。

 アリシアさんは『ハイッ』と元気良く返事をし、それを確認した社長さんは女の子っぽく腕を組みながら依頼内容を口にします。


「──畑が動物に荒らされているので駆除して欲しい。その相手は大型の魔物らしき存在。……間違っていないよね?」


 大型の魔物というのは、一度商工会に寄った時にオルトンさんから聞きだした情報です。なんでも、爬虫類のような鱗を身に纏っている、人と同じくらいの大きさとかなんとか。暗がりの中での事なので詳細は不明。ただし、魔物の癖にして武器しか狙ってこないらしく、冒険者はほとんど怪我が無いようです。武器が無くなったら堂々と作物を奪って逃げるそうで、そのせいで何人かの冒険者は自信を失って諦めたりするそうです。


「はい……。見た感じだと竜人っぽいのですが、詳しい事はあまり……」

「竜人ですって?」

「……知ってるの、ローゼリア?」


 あまりにも意外な正体に、私は驚きを隠せませんでした。どうやら社長さんと主任さんは竜人を知らないようで、私へ視線を向けています。

 私は、心を少し落ち着ける為に一呼吸を置いてから説明しました。


「竜人とは、竜化した魔族の事です。遥か昔、邪竜が無差別に人々を困らせている時、とある魔族の部族が猛々しく戦いを挑み、邪竜を討伐したのです。ただ、邪竜が死に際に残した呪いにより身体が竜化してしまい、見た目が人ならざる姿になってしまいました。そして、その部族の長は邪竜を退治した剣を掲げ、邪竜を討った誇り高き部族として独立したそうです。彼らの硬い鱗と卓越した身体能力による戦闘力は魔族の中でも上位に位置するそうで、見掛けても干渉しない方が良いとさえ言われている程です」

「オイオイオイオイオイオイ。どう聞いてももっとヤベー奴じゃねえかよ。ふざけてんの? それとも舐めてんの? 理不尽なのはゲームの負けイベだけにしろやクソが」


 極めて怪訝そうな顔をする主任さん。その顔を見たアリシアさんは、ビクリと身体を震えさせました。


「主任、顔が邪竜。この子が怖がっているよ」

「邪竜ゥ!? おい顔が悪いのは承知してるが邪竜ってなんだオイぃ!?」

「さり気なく自分の評価を下げる癖もやめようね。顔は悪くも良くもないでしょ」

「お前、さらっとヒデェ事言ってる自覚ありますか」

「普通の何が悪いの?」

「人はいつでも一番上を求めるんだよ」

「主任が顔の良さで一番上を求めているなんて初めて知ったよ」

「求めていません。平凡こそ平和」

「なら普通っていうのは最上の評価だよね」

「お前やっぱり性格悪いわ」


 今日も今日とて主任さんは社長さんに口で勝てないようです。そして、そんなやりとりを見たアリシアさんは困ったようにお二人を交互に見ていました。……まあ、初めて見たら困惑しますよね。

 そんな時、彼女の後ろから声が響いてきました。


「アリシア、お客さんは?」

「あ、お母さん」


 その声の主は中年の女性で、奥からヒョッコリ現した姿に違和感を覚えました。同時に父親と思われる中年の男性も静かにやってきたのですが、やはり同じく違和感のある立ち方です。

 この立ち方は……剣を持っている立ち方? いえ、両手は空ですし武器を持っているようにも見えません。という事は……。


「ほーん。二人とも元剣士って所か」


 いきなり主任さんがそう言ったので、ご夫婦さんは驚いたような、感嘆したかのような表情を浮かべました。同じく私も感嘆します。よく気付きましたね、主任。

 玄関で立ち話もアレだから、という事でお招きして下さるご夫婦さん。互いに自己紹介をし、淹れて下さったお茶を一口付けると、社長さんがその口を開きました。


「では、依頼の話にしようか」


 その一言で空気が張り詰めます。それを確認した社長さんは、続きを話し始めました。


「先ほどアリシアさんにも伺ったけど、依頼の目標は竜人──間違いないよね、ヒックさん、エマさん」

「ああ、つい昨日の夜に分かった事でな。まさかただの獣ではなく、竜人だとはなぁ……」


 ヒックさんはそう良いながら右手首を左手で握りました。まるで、右手を労わっているかのようですね。


「右手を怪我なされたのですか?」

「いや、振るった剣を吹っ飛ばされてな。こう、手の甲で手首を弾かれたんだよ。月明かりだけの暗い中でよくまあそんな事が出来るもんだ」


 その時の動きを簡単に再現してくれましたが、なんともまあ屈辱的に弾かれたものですね。縦に振った剣を持つ右手に対し、竜人は払い除けるかのように弾いたようです。ヒックさんも眉間に皺を寄せている事から、とても悔しがっている様子が伺えます。エマさんはヒックさんより腕が立たないそうなので、早々に諦めてしまったそうです。何にせよ、実力の差が大きいという事を実感しているのでしょう。


「へぇ……。それはおかしいね」

「む?」


 突然、社長さんはおかしいと言いました。私達は彼女がなぜそう口にしたのか分からず首を傾げます。主任さんにも視線を移してみましたが、彼は半分興味無さげにしていました。……興味の無い事にはあまり関心を示さないのは分かりますが、如何せん興味を引かれるモノが少な過ぎませんか、主任さん?


