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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
5/41

法の国、見えるモノ、見えないモノ

「あいつ本当に身体が雑魚っぱだったんだな……」


 場所は酒場も兼ねるハーメラ王国最大のオルトン商工会。私達は牛乳を購入する前に報酬を受け取りにきたのです。……ですが、社長さんは疲れがやってきたのか他の要因があったのか、吐き気を堪えた表情でお手洗いへと向かって行かれました。


「今までもこういう事はあったのですか?」

「あったぞ。本当かどうかは半信半疑だったけど」


 何気なく主任さんに社長さんの事を聞いてみましたが、その答えは要領を得ないものでした。……あの仲の良さから古くからの付き合いかと思ったのですが、違うのでしょうか? いえ、そもそも半信半疑とはどういう事なのでしょう?

 しかし、主任さんは教える素振りすら見せずに窓の外へ顔を向けてしまわれました。何を見ているのかと思い、釣られるように外を見てみますが何もありません。むしろ壁しかないと言った方が正しいでしょう。

 この商工会で未だに謎なのが、この窓なのですよね。窓とは本来、外の景色を見る為にあるはずなのですが……どういう訳かこの窓は目の前に商工会の主人であるオルトンさんの家がある為、景色どころか日の光すら日中の僅かな時間しか差し込んできません。一体、何の為にここへ窓を作ったのでしょうか……。


「……………………」


 ボーっとしているかのように見せて周囲を警戒している主任さん。肘杖をついてだらけているように見えなくもないですが、しっかりと耳は立てているようです。誰かが近くを通るとあからさまに纏っている空気が変わりますので丸分かりです。

 何を警戒しているのでしょうか──。無意味に神経を張り巡らせている姿に疑問しか感じません。この町に来たのは初めてだそうですので観察するのは分かりますが、敵地のド真ん中に潜入した盗賊のように警戒をしているのはどうしてでしょう?


「主任さん、そんなに警戒されなくても問題ありませんよ」

「何がですか」


 気分を害したのか、声のトーンが僅かに下がった主任さん。……いやはや、本当に扱いにくいですね。


「わたくしが近くに居る限り、この商工会で荒事をする人は居ないという意味です」

「はぁ……? なんだそりゃ。お前って有名人なの?」

「それなりに名前は通っていると思います。少なくとも、この商工会の中では」


 先ほどからチラチラと視線を向けてくる方へ首を回し、ニッコリと微笑みます。それだけで煩わしい視線は全て消えました。


「……お前何モンだよ」


 より一層強く疑いの目を向けてくる主任さん。隠すこともありませんので正直に話してしまいましょう。……ですが、少しだけイタズラもしたくなるというもの。これから仕事をする上ではある程度の仲の良さも必要となってきますからね。


「あら、女性の秘密を聞くのですか? これは主任さんも何か秘密を話して頂かなければなりませんね」

「じゃあ言わなくて良いです」


 ……身も蓋も無いですね。まさかこのような返しをされるとは思っていませんでした。

 どうしましょうかと僅かに悩み、注文しておいた麦酒を一口含みます。安っぽい苦味と甘味が口に広がり、喉を潤すだけでも不満が生まれます。やはり多少高くても紅茶か水にするべきだったでしょうか。主任さんも私と同じ感想なのか、私の家で飲んだ紅茶の時より圧倒的に進みが遅いです。


「この飲み物は失敗でしたね」

「まあ、こんなもん。安いもんにはそれなりの理由があって当然だろ」


 またもや意外な言葉に驚きを隠せませんでした。てっきり非難数々の言葉を口にするのかと思っていましたので、とても予想外です。

 ジッと主任さんを見てみると、やはり好みではない味というのが分かります。どことなく眉間に皺が寄っているようにも見えますし、何よりも少々不機嫌そうにしております。それでも不味いとすら一言も言わず大人しく口に運んでいる姿はただただ不思議でした。

 ……私を気遣っているのでしょうか? 私と相乗りになって不満だとハッキリ答えたこの人が? ……どうにも分かりませんね。社長さんもよく分からない方でしたが、この人も同じくらい分かりません。


「──ただいま」


 と、噂をすればなんとやら。いえ、正確には噂ではないのですが。社長さんは楽になったのか、その表情は平常で穏やか。体調が戻ったようですね。


「お前の分のも注文してっから飲んどけ。味は期待して良いぞ」


 ……貴方、先程からあまり美味しくなさそうに飲んでいませんでした?

