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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
6/41

悩みの種、急成長

 ──大問題が発生した。

 昨日、寝る時にグローリアさんと同じ部屋で寝てもらった方が良いのか、という議論が大真面目に行われて決行されかけた以上の問題が今現在発生している。


「──であるからして」


 部屋は急遽用意された、ベッドと机のみがある僕の部屋。そこに今、神父らしきグレッグさんとシスターらしきクラーラさんが僕にある事を教えている。

 言ってしまえば保健の授業である。……なんでそんな事になっているかっていうと、それは僕がこの世界の文字を読めなかったからだ。だけど聞いた事の全部を憶えられるほど僕の頭の出来は良くない。なので、学校の授業のように僕は紙にペンを走らせて自分の慣れ親しんだ日本語を書いていっているという訳だ。

 ちなみに、身体の内部構造なんかはなぜか今まで一切出てきていない。男女の違いを語るのならば内臓の違いも言った方が良いような気がするんだけど……。

 ぼんやりと『なんでだろう?』と思っていた所……話の流れからしてそろそろ次の問題に直面する事になった……。


「全ての生き物は子を成す為に生殖行為と呼ばれる行動をしています。男性は白い子種を持っており、女性はその子種を受け入れる事で──」

「なお、生殖行為には快楽が伴い、それに深く溺れてしまった者は人間ではなくなると言われ──」

(勘弁して下さい……)


 思春期の男の子が聞けば間違いなく悶々とするような内容を遠慮無しに淡々と説明してくるシスターさんと、同じく淡々と補足するように細かい内容を教えてくる神父さん。どことなく雰囲気の似ている二人は同じ教会に属しているらしく、その教会は皆こんな性格をしているのだろうかと邪推してしまう。

 ……もうこの二人が教えたら良いんじゃないかな。詳しく教えてるし何かおかしい雰囲気も特に無くて、正に先生のようだった。


「全ての生き物は女神様のご意思によって生まれています。女性のみ子を身籠るというのは、全ての人の親である女神様と同じく女性体であるからなのです」


 とまあ……こんな風にスピリチュアルな内容も入ってきている。科学が進歩した僕達の世界では子宮がどうのとか精子や卵子がどうのとか言う所なんだろうけど、この世界ではそういう認識は無いらしい。


「修道士グレッグ。疑問なのですが、子の成し方も実際に教えた方が良いのでしょうか?」

「え?」


 今なんて言ったこの人? 子の成し方? 教える? 実際に? それってつまり……。

 サァ、っと血の気が引く。この身体になってしまった僕にとって、クラーラさんの言葉は恐怖以外のなんでもなかった。いくら身体は女の子とはいえ、心は男のままなのだ。男の人に乱暴されるなんて二重の意味で嫌だ。

 こ恐る恐るグレッグさんへ顔を向けるも、彼は僕へ一瞥もせずにクラーラさんへ答える。


「修道士クラーラ。いくらグローリア様が16歳になられたとはいえ、それはあまりにも穢れ多き事なのではないだろうか?」

「やはり修道士グレッグもそう思いますか。では、子の成し方は知識だけに留めておいて貰いましょうか」


 さっきのは本当にただの疑問だったらしく、グレッグさんが否定的な意見を言うとすぐにクラーラさんは同調した。この人も『やはり』と言った事から、実際に教えるのは気が向かなかったのだろう。それでも、僕の中に芽生えた苦手意識は消えそうにないけれど。

 ……って。


「知識だけっていう事は……」

「ええ。これから教える正しい子の成し方をグローリア様にお伝え願います。ちゃんと、グローリア様がご理解なされるようにお教え下さい」


 とまあ……こんな風に僕はとてつもなく居心地の悪くて羞恥と戦う辛い時間を過ごしたのだった……。

 終わって二人が退室した時には机に突っ伏して頭から湯気が出ているような感覚さえ感じていた。いや、間違いなく出ていた。あんまりに恥ずかしくて喉がカラカラになってしまっていたのだから間違いない。うん。

 ただ、それもまだ前哨戦。本番はここからである。

 場所は変わってグローリアさんの部屋。流石は聖女と言うべきだろう。僕の部屋と比べるまでもなく広く煌びやかで、居るだけで畏まってしまう。その煌びやかさも朱色に染まり始めた空と相まって、より一層輝いているように見える。


「ヒューゴさん、本日はよろしくお願い致します」

「あ、いや……僕こそよろしく、お願いします」


 その部屋の主だというのに礼儀正しく頭を下げるグローリアさん。そのせいか、僕もグローリアさんに頭を下げていた。

 くすり、と小さく微笑んだ彼女は落ち着いた様子で『はいっ』と答える。その笑顔が眩しくて──なぜか胸が悪い意味で締め付けられて──グローリアさんへの勉強会が開かれた。