「まるで遠慮しているみたい」

「遠慮……?」

「あの……それはどういった意味で?」


 夫婦のお二人は私と同じく理解しかねているようで、少々困った顔になっています。

 それも無理はないでしょう。堂々と奪っているのにも関わらず遠慮しているだなんて矛盾しています。本当、どういう意味でしょうか……?


「その竜人の行動におかしい点があるからだよ。──まず一つ。そんな簡単にいなせるのならば、なぜ相手を殺さないのか。その方が圧倒的に奪うのも楽なはずだよ」


 ……言われてみればそうですね。話を聞く限りでは人間なんて容易に殺せるはず……。なぜその竜人はわざわざ面倒な手段を取るのでしょうか?


「……確かにそうね。なぜかしら……」

「一先ずそれは置いておこうか。次に二つ目。奪うにしても、なぜ出来る限り奪わないのか。略奪が目的なら根こそぎ持っていってもおかしくないよね」


 社長さんが指摘してからそのおかしさに気付きます。確かにそうです。畑には野菜がまだまだ実っていましたし、力任せに荒らし回ったような痕跡もありませんでした。むしろ、荒らされているとは言っていましたがどこを荒らされているのか分からなかったです。

 そこまで考えてから、やっと社長さんの言った言葉を理解します。これではまるで遠慮しているようです。


「そして三つ目。そもそも竜人が頻繁にこの場所に現れる理由が分からない。……それとも、この辺りは竜人をそんなに見るような場所なの?」

「いや……俺も竜人なんて見るのは久し振りだ。まだ俺達が冒険者だった頃に一回見たきりだな」


 ヒックさんに同調するようにエマさんは頷きます。

 ええ、竜人なんてそうそう見掛ける事はありません。彼らは討伐した邪竜の山で暮らすようになった一族。彼らは邪竜を討った誇り高い部族の末裔としてどこにも属する事なく、閉鎖的な環境で静かに暮らしているという話です。

 そんな竜人が、なぜこんな場所に? 魔界は東の最果てで、こことは真逆の場所に位置しています。そもそも、誇り高いと豪語している彼らが遠慮がちな略奪などという無様な事をするのでしょうか?

 考えれば考えるほどおかしいです。今考え込んでいる社長さんもそれを言っていたのでしょう。

 社長さんは黒くて長い髪を一度だけ揺らすと、予想すらしていなかった言葉を出しました。


「その竜人と対話してみよう」


 私を含め、皆さんが絶句しました。当然でしょう。駆除の依頼である目標と対話をしようだなんてする人がどこに居るでしょうか?

 流石の主任さんもこれには驚いたのか、目を見開いて社長さんを見ています。


「おいおいおいおい。これからブチ殺す相手と話そうだなんて何考えてんだお前? そんな油断してっと死ぬだけだぞ」

「わたくしも同意見です。あまりにも危険過ぎます。先ほど言ったように竜人はとても強いという話で、わたくしも倒せるかは未知数ですよ?」


 余りにも楽観的と思える社長さんの考えに私達は異を唱えます。

 異常。まさにそう言えるでしょう。会って間も無いですが、社長さんはもっと合理的な判断を下せる方であると感じていました。それとも、私の目に狂いがあったのでしょうか?


「事はとても単純のようだしね、これ」

「たん……じゅん……?」


 またもやよく分からない事を言うものですから、今まで静かにしていたアリシアさんですら首を傾げました。髪の手入れは欠かさないのか、とても軽やかな動きで毛先が揺れています。……こんな時に言うのもおかしいですが、ここまで綺麗な髪をしているのは羨ましい限りですね。

 しかし……単純……? 単純と言われましても……。私にとっては社長さんの言っている意味が単純に分からないのですが……。


「ただ、二人が危険性を語るのも分かるよ。だからローゼリア、念の為に私の護衛を頼みたいんだ」

「……それはつまり、わたくしの腕を見たい、という事でしょうか?」

「いや、腕が立つっていうのはもう分かってるよ」


 商工会で依頼完了の報告をする前に報酬を出してきた事──。私がお二人を紹介した時の扱い──。それでいて一人で冒険者をしている事──。

 どこまでの実力か──というのは分からないようですが、このような一部を見るだけで腕が立つと彼女は認識したそうです。

 ……ふと思います。私も社長さんに口で勝つ事は出来ないだろう、と。


「……本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ、アリシアさん。危なくなったらすぐに逃げるから、ね?」