 あまりにも自然体でそんな事を言うものですから、実は本当に悪くない味とでも思っているのでしょうかと勘繰ってしまいます。紅茶の味が分かる事から悪食ではないと思うのですが、どうなのでしょうかね?

 と、そこで社長さんの異変に気付きます。麦酒を睨むようにして苦虫を噛み潰したような顔をしていました。


「ああ……そういやお前、酒がダメなんだっけ」


 私が考える間も無く主任さんがそう言います。……えっと、お酒がダメ? 麦酒ですよこれ?


「ん、憶えてたんだ」

「今思い出した」

「だろうね。じゃなかったら悪意の塊だし、主任はそういう事しないし」

「人間なんてですねぇ、元々が闇属性なんですよぉ。それにお前にこういうのやっても面白くねーですし……」

「属性に関わらず悪意は悪意でしょうに。面白かったらやるの?」

「やる」

「んー……そっかぁ……」


 社長さんが帰ってきた途端に口数が増える主任さん。仲がよろしい方とは気軽に話すのでしょうかね? ──まあそれは置いておきましょう。少し気になる点があります。


「お酒とは言っても麦酒なのでほとんど水のような物なのですが、それでもダメなのですか?」

「うん。私はとことん弱くてね。小さな子供すら大丈夫な物でも酔っちゃう」


 そう言ってチラリと店の主人の居る方へ社長さんは顔を向けます。視線は上の方へ向いていますので、きっと品書きを読んでいるのでしょうね。

 ポツリと、社長さんは呟きました。


「へぇ……数字は同じなんだ……」

「? 数字がどうかしましたか?」

「ん、私達は遠い場所から来たからね。言葉は話せるけど文字が違うから読めない。だけど数字だけは同じみたいだからちょっとだけ安心したんだ」


 遠い場所……。今になって思えば、お二人はどこからやってきたのでしょうか? 見た事の無いのでいまいち判断しづらいですが単純な作りながらも綺麗で高そうな服装からして、少なくともこの近辺の人ではないというのが分かります。少なくともハーメラ王国の人ではないというのは確かでしょう。今までハーメラ王国の色々な場所へ赴きましたが、近い服すら見た事がありません。

 少し考えてみましょうか。──北のオーリア帝国に行った事はありませんが、雪と氷に覆われるあの国の服ではないというのは分かります。では残るは西の島国であるクローナス、そして魔族が統治する国家エレヴォ。ですクローナスは違うと断言できます。あそこは妖精が統治しており排他的で閉鎖的ですし、何よりも妖精族の特徴である長い耳がありません。かと言ってエレヴォの魔族かと言われても首を傾げます。魔族はそれなりに見てきたという自負はあるのですが、魔族のような雰囲気が無いのです。それにエレヴォの魔族でこのような種類の服を見た事がありません。それに、文字が違うと社長さんは言いました。この文字は世界共通だと思っていたのですが、どうやら違うようです。

 考えれば考えるほど疑問が強くなってきました。この二人は、一体どこからやってきた誰なのでしょうか?


「……いや、待って。文字があるんだよね? この国の識字率……文字を読み書き出来る人は多いの?」

「俺も気になるわ。まあ、こんな場所でも文字があるから割とたけーんだろうけど」


 強くなった疑問に答えて貰おうかと思った所、先にお二人が質問をしてきました。文字を読み書き出来る人……ですか……。


「……とても難しい質問ですね」


 正直に言うと困りました。文字の教養はアーテル教が行っているのは確かなのですが、それによりどれくらいの人が読み書き出来るのかは分からないからです。

 少なくともアーテル教の司祭ともなると読み書きは出来ますが、修道士は半分以上が読む事しか出来ない印象です。となると、どれだけの人が文字を読み書き出来るのか……。

 私が顎に指を当てて悩んでいると、社長さんが助け舟を出してくれました。


「じゃあ、簡単に質問していくね。──確実に文字の読み書きが出来る人で一番低い身分の人ってどんな人?」

「司祭ですね」

「司祭か……。商人は?」

「大半は読む事は出来るでしょうが、書くとまでなるとそれなりに有名な商人のみでしょう」

「えっ、思ったより結構低いなオイ」


 結構低い、のですかね……? むしろ充分だと思うのですが……。

 ふと、ここで思い付きます。お二人の住んでいた場所ではどうだったのかを聞けばどこから来たのかが分かるかもしれません。なので早速、聞いてみました。


「私達の国はほぼ全員が読み書き出来てたよ」

「まあ簡単な文字を読んで書くだけなら五歳か六歳にもなってりゃ大体全員出来てたわな」


 ──ですが、その返答はあまりにもおかしいものでした。

 全員が読み書き出来る? 五歳か六歳ですら簡単な読み書きを?

