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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
41/41

様々な無力感

 ──結論から言おう。社長が信者を連れて帰ってきた。何を言ってるのか分かんねーかと思うが、俺も訳が分からん。

 なんか知らんが尊敬の眼差しを送られているし、信頼すらしていそうである。訳が分からん。

 お前ら剣士と魔術師だったはずだろ、なぜ信者にジョブチェンジしていやがる? 訳分からん。ジェイドもなんか知らんが『上手くいった』と満足気にしていやがる。もう訳分からん。


「……報酬はもう貰っているはずだけれど?」

「それは個人的な報酬。貴女も言ってたでしょ? 今後とも一緒に仕事をしてくれる為の布石、よ。良い物も体験させて貰ったし、何より命を助けて貰ったし。……か、感謝しているわ」

「まあ……まさかあんなモノがあるとは思っていなかったよ」

「心臓に悪かったです……」

「アリシアちゃん、あの時は本当にありがとね。社長もそうだけど、貴女にも大きく助けられたわ」

「うん。僕達はとても良い人達と巡り会えたよ」

「……出来ればそういう個人的な報酬は私の前でやらないで貰えるかしら? 一応依頼主よ私?」


 追加で分からん事が増えた。社長だけじゃなくアリシアにもなんか信頼を寄せてねーかこの二人? 一体何があったのやら……。

 まあ良いか。どうせ俺じゃ分かんねー事なんだろ。


「では、何があったのかのお話を聞かせて貰っても良いでしょうか?」


 俺が興味を失いかけていた所でロゼがそんな事を言ってくる。正直に言うとそこまで興味が沸かねーんだよなぁ……。どうせ社長がまた何かやらかしたんだろ。コイツはそういう奴だし。


(──そう。俺と違って)


 心の奥底でそんな言葉が滲み出てきやがる。アイツは何でも出来て、俺は何も出来やしない。俺は何も結果を残せないってのに、アイツは容易くそれを生み出す。世の中の理不尽の一つである、才能の違い。俺はまた、それを見せ付けられていた。

 俺がやった事を簡単に追い抜き、俺がやっている事よりも上手くこなし、俺が諦めた事を難なくやり遂げる。だっていうのに当の本人はそれを認めない。何が見えているのか知らんが、アイツは自分を過小評価しかしねぇ。それが嫌味に聞こえて、俺はアイツと勝負するのを辞めちまったんだっけか。

 ……ああ、ダメだこれ。ダウナーになっちまうやつだ。ここ最近こういう事は無かったんだがなぁ……。


「じゃあ俺は外でフケてるわ」


 それだけ言って俺は席を立つ。後ろでリリィが声を掛けてきているが知った事じゃねー。俺は今機嫌が悪いんだよ。

 外に足を運び、遠くの空を見る。タバコでも吸うか、と思って無意識にポケットに手を突っ込んだが有る訳ない。チクショウ。元の世界が恋しい。いやタバコが恋しい。ヤニをくれ。

 ……それにしても、空は広いな。俺達の部屋と大違いだ。最初と違ってベッドだけで三つもありやがるし、作業台二つに加えて魔術用の机や棚なんて物もある。実質、社長専用となっている魔術用の机は乱雑に本やら資料やらが置かれているが、本人曰く『作業途中で置いておく事でどこまで進めたのかが一発で分かる』から、わざとこうしているとかなんとか。俺には分かんねー話である。俺は頭が悪いんだ。ついでにタバコがないのも分かんねー。あれ全世界共通で愛されてるブツやぞ? 誰かはよ発明しろや。


(……そういや、なんで『ダウナー』なんだっけか)


 空を眺めて心の中で愚痴りながらそんな事を思う。ダウナーっていうのは確か、俺と社長にしか通じない言葉だったっけか。向こうの世界でもそんな単語を聞いた事はねーが、俺が知らないってだけなのかもしれん。

 ダウナー──それは、俺のこの鬱な状態の事を指している言葉。俺の気分が汚泥に沈んでいるかのようなこの感覚の時、使っていた言葉だ。……ああ、ちょっとだけ思い出したぞ。これって確か社長が言い出した言葉なんだっけか。俺はなんとなくでそれを使ってきたが、一体どんな意味が込められているのやら。

 あっちの世界ならテキトーにググればそれっぽい答えが出てきたんだろうが、こっちじゃそうもいかねー。……不便なものである。ネットって偉大だなぁオイ。


「ねー主任」

「──うおぁ!?」


 突然、耳障りな声が近くで聴こえてきたもんで身体が飛び跳ねる。

 不機嫌さマックスとなった俺。それを見ても知ったこっちゃねーって感じに天然な感じを出してくるアホ淫魔がそこに居た。……全っ然気付かなかったぞ。いつ来たんだお前。


「何か嫌な事でもあったの?」


 そんで、リリィがそんな事を言ったもんだから瞬間的にコイツの考えてる事が理解できた。要は俺がいつも以上におかしい事になってたもんで様子を見に来たって所だろうよ。


「なんでもねーです」


 それが目障りだからそう答える。俺の領域に土足でズカズカと入ってこようとするんじゃねえよ。社長かお前は。

 ああ、そうだな。そう言えばアイツもそうである。平気で俺の領域に入ってきやがって、好き勝手言ってきやがる。うぜえ事この上ないんだが、あからさまに真剣に俺の事を考えてくるもんだから蔑ろにも出来やしなかったっけか。

 ……思ってみりゃ最近はそういう事がほとんどねーな。まあ、良いんですけど。


「……ふーん?」


 リリィは少しだけ目を細めて意味深な声を出しやがる。嫌な予感しかしねー……。


「アンタも苦労してるのねぇ」


 ほら見た事か。分かったような口でそんなブッ刺さる事を言ってきやがった。あんまりにもイラっとくる言葉だったもんで、文句の一つでも言ってやろうかと思ったんだが──出来なかった。正確に言うと、言葉が詰まった。似ていたからだ。何がって、リリィの雰囲気が社長に、だ。

 俺は社長に勝てねー。口でもそうだが、何よりも纏ってる雰囲気で勝てねーんだ。アイツはいつでも真面目で、真剣で、そしてとびっきり俺の心を抉ってくる言葉をブチかましてきやがる。こんな捻くれて捻じ曲がった俺に対して、真っ直ぐ純粋にぶつかってこようとしやがる。だから勝てないんだ。

 その社長の雰囲気と、似たような感じのをリリィが纏っていた。同情しているようには見えない。真っ直ぐ、真剣に、俺の事を見てくる瞳がそこにあった。

 違いは一つだけ。そこから先の言葉が無いって事だ。社長はここから言葉の暴力で俺の精神を叩きに叩きまくってくる。……いや、流石に言葉が悪過ぎるか。真正面からぶつかってくるって感じだ。俺みたいな頭悪い奴でも分かるくらい俺をなんとかしようとしてくるんだ。アイツは口先の魔術師だからな。俺はそれで毎回毎回言葉でぶん殴られて弱るが、なぜかその後すぐに立ち直れていた。たぶん、俺が求めている言葉を言ってくるからだろう。

 だから、何よりもリリィにムカついた。言葉でぶん殴ってこいよ。そうすりゃ俺はまたすぐに元の俺になれるんだよ。何やってんだ、あくしろよ。

 そうは思っても、コイツにそれを求めても無駄なもんである。それもそうだ。コイツが社長ほど口も頭も回る訳ねーんだから。


「おいリリィ」

「なにー?」


 ……なんか勝手に呼んじまった。何も考えてねーんですけど。……いや、呼びたくなるような状態って事かこれ。ふざけてんなオイ。


「お前ちょっとこっち来い」

「えー? まだお日様は高いし、そもそもお外なんだけどー?」

「ちげえよボケ! 影ん中に入ってろって言ってんだ」


 本当にふざけてやがる。俺が寂しいって思うだなんてよ。……あの剣士と魔術師の事を信者とか言ったが、俺も大概なもんだ。アイツの影響力がデカ過ぎる。


「ん? まあ、良いけど? じゃあ夜になったら夜這いを掛けるから、その時はよろしくぅ!」


 そう言ってリリィは俺の影へと入っていた。影に入られたからって何かがある訳じゃねー。ただ、近くに誰かが居るって思える。それだけで充分だ。

 俺は頭をバリバリと掻いて目を閉じる。……本当、碌な日じゃねえや。



…………………………………………



 ──今回は珍しく他の方と同伴の依頼。シャロンで王子様を護衛した時以来でしょうか。あの時と同じように馬に乗って移動していて、今は休憩の為に木陰で涼んでいるところです。お日様は嫌いではありませんが、やっぱり直射日光はあまり好きではありません。