 小さな子供を安心させるように優しく語り掛ける社長さん。ちょっとだけ困ったのか、それとも子供扱いされた事に思う所があったのか、アリシアさんはぎこちなく頷きました。


「では、今夜は私たち三人で竜人を対処するよ。何か異論は?」

「俺は何すりゃ良いの?」


 一瞬の間すら置かずに主任さんがそう言います。

 ……確かに、少し考えてみても今回は対話が主となりそうなので、社長さんを中心として動く事になるでしょう。そして私は彼女の護衛。ですが主任さんは何をすれば良いのでしょうか? あの村で見る限りでは剣に覚えはあっても実戦での経験はほぼ皆無だったように思えます。ならば護衛としては不適切であり、社長さんと同じく対話というのは……その、向いていないでしょう。

 では、彼は何をすれば良いのか──。そう思った矢先、またもや社長さんは意外な言葉を口にします。


「私と一緒に竜人と話していれば良いでしょ?」


 不適材では? 素直にそう思いました。

 それは主任さんも同じ気持ちなのか、露骨に嫌そうな顔をしています。それを見たアリシアさん達の三人は、何が起きているのだろうかと目をパチクリさせていました。


「おう社長。お前、俺にまともな交渉が出来ると思ってんの?」


 自分で言いますか、それを。


「いや全然?」


 じゃあなんでですか社長さん!?

 しれっと当然のように言ってのける社長さんへ心の中で突っ込む私。……ですが、一応理由はあるそうでした。

 社長さん曰く、主任さんは社長さんには出来ない発想をするらしく、それがより良い結果になる事も多々あるとの事。それ故に社長さんは主任さんを傍に置いて、彼の発想を借りるらしいです。

 ……………………。それ、本当ですか? 疑う疑わないではなく、主任さんにそういう発想が本当に出来るのですか? 世界が三回滅んでも出来そうにないのですが?


「ローゼリアァ! お前ぜってぇド失礼な事考えただるォ!?」


 ……無駄に勘が良いのは認めましょう。


「期待しておくと良いよ、皆。という訳で、主任は私と一緒に竜人と対話ね」

「クソが……クソが……」


 満足そうにニッコリと微笑む社長さんですが、隣の主任さんはとても、非常に、この上なく不機嫌にしていました。


(……ん?)


 ふと疑問が浮かびます。主任さんはこんなにも嫌がっているというのに、なぜ社長さんの指示に従うのでしょうか? この方ならば断固として拒否しそうな印象なのですが……。

 ……実は嫌がっていないとか? いえ、そんなまさか。主任さんはこれでもかっ、というくらいに感情を表に出しますし、もしこれが演技でしたら種族の壁すら超えて魅了させる事さえも可能でしょう。

 では、社長さんの言う事ならば聞くのでしょうか? ……可能性はありそうですが、想像し難いですね。偏見ですが、命令される事とかとても拒絶しそうですし。

 意外な主任さんの一面を見せられ、私は軽く首を傾げながら夜を待つ事に。その間、私達は社長さんと主任さん、そしてアリシアさんと一緒に家の周辺を観察する事にしました。地形の把握、状態、どこに何があるかを事前に頭に入れておく事で様々な状況に対応できるからです。ちなみにヒックさんとエマさんはお食事を用意してくれています。

 ……まあ、とても見晴らしの良い場所ですので隠れられる場所も無いに等しく、畑も低い柵で隔てられているだけで私の妨げになる事はまず無いでしょう。

 チラリと畑の様子を見てみると、青々とした葉野菜や根野菜、他にも様々な作物が広々と広がっています。これだけの規模を三人で管理するとなると、やはりしんどいでしょう。


「ほーん。悪くない出来栄えやんけ」

「良いキャベツだね」


 玉菜たまなに軽く触れ、状態を確かめる主任さんと社長さん。意外も意外。社長さんはともかく、主任さんも野菜の良し悪しが分かるとは思いませんでした。


「お前また俺の悪口考えてんだろ」

「意外だな、と思っただけですよ」


 半ば睨み付けるようにこちらへ半開きの視線を送ってくる主任さん。

 なぜ分かるのですかね……? そんなに私は顔に出ているのでしょうか……? 表情を隠すのは得意だと思っていたのですが、少し自信が無くなりそうです……。


「ところで『キャベツ』とはその玉菜の事ですか?」


 このまま続かせると面倒な事になりそうな気がしたので話を変える事にしました。

 主任さんは一瞬だけ『何言ってんだコイツ』という表情を浮かべましたが、何かに気付いたのか玉菜へ視線を動かします。


「そうだよ。私達の国ではキャベツって呼んでいたんだ」

「不思議な名前ですねー……」


 アリシアさんは玉菜の葉の様子を見ながら『キャベツ……キャベツ……?』と呟いて首を傾げており、その姿にとても共感を覚えました。玉のような野菜だから玉菜という名になったのですが、お二人の国では何をどうやったら『キャベツ』という名前になったのでしょうか? 不思議で堪りません。


「って、へっ? お二人は違う国から来たのですか?」


 一拍遅れて気付いたアリシアさんは、玉菜からお二人へと視線を移して驚いていました。……服を見れば分かりそうなのですが、むしろなぜ分からなかったのでしょうか?