 まずは男と女の違いからだ。


「──男の人と女の人は身体の構造が違うのはグローリアさんも知ってると思う。今回教えるのは、何がどう違うかって所」


 グローリアさんは真剣に頷く。よっぽどその知識が欲しかったのか、それともただ単に真面目なのかは分からない。……けど、この事に対して強い執着のような物を感じた。

 それはたぶん、彼女が聖女という立場に居るからだろう。今日、僕が勉強をしている時にグローリアさんはこの聖堂に集まってきた人々と交流をしていたようだし、その時に何かを感じたのかもしれないし、日頃からそう感じていたのかもしれない。いや、そうじゃなかったらここまで強い意志を見せる事も無いだろう。

 僕はメモとして書いた紙へ軽く目を通し、話を続けた。


「……これは気付いてると思うけど、パッと見て一番違うのはココかな」


 ポン、と自分の胸を軽く叩く。柔らかい感触が返ってきた。


「……………………ごめんなさい……」

「ぇ、え……?」


 なぜか一瞬だけ頭の中が真っ白になったが、すぐに理解する。自分の身体だけど、この身体はグローリアさんそのもの。つまり、この身体に触れるという事はグローリアさんに触れているのと大して変わりがない……。


「勝手に触っちゃってごめんなさい……」

「え……あ、あのぅ……?」


 ある意味で僕よりも困った様子のグローリアさん。ああ……どういう意味なのか分かってないみたいだ……。…………とりあえず、その辺りの事も教えないといけないかな。


「……これは本当に大事な事だから絶対に守って欲しいんだけど、約束守れる?」


 自己嫌悪の感情をなんとか押し殺しつつ、僕と同じ姿のグローリアさんに問い掛ける。少し緊張したような雰囲気で頷いた彼女とは違い、きっと僕は苦虫を噛み潰したような顔をしているだろう。……保健体育の授業していた先生ってこんな気持ちだったのかな。

 心を落ち着かせる為に一度だけ深呼吸をしてから僕はそれを語った。


「女の子は、男の人に身体を無闇に触らせちゃ駄目だよ。特に……さっきの場所とかを触らせて良いのは、ずっと一緒に過ごしても良いって思った人にだけだからね?」


 人によっては別の意見を言う人も居るだろうけど、グローリアさんは聖女という立ち位置に居るのだから尚更こうした方が良いと僕は考えた。……いや、そうするべきだろう。

 だけど、ここに来て第一の壁にぶち当たった。


「ええと……乳房は男の方に触らせてはいけない……のですよね?」

「……うん」

「なんとなくは分かるのですが……すみません……具体的にどうして駄目なのでしょうか」


 そう。これだ。

 オースティンさん曰く、グローリアさんは聖女として『穢れを持たないように』育てられてきたと言っていた。つまり、性的な意味合いの事は何も分からないと言っても過言じゃないんだ。そしてそれを教えるように任命されたのが僕であり、つまり……それは……。


「……男の人は、そういう部分を見たり触ったりして興奮するからだよ」


 そう言ったら、グローリアさんは少しだけ驚いた表情を浮かべていた。きっと、そんな事だとは露ほども思っていなかったのだろう。

 男としての意見──曳いては僕の意見──で清廉潔白な彼女を精神的に穢すという意味に近い。なんて冒涜的だろうか……。

 ふとそう思ってしまうと、もしかして誰もこの役をやりたくないけど僕が現れたから押し付けたんじゃ? と邪推してしまう。実際どうなのか分からないけど、なんとなくそんな気がした。


「えっと……どうして興奮するのでしょうか……?」

「……………………」


 無知とはこういう事を言うのだろう。ある意味で本能に近い事ですら徹底して遠ざけられて知る事無く育ってきた彼女にとって、それは不思議な事らしい。

 しかし、どうしてと言われても……どうしてだろう? 男には無い物だから? それとも日常では見る事も触れる事もままならないから?