 馬に水をあげながら、私は周囲を見渡します。王子様の護衛の時とは違い、私達はハーメラの北西側へと進んでいるです。なんでも、以前に魔族が陣地を作ろうとしていた場所に奇妙な物が残っているという噂があるらしい、とか。……確か、聖堂騎士団の団長さんがレックスを斬った時に話に出てきた陣地の事ですね。

 ニムエさんとペレアスさんはそれの調査と可能ならば回収、そして崩された陣地の様子を報告する事がお仕事のようです。場所が場所なだけに危険性もあるので2等級3本線であるお二人にジェイドさんから声が掛かったようです。

 ですが、私はそれを聞いて分からない所がありました。


「……等級? 線?」

「ええ。冒険者の指標よ。……もしかしてコレ知らない?」


 同じく馬に水をあげているニムエさんは言います。冒険者には等級と線がある、と。それと同時にニムエさんは商工会の会員証である金属板の裏面に刻まれた光のような模様と、三本の線を見せてくれました。

 私は冒険者について詳しく知らないのでコクコクと頷くと、ニムエさんは説明をしてくれました。


「簡単に言うと等級は商工会からの信頼の強さ、線は国が認めた戦力を表しているの。入りたての冒険者は7等級から始まって、依頼をどれだけ数をこなしてどれだけ成功させてきたかによって1等級まで上がるわ。3等級までなら実力もあって頑張っていれば、いつかなれるわね」

「では、3等級より上はどうすればなれるのですか?」

「それは難しい依頼をこなし続けたりとかね。もっと簡単に言えば、微笑みのロゼ並になっていけば1等級に近付くって感じかしら。……うん、あれはもはや別格だけどね」


 アハハ、と苦笑いで流す私。……話には聞いていたですけれど、やはりローゼリアさんは規格外なお方のようです。

 それと同時に思います。実力のある人が頑張って到達できるのが3等級ならば、2等級であるお二人の実力は勿論、とても頑張ったのでしょう、と。


「ま、これは所属している商工会からの信頼って意味だから、自分の所属している商工会自体に信頼がないと意味の無いものね。そもそも等級制度を取り入れていない商工会もあるもの。あくまで目安よ」

「でしたら、オルトンさんの商工会は大丈夫なのですね?」

「うん! なんだかんだハーメラで一番大きい商工会だからね。──次に線。これは国に申請して王国騎士団の人に模擬戦で勝てたら特別な魔術で光る線が彫られるの。相手は兵卒、兵長、隊長、副団長、団長で、強いほど線が増えるわね」


 そう教えて下さったので、3本線であるニムエさんは王国騎士団の隊長さんより強いというのが分かりました。……問題があるのならば、私は王国騎士団の皆さんがどれだけ強いのかを知らないという事でしょうか。

 そんな考えがニムエさんにも伝わったのか、ニムエさんは少し考えながら話し始めました。


「そうねぇ……兵卒は置いておくとして、兵長は何年も死なずに努力を続けないとなれないでしょうし、隊長にもなると数々の戦場で功績を挙げてる感じかしら? あと、頭も良い。そうじゃないと現場の指揮をできないから、一対一の状況下でも一筋縄じゃいかないわね」

「……お二人はとても凄い人なのですね」

「あっいや! そういう自慢話じゃないわよ!? ペレアスもアタシも3本線の試験は結構ギリギリだったし! 2等級になれたのもきっとオルトンが真面目だからって理由で上げたものだろうし!」


 急にワタワタと慌てだすニムエさん。社長とはまた別の冷静な印象があったのですが、褒めると動揺する辺り少し幼げな所もあるのですね。

 ……もしかして私とあまり歳が変わらなかったりするのでしょうか、と思って訊いてみた所、どうやら私の一つ上らしいです。お姉さんでした。


「まあ……本当に凄いのは社長よ」

「社長、ですか?」


 一息吐いて冷静さを取り戻したニムエさんは、唐突に社長の方が凄いと評価したです。確かに社長は色々と凄いお方だと思うですが、ニムエさんも凄い事に変わらないと思うのですけれど……。


「商工会に入って間もないっていうのに、もう2等級。というか1等級並の扱いを受けてる。線こそ入っていないけど、それは申請していないからなだけでしょうね。一人で一個中隊を消し炭に出来るルーファスに認められているんだから4本線は固い。むしろ微笑みのロゼが信頼を置いているんでしょ? なら、少なくとも微笑みのロゼと同等……って事じゃないの」


 チラリ、とニムエさんは視線を社長へ移動させます。鍛冶屋の店主さん──スミスさん──から新しく借り受けたカタナを右手に、遠くをジッと見て警戒をしてくれています。

 こちらの視線に気付いたのか、社長も私達へ視線を向けましたので手を振ります。すると、同じように手を振り返してまた遠くへ目を向けました。


「あと、見た事の無い剣を持ってる。鞘に入ってるから詳しくは分からないけど、たぶんアタシ達が初めて会った時の『カタナ』って剣でしょ? ……正直、あの一振りが怖かったのよ」

「えっと……怖かった、ですか?」


 意外な言葉に聞き返します。確かに綺麗に斬ったと思いましたが、私は怖いとは思わなかったからです。


「アタシも剣士だもの。見れば分かる事も多いのに、あれは分からない事ばっかりだったのよ。力は入っているように見えなかった。振っている速さも見えない程じゃない。なのにあんな斬れ方しているし、アレで酷い剣だって言うのよ? つまり、そんなのでも斬れる技術があるって事。試し斬りだからってのもあるけど、魔術も無しで軽くやってあんな風にするのは……アタシじゃちょっと無理」

「ええっと……それなら主任さんもですか?」

「……主任?」


 正直に言うと、社長よりも主任さんの方が綺麗な振り方をしているとあの時思ったです。なので主任さんも凄い剣士さんなのかと思って聞いたのですが……どうやら主任さんが誰の事なのか分かっていないようでした。社長の後で剣を振った人、と伝えるとニムエさんは思い出したようです。


「確かにアレも見た事が無い型だったけど、不慣れなのはすぐ分かったわ。たぶん、木剣か短剣しか触った事がないのでしょうね。教本通りの振り方って言えば良いかしら。社長の殺しの剣とは違うわ」

「殺しの……剣……」

「…………えっ!? あれっ、え、ぁ……あぁー……」


 頭を抱え、やってしまったという表情を浮かべるニムエさん。……なんとなくですが分かるです。私は今、落ち込んだ顔をしているのでしょう。殺しの剣……そう聞けば、私が真っ先に思い浮かぶのがお父さんとお母さんです。二人は剣で殺されました。……それも、憎しみの籠った剣で。それと同じように、人を殺す為に社長が剣を振るっているように言われるのは……あまり嬉しくなかったです。


「ご、ごめんなさい……。 その……微笑みのロゼと組んでいる事だし……大事にされてるとはいえ首のソレがあるっていうのもあって、知ってるものかと……」


 元暗殺者であるローゼリアさん、そして奴隷の首輪……更に、私自身に掛けられている噂。これだけあれば、その手の話に慣れていると思われても仕方がないでしょう。何せ、暗い方への要素があり過ぎているです。……私自身も、暗い存在です。ですが──


「──大丈夫です。いつか、乗り越えないといけない事ですから」


 ──私には、それでも大切にしてくれる人達が居ます。


「まだ、完全には呑み込めていないです。それでも少しずつ前向きになれている……と最近は思えるようになってきました。だから、もう少しだけ時間を掛けたら大丈夫になるです」


 なので気にしないで下さい。ごめんなさい──そう言うと、ニムエさんの顔に変化が現れました。……凄いです。喜びと後悔と愛でようとする衝動に駆られた感情が混ざり合ったかのような顔です。