「そうだよ。ずっとずっと遠い場所から来たんだ」

「ほえぇ……」

「いや服見りゃ分かるだろ……」


 ……………………。どうして私はこうも主任さんと同じ発想をしてしまうのでしょうか……?


「中央の新しい服かと思っていました……」

「中央?」

「それは『中央都市ハーメラ』の事ですよ。ハーメラ王国にある中央都市ハーメラの略称です」


 社長さんの疑問に答えると、彼女は難しそうな表情に顔を歪めました。……何かおかしかったでしょうか?


「……ハーメラって国の名前なのに、都市の名前もハーメラってどういう事なの?」


 え──? と、私とアリシアさんは同時に口にします。……まさか、その事も知らないのですか? それはいくらなんでも常識が無さ過ぎるような……。

 それとも、私が知らないだけでハーメラ王国の事を知らない国があるという事でしょうか? ……分かりませんね。また謎が一つ深まってしまいました。


「簡単に説明しますと、元々ハーメラ王国は小さな国で、周囲の国を統治して今の形になったのです」


 当時──魔族との戦争が苛烈だった頃、ハーメラ王国と北にあるオーリア帝国がそれぞれ周辺諸国を率いて戦っていく内に纏まっていったと言われております。同じアーテル教を信仰する国同士だったという事もあり、一つになっても大きな問題が無かったのでしょう。

 ただ、オーリア帝国はこちらと比べて雪と氷に覆われており違い過ぎる環境の国を統治するのは難しいだろうという事で、ハーメラ王国とオーリア帝国は一つの国に纏まる事無く友好国として残ったそうです。事実、ボレアという北にあった国は当初オーリア帝国に属していましたが、やはりその環境の違いにより管理しきれなくなり、オーリア帝国よりも遠くにあるハーメラ王国へと移譲されています。

 そして、その時のハーメラ王は『そこに国が在った』という事を残す為に国名を都市の名前としたのです。それが東部都市ユーロス、西部都市ゼフュロー、南部都市ノト、北部都市ボレア、そして元々ハーメラ王国が在った場所を中央都市ハーメラとしました。

 故にハーメラ王国の首都である中央都市はハーメラという名なのです。


「くそ面倒臭え……。俺は歴史が嫌いなんだ……」

「……………………。ありがとね、ローゼリア」


 主任さんのこの発言に、流石の社長さんも苦笑しておりました。ああ……社長さんのその言葉だけでもこの遣る瀬無さがマシになります……。


「と、とにかく! お二人は遠い国からやってきたのですね!」


 果てにはアリシアさんまで気を遣って下さる始末。……本当に、扱い辛い方です。


「うん、そうだよ。──時にアリシアさん。竜人が盗む物に何か気付いた事とかあるかな? 同じ物を盗っていくとか、何かを避けているとか」


 そう言われて人差し指を下唇に当て、視線を右下に落とすアリシアさん。

 そうやって考えるのが癖なのでしょうか、その仕草に可愛らしささえ覚えるほど型に嵌ったものです。そしてその体勢のまま数秒ほど考えた後、少女は何か閃いたような表情となりました。


「確か……最初はこの列の野菜を盗られたのですが、思ってみれば次からはなるべく左から順番に盗っていってます」


 彼女は下唇に当てていた細い指で、盗られた順番を指しました。私はこれに違和感を覚えます。ただの物盗りならば、そんな順番に盗っていくでしょうか? ただの物盗りではないと社長さんは推測していましたが、本当にそのようです。明らかに何かしらの理由があると匂わせています。

 社長さんは確信を得たのか、薄っすらと笑みを浮かべました。


「なるほどね。やっぱり事は単純みたい」

「おう、どういうこっちゃ。俺にも分かるように説明しやがれ下さい」

「まだ確定じゃないけど──」


 主任さんが答えを催促すると、社長さんから信じられない言葉が発されました。

 この場に居る全員が気が抜けたように肩を落としたくらいです。しかし、やはり妙に説得力があり、聞いていく内に私は『本当にそれが理由なのでは……?』とさえ思い始めました。

 ──そしてその夜、とても美味しい野菜の鍋を頂いた私達は、全員で次に盗られそうな野菜の列の近くへ手押し車を置いてその影に身を隠しました。


「…………」

「…………………………………………」

「……………………」


 虫の鳴く僅かな音しか聴こえない静かな夜。満月とまではいかない欠けた月が遠くの山の輪郭を淡い群青色で浮かび上がらせています。その姿はどこか寂しげであり、ただ風化するのを待っているようにすら見えます。