 ……本能とは恐ろしい。理由など無くただ『本能だから』で理解できてしまうのだから。

 彼女は僕からの答えを求めて待っている。けれど、それは言っても良いのだろうか? 倫理的とかそういうの以前に、そもそも合っているかどうかさえ少し不安だ。……そして、僕の性癖を語るようでちょっと恥ずかしさがある。

 が、その葛藤をグローリアさんは別の意味で捉えてしまった。


「い、言い辛い事なのでしたらご無理をなさらなくても良いのですよ!? ヒューゴさんに嫌な思いをされたくないですから!」


 アワアワ、オロオロ、という擬音語がぴったりと当て嵌まる狼狽えぶりに少し拍子抜けする。本当に小動物って思える子だ。

 けど、おかげでちょっとだけ冷静になれた。元々これはグローリアさんにそういう事を教える為の授業なのだ。こちらが恥ずかしがってはグローリアさんも不安になってしまう。ならば、僕も堂々としてしまえば良いんだ。堂々としていれば彼女も真剣に聞いてくれるはずだし、何よりもちゃんとした授業のようになるはずだ。

 ……うん。覚悟は決まった。


「男の人が女性のそういう所を見て興奮するのは、本能に近い事なんだ」

「ぇ……ええと……本能、ですか?」

「うん。一般的に男性が女性に対して魅力に感じる部分の一つがココ。胸の部分だよ。一概には言えないけど、大きいと魅力が増すっていうのが多数の意見だと思う」

「……大きさ、ですか」


 僕の雰囲気が変わったのだろうか、少し落ち着きを取り戻したグローリアさん。良し、この調子でやっていこう。


「一般論ではね。世の中の男の全てがそうじゃないし細かい部分もあるけど、大雑把には大きい方が良いって人が多いかな」

「……そういえば一度、信徒さんのお一人にそんな話をしていらっしゃった方が居ました。胸を大きくするにはどうすれば良いか、と。それは男性に魅力的だと思われたいからなのですか?」


 まだ完全じゃないけど、確かに手応えというモノを感じられる。段々とグローリアさんから不安なそうな雰囲気も無くなってきた。


「うん。そうだと思うよ。誰だって他の人より優れていたいって思う一面はあるからね。──それで、話を戻すけど男の人と女の人で違う部分はココの他にもまだあるんだ」

「?」


 ほんの僅かに首を傾げる目の前の少女。ああもう一々仕草が可愛いなぁ……。


「外から見える部分なら股の部分。外から見えない部分で言えば骨とか内臓とかだね」

「骨と、内臓……? 同じ人間なのに、身体の中身が違うのですか?」

「そうだよ。女の人は男の人と比べて腰辺りの骨が少し大きく出来てるんだ。女の人は子供を宿すから、それに負けないように出来ているんだよ」

「なるほど……。だから女性の方だけがお子さんを宿していたのですね」


 どうやらお腹の大きくなった人を今までに見た事があるらしい。流石にアーテル教も『妊娠した人は聖女と会ってはいけない』とかの制限をしなかったようだ。

 だったら……こう話を繋げよう。


「それで、ここからがたぶんグローリアさんに男女の違いを教える上で一番の難関。──どうやったら子供が出来ると思う?」

「それは……分かりません……」


 その問いに対し、彼女は首を横に振る。全く知らないのかと訊いてみると、申し訳なさそうに小さく頷いた。

 ……やっぱり、ここが一番の難関のようだ。


「……ちょっと待ってね。考えるから」


 直接的な言葉は控えておくべきだと考え、どういう言葉を使おうかと考える。

 遠回しな言葉……は誤解を生みかねないかな。いや、そもそも分かり辛いから駄目だ。クラーラさんからもグローリアさんが理解できるように、って言われている。

 …………………………………………。


「……人間には三大欲求っていうモノがあるよね?」

「はい。あまり詳しくはないのですが……食欲、睡眠欲、性欲、でしたでしょうか」

「うん、正解。で、その性欲っていうのが所謂、子供を作りたいって欲求って考えて?」

「はいっ」


 個人的に本当は違うと思うけど、これはちょっと前に教えて貰ったグレッグさんとクラーラさんの受け売りである。僕の少ない語彙力では誰かの言葉を借りて説明するのが精一杯だ。


「男の人は子供の種みたいなのを持っていて、女の人はそれを受け入れる事ができるんだ。さっき言った性欲が解消された時、男の人は種を身体から出す。それを女の人が身体の中に受け入れたら子供を授かる事が出来るんだよ」

「……不思議ですね。まさに神秘です」

「それは僕も思う」


 精子と卵子によって受精が起きれば生命が生まれる。これほど『不思議な当たり前』なんてあるだろうか? 精子や卵子無しに人間を生まれさせるなんて事は未だに実現していない。クローン技術で牛のクローンを作る事が出来たって聞いた事があるから人間にも出来るんだろうけど、それが現実になったという話は聞いた事が無かった。出来ないのかやってはいけないのかまでは分からないけど、人間が科学的に人間を作る事は未だ出来ていない事だけは確かだ。