 思わず目がパチクリしてしまいます。その瞬間に、なぜか頭を撫でられながら抱き締められました。


「良い子……! なんて良い子なの……! 奴隷なのにこんな良い子ならそりゃ大事にされるわね……!」

「あ、いえ、これは奴隷のままでいさせて下さいと私がお願いしたですから……」

「!? ……ちょっと詳しく聞いても大丈夫?」


 それから少しだけ私の事情をお話ししました。奴隷に堕ちた事と社長に助けられた事、社長の為に尽くしたい事、そして社長の奴隷の扱い方、です。


「うん、絶対に名前だけの奴隷ね」

「やっぱりですよね……」


 そして、やはりそう言われたです。たぶん私が一番それを思っているです。

 と、その時です。社長が私達に声を掛けました。どうやらそろそろ出発するらしいです。

 私達は荷物の確認をし、社長は少し離れた場所で読書をしているペレアスさんを呼びに行きました。


「アリシアちゃん!」

「わっ、どうしたですか?」


 言うが早いか、ニムエさんは私をさっきみたいに抱き締めてきたです。


「困った事があったらいつでもお姉ちゃんに相談に来なさいね。アリシアちゃんならいつでも歓迎するわ」

「は、はい……ありがとです」


 ……なぜだか分かりませんが、どうやらニムエさんの庇護欲に触れたようです。というよりも、いつの間にお姉ちゃんになったですか? いえ、確かに一つお姉さんですけれど。出発する時も私を一緒に乗せようとする程です。社長がペレアスさんと一緒の馬に乗る事になると言ったらすぐに撤回しましたけれど……私はニムエさんに気に入られた理由が分からなく、目的の場所に着くまでずっと悩んでいました。

 空に掛かる雲が多くなってきてるです。雨は降らないでしょうけれど、なんだか嫌な雲ですね。




…………………………………………




「これは……思った以上かもしれないね」

「……ふむ」


 雲も空を覆い尽くしてお日様がかくれんぼをした頃、私達は目的の場所……らしき陣地の跡地(廃墟?)に着きました。積み上げられた石。立てられた木の板や櫓のような残骸。崩れ落ちた小屋──。明らかに使える状態ではありませんが、ここに陣地を作ろうとしていたというのは確かなのでしょう。社長なんてなぜか感心するような目をしているです。

 中央の西側というのもあるのでしょうが、なんとなく私が前に住んでいた場所の近くのような感じがするです。空気というか雰囲気というか、懐かしさすら覚える何かがありました。……この残骸を見て、かつての家を思い出したとは別に、です。

 ──ふと、視線を感じたような気がしました。けど、その方向を見ても何もありません。……気のせいですかね? ほんの一瞬でしたし。


「これ、ホントに有用な何かなんてあるのかしら? ある意味で予想通りだけど、何もかも壊れているじゃないの」

「……僕もジェイドさんの間違いか何かかと思ってきたよ。そもそも聖堂騎士団が見逃すはずがないと思う」


 お二人はどうしたものかと頭を悩ませています。なんでもジェイドさん曰く『行けば分かる』と言っていたそうな。……少なくとも私は来ても分からないのですけれど。

 社長も少し困っているのか、唇に軽く握った手を当てて考え事をしているです。……どうしましょうか、これ。

 とりあえず立っているままでは話が進まないので、私達は行動に移す事にしました。左側から大雑把に見て、それでも見つからなかったら細かく見ていこう、という流れです。


「ジェイドはこういう依頼をする事があるの?」


 作業を始めた時、社長はお二人へ訊ねます。それは私も少し気になった事でもありました。こんな無意味のような依頼をするとはとても思えなかったからです。


「そういうのは聞いた事が無いかな。僕達もジェイドの関わっている仕事をした事はあまりないけど、聞いている限りあの人の関わっている仕事でここまで不明瞭なのは知らないよ」

「ふむ……」


 左目を閉じ、考える社長。深く考えているその姿を見ながら私は社長の言葉を待ちました。そして数秒後、社長は口を開きます。


「まず、なぜジェイドが二人に依頼を出した、か」

「……確かにそうよね。ジェイドは2等級3本線であるアタシ達だからと言っていたけど、そんな人なら他にも居るもの」


 足場もそうですが曇っていて少し見通しも悪いこの場所。足元を確認しつつ進むニムエさん達は社長の言葉に反応します。


「僕達じゃないといけなかった理由、か……。パッとは思いつかないな……。僕もニムエも特別な何かなんて無い普通の冒険者だしね」

「それなら、どういう状況で依頼を受ける流れになったのかを聞いても良い?」


 二人は足を止め、思い出すようにしてその時の状況を教えてくれました。

 まず、商工会を通じて今回の依頼が入ったので直接ジェイドさんと対面。詳細と言える詳細も特に無く、この場所に行って現状の報告をして欲しい、と一言で言える内容だったようです。その点は私達も聞いていたのですが、どうやらニムエさん達は断るつもりだったようでした。仮にも魔族が拠点にしようとした場所。そんな所をたった二人で行くなんて危険すぎるからだそうです。

 しかし、それでも依頼を受ける事となりました。


「報酬の上乗せ、三分の一の前払い、そして追加の人員として社長への依頼。そこまでするのは何か確信を持っていないと出来ないわ」


 確かにそうでしょう。むしろ、何が何でも依頼を受けて貰いたいという意思さえ感じるです。それならば、ここには一体何があるのでしょうか?

 ──と、そこで奇妙な感覚に囚われました。なぜか空気がピリッとしているです。正確に言うと、ピリッとした空気が右頬を撫でているような、そんな感覚。右頬を触ってみてもその感覚は指先に移るだけで、そのピリピリ自体は無くなってくれません。……嫌な感覚ですが、これは何なのでしょうか?


「アリシア、どうしたの?」


 そんな私を不思議に思ったのか、社長が声を掛けてきます。いつもならばジッと見られると自然と笑みが零れてくるのですが、今日ばかりはそうもなりません。


「なんだか、肌がピリピリするです」

「うん?」


 未だにピリピリとしている肌。今度は背中です。そこになって気付きました。もしかしなくても……これって、そこの崩れた小屋から感じているですか?

 後ろを見てみます。すると、ピリピリの空気はゆっくりと消えていきました。


「そこに何かあるの?」


 その動きだけで社長は察して下さったのか、私の言わんとしている事を汲み取ってくれます。

 流石にそんな事をしていたからか、ニムエさんとペレアスさんも話に入ってきました。


「どうかしたの?」

「そこの小屋が何か?」


 同じくお二人も小屋の方へ目を向けますが、しばらく見てから首を傾げています。……私の気のせいでしょうか。


「……アリシア」

「? はい」

「そのピリピリって、具体的に言うとどんな感じだった?」

「具体的に…………えっと、嫌な感じでした。なんとなくなのですが……鋭い? ような物を向けられているような、そんな怖い感覚に近い……でしょうか」


 自分でもよく分からないこの感覚。それをなんとか言葉に変えて社長に伝えます。

 それを聞いた社長は、まるで睨むように小屋へ視線を向けています。冷え切った氷のように、乾いた冷たい目。光を失ったその瞳には、この小屋がどんな風に見えているのでしょうか。

 と、そこで社長は腰に手を伸ばします。装備していた銃を取り出し、同じく腰に備えている小物入れから弾を一つ摘まみました。

 それを銃に入れて、社長は言います。


「さて、このまま四人一緒になって探索するとしよう」

「え? あ、ああ」

「んん……?」


 酷く違和感のある言葉でした。さっきまでの下りなんて、まるで無かったかのような言葉。ニムエさんとペレアスさんはちょっとだけ困惑しているくらいです。

 そんな二人を尻目に、私は気を引き締めます。理由はとても簡単です。あの時と同じだったからです。私を奴隷として連れて行かれそうになったあの時──社長がその三人に近付いていった時と、同じだからです。

 きっと、あの時と同じように怖い事が起きるのでしょう。そして、それを敢えて言わなかったのにも理由があるはずです。どんな理由かまでは分かりませんが、社長が言わないという事は言うべき時じゃないからのはずです。ならば私はそれに合わせるべきでしょう。

 社長が歩き始め、さっきのピリピリとは逆方向へ向かっています。倒壊した櫓がそこにあり、それを調べるようです。

 ……さっきのピリピリが、またムクリと起き上がってきました。本当、これって何なのですか?