 それとは真逆にあるのが私達でしょう。社長さんとヒックさんとエマさんは鋭く尖らせた刃物のように佇み、主任さんもいつもの気だるそうな雰囲気とは違ってどこか真剣さがあります。唯一違うのはアリシアさんで、明らかにおっかなびっくりとした様子です。

 そんな様子を見た私は小さく、そして静かに深呼吸をして作戦内容を頭の中で再確認しました。


『対話をするのは社長と主任の二人。主任は思った事を遠慮せずに口にする事』

『ローゼリアたち三人は伏兵として手押し車の陰に隠れておく。いつでも飛び出せるよう戦闘の心構えはしておくように』

『無理と判断したら深追いや抵抗はせず撤退する事を守る』


 なお、アリシアさんだけはここで待機です。私から見ても彼女はとても戦えるような子ではありませんし、そもそも誰かを叩いた事すら無いそうです。それでもここに居るのは、家で待っているよりもまだ安心できるからと言っておりました。

 ……どう見ても怖くて緊張しているようなのですが、本当にここで待たせて良かったのでしょうかね?


 ザ──


 足音。その音を耳にした瞬間、私の中で思考が切り替わりました。

 呼吸を限りなく遅くし、気配を消し、意識そのものも草木と地面へ溶け込ませるよう鈍らせます。

 目に見えているモノは曖昧となり、逆に音は明確に、そして肌の感覚は周囲の空気に繋がっているような状態──。さあ、仕事の時間です。

 伝わってくる足音は明らかに人の出す音ではなく、獣やそれに類するものです。恐らく噂の竜人でしょう。

 今度は誰かが二人立ち上がりました。その二人の意識は竜人らしき足音の方へ向いているようで、私の隣を通り過ぎて行きます。


「──おや、こんな夜にお散歩かな?」


 社長さんの声が聴こえてきました。声色はまるで世間話をするかのように穏やかで親しみのある挨拶……だというのに、何を言わんとしているのかがハッキリと伝わります。


『お前に用がある』


 こんな夜に、とは言いましたが、それは相手からしてみても同じでしょう。こんな夜に、こんな場所に居るだなんて、何か理由があるはずなのですから。

 ────相手に反応はありません。いえ、警戒してはいるようです。社長さん達の向こう側からピリッとした鋭い雰囲気が伝わってきます。

 それもそうでしょう。お二人は今、とても無防備なのですから。隙だらけと言っても過言ではありません。距離を詰めてしまえば次の瞬間に首を斬る事も容易いほどです。させませんけど。

 徐々に強まっていく警戒心と静寂。ですが、その静寂は相手から破られました。


「……何の用だ」


 野太く、警戒心を最前面に出した鋭い声。何か不審な動きを見せでもしたら襲い掛かってきそうなくらい荒い喋り方。間違いなく野蛮の民ですね。

 その声を聴いてアリシアさんがビクリと身体を震わせました。……やはり家で待たせておくべきだったのでは?

 社長さんと主任さんは予想していたのか、それともただ肝が据わっているだけなのか……もしくは慣れているのか、一切動揺する事が無かったようです。少し意外ですね。荒事はあまり経験していなさそうだったのですが。

 そして、社長さん曰く『対話』が始まりました。


「君の事を知りたくてね。なぜ野菜を盗むのかな、と」

「生きる為だ。それ以外の理由が必要か?」

「ちょっと違うね。私が訊きたいのは、なぜここの野菜に拘っているのか、だよ」

「……………………」


 その言葉に、竜人は答えないようです。


「敵を払い除けてでもこの場所に留まりたい理由があった。それもなるべく敵を傷付けないようにして。いや、傷付けたら問題があった。……どうかな?」


 途端に竜人の雰囲気が変わりました。剥き出しにされていた警戒心は今や薄れ、大部分を占めているのは困惑です。それは敵意すら揺らがせているようで、さっきまであった一触即発の雰囲気をほとんど消し去っていました。


「……オイ」

「何かな?」

「お前ら、俺をぶっ飛ばしに来たんじゃないのか?」

「私達は見ての通り話し合いを望んでいるよ」

「俺はブチ転がすつもりでしたけど?」

「は? ……ん、んん!?」


 ……社長さんと主任さんの言葉が真逆で、竜人は余計に混乱したようです。本当にこれ、大丈夫なのでしょうか?


「こいつがオメーの騒ぎを『事が単純』だとか言い出すし? 俺を話し合いの場に出すだのとか言いやがりますし? で、その気が失せてます」

「…………おいお前、選んだヤツ間違ってないか?」

「おう言われてんぞ社長。人選おかしいんじゃねぇ?」


 あなた一体どっちの味方ですか、主任さん?