 ……在り得ません。そんな国など私は知りません。クローナスはどうなのかは分かりませんが、時折やってくる噂を聞いてもそんな異常事態になっているとはとても思えませんですし、国家エレヴォも同じでしょう。そもそも、文字の読み書きが全員出来るとなるとどこかしらでそんな話が出てくるはずです。

 狂言とすら思える二人の言葉に、本当に私と同じ世界で生きている人なのでしょうか──という疑問さえ生まれてきます。

 ……いえ、それこそあり得ないでしょう。別の世界なんて在るわけがないのですから。


「ごめん、話を進めちゃおうか。今回の予定だけど、盗賊団討伐の報酬を受け取る事、新たに任務を受ける事、そして牛乳を手に入れる事の三つ。そこでなんだけど、任務を受ける為に何か条件とか必要だったりする?」


 文字の事について何の意味があったのかは分かりませんが、社長さんは話を元に戻します。……まあ、きっと興味があっただけなのでしょう。


「商工会の会員証が必要ですね。最低等級でしたらすぐにでも作らせますよ」

「作らせるって……お前本当にどんだけ権力持ってんだ……」

「いえ、会員の誰かが口添えをすれば最低等級はすぐに作る事ができるんです。そうでない場合は実力審査として少し面倒な手続きがありますけれども」


 今までの経緯や魔術の実力や剣の実力など様々な事を聞かれます──と伝えると、主任さんは露骨に嫌そうな顔を剥き出しにしました。


「めんどくせえ……もう面接じゃねーか……」


 そう言いながら社長さんの麦酒を煽る主任さん。その表情は僅かも晴れる事無く、ただただ不機嫌なまま変わりません。

 なるほど。主任さんは面倒事が嫌いなのですね。少しずつ主任さんの事が分かってきたような気がします。用心深く、手間の掛かる事は嫌いで、深く物を考えるのを敢えて拒否するようです。

 ……ええ。やっぱり扱いづらそうです。


「じゃあ、この商工会の主人は文字が読み書き出来るんだね。納得したよ」

「えっ、なんで?」


 奇しくも主任さんと同じ言葉を思い浮かべました。今までの会話からどうやってそれが分かったのですか?


「見たら分かるよ。文字が読めない人が多いから掲示板とかに依頼を張り出したりしない。たぶん、紙自体もそれなりに貴重品じゃないかな? だけどこの規模を見れば多くの依頼がこの商工会に集まってきているはずだよ。だったら疑問が生まれるよね」

「……どうやってここまでデカくなったのか、ってか? 単純に頭良くて依頼全部憶えてるとかじゃねーの? そこらに商人臭い奴も居るが、我が物顔で歩いていないって事は交渉が上手いんだろうよ」

「そこまで分かってるなら答えはもう目の前だよ主任」


 社長さんは僅かに首を動かし、オルトンさんへと視界の端に捉えます。丁度、彼は王国の衛兵から何かを受け取ったらしく、お酒の提供台の裏側で作業をしているようです。その目は『何か』を見極めんとしており、時折ふと思い出したかのように何かを弄っているようでした。


「あの動きってさ、書類の確認と整理だよね」

「……そーいう事か。文字が読めなきゃ依頼書の整理なんざ出来やしねー。ここまでデカくなったのも依頼の管理が出来るからか。それなら商人相手でも記憶違いって理由で報酬をふんだくられる事も少なくなるわな。……で、なんで書く事も出来るって分かったんだ?」