 だからこそ、子供が生まれるという事は神秘に一番近い事だと僕は思う。


「ところで……男性の方は種を出すと仰いましたが、どこから出して女性のどこへ受け入れさせるのでしょうか? そのような場所は無いように思うのですが……」


 僕の世界が一瞬だけ固まった。そして今日の午前中の事がフラッシュバックする。


『男性の陰茎を女性の膣へ──』

『愛を囁き、肌を重ね──』

『無論、最後まで互いを気遣う事が──』


「……ぁー…………」

「ヒュ、ヒューゴさん!? どうなさったのですか!?」


 頭から湯気が出る。恥ずかしさの余りに顔が熱くて焼ける。

 確かに覚悟はした……けど、その覚悟はどうやら足りなかったみたいだ……。

 盗み見るようにグローリアさんへ視線を向けてみると、やっぱりさっきと同じようにちょっとしたパニックの状態になっていた。

 単純な僕である。そんな彼女の姿を見たら心が落ち着いた。なんというか、癒される……。

 …………なんだかイケナイ方向に目覚めているような気がするけど、僕はそれを心の底に押し込む事にした。


「……グローリアさん」

「はっ、はいっ!」

「……………………」

「…………?」


 名前を呼んだのにも関わらず黙ってしまった僕。その上、僕自身が険しい顔をしているのか不安そうな顔で彼女は僕を見ている。


「……その話はまだグローリアさんには早いから、もう少し後になってから教えるね」


 一度目を閉じて、出掛かった言葉を飲み込んだ。……うん、正直に言うと逃げた。

 今のグローリアさんにアレを教えるだなんて、純粋培養されているモノへ泥を叩き入れる事に等しい。どうしてもそれが出来なかった僕は、問題を後回しにする選択肢を取った。

 その代わり、今まで教えた内容を少しだけ詳しく補足する事にする。男の人の方が強い筋肉を作りやすいとか、身体の硬さも違うとか、そういう違いを説明していった。


「あ……もしかして、あの時は……」

「あの時?」


 唐突にグローリアさんが『あの時』と口にした。……えっと、どの時?

 さっきから教えてばかりいた僕だけど、今度はグローリアさんから教えて貰う事になった。グローリアさんは一瞬だけ辛い顔を浮かべ、それを隠そうとして隠しきれていない笑顔で答える。


「……ヒューゴさんが私を助けて下さった時です。重い荷物を持とうとしたら、ヒューゴさんが持って下さいましたよね?」


 なるほど、と二重の意味で思った。一つは『あの時』の意味。僕が女の子になって力が弱くなった事を失念していた時の事だ。

 もう一つは……なんでグローリアさんが辛い顔をしたのか、だ。これは確信を持って言える。あの時の凄惨な光景を思い出して自分の無力さを嘆いているのだろう。勿論、気分も悪くなっているだろうが、彼女の場合はそれよりも自分が彼らに出来た事が死後の祈りだけだった方が強いはずだ。その健気さと純粋さを、僕はその日に体験している。


「それは男性の時の癖だったのでしょうか、と思ったのです……」


 段々と小さくなっていく声。それは、彼女がまだ僕を女の子にしてしまった事を気にしているからだろう。

 ……確かに僕にとってそれは、色んな意味で受け入れ辛い変化だ。けど、それ以上に僕はグローリアさんに感謝をしているのも事実だ。


「癖って程じゃないよ。僕の世界じゃそうするのが良いっていうのがあったんだ。それがつい出ちゃっただけだよ」


 お互いに気遣う事でお互いがハッピーになれるという……幸せスパイラルだっけ? たぶん違うけど、そんな感じのがあった。

 ……僕には、縁の無い話だったけれど。

 暗い気分になりそうになった僕だったけど、グローリアさんはなぜか少しだけ笑顔が自然になっていた。というよりも、なんだか嬉しそうにしている?


「やっぱり、ヒューゴさんはお優しい方ですね。あのような状況だったのに、誰かを気遣う事が出来るのですから」

「……それはグローリアさんの方がずっと出来ているような気がするけど?」


 気遣うとか気遣わない以前に……あんな正気を疑うような状況で、亡くなった人達に死後の安寧を祈れる人が一体どれだけ居るだろうか? 断言しても良い。そんな聖人みたいな人なんて居ない。彼女以外、誰も出来ないとすら僕は思う。

 だけど、グローリアさんは首を横に振った。


「私はアーテル教の象徴として、それは出来なければなりません。ですが、ヒューゴさんはアーテル教を信仰している訳でもないのに遣りのけたのです。それはとても素晴らしい事です」

「う……」


 彼女が微笑みながら両手の指を絡ませつつそう言うものだから、僕は受け取らざるを得なかった。……なんというか、その表情と仕草はズルイ。何も言えなくなるじゃないか……。……これが惚れた弱み?