「私は間違っていないと思うよ。──それで、一体どうしてここの野菜を狙っているの?」

「さっき生きる為て言うてたやんけ……」

「それは理由。原因はまた別にあるよね?」

「ああそういう。生きるだけだったら別にここの野菜じゃなくてそこら辺の虫とか食えば良いってやつか」

(なぜ虫ですか? どうして虫を選んだのですか主任さん?)


 今まで張らせていた緊張の糸がぷっつりと切れてしまいました。

 いけませんね……どうにも主任さんの言葉は私の思考を掻き乱します……。空気に繋がっていた肌の感覚は薄れてしまい、もはや気配のみしか感じ取る事ができません。……まあ、この雰囲気ならば襲われる事も無いでしょうけれど。


「なお、虫は貴重なタンパク源だったりします。肉が食えねー時は嫌でも虫を食うとええですよ」


 誰もそんな事は聞いていません。むしろゾッとするのでそれ以上語らないで下さい。


「お前ら、変なヤツだなぁ……」

「おい、言われてんぞ社長」

「鏡を見ながら言うのって楽しい?」

「鏡が割れたわ」


 ああもう……。社長さんも悪乗りしていますし……。

 気付かれないように小さくゆっくりと溜め息を吐くと、隣の三人はとても複雑そうな表情をしていました。……それも当然でしょうね。私も話がこんなにも酷いものになるとは思ってもいませんでした。

 それは竜人も同じなのか、とても盛大な溜め息で喉を鳴らしています。


「はぁぁぁぁああ……。分かった。言う」


 そう言った竜人は、一息の間を置いてから語り始めました。


「最近、俺の住んでいた山におかしい事が起きたんだよ」

「おかしい事?」

「ああ。知ってるかもしれねえが、俺たち竜人族は他の種族と関わりがあまり無い。だから村じゃ野菜を作ったり狩りをして暮らしている訳だ。だけどな、何があったのか分からないんだが作物が全部ダメになっちまった。おまけに山の動物達も全滅だ。仲間の間じゃあ邪竜の呪いだと言うヤツも居る」


 ──社長さんの予想が当たりました。竜人は食べ物を求めているだけだ、と。


「なるほどなぁ。それで食いもんを探して山を下りたって訳か」


 で? と、主任さんはとても気分良さそうな声で言います。とても、とてもとても嫌な予感が……。


「邪竜を討ち取った、かの誇り高き部族サマがぁ? まぁさぁかぁ腹の虫に負けて夜な夜な大根泥棒なんてする訳ないよねぇ~いやいやまさかぁ?」

「やめろぉ!! 気にしている事を言うなぁ!!」

「ねえねえ、もしかして飢えてりゅ? 飢えてりゅの?? 普通に『ごめんください、おなかへってるの。ゴハンちょーだい?』ってお行儀良く言えばお鍋が食べられたのにねぇ?」

「主任、ストップ」

「でももう全部食ったわ! ごめえぇぇぇんねえええええ!?」

「フッ!!」


 社長さんの鋭く息を吐く声と共に、ゴッ──と鈍い音が響きました。一瞬、混乱します。何が起きたのでしょうか?


「グゥェェエァアォァオオオオ……!! 脳が……! 脳が揺れっ揺るるるる……!!」

「はぁ……。ごめんよ。この人、上機嫌になると暴走するんだ」

「お、おぉ……」


 ……状況から察するに……殴った、のですかね? これは。

 少し意外です。社長さんはあまりそういう事をしそうにない印象があったのですが。……いえ、逆にそうでもしなければ主任さんは止まらないのでしょうかね?


「おごごごご……。おま……この身長差で、よく掌底なんぞ……出来たな……」

「やり過ぎはダメだよ、主任。……舌とか噛んだりしていないよね? 大丈夫?」

「除夜の鐘の気持ちが分かったくらいですわ……」


 ……良くは分かりませんが、とりあえず主任さんは問題無さそうですね。それよりも、この空気をどうするつもりなのでしょうか……? もう酷くグチャグチャになっているのですけれど。


「ん、なら良かった。──さて、と。君の経緯は分かったよ。だけど最後に一つ。どうして障害を払い除けてでもここの野菜を狙ったの?」

「あー……まあ、その、なんだ? ……ここの野菜が、すげえ美味くて、だな」

「ん、んん……? つまり?」

「……………………誇り高い部族って先祖代々言ってるのに、この野菜うめえから分けて? って言えなくてな……」


 この場に居る誰もが呆れてものが言えなくなりました。あまりにも下らない理由に、言葉を失ったのです。……きっと、先祖代々から語られてきた竜人としての自尊心が、それを言う事を許さなかったのでしょう。

 流石の社長さんも大きな溜め息を吐きました。ここまで予想していなかった──いえ、誰がこんな理由を予想できるでしょうか……。風すらも呆れてしまったのか、完全に無風になっています……。


「……なら、私に提案があるんだけど、聞く?」

「提案……?」


 まだ少し呆れ気味の社長さん。彼女は一体、どんな案を出すのでしょうか?