「実力審査で細かく聞かれるって話だからね。簡単な人物紹介を残して誰がどういう人なのか分かるようにしているんだと思うよ」

「ああそういう……。それは書けなきゃ無理ですわ」


 社長さんの推察と観察眼に感嘆とします。彼女の予想通り、オルトンさんは文字の読み書きが出来ます。読み書き出来るようになった理由も、昔に報酬の話でいざこざがあったからというのも耳にした事がありますし、現に管理がしっかりしているのでこの商工会はハーメラ王国最大の規模となる事ができました。加えて会員の実績も書き収める事で適任の依頼を提供できるので、この商工会は人気があります。

 気付けば、私は楽しそうにしていました。心が躍るとでも言えば良いのでしょうか、今まで体験した事の無い感情がとても心地良く感じます。

 その後、社長さんは飲み物を頼む事無く報酬と新たな依頼を受ける事となりました。

 私が提供台に近付けば、さっさと報酬の銀貨70枚を出してくるオルトンさん。……いつもの事なのですが、依頼が完了したかどうかを聞く前に報酬を出すのはどうかと思います。私の出自と今まで一度も失敗した事が無いというのが大きいのでしょうけれど。

 その時にお二人を簡単に紹介して、これから共に仕事をしますと言うと、オルトンさんは露骨に引きつった顔を浮かべました。


「……この二人もお前のような奴らなのか?」


 どうやら出自が気になるご様子。やんわりと否定しておくと、今度は納得のいかなそうな微妙な表情へと変わられました。……こんなにも顔を七変化させるような方でしたっけ?

 とりあえずお二人の会員証を作って貰う事にしました。私の紹介で作るのは初めてだったのですが、予想以上に聞かれる事が少なくてビックリです。なんと名前だけで発行して貰えました。紹介した側の等級などによりこれらは簡略化されるとは聞いていましたが、まさかここまでだとは思いませんでした。

 その事を特に気にする事無く会員証の金属板を手に取る社長さんと主任さん。この会員証には右下に識別番号が振られており、提示するだけでオルトン商工会の誰なのか分かるようになっています。例えば私は600ですが、お二人はどうなのでしょうか?

 少しばかり浮かび上がったこの好奇心に私は簡単に屈し、お二人が手に持つ金属板の右下を覗き込んでみました。


「774と775ですか」


 社長さんが774で、主任さんが775のようです。なんという事でしょうか。とてもキリの良い777がすぐ目の前だったではありませんか。

 ただの数字。されど数字。ただの識別番号ですが、自分や身内の持つこの数字に何か特別な要素があると嬉しく思うのは私だけでしょうか? ちなみに、私は600というキリの良さを気に入っていたりします。


「へぇ……何の因果かな、これ。私は名無しか」

「俺がナナコか……縁起が良いのか悪いのか……」


 ところが、お二人は神妙な顔付きでそれぞれの会員証を睨んでいました。それは懐かしさを感じているようにも、悪い予兆を感じているようにも見えます。……なんとも不思議な表情をするのですね。

 名無しと……ナナコ? よくは分かりませんが、どうやらお二人にとって意味のある数字のようです。

 それが良い事だったか悪い事だったのか私では分かりませんが、社長さんが一瞬だけ見せた翳りのある哀愁は、あまり良くないもののように感じました。

 そんな空気を読まずか、はたまた敢えて読んだ上なのかオルトンさんがいつもと変わらず無愛想な表情のまま話題を振ってきました。


「で、どんな依頼を受けたいんだ?」

「んじゃあ今さっき入ってきた依頼を教えてくれ」


 そして一瞬の間すら置かずに主任さんがぶっきらぼうにそう言います。まるで、その言葉を待っていたと言わんばかりの速さでした。

 今入ってきた依頼ですが、衛兵が持ってきたという事は王国直々の依頼でしょう。経験上、こういうモノはとても良いお話です。主任さんはそれを分かって聞い……ていないでしょうね、主任さんの事ですから。

 深く物事を見て論理的に判断をするのが社長さんですが、主任さんはその全く逆で、表面上から物事を直感的に理解する節があります。元々頭が良くて、工程を飛ばして解に辿り着く方なのかもしれません。


「目聡いなお前。異例中の異例な依頼だぞ」


 オルトンさんはニッと笑うと少し前に確認していたであろう羊皮紙に視線を落とし、ある程度抑えた声量で書かれている内容を読み上げました。


「先日、王国騎士団に所属している者の家に強盗が入った。犯人を捕まえよ。報酬は前払いとして銀貨20枚。報酬を受け取り、明日朝に依頼を完了したものとする事。依頼は強制受託とする──以上だ」