「ん、これは……」

「箱ね。しかも開いていないわ。開けるから少し待ってて」


 少し漁ってみると、すぐに箱が出てきました。それをニムエさんは針金を取り出して鍵穴に差し込んで何やら弄っているようでした。


「アリシア、さっきのピリピリが近くに来たら手を握って教えて」


 それを見ていた時です。社長が小声で、しかも私の方を向かずに言ってきました。それと同時に私の手を優しく握ってきています。

 私は社長を一瞥し、それからまた視線を戻します。けれど、意識は前ではなく後ろ。ピリピリはゆっくりと移動しているようで、様子を窺うかのように左後ろへと位置が変わっているです。


「ん……砂でも詰まっているのかしら……なかなか開かないわね」

「時間が掛かるかもしれないけど、ジェイドさんの言っていた物がこれかもしれないから開くまで待っていよう」


 そこで私は気付きました。社長の言っている意味をしっかりと理解しました。このピリピリ……この正体は、視線です。それも、敵意を持った。つまり、私達に敵意を持った人がここに隠れているという事です。

 途端に心臓がドクンと大きく震えました。怖いという感情が、身体を強張らせていっています。

 それに社長は気付いたのか、少しだけ握る力を強くしてくれました。思わず握り返したくなりましたが、それは出来ません。手を握る時はピリピリが近付いた時。社長の指示を守らなくては……。

 逸る気持ちをなんとか抑え、私はそのピリピリに集中します。それは音を立てず、ジワリジワリと近付いているのが分かります。まだ距離はそこまで近くありません。ですが、私達へ近付いているのは確実です。


「ちょっと……! これ石も詰まっていない? 変な引っ掛かり方してるんだけど」

「むしろ壊した方が良いのかな。どうする?」

「んー……もうちょっとだけ頑張ってみる。中身が壊れたりしたら困るし」


 不思議で堪りません。こんなにも嫌なピリピリなのに、ニムエさんとペレアスさんは一切気付いていないようです。真後ろから怖い何かが近付いているというのに、どうしてお二人は気付かないのですか……?

 ジリジリと時間を掛けて近付いて来るピリピリ。それが、かなり近付いた時です。私は我慢が出来なくなって社長の手を握りました。その瞬間、社長が動きます。空いている手で銃を取り、真後ろへと向けたのです──!


「誰? 私達に何の用?」

「なっ!?」


 知らない男の人の声が聞こえてきました。ニムエさんとペレアスさんは驚いた顔をして振り向いています。怖くて一呼吸遅れた私も振り向き──


「え……」


 ──男の人を見て頭が真っ白になりました。

 知らない男の人です。見た事もありません。ですが、よく知っている物がありました。


「なん、で……」


 剣。私のよく知っている、お父さんの剣を握っていたのです。その剣は、焼け落ちた家の傍……お父さんのお墓の前に置いてきた物です。見間違えなんて事はありません。だって……柄の部分にはお母さんが施した装飾が付いていたから。


「お父さんの、剣……」


 ポツリと呟いた、ほとんど零れ落ちたかのような言葉。それを言った瞬間、社長から轟音が鳴り響きました。その独特で強烈な音を聞き間違えるなんて事はありません。社長は唐突に銃を撃ったのです。

 弾は男の人の頬を掠めたのか、頬から赤い一筋の血を流していました。それと同時に表情が変わっていっています。まるで、お腹を空かせた巨獣にでも捕捉されたかのような、絶望の顔。


「不可視の魔術……!」

「これが、社長の……」


 後ろからお二人の驚いている声が聴こえますが、あまり頭に入ってきません。今の私が把握できているのは、社長と男の人の様子……そして、お父さんの剣だけです。


「もう一度聞くよ。私達に何の用?」


 社長は銃を突き付けたまま再度質問をしました。少しだけ低くした社長の声が、この場を支配しています。冷たい視線を突き刺している社長を見て、男の人は剣の切っ先を下ろしました。……諦めてくれたのですかね。


「ジェ、ジェイドから言われたんだ! お前達を殺せば金を払うって!」

「なっ──!?」

「そ、そんな事、ある訳ないでしょ!?」


 意外な人の名前が出てきて、私は呆けてしまいました。ニムエさんとペレアスさんに至っては動揺すらしています。

 ジェイドさん──。それは、ニムエさんとペレアスさんに今回の仕事を依頼した人であり、私達をこのお仕事に追加した人でもあります。その人が、私達を殺すように言った……? 一体、どういう事ですか?


「詳しく話しなさい」


 そんな中、社長だけが全く動じず凍り付かせるような目で男の人を見ていました。


「一部始終。何もかも。貴方の知っている真実の情報を吐きなさい。そうすれば見逃してあげる。……ただし、その情報が嘘だと分かった時は……分かっているよね?」


 ゆったりとした話し方。けれども、低くて冷たい言い方。怖い社長の姿がそこにありました。

 ……正直に言って、この時の社長は苦手です。簡単に人を殺してしまいそうで、当たり前のように人を傷つけてしまいそうだからです。しかも、それを本当にやってしまいます。脅しなどではなく言った事をそのまま実行し、その視線で場を凍り付かせてしまうです。そんな怖い社長。怖いのに縋ってしまう私も変なのでしょう。

 社長は本気でやる──というのを男の人は感じたのか、恐怖で視線を彼方此方へ泳がせながら話しだしました。


「こ、ここにお前達が来るって話をされて、お前達を殺したら報酬が貰えるって話なんだ!」

「それはいつ依頼されたの?」

「え、その……き、昨日だ」

「なるほど。私達が依頼を受けた日と合致する」


 え? と思った瞬間には社長に抱き寄せられました。その行動がよく分からず、私は社長の横顔を眺めます。表情は何も変わっておらず冷え切った氷のまま。何を考えているのか想像させない、無機質なものです。

 だからこそ、私はそれに強烈な違和感を覚えたです。男の人が言うには依頼を受けたのがつい昨日。ですが私達は三日前に依頼を受けています。社長と私の都合と入念な準備が必要という事で少し時間が掛かったからです。ジェイドさんも今回の依頼に一週間は想定していると言っていました。だから、合致するという言葉が違和感でしかありません。

 本当に殺しの依頼をするのであれば私達の後を追わせるでしょうし、三日前に依頼した相手を昨日になって殺そうとするなんて変です。依頼が終わってしまっていたら意味がありません。


「あのジェイドの事だから相当な事を言われたはず。どんな売り文句で貴方をやる気にさせたの? 私達が以前に仕事でヘマをした事に対する落とし前……とか?」

「あ、ああ……。そんな事をジェイドは言っていた、な」

「やっぱりね。荷物を直接依頼人に渡してしまったって話かな?」

「そう、だったな……。ああ、言っていた」

「ふむ……なるほどね。ジェイドも口が軽い……。それにしても、よくこの依頼を受ける気になったね? よっぽど金払いでも良かったの?」


 ますます大きくなる違和感に、流石の私も気付きました。その違和感は二つあります。

 一つ目、私達はジェイドさんからの依頼で失敗した事が無いという事。

 二つ目、荷物を送るという仕事をジェイドさんから受けた事が無いという事。

 だというのに、この男の人は『ジェイドは言っていた』とハッキリ肯定してしまったのです。あるはずのない情報。それは、この男の人が嘘を吐いている事を物語っていました。

 社長は私の肩を触れるように叩きました。まるで、私に何かの合図をするかのように。けれど、私はそれが何を意味しているのか分かりませんでした。──少なくとも、この瞬間は。


「お、俺も驚いた額だったな。金貨10枚だなんて、断れないだろ?」

「そうだね。そんな金額を見せ付けられたら私も断らないよ。金貨10枚もあれば、かなり遊べるものね」


 言葉尻を柔らかくして銃の弾を込める社長。男の人を肯定しつつ当たり前のようにそれをやる社長に、私は確信と共に覚悟しました。

 この人は、もう助からないと。


「では最後に一つだけ。貴方の持っている剣はとても良い品に見える。──どこを荒らしたの?」

「荒し……え?」


 唐突に冷たくなる声。流石に男の人もこれにはおかしいと気付いたようでした。一瞬だけ呆けた顔。その隙を社長は撃ち抜きました。

 再度、不可視の攻撃。おまけに相手の思考が止まった瞬間を狙っています。当然、避けられるものではありません。男の人の右足が太腿から変な風に折れ曲がり、その場に悲鳴と共に倒れました。