「君に多少でも罪悪感があるのならば、償いも含めてこの畑の世話を手伝う、とかね。無論、受け入れられるかどうかは畑の持ち主と君しだいだよ」


 その提案を耳にして、主任さんとアリシアさんの交わした話を思い出します。確かにアリシアさんは畑仕事が大変と言っていて、どことなく人手が欲しそうにもしていました。

 なるほど。竜人を労働力として扱うという訳ですね。良い話です。──ええ本当、相手が魔族でなければ。


「俺は良いが、その持ち主が許さないんじゃねえのか?」

「そこは本人達に訊いた方が良いね。──どうかな、ヒックさんエマさん、アリシアさん?」


 呼ばれて少しビクリと震わせるアリシアさん。ヒックさんとエマさんは流石の元冒険者といった所でしょう。臆する事も無くさっさと立ち上がってその姿を露わにしました。アリシアさんはお二人に優しい顔で手を伸ばされ、おずおずと立ち上がった次第です。ついでですので、私も姿を見せておきましょうか。


(……あら。噂で聞いていたよりも案外なんとかなりそうですね)


 目にした竜人で特徴的なのがその鱗。とても硬そうではありますが、やり方さえ間違わなければサックリと刺せそうですね。例えば、鱗の流れに逆らって刺すとか。後は竜人の戦闘力ですが、その立ち姿を見る限りでは社長さん達と同様、人と戦った事がほとんど無さそうです。きっと今までの冒険者達の攻撃も反射的にいなせたのでしょう。……それはそれで厄介ですが。


「……エマ、アリシア」


 ヒックさんがその名を口にすると、呼ばれたお二人は小さくですが首を縦に振りました。つまり、三人の意志をヒックさんが伝えるという事でしょう。

 ──人間族と魔族にはとても深い溝があります。なんせ、現在進行形で戦争をしている相手なのですから当然です。おまけについこの間、魔族はグローリア様を亡き者にしようと襲いました。この話は国内だけに留まらず、アーテル教全体にも広がっています。当然、魔族である竜人は受け入れられる訳がありません。

 社長さんは少し理論的なのかもしれませんね。理論的に考えるとアリシアさん達が良ければ円満に解決しますが、感情的に考えると魔族というだけで門前払いです。むしろ殺したいとすら思える相手ではないでしょうか?

 ……まあ、私が竜人を始末すれば依頼も完了。畑も荒らされなくなるでしょう。


「俺達はその竜人を受け入れよう」

「────は?」


 今、ありえない言葉が聞こえてきました。受け入れる? 魔族を? 人間が?

 あまりにも予想外過ぎて、つい言葉が漏れてしまった程です。理由なんて欠片も分かりません。むしろどうして受け入れようと考えられるのですか?


「オッサン正気か? こいつ大根泥棒だぞ?」

「ああそうだな。……だから、何か言う事はないか?」


 口を開けば失礼な言葉が飛び出る主任さんを軽く流し、ヒックさんは竜人を視界に収めます。

 竜人は頭を掻き、バツの悪そうな顔と小さく唸らせた声を出しましたが、すぐにヒックさんと視線を合わせました。


「……野菜、盗んで悪かった」

「よし。二度と盗みなんて働くんじゃないぞ」


 正直、驚きました。信じられないと言っても良いです。魔族が人間に謝っている姿なんて、夢ですら見た事もありません。

 しかもヒックさんは魔族を許してしまいました。……いえ、竜人の方はまだ理解できない事もないです。彼らは閉鎖的な部族。人間と直接的な戦争は行っていません。なので魔族と言えども人間に対する感情は他の魔族と違っていてもおかしくはないでしょう。──ですが、逆は別です。人間は魔族に対して絶対的な憎悪を持っているはず。戦争相手に加え、私達の教えであるアーテル教の象徴、グローリア様を亡き者にしようとした魔族など許せるはずもないのですから。そんな私が今手を出していないのは、その空気ではないからです。そうでなければさっさと殺しています。

 もしかして、相手を油断させる作戦──? 一瞬だけそう思いましたが、そのような素振りもありません。異常過ぎる状況に呆けてしまうほどでした。

 そんな私を察したのか、エマさんが近付いてこっそりと話し掛けてきました。


「あたし達にも色々な事情ってものがあるのよ」


 一体どんな事情なのか──。そう訊こうとした瞬間、ヒックさんが竜人を家に招待し始めましたので訊きそびれてしまいました。おまけにエマさんとアリシアさんなんてお腹を鳴らした竜人へごはんを振舞うとすら言っています。頭が痛くなりそうです……。