「何そのあったま悪い依頼」


 今日一番の怪訝な顔を浮かべる主任さん。斯く言う私もあまりにも怪し過ぎる依頼内容に眉間へ皺を寄せました。そうすると、オルトンさんの表情が明らかに曇りました。

 ……いえ、そんな事よりも、どの家に強盗が入ったかの情報も無し。犯人の特徴も無し。被害の状況説明も無し。おまけに報酬が前払いで強制受託。こちらの方が問題でしょう。こんなの、ただお金を配っているだけではないですか。

 チラリ、と社長さんへ目を向けてみると、彼女は左目だけを閉じて軽く握った手を唇に当て、酷く考え込んだ顔をしておりました。ですがそれも僅か十秒ほどの話。社長さんはわざとらしく一歩前に出ると、ハッとした顔でさっさと銀貨を用意するオルトンさん。それを見た社長さんは無表情でそれを受け取ると、私の顔を一瞥してから主人さんの顔をジッと見詰めました。

 ゆっくりと首を縦に振る主人さんと、まるで鏡のように同じ動作をした社長さん。……一体、何をしているのでしょうか。


「主任、ローゼリア。今日は帰ろう」

「はっ!? いやいやいやいや何言ってんのお前? 何がどうなったらそうなるんだよ」

「後で説明するから静かにして。──ああそうだ、主人さん。ちょっと聞きたい事があるんだけど、良いかな?」


 踵を返したと思ったらもう一度元に戻した社長さんは、つい今しがた手に入れた大きい銀貨袋の方から二枚の銀貨を取り出すと、オルトンさんの返事を聞かずに質問をしました。


「私達は牛乳を探しているんだけど、牛酪や乾酪を作っている人を教えて貰って良いかな」


 手にした銀貨二枚を主人さんの前に出す社長さん。すぐさま首を横に振った彼でしたが、社長さんが『さっきの話とは別だよ。そのままの言葉通り、牛乳が欲しいだけ』と言いました。

 ……一体、何のやり取りをしているのでしょうか? どうも言葉通りではない取引をしているように聞こえない事もないのですが……。


「……あの牛乳の話じゃないんだな?」

「うん。普通の牛乳の話」


 んん……? どういう意味ですか? 意味を汲み取ろうとすればするほど頭がこんがらがってきます……。一体、二人はどういう内容の話をしているのでしょうか……?


「そうだなぁ……。たしか、この街の東にあるアーテル教会の修道士が乾酪を作って周辺の人に分けているって話だ。近くに行けば分かると思うぞ」

「助かったよ。……念の為に確認しておくけど、あの牛乳じゃなくて牛酪や乾酪を作れる牛乳の方だよね?」

「ああ。こっちも念の為に言っておくが、あの牛乳を深く調べようとするんじゃねえぞ」

「忠告ありがとう。そっちの方については私からも二人に釘を刺しておくよ。──あ、そうだ。ついでに今ある依頼を簡単にで良いから教えて貰って良い?」


 ……もう諦めましょう。お二人がどっちの話をしているのかが全く分からなくなりました……。

 気付かれないよう遅くゆっくりと溜め息を吐くと、隣の主任さんは近くの空いている席に腰掛けていました。考えるのが面倒になったというのがひしひしと伝わってきます。

 ええ……本当に奇遇ですね、主任。私もたった今、貴方と同じ気持ちになりました……。


…………………………………………。


「で、どういう事だよ。ぶっちゃけ何もわかんねーから最初から説明しろし」


 商工会を出てからしばらくした後、主任さんが前触れも無く社長さんに訊ねました。

 世の中には分からない事が多くありますが、こんな身近に分かりそうで分からない事があると気持ち悪くなるというもの。胸の奥でかえしの付いた棘が中途半端に深く刺さっていてどうしようもないような気分です。引っこ抜こうにも深くてなかなか手を出せず、仮に届いた所でそのまま引き抜く事が出来なくてとてもヤキモキしています。