「そうだね。その剣は、この近くで焼け落ちた家の墓に供えられた剣。……貴方、墓を荒らしたね?」


 明確な怒りを含んだ声でした。ほんの少し前の柔らかい口調とは全く逆の、噴火する直前の火山のような口調でした。

 もう一度、装填される弾。紙の焼け焦げた臭いが、銃から漂ってきています。


「ち、違う!! こ、これは貰った物で俺は何も──!!」

「言ったよね。真実を話しなさい、と。だというのに、貴方は嘘で嘘を塗り固めた。……挙句、死者への供えすら奪う悪党。許す訳、ないよね」


 男の人は息を呑んでいます。溢れ出る血をなんとか止めようと手で押さえながら、怯え切った表情をしていました。


「だから慈悲を掛けよう。──今度こそ、何から何まで洗いざらい吐きなさい。そうしなさい」


 普段とは違う低い声。いつもの凛として整然としているような声はどこにもなく、真っ赤に燃える鉄のような怒りを含ませながら声で言葉を突き付けています。


「わ、悪かった……! ジェイドの話は嘘だ……!! 最近、お前達がジェイドとよく取引しているのを見ていて……か、金を持っていると思って……!!」


 痛みからなのか、それとも恐怖からなのか、男の人は涙を滲ませながら堰を切ったかのように話し始めました。


「行先はそこの二人が街中で確認をしていたのを盗み聞きした! 前金を貰っていたのもそこで知った! お、俺は先回りして、それで奪おうと……!!」

「ついでに口封じに殺そうとした、と」

「それ、も考えたが……! 命まで取るつもりは無かった!! 殴って気絶させてから奪おうって……! だ、だけど……」

「……だけど?」

「ア、アンタが……社長が、居た! 不可視の魔術師の、お前が居た!! だから、賭けで後ろから殺そうって!! 金ももう少ないし、ルーファスと戦りあえるような奴を、俺がなんとかするには……賭けしかなかったんだ!!」

「なるほどね。その剣も売る為にって所かな」

「こ、小銭くらいにはなるだろうって……! 思ったんだ……! こ、これで全部だ! 全部話した!! だか、だから! 助けてくれ!! アンタほどの魔術師なら治癒魔術くらい出来るだろ!?」


 社長は私を抱き寄せます。強く、私の目と耳を守るかのように。

 この瞬間、私は嫌な予感がしました。


「そうだね。約束だから慈悲を掛けるよ。……目を瞑りなさい。そうすれば、楽になるから」

「あ、ああ……! 早く……! 痛ぇから……早く……!!」

「すぐに終わるよ」


 社長がそう言った後──轟音が鳴ります。少ししてから濃い血の匂いも鼻をくすぐってきました。男の人の声は……聞こえません。何が起きたのか、見なくても分かります。

 殺した──。慈悲を掛けるというのは、そういう意味だったのだと私は今更ながらに理解したです。それが……少しだけ寂しく思えました。きっと、さっきの肩を叩いたのも『覚悟をしておくように』という意味だったのかもしれません。

 ……なぜですかね。分かってはいるのです。頭では分かっているです。あの男の人は私達を殺そうとしました。そしてそれは失敗に終わり、返り討ちにあった。その上、お父さんとお母さんのお墓に供えた剣も奪っていたのです。仮に私がそんな事をして殺されたとしも、何も文句は言えない罪と罰だと思うです。

 だけど……なぜか辛いです。胸の奥が苦しくなるです……。本当……なぜなのですか……?

 そんな時、不意に社長が私の頭へ手をポンと乗せました。抱き寄せた右手で、私の頭へ。その意味がよく分からず、私はモゾりと顔を上げて社長へ視線を向けます。その横顔は……何かを言いたげに、どこか寂しそうにしていました。


「……アリシア」


 だからでしょうか。その寂しそうな声と顔に釣られ、私の胸もキュウッと締め付けられたような感覚に襲われたです。私の髪を撫でながら離れていく手。その手を、私は追いかけるように掴みました。

 一瞬だけ止まる時間。ほとんど反射的にした行動に、自分でさえも状況の理解が遅れました。

 それは社長も同じだったらしく、ほんの少しの間だけ思考が止まっているようです。ですが、私よりも先に戻ったのでしょう。左手の銃を地面に立ててから頭を撫でてくれているです。


「──さて、形見を取り戻そう。そして、仕事もしないとね」


 ひとしきり撫でてくれた社長がそう言います。気持ちを入れ替えたのか、小さな深呼吸をしていました。私もそれに倣って息を整え、コクリと頷き、大量の血を流している男の人の傍に落ちた剣──お父さんの剣を拾い、鞘から抜きました。

 血は付いていないようなので少し安堵を覚えて力が抜けそうになります。誰かも分からない人に勝手にお父さんの剣で人を傷つけた訳ではないようです。

 チラリと視線を落としてみると社長が男の人の死体を確認していました。小物入れ袋の中の歪んだ銅貨などには目もくれない事から、物を盗ろうとしている訳ではなさそうです。たぶん、何か探しているのでしょうね。

 それを尻目に私は剣を確認していました。そこで気付いたのですが、お父さんの形見は私では重さを感じられなかったです。先端を良く鍛えていて他の剣と比べて重心が剣先の方に傾いている……と、お父さんは言っていましたっけ。けれど、そんな事は全くないかのように軽く、普通に持つどころか指に掛けるくらいで持てています。それが私に、種族としての違いを思い知らしてくるです。

 ……ああ、これは良くないです。綺麗に手入れをされていた剣だったのに、よく見ると全体的にくすんでしまっています。刃なんて所々に浮き出るように小さな錆が出てきているです。

 爪先で刃の表面をなぞると、時折ひっかかりも見せるザラりとした感触。この傷まみれの刀身は、お母さんと私を護ろうとしてついたモノ。……人間ですらない、私なんかを…………。

 そう考えてしまった私は、頭を振ってそれを払います。お父さんもお母さんも、そんな事を全く気にせずに愛情をくれたのです。そんな事を考えるのは失礼でした。


「帰ったら磨こう」

「! ……はい」


 私が剣の状態を見ていたからでしょうか、社長はそう言いました。社長は色々な事に気付いてくれるです。声に出していないのに、ただ見ていただけなのに、ただただそれだけなのに。

 ……本当、お父さんとお母さんからだけではなく、社長からも色々な事をして貰っているですね、私。何かお返し出来たら良いのですが……。家事の他にも、何か……。

 少し考えたくらいではあまり良い案は浮かびません。それに、今からお仕事もしなければならないです。落ち着いたら考えましょう。

 大きく息を吐き、心を落ち着かせます。──はいっ。頑張れるですっ。


「……殺したの?」


 気持ちを入れ替えた後、ニムエさんが確認をしながらこちらへ来ました。ペレアスさんは困ったような顔付きをしています。


「そうだよ。……あれはまた繰り返す。そんな目をしていた」

「だけど……そんな確証も無いのに……。君ほどの魔術師なら生け捕りも出来たんじゃ?」


 そう言ったペレアスさんに少し同情を覚えると同時に、なんとなく納得しました。さっき私が寂しく思ったのは、きっと心の奥でペレアスさんのように考えたのでしょう。間違いを犯したとしても、反省して間違えないようになったら良い──そう思っていたのかもしれません。


「どこかで見た顔をしているように見えない?」

「どこかで……? ──あ」


 そんなペレアスさんは社長に言われ、何かに気付いたようです。


「目の下のホクロ、一部が欠けた耳と眉……。コイツ、手配書の盗賊か!」

「ああ、なるほど。確かに見た記憶があるわね」


 どうやらニムエさんも知っている人のようでした。話を聞くと、この人は『また』手配書に載った人らしく、商工会でもたまに注意喚起されているそうです。

 なんでも、常習的に実力の乏しい冒険者を後ろから気絶させて金品をくすねていたようで、何回捕まっても繰り返していたらしく、また被害者が出て手配されたのだとか。


「あの目はその場凌ぎの目だった。この人は例え片足が無くなったとしても同じ事を繰り返すよ」

「まあ……そうよね。私も駆け出しの頃一回やられそうになったし。というか、まだこんな事してたのね」

「……なるほど。他の生き方を知らないのか、出来なくなったって所なんだね」


 ……そう、ですか。改心は難しかったのですね……。何度もしていたのであれば、例えその場で反省をしたとしてもまたいつか繰り返していたと思うです。それを証明するかのように、ニムエさんとペレアスさんはこの盗賊さんが過去に犯した罪を確認するように話し合っていて、少し聞くだけでも両手の指を折り返すくらいの数がありそうでした。