 なんだか恥ずかしくなって頬を掻く。……なぜかもっと優しい笑顔を向けられた。


「ヒューゴさんって、たまに可愛らしい事をするのですね」

「かわい──」

「私は、そういうの好きですよ」


 ────────────────。

 思考が硬直した。いや、勿論分かってる……。そういう意味で言った訳じゃないっていうのなんて分かりきっている……! でもこんな慈愛に満ちた顔で『好き』って言われて意識するなという方が無理だよね!?

 が、僕は思い出す。こうやって感情を暴走させた時の事を。


「……………………」


 ……うん。落ち着こう。ワナワナと震えている僕を見てグローリアさんも首を傾げている。あの時の失敗はしない……してはならない……。

 二回三回と深呼吸をして、なんとか落ち着いた。

 そしてその時、部屋をノックする音が聴こえてきた。


「どなたでしょうか?」

「オースティンです、グローリア様。そろそろ夕食のお時間ですのでお伝えに参りました」


 ノックの主は扉越しにそう告げる。外を見てみると茜色に染まっていた空は群青色を帯び始めていた。オースティンさんが呼びに来るのもおかしくないだろう。


「……とりあえず、今日の勉強はここまでにしとこうか」

「はいっ。──オースティンさん、すぐに食堂へ向かいますね」

「畏まりました」


 そうオースティンさんが言うと、扉の前から気配が遠ざかっていった……ような気がする。

 僕はメモを裏返すと、グローリアさんはお礼と共に頭を下げてきた。どうやら今の動作を勉強の終わりと捉えたらしい。


「……あの、ヒューゴさん。最後に一つだけよろしいでしょうか?」


 オズオズ、といった雰囲気で彼女は手を肩辺りまで上げる。どこか分からない事でもあったのだろうか?


「男性にとって胸の大きい女性は魅力的に映る……との事ですが、ヒューゴさんも大きい方がお好きなのですか……?」

「────────」


 身体に電流が走る。今日一番の爆弾がここに投下された。男としての一般論ではなく、僕自身としての答えを彼女は求めてきたのだ。


「ど、どのようなお答えでも大丈夫です!! ただ……気になって、しまい、まして……」


 段々と声が小さくなっていく。肩も竦んでしまっていて、ただでさえ細い身体のグローリアさんが余計に小さく見えた。

 ……どうしてグローリアさんがそんな事を聞いてきたのかは分からない。というか見当もつかない。……ただ単に一番近くに居る男の人に聞いただけなのかな?

 僕に気があって──というのはまず有り得ない。まだ会って間もないし、そもそも今彼女が浮かべている表情は少し暗めだ。これでもし顔を赤くしているのならば都合の良い妄想もしかねないけれど、そうではないのだから勘違いのしようもない。

 …………………………………………。正直に答えてしまおう。


「大きいのはそこまで……」

「…………? 小さい方がお好きなのですか?」

「……ハイ。なんか、綺麗で可愛いから──」


 そこまで言って、自分が何を口にしたのか気付く。……これって丸っきりグローリアさんくらいの大きさが好きって言っているようなものじゃないか。

 またやってしまった──そう思ったのだが、なぜかグローリアさんはホッとしたような顔をしていた。


「……グローリアさん? どうしたの?」

「いえ、良かったって思っただけですよっ」


 明らかに機嫌が良い。語尾が少し上がっているし、何よりも笑顔だ。……え? なんでそんな反応なんだろう?

 首を捻ったが、すぐにとある事を思い付く。──ああ、グローリアさんもお年頃だ、と。良いように言われたら喜ぶし、悪いように言われたら悲しむ。そういう事だろう。


「ヒューゴさん、行きましょう?」


 軽い足取りで扉まで進んだ彼女は、くるりと身体を僕へ向けてニコニコとした表情で手を差し伸ばす。

 ……まあ、機嫌が良いみたいだし良いか。

 僕はその手を取り、部屋を出る。柔らかく温かいその手は、僕の気分を昂ぶらせるのに充分だった。

 ああ……本当、人の手ってあったかいんだなぁ……。

 思えば今までの人生でほとんど人に触れてこなかった。触れられる事も無かった。だから僕は思う。この優しさを、温もりを、大事にしていこう──と。

 まるで夢みたいだな……なんて考えながら、僕達は食堂へ向かった。




 ──ただ、この時の僕は失念していた。いや、頭の片隅にすら無かった。人の夢は、儚いという事を。


……………………

…………

……

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