 その棘を引き抜く術を知っているであろう社長さんは、軽く周囲を見渡して人が疎らなのを確認してから口を開きました。


「どう考えてもキナ臭いよね。あの依頼って。お金を無意味にばら撒いているようにも感じたんじゃないかな?」

「おう」

「ええ。わたくしもそう思いました」


 その言葉にコクリと頷く私達。社長さんは続けます。


「どうやら王国にとってよっぽど知られたくない事があるみたい。依頼を受けて次の日の朝に完了したものとしろって言っているから、国ぐるみの秘密かな、これは? その騎士団所属の人は王国にとって重要人物……もしくは何か重大な秘密があるみたいだね。公に知られたら大問題が発生する類だよ、これ。依頼の内容も解決する気が一切感じられないのは『商工会に犯人探しの依頼をした』って名目が欲しいんだと思う」

「隠蔽工作か何かでしょうか?」

「いや、たぶん『解決した』って言えるようにしたかったんだと思うよ。あくまで予想だけど、その強盗の犯人を名のある冒険者との協力により捜し出して解決した事にして、事件をさっさと風化させたいんだろうね」


 商工会の時と同じように左目を閉じて手を口元に当てる社長さん。どうやらこれは彼女の癖のようですね。

 しかし、彼女の言うようにそうだったとしても、疑問が残ります。なぜ本当の解決をしようとしなかったのか、です。再発させたい理由があるのでしょうか?


「事件を放っておくとか何がしたいんだよそれ。再発させてーのか?」


 どうやら主任さんも私と同じ事を考えたそうです。……思考が似通っているのでしょうか? 先程から私達は近い考えをしているようです。…………こう言うのは失礼ですが、あまり嬉しくはありませんね……。


「かもね。他に強盗事件があったらその時に大きく動いて民衆の視線をそっちに向かせるのも良いし、事件が再発しなかったら出来る限り情報を出さない事で忘れて貰えるからね」

「真っ黒じゃねーか。国ってもんはいつの時代のどこでも腐ってんな。滅べば良いのに」

「国も慈善事業じゃないって事だよ。何かしらの利益があるから行動に移す。それが人ってもの。お金にしろ名誉にしろ自己満足にしろ何にしろ、ね」


 とんでもない事を遠慮無しに言いますね、この主任さんは……。聞く人によっては襲われますよ……?

 幸いにも周囲に人影は居なかったので私たち以外には聞かれていないでしょう。


「……主任さん、あまりそのような事は言わない方が良いと思いますよ」

「へい」

「気をつけるね」


 なんて欠片も信用のできない返事……。絶対に聞き流していますよね、これ……。

 ……………………。そういえば社長さん、なぜ貴女も返事をしたのですか……。きっとそういう事なのでしょうけれども……。

 心の中で盛大に溜め息を吐いて、空を見上げます。傾き始めた太陽はその姿に黄色を滲ませ、家に帰る頃には赤くなっていくでしょう。横に薄く伸びている雲は剣のようで、私の太ももに備え付けてある短剣のように冷たい印象を持たせています。

 ……今日は色々な事があって少々疲れました。牛乳を頂きましたら早めに帰って社長さんの言っていたミルクティーを頂きましょう。


…………………………………………。


 それで、その……なんと言いますか……言葉を失いました。

 ハッキリと言って、今まで私が飲んでいた紅茶はなんだったのか、と言っても良いくらいに美味しい紅茶でした。


「……なんですか、これ。本当に私がいつも飲んでいる紅茶ですか……?」


 思わずポロリとそんな言葉が零れてしまうくらい、牛乳を入れた紅茶が美味しかったのです。


「ん、お気に召さなかった?」

「とんでもありません! むしろ、これからは牛乳を入れなければ飲めそうにないくらいです!」


 僅かに甘味があってコクのあるいつものゼフュロー茶──それに、しばらく温めた牛乳を入れる事で甘さは柔らかくなり、深いコクは主張したまま。いえ、むしろ味の深みは増しているでしょう。口に含むと全体にほんのり甘い味がジワリと広がっていき、喉に通すと鼻へ抜ける香りが幸せな気持ちにさせてくれます。

 初めに茶葉をいつもの二倍にして欲しいと言われた時には耳を疑いましたが、今ならば納得できます。ここまで味わい深い紅茶にするにはあれだけの茶葉が必要です、と。


「良かった。──じゃあ、次はもっと牛乳を入れようか」


 そう言って、飲み干した杯へ先程の二倍ほどの牛乳を入れる社長さん。その後に注いだ紅茶と比べて紅茶が2で牛乳が1といった所でしょうか。

 まるで親が用意した料理に手を付けるかのように何の躊躇いも無く私はそれを口に付けます。そして、また驚きました。味が大きく変わったのです。先程のでも柔らかいと思った甘さは口全体を惚けてしまいそうなくらい優しく包み込み、深いコクは舌の根っこまで染み込むような丸みを持つようになりました。