 ……なんとなくですが、私は自分の未熟さを知った気分になりました。物事の一面だけを見て、それで判断していたのだと痛感したです。

 社長は立ち上がると、ニムエさんに何かを渡しました。それは10枚ほどのひしゃげた金属板。大きさや形に種類がありますが、どれも数字が彫られているようです。


「……この会員証」


 何かを察したのか、ニムエさんは怪訝そうな顔をしています。


「そうか……。だから街を自由に出入りできていたのか」


 同時にペレアスさんも苦虫を噛み潰したように眉間に皺を寄せているです。

 どこかで見覚えのある金属板。たしか……街を出入りする時に社長が似たような物を門番さんに見せていたような……? それを何枚も──。

 そこでハッと気付きます。冒険者を気絶させて手に入れたこの金属板。つまり──


「──色々な人に成りすましていた、ですか?」

「おそらくね。出入りの記録を取っている訳でもなさそうだし、確認が緩そうな門番を何人か憶えておけば、すり抜けるのもそう難しくない」


 社長はそれだけ言うと、死体の足を掴んで隅の方に移動させ始めました。そこでペレアスさんは『ん?』と何かに疑問を感じたそうです。


「これ、僕達が預かっていれば良いのかな?」


 これ、と言った物はニムエさんに渡された商工会の会員証の数々──。おそらく盗賊さんの会員証も混ざっていて、討伐の証拠になるであろう物。それを渡されたお二人はどうしたら良いのか分からなさそうな顔をしていました。


「それは二人の物だよ」


 ちょうど死体を運び終わった社長にそう言われ、お二人は更に困った顔になっていました。


「ヤツを倒したのは僕達じゃない。社長だ。これは受け取れないよ」

「私達は剣とこの首飾りを貰う。だから残りは二人が貰っておくと良い」

「お母さんの……」


 社長が盗賊さんの小物入れから取り出した革紐の首飾り。血の滲んでいるそれは、間違いなくお母さんが死の瞬間まで付けていた物でした。

 ……途端に怒りが込み上がってきます。この人、本当に何もかも掘り返して奪っているです……! なぜこんな事が出来るのですか……!

 私が怒っているからか、社長が近付いてきて首飾りを手渡してくれます。それと同時に社長は言いました。


「手元に置いて守ってあげようね」


 それを聞いて私は強く頷きました。もうこんな事は起こさせません。もう、二度と。

 私がそう心に誓っていると、ニムエさんとペレアスさんの姿が目に入りました。どうやら少し困っている様子。きっと、会員証の話も纏まっていないのにお母さんの首飾りの事について私が怒ったからでしょう。お二人には少し悪い事をしてしまったです。


「という訳で、その会員証は二人が貰っておいてね」

「いや、でも……」

「なら、今後とも一緒に仕事をしてくれるかな? その為の布石だとでも思ってくれて良いよ」


 ポカンとした顔をしています。お二人がとてもポカンとした顔をしているです。……たぶんこれ、オカシイ事なのでしょうね。なんとなく私でも分かるです。

 だって、普通は布石と思っていても口に出さないです。その対象となる人には特に。それを真顔で言うのですから、オカシイ以外ないでしょう。私は世間を良く知らないと思っているですが、それでも社長のこの行為はとても変だと分かるです。

 と、そこで社長が睨むように視線を左に移しました。あんまりにも突然な上に異様だったので、私達も社長の視線の先に目を向けます。

 ですが、そこにあるのは柱と梁だけになった倒壊寸前の建物があるだけ。嫌なピリピリとかも感じないです。


「…………? 何かあったですか、社長?」

「……いや、気になっただけだよ」


 首を傾げる私とゆっくり瞬きをする社長。彼女の視線はニムエさん達に戻っていたのですが、直後なにかに気付いたのか今度は顔すらさっきの視線の先へと向けています。

 その挙動不審な行動に不安を覚えます。もしかして、私達が気付いていないだけで他の盗賊が居るのですか……?

 そう思ったですが、社長は何も言わずに視線の先へと足を進めていきだしました。私とニムエさん達は互い互いに顔を合わせ頷き、警戒しながら社長の後ろをついていく事にします。

 瓦礫の向こう側へと進み、社長は明らかに何かを目で追いながら進んでいます。ですが、私には──私達には何を追っているのか分かりません。


「ふむ。この下か」


 瓦礫と瓦礫の隙間を進み、ある場所で止まる社長。……やっぱり分からないです。一体、社長には何が見えているのでしょうか……?


「……あれ?」


 注意深く見ていると、瓦礫の下に何かがあるのに気付きました。


「どうしましたか?」

「この下に何か……魔術陣? ですか?」


 黒い染みで描かれた魔術陣。仄かに香るそれは、固まった血のように思えます。


「なるほど。これがあったからか」


 社長のその言葉に、私達は一斉に社長へ顔を向けました。なるほどってどういう事ですか? なんで瓦礫の下にあると分かったのですか? ──きっと、今の私達はそう思った事でしょう。

 ですが、唐突に社長は目を見開きました。


「退いて!! 離れて!!」


 そう言うが早いか、ニムエさん達は距離を取っており、社長は持っている短剣で自身の右手を斬っていました。


「何をしているのですか社長!?」


 この状況を理解していない私は、目の前で凶行に走っている社長の左手を掴みます。


「っ──!!」


 社長は顔を顰め、短剣を放します。それと同時に、瓦礫の下の魔術陣へ手を伸ばしていました。

 血に濡れた手が魔術陣に触れる直前、ソレは赤く紅く輝きだします。陣を基点に風が荒れ狂い瓦礫を吹き飛ばし、社長の髪をはためかせているです。

 肌で感じられる程の吹き出すような魔力。さっきまで無かったピリピリが、この妖しく光る魔術陣から発せられていました。その魔術陣は拳大の赤い宝石を生み出し、赤い奔流でそれを纏わせていっています。


「血のような赤い魔力の流れ……!? これは……まさか、死霊術!?」

「嘘でしょ!? なんでこんな所に!!」


 後ろのお二人はこれが何か知っているのか、とても警戒しているようです。それを気にも留めず、社長は魔術陣に何かをしています。……これは、陣を書き足してる、ですか?

 端の辺りに少しだけですが、血を使って書き足しているようです。一体、社長は何をしようとしているのですか……?

 そう思ったのも束の間、即座に魔術陣に変化が現れました。書き足された場所から炎が上がり、それが瞬く間に陣全体を赤く燃やしていったのです! ……いえ。これは最早、炎が激しく噴き出していると言っても良いくらいです。それを確認した社長は、私を抱えてその場から跳ねるように離れました。


「────────」


 この光景に、ちょっとだけ『キレイ』だと思った私が居ます。魔術陣とはまた違った輝きを見せる炎。それが噴き出る風に乗り、舞いながら散りゆく姿に儚さを感じました。例えるなら、赤白く輝く無数の花びらが空を踊っているかのようです。

 けれど、それもすぐに終わります。炎と風は弱まっていき、小さくなっていきます。それと同時に──


「──面白い事をするものだ」


 ──知らない男の人の声が聴こえてきました。

 炎が次第に小さく消えていき、魔術陣がその機能を終わろうとする中……男の人が魔術陣に立っています。

 赤黒い布で華奢な身を包み、肌は死人を思わせる熱の無い白さ。その白さのせいで皺の影が強く見えて壮年の顔付きを更に老けさせているように見え、黒い眼球と血のように赤い瞳が不気味さをより強くさせていました。

 ……嫌な臭いがします。時間が経った死体のような、様々な獣の肉を混ぜ合わせたかのような、あまり好ましくない臭いです。オマケに、なんだか嫌な感じがする人です。私の方を見て、感情の読めない表情をしています。


「……ほう。魔術を書き換えたか」


 視線を足元に移した男の人が、さっきとは打って変わってニヤリと粘っこい笑みを浮かべました。


「いや書き足したと言った方が正しいか。単純に炎を生み出す魔術……それをここで繰り返させる……なるほどそれで魔力が尽きるまで炎が出ていたのか。──いやはや素晴らしい。魔力を大量に消費させるだけならば他にも良い手段があるが、ここまで少ない記述でそれを可能にするにはこれ以外思い付かない」


 小さくですが、社長が舌打ちをします。相手が悪い、とでも言いたそうな表情で男の人を睨んでいるです。


「そして明らかな走り書き。跡を見るに既に魔術が発動していた所での介入……随分と急いでいたようだな?」


 男の人は近くの倒れかけている大きな柱を指を食い込ませながら掴み、それを軽々と片手で引き抜きます。そして、どう見ても投げつけてきそうな姿勢を取りました。これから何をするのか容易に想像でき、背中がゾッとしました。