「もう、何が何やら……」


 そんな異様な光景を目の当たりにした私は、零してしまうようにそう口にしていました。

 それが耳に入ったのか、主任さんが一瞥してから話し掛けてきました。


「世の中ってのはな、訳わかんねー事が腐るほど溢れてるもんなんだよ」

「良い意味でも悪い意味でも、ね」

「全部悪いだろ」

「ん? 少なくとも私達の今は、良い意味で訳の分からない事になっているんじゃ?」

「良いと思っているのはお前だけです」

「私にはそう見えないよ。それに……私はどっちでもあって、どっちでもないよ」


 どことなく違和感のある言葉を残す社長さん。ですが彼女は腕を組むとさっさとアリシアさん達の方へと歩き出してしまい、数歩だけ進んでから少しだけ振り返ります。


「ほら、行こう?」


 今までと同じような口調で、同じような表情で私達をいざないます。……なのに、どうしてでしょうか。彼女の背中が、とても寂しく見えたのは。


「おう」


 更に珍しい事に、主任さんも素直に返事をしました。社長さんの違和感を目にして、何かを感じたのでしょうか……?

 ……分かりませんね。ヒックさん達と竜人くらい分かりません。まあ……いつかは分かるようになるでしょう。

 ──結局、信じ難い事に竜人はヒックさん達と一緒に暮らす事となりました。出てきた鍋料理を涙しながら口に運び『生きてるって良いな』などと言っていた事から、よほど飢えていたのでしょう。

 何気なくヒックさん達に、なぜ竜人を受け入れようと考えたのかと訊ねてみたのですが、


「全ての魔族が悪い奴じゃないってのを知っているからな」


 と答えられました。……どことなく納得いかないのですが、彼らが良いのであれば良いのでしょう。

 それよりも、オルトンさんへ報酬を上乗せするよう交渉しなければなりませんね。竜人が出てくるだなんて聞いていません。……いえ、そもそもこれは駆除と言って良いのでしょうか? どうなのでしょう……?

 ……………………まあ、その辺りは社長さんがなんとかしてくれるでしょうね。正直、オルトンさんも彼女には口で勝てそうにありませんし。

 あと結局、主任さんは何の役に立ったのでしょうか……? むしろ邪魔しかねないような事をしていたように感じるのですが……。


「良かったな竜人。これでお前も労働者だ。労働という地獄を嫌というほど味わえ」

「お前本当に変な奴だな……。働いて飯が食える事の何が地獄なんだ……?」

「えぇ……」


 また言っていますし……。しかも今回は竜人にすら言い負けているようですし……。


「主任もしっかり働いたでしょ?」

「全然働いてなかったと思うんですけど、お前の目ん玉おかしくなってんじゃねえの? あ、それとも頭ですか? 両方?」

「私だけだとあんな空気を作り出せないよ。すんなりと竜人から事情を聞き出せたのは主任があの空気を作ったからだよ?」

「そういやそうだな……。俺もあんなの見なかったら言えなかったと思う」

「納得いかねぇ……」


 ……納得しても良いのか分からないですね。確かにあの空気は私や社長さんでは作り出せません。社長さんは主任さんにそれを作って欲しかったのでしょうか? ……ですが、あの空気が無くても社長さんならばなんとか出来たと思えなくもありません。むしろ主任さんはその性格の悪さから煽っているだけにしか──


「ローゼリアァ!! お前まぁたド失礼な事考えただるォ!?」

「いえ。わたくしは主任さんを少しだけ見直しただけですよ」

「嘘じゃないけど本当のこと言ってない味がしゅるぅ……」


 ……本当、無駄に勘が良いんですから。

 ですが、皆さん笑顔になっていますから良しとしましょう。


「あ、あの……!」

「おう? どうした嬢ちゃん?」


 突然、アリシアさんが竜人へ声を掛けました。オドオド──というよりは緊張しているような感じです。


「わ、私はアリシアです。これから、よろしくお願いしますね?」

「──おう。これはレックスだ。よろしくな」


 何かあったのかと思いましたが、なんて事ありません。ただの自己紹介だったようです。平和ですねぇ……。


「夢でも見てるみたいだなぁ……。俺が人間と一緒に暮らすとは……」

「故郷を捨てるというのか貴様」

「族長が『たまに帰ってくるのなら好きな場所で暮らして良い』って言ったから良いんじゃね? 誇りだのなんだの口煩く言ってたが、あの状態の村で暮らすよりは外に出てしまえって考えだったんだろ」


 族長と何人かは村に残ったけど──と、竜人は付け加えます。

 ですが、私はその前に言っていた『夢』という言葉が胸の中に残っていました。

 ええ、本当に夢みたいです。いつも血と冷たい死の中に居た私が、こうやって温かい空間を目の当たりにしているだなんて。

 少しだけ──いえ、ちょっとだけ心地良いなと思えました。こういう空気は、優しい気持ちにもなれます。




 ──ですが、私は改めて知ってしまいます。頭の片隅にあった、私の中の常識。

 人の夢は、儚いという事を。


……………………

…………

……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