 声が出せなくなるくらいのこの美味しさは、まさに天上の味と言っても差し支えないでしょう。──いえ、ここだけ天国が降りてきたと言われても信じるくらいです。

 ……本当、こんな事になるだなんて思ってもいませんでした。どんなに美味しくても次からは牛乳を入れるのを選択肢に入れるかどうか程度だろうと思っていたからです。断言できます。私はこの先、紅茶に牛乳を入れなければ満足出来ないでしょう。


「うん。どうやらローゼリアはミルクティーが気に入ったみたいだね」

「ええ……。こんなに美味しい紅茶……いえ、ここまで美味しいモノは初めて口にしました」


 今まで食べたどの料理よりも、どの飲み物よりも圧倒的に優れ、更には心すら満たしてくれるモノがこの世に存在するとは……。

 今ならば空をも飛べてしまいそうです。


「俺はそのまんまのが良いな……」

「あ、やっぱり主任って複雑な味よりも真っ直ぐな味の方が好きなんだ?」

「おう」


 どうやら主任さんはこのミルクティーよりも普通の紅茶の方がお好きなようです。……俄かには信じられませんが、確かに人の好みはそれぞれですからね。

 否定してしまいたい気持ちをグッと堪え、納得させます。何も一つが正解という訳ではないのですから。

 ……ところで、社長さんはどちらの方が好きなのでしょうか? そう聞いてみた所、気分で変わるからどちらかを選ぶ事はできない、と答えられました。どうやら集中したい時はそのままで、のんびりしたい時はミルクティーが良いそうです。

 ……なんでしょうか。上手く逃げられたような気がします。


「それで……これからの問題について、良いかな」


 唐突に──本当に唐突に社長さんは話を変えました。

 途端に空気が変わったのが分かります。だらだらと紅茶を啜っていた主任さんでさえ顔付きが僅かに変わりました。

 私達の雰囲気を読んだのか、社長さんは語り始めました。


「問題点は二つ。重要な方から言うね。──次の依頼をどうするか話そう」

「さっき金入ったやん……」

「主任にも分かりやすく言うなら、何も無い状態から30万円でどう生活する?」

「装備整えて山に篭もって暮らす」

「……………………」

「可哀想なモノを見る顔やめぇーや。……おいローゼリアお前もか!!」


 社長さんと同じく言葉を失っていた所、主任さんが半分キレた様子で私達を見ました。

 そりゃそんな顔にもなりますって……。なんでそんな発想になるんですか……。


「……まあとりあえず、お金は結構必要な状況なの。今の私達は護身用の武器すら無いんだからね? だからなるべく先立つものは必要って訳」

「素人が武器持った所で大して……」

「無いのと有るのとじゃまた別でしょ。せめて短剣の一つでも持っておくべきだよ」

「短剣で戦えるのなんて漫画やゲームだけの話やぞ。実際だとよっぽどの事でもない限りヤクザ蹴りした方が万倍良いぞ」

「私の体格でそれ言える?」

「モヤシめ」


 モヤシ、と言われた社長さん。……いえ、細身ではありますが言うほどモヤシでしょうか?

 確かに身体は細いですし腕と足も同じくほっそりとしており、見ていて少し羨ましく思うくらいです。……確かに豊かでなくて憐れに思う部分もありますが。女の子ならばこれくらいは普通の範囲ではないでしょうか?