「場所が悪い!! 広い場所へ!!」


 社長の叫ぶような声と共に、男の人は柱を真っ直ぐ投げ付けてきました。それとほぼ同時に、社長は右腰に添えていた刀を抜き、右手で刀の背を押さえながら投げられた柱を受けました。それをそのまま受け流し、柱は遠くの瓦礫に衝突します。その瓦礫が音を立てて崩れているので、どれだけの威力があったのかが見て取れました。もし当たっていたら……普通の人は死んでいたかもしれません。


「アリシアも二人の所へ!」


 そう言われ、ハッとします。ニムエさんとペレアスさんは既に広場へと移動しており、私もそちらへ駆けました。同時に、私は自分の愚かさを噛み締めました。

 ……私が邪魔だったのです。逃げられるのは後ろ側だけなので、必然的に下がる必要があります。そこに呆然と立っている私が居たので社長は逃げられなかったのです。もっと、周りを見られるようにならないと……。

 私が広場へ辿り着く頃、社長はあの男の人を警戒をしながらゆっくりとこちらへ移動していました。


「……奴は?」

「ブツブツと何か確認していたよ。下手に手を出すより状況を把握する方が勝ちの目が出ると判断した。大体の見当はついているけど、何か知っている事はある?」

「なら、とびっきり最悪な情報を共有してあげる。アレ、死体だから死なないわよ。元から死んでいる者は死なないって所かしら。……まともに殺せた試しが無いもの。おまけに魔力が尽きるまで再生し続けるわ」

屍食鬼ししょくきって呼ばれているね。人では絶対に敵わない膂力と不死性の強さから、一体倒すのに聖堂騎士団が部隊を率いるほどだよ。何より厄介な点は、屍食鬼は喰った相手を亡者として使役する事だね」

「なるほどね」


 ビクリと私は背筋が硬直しました。屍食鬼……その存在を私はよく知っているからです。吸血鬼のお父さんとお母さんは言っていました。吸血鬼が血を吸うと、吸われた相手は屍食鬼になると。屍食鬼は従僕になると同時に際限なく亡者を生み出す存在になるから、どうしても血を吸いたくなった時は必ず心臓と頭を潰して殺しなさい……と。

 私は怖くて吸った事がありませんが、実際に吸血鬼のお父さんとお母さんが吸血している所なら見た事があります。血を吸われた相手は死んだ後、屍食鬼として蘇って……頭と心臓を壊されたです。それが酷く怖くて私は今まで一度も血を吸った事が無いのです。

 その時の事を思い出していると、ニムエさんが唐突に頭へポンと手を置いてきました。


「大丈夫よアリシアちゃん。あの屍食鬼は私達がなんとかするからね」


 明らかに強がった顔でした。その証拠にニムエさんはすぐに屍食鬼の居る方へ向いて、どうしたら良いのか必死に考えているようでした。


「炎で燃やせば殺せない?」

「ダメ。燃やし続ければいつか殺せるのは間違いないけど殺すまでに相当の時間が掛かるし、その間に暴れ回られたら火が辺りに燃え移ったりして被害が大きくなる。完全に動けなくするにも屍食鬼のしぶとさを考えたら現実的じゃない」


 社長の問いにニムエさんが即答しました。確かにそうです。燃えている身体のまま体当たりなんてされて自分達にも燃え移ったり周囲を火事にでもされたら大変な事になるです。


「……社長。正直に言って僕とニムエには屍食鬼に対して有効な攻撃手段は無い。けれど、貴女ならどうにか出来たりする?」

「やってみなければ分からない方法ならいくつかある。それをやってみよう」

「分かった。僕達はどうすれば良い?」

「私の援護をお願い。近付かれるのは避けたい。足止めが出来るのなら頼みたい」

「了解よ」


 作戦は決まったようです。ニムエさんとペレアスさんは社長の前に立ち、社長は刀を鞘に納めて片膝を下ろし、銃に弾を込めて構えました。私は社長の後ろで見守る形です。

 ……歯痒く感じます。私は戦いに関して何の役にも立てません。ヒポグリフに乗った魔族の時もそうでしたし、お父さんとお母さんが酷い目に遭った時もそうです。今だって足手纏いです。誰よりも死なない身体を持っている癖に、誰よりも守られてしまっているです。怖くて動けない、吸血鬼として不完全な存在、です……。

 そんな事を考えていると屍食鬼が姿を見せました。上機嫌なのか、不敵な笑みを浮かべています。その笑みにビクリと身体が震えました。飢えた獣のようで、私達になんの躊躇もなく酷い事をしてきそうで、ただただ怖かったです。


「では、次の検証に入るとしよう」


 屍食鬼が何かを呟き、両手を緩く広げます。ニムエさんは剣を構え、ペレアスさんは詠唱をして杖の先から氷柱のような物を浮かべ、社長は狙いを定めました。屍食鬼はなぜかその場にしゃがみ込みます。……いえ、これはしゃがむというよりも走り出しや飛び上がる前のような体勢にも見えるような……?

 私のその予想は当たりました。屍食鬼はとんでもない速さでこちらへ跳んできたのです! 真っ先に社長の銃が轟音を鳴らし、ニムエさんは剣を突き出した所──ペレアスさんは飛び込んできた屍食鬼によって後方へ殴り飛ばされました。


「おお……! なんと素晴らしい力か……!」


 屍食鬼はペレアスさんを殴った右手を曇った空に掲げ、私達のすぐ傍で恍惚な笑みを浮かべています。

 ……あの一瞬で、私は屍食鬼という者がどれだけ強い存在なのか知りました。まず、あの細い身体でもとんでもなく強い力を持っている事。大きく開いていた距離を一足で詰め寄り、防御に使った杖をへし折りながら片腕で人を殴り飛ばせるのなんて普通では考えられません。突き出された剣が刺さりはしても斬れずにニムエさんの手から離されたのも屍食鬼ならではなのでしょうか。


「完成された強靭な肉体だ! 人の身では到底耐えられない肉体強化ですら軽々と耐えおる! やはり私の理論は正しかったのだ!」


 お腹に刺さった剣を抜き捨て、肉体強化での浸透率や効率がどうのと難しい事を早口で確認しています。なんというか、別の意味でも怖い人です……。

 私が一歩引いた所、バァンッ──と聞き知った音が鳴りました。社長が二発目の銃弾を放ったようです。


「なら検証に協力してあげる。その不死性はどこまで強いのかな?」


 社長の攻撃は屍食鬼の頭の右側半分ほどを吹き飛ばしています。嫌な光景だったので私は社長の後ろへ隠れるように小さくなりました。詳しく見たくなかったのです。

 そんな私は目を逸らすようにニムエさんとペレアスさんを確認しました。ニムエさんは手首を捻ったのか左手で右手首を強く握っています。ペレアスさんは殴られたであろうお腹の場所へ当てた右手を淡く光らせている事から神聖魔術で応急治療をしているようですが、しばらく動けそうには見えません。


「おお……この身を破壊する事が出来るか。見た事も聞いた事も無いが、なんたる強力な魔術よ」


 その声に私は逸らした目を戻します。頭を半分も吹き飛ばされている屍食鬼は倒れていなかったのです。それどころか喋っているです……!

 社長はすぐさま刀を抜いて斬りかかりました。大きく振りかぶり、屍食鬼の首へ刀を振り下ろします。


「────ッ!」


 渾身の力を込めたであろう一撃。しかし、それで首を刎ねる事が出来ませんでした。途中で止まったのです。それどころか、巨木でも斬ろうとしたかのように刃が少し入った程度です。

 屍食鬼が社長を睨みます。社長は刀から手を放し後ろへ跳ねるように離れたです。けど、屍食鬼の反撃は想像以上に速かったらしく、先程のペレアスさんと同じく弾き飛ばされました。社長は地面を跳ね、転がって……うつ伏せで止まりました。

 同時に、私の身体から血の気が引いていくのが分かります。身体は震え、なんとも言えない感情がふつふつとお腹の底から疼いているような、変な感覚。これは……ダメな気がします。


「……む? 再生しない?」


 私が自分の感覚に混乱している時、屍食鬼は自分の身体に異変を感じたようです。吹き飛ばされた部分に触れ、再生しない、と。……そう言えばニムエさんがさっき言っていたです。屍食鬼は魔力が尽きるまで再生し続ける、と。それでしたら、どうしてあの屍食鬼の怪我は治らないのですか?