 結局、武器の話はなあなあで終わってしまい、生活必需品の話や食糧の話になっていきました。

 ちなみに家は平均的な物でも金貨500枚は必要と言うと、あっさり諦めていました。まあ……私もこの家を手に入れるのに結構な時間が掛かりましたから諦めるのも当然でしょう。

 必要なお金を算出し、私達の戦力を考え、そこから商工会で聞いてきた依頼を照らし合わせると一つのある依頼が一番良いというのが分かりました。


「畑を荒らす動物の駆除、ねぇ……」


 詳しい事は聞いていないのですが、どうやらハーメラの領内にある畑が少し大きな規模で荒らされるという事件が起きているらしいです。既に何人かの冒険者が依頼の完遂を諦めているという話だそうで、報酬は銀貨50枚と高め。社長さん曰く、農家の人と繋がりが出来れば食料を安く譲ってくれる可能性も見込めるとの事。駆除だけでこの報酬ならば美味しい依頼でしょう。

 ですが気がかりな事もあります。なぜ、何人かの冒険者が諦めているのでしょうか? ……まあ、そこはオルトンさんに聞けば分かる事でしょう。

 明日の予定も決まりましたので、少々早いですが今日はここまでのようですし、さっさと寝てしまいましょう。

 ……………………。……んん? ちょっと待って下さい?


「……お二人は宿を決めていましたでしょうか?」


 あ。という顔になる主任さんと、一瞬だけ顔を硬直させる社長さん。……ええ。今日一日ずっと私と一緒に居ましたが、宿を決めている姿を見ていませんね。

 スッと社長さんが立ち上がり、外へ向かおうとします。


「今から探すのですか?」

「そうだよ。報酬も入ったしある程度の宿なら見付かると思うから行ってくる。もう一つの問題がそれだったんだけど、どこか良さそうな宿ってある?」

「……少し、難しいかもしれませんね。今日は聖女様が戻って来られる日でしたので、この辺りの宿は一杯になっていると思いますよ」


 ハーメラ王国の東部都市ユーロスに遠征していたグローリア様が今日戻ってこられるというのは盗賊団に潜入していた私の耳にも入っています。それに合わせ、多くの人がこの中央都市に足を運んでいる事でしょう。明日になって疲れを取った聖女様が外に出る頃になれば、街も賑わってくるはずです。その為に旅の商人や信仰深い信徒がそこら中の宿へ集中しているはずです。いえ、むしろ空いていたら奇跡に近いでしょうね。


「それでも空いている可能性はあるから行くよ。もし空いていなかったら……主任、その時は野宿の方法教えてね」

「野宿か……久々やな……」


 しみじみといった雰囲気を出す主任さんと、紅茶のお礼を一言だけ言ってさっさと外へ行こうとする社長さん。その姿を見て、私は呼び止めました。


「使っていない部屋がありますので、そちらでよろしければ使いますか?」


 ピタリ、と動きを止める社長さん。扉に掛けていた手を下ろし、くるりと振り向くと、彼女は真剣な顔をしていました。


「良いの?」


 ──良いの?

 たったの三文字ですが、何を言わんとしているか分かります。きっと『ローゼリアは本当にそれで良いの?』という意味でしょう。今日会ったばかりの私達を信じられるのか、という意味も含まれているかもしれません。

 ですが、それを踏まえた上で言えます。


「はい。わたくしは問題ありませんよ」


 と。

 私の部屋に入っても物盗りのような素振りは見せませんでしたし、むしろ私にミルクティーを教えて下さいました。まだ見えない部分は多々ありますが、悪い人達ではないというのは分かります。なので、私は問題ありません。

 ふむ、と少しだけ考える社長さん。主任さんは……ジッと社長さんを見ています。社長さんに判断を委ねているのでしょう。

 考えが纏まったのか、社長さんはニッコリと笑って言いました。


「じゃあ、お願いね。ローゼリア」

「はい。明日も美味しいミルクティーをお願いしますね、社長さん」


 今日、二度目の『お願い』のやりとり。そのやりとりがなんだかくすぐったくて、ついつい微笑みを浮かべてしまいます。

 残ったミルクティーを一口だけ口に運び、お二人を部屋へと案内しました。暇な時に掃除だけはしていたので埃はあまりありませんでしたが、同時に物が何も無いので雑魚寝となってしまうのはどうしようもありませんでした。

 それでもお二人にとっては充分らしく、何も無い床で寝る事にしたようです。


「──おやすみなさいませ」

「おやすみ」

「うん、おやすみ二人とも」


 こうして、私達の初めの一日は終わりを告げました。

 ──翌日、私達は驚く事となるでしょう。あの依頼からあんな事になるだなんて、誰が予想できるでしょうか。

 そんな事が起きるとは露ほども思っていない私は、ミルクティーの味に満足したまま眠りにつきました──。


……………………

…………

……

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