「……魔力が足りないか? まさか。この肉体を巡る魔力ならば問題無いはず。術式に問題があるとは思えんが……再確認が必要か」


 屍食鬼は刺さった刀を社長の方へ投げ捨てて代わりに地面に落ちていた細い棒を拾うと、残された私を無視して魔術陣を描きながらまたもやブツブツと難しそうな言葉を垂れ流しています。

 私は音を立てないように屍食鬼から離れ、社長へ駆け寄りました。社長は……なんとか無事のようです。咳き込んではいますが、目はまっすぐ屍食鬼を捉えています。

 身体を起こそうとしましたが止められました。今のところ屍食鬼はこちらに興味が向いていないので、ほんの少しでも体力を回復させたいらしく、社長は仰向けになったです。


「……何アレ。まるでアタシ達が見えていないようなんだけど」


 そこにニムエさんがやってきました。屍食鬼を睨みながら警戒しているようです。


「単純に私達の攻撃を脅威と思っていないんだろうね。戦っているって認識すら無いんじゃないかな」

「ムカツクわね……」


 きっと、社長の推測は正しいのでしょう。あの屍食鬼は頭を吹き飛ばされているというのに、その吹き飛ばした張本人である社長を気に掛けていません。もしかしたら屍食鬼にとって頭が無くなるのもそこまで大きな意味が無いのでしょうか……。そうでなければ今度は身体のどこを吹き飛ばされるのか分からない相手を放っておく訳が無いです。

 そんな時、ふと屍食鬼の向こう側に居るペレアスさんが目に入りました。彼は今、社長と同じく仰向けの状態です。ニムエさんを心配しているのか、顔はこちらへ向いていました。


「……あの。ペレアスさんは無事なのですか?」


 そうニムエさんに私は問い掛けます。お二人はいつも一緒に行動されている仲間のはずですが、どうしてニムエさんはペレアスさんの方ではなく私達の方へやってきたのでしょうか。


「たぶんだけど大丈夫。けど、あの様子じゃしばらく戦えないわね」

「えっと……ペレアスさんを介抱した方が良いのでは」

「あの人を見なさい」


 そう言われ、改めてペレアスさんを見ます。すると、なぜか首を横に振りました。……どういう意味なのでしょうか?


「あれは『戦えないから勝ち筋のある社長へ協力しなさい』って言ってるのよ」


 ……え。あの動きだけでそれを読み取ったのですか?


「……凄いです。言葉を使っていないのに会話しているみたいです」

「まあ、ずっと一緒に居たらそうなるわよ。──それより社長。何か秘策はある?」


 ニムエさんは一瞬だけ照れたような顔をしましたが、すぐに真剣さを取り戻して社長に尋ねました。……ずっと一緒に居たら、ですか。


「ハッキリ言って厳しい。頭を吹き飛ばしても大した効果が無いのは想定外だった。首を斬り落とそうにも尋常じゃなく堅い。後は賭けしかないかな」


 社長はそう言って腰の鞄から一つの弾を取り出したです。それを銃に込め、ニムエさんへ差し出しました。当たり前ですがニムエさんは困惑しているです。それもそうでしょう。他の人達はこの銃を杖と認識していますし、ニムエさんは剣士さんです。剣を振るって戦う人に杖で魔術を使えと言われても到底無理なお話です。いえ、実際は誰でも社長と同じ事が出来るのですが、それを知る由なんてありません。


「一度だけ。一度だけ貴女にも私と同じ魔術が使えるようにしてある。この杖を剣に見立てて、剣先を心臓へ突き付けるようにして、ここの引き金を引けば即座に不可視の魔術が放たれる。頭が破壊できるのだから、これで心臓も破壊できるはず」


 痛みに耐えているのか社長は少し息を整え、身体を起こして座りました。


「頭と心臓を破壊すれば流石に倒せると思いたい。……これが賭け。これでどうしようも無いのなら、私達の負けだよ」

「アタシがやるよりも社長の方が上手くやれそうだけど?」

「屍食鬼はこの魔術を強力だと言っていた。私がやっても警戒されて成功しない可能性が高い」

「……分かったわ。やってみる」


 ニムエさんは銃を受け取り、どう持てば安定するのかと持ち方を試しています。流石は腕の立つ冒険者さんだからなのか、すぐにしっくりとした持ち方を見付けたようです。左腕をまっすぐ伸ばして銃身よりだいぶ前側で支えるように持ち、右手は脇の高さまで上げてから引き金に指を掛けています。その持ち方がどこか妙にこなれた感じなのは気のせいでしょうか?


「もう一つ問題があるわ。どうやってその状況を作るか、よ。使った事の無い魔術を確実に当てるにはかなり近付く必要があるわ」

「それなら一つ案がある」


 そう言って社長はさっき屍食鬼に捨てられた刀へ手を伸ばしました。


「……まさか」


 ポツリと零れた言葉。頭に過ぎる悪い予感。それは、次の社長の言葉で確実なものへとなりました。


「私が隙を作る」

「ダメです!!」


 咄嗟に私は社長の手を止めました。脳裏に浮かぶのはお父さんとお母さん。私を守って死んでしまった時と同じ事じゃないですか! そんなのはダメです!!


「勝ち筋はある」


 その一言で、私は固まってしまいました。社長は真っ直ぐに私の目を見ています。気のせいか、いつもは光の無い社長の瞳に一筋の光が差しているようにすら見えます。


「奴は研究者かそれに近い存在だよ。圧倒的な暴力を振るえる力を持っているけれど、動き自体は素人どころか知識も何も無い。魔術に関しても攻撃的な魔術も使わない。むしろ未知の現象が起きたらそっちを優先している。それなら注意を逸らすくらい出来る」


 あまりにも自信のある言葉で社長は言い切ったです。ですが、だからこそ疑問に思う事もあります。それはニムエさんも思った事のようでした。


「……具体的にはどうするのかしら? 剣の攻撃は利かないんでしょ?」

「邪魔だと思わせたら良い。それこそ、しつこく纏わりつくハエのようにね」


 邪魔なハエ……。つまり、手で払い除けようとさせる事で注意を逸らすって事なのですかね?


「手を振り払うその一瞬で心臓を破壊しろ、ね……。随分と厳しい事を要求するのね?」

「こっちには不可視の魔術師がついている。難なくこなしてくれるよ」


 どうやら本当にその一瞬で心臓を撃ち抜く作戦のようです。少し無謀な気がしますが、他に案も無いのですからこれをするしかないでしょう。

 それと……魔術師と言われたニムエさんがちょっとだけ苦い顔をしていた気がするです。場を和ませる言い回しだったように聞こえたのですが、ニムエさんには別の何かに聞こえたのでしょうか……?


「さて……上手くいく事を祈りましょうか」

「上手くいくよ。必ずね」

「信じるわよ、その言葉」


 そのやり取りをして、社長が私の頭を一撫でしてからお二人は屍食鬼へと歩いていきました。私はというと……ここで待機するしかありませんでした。私は出来る事がありません。私に出来る事もありません。それどころか邪魔をしてしまうかもしれません。実際、お二人は私を戦力としての勘定をしていないです。……それが、酷く寂しく思えました。

 暴力。それは私がこの場で一番適しているでしょう。それは社長もよく分かっているはずです。それでも私を連れて行かなかったのは、私がこの場で一番足を引っ張るというのが分かっているからでしょう。

 力も怖くて振るえず、眷属も居なければ血を吸うのが嫌いな吸血鬼なんて、一体どれだけの価値があるのでしょうか……。

 私が一人で自己嫌悪している間にも状況は進んでいきます。屍食鬼は近付いてくる社長たちに気付いたのか一瞥しました。ですがキリが悪かったのでしょう。書きかけだと思われる一文を書き殴るように早く書いています。

 書き終わった時には危険な距離。一足飛び込めば社長の刀が届くであろう場所まで近付けていました。それはつまり、屍食鬼も飛び込めば手が届くという距離です。社長は刀の刃を上にし、それを顔の横で構えました。ニムエさんも先程の構え方で社長の二歩ほど後ろに立っています。


「しつこいな……力の差は分かっているだろうに。何の用だ?」

「ちょっと悪あがきを、ね」

「面倒な……」


 屍食鬼が社長へ大きく踏み込みます。力任せの大振りに殴り掛かろうとして──。


「!?」


 ──それを社長にいなされました。刀で腕の動きを上に逸らし、がら空きとなった腹部から背中へ流すように斬り込みます。


「鬱陶しい!!」


 屍食鬼は背中へ回り込んだ社長へ拳の裏で振り払うように腕を振ります。が、社長は足を大きく開いて身を低くして避けました。当たると思っていたのか、屍食鬼は少し体勢を崩しています。

 その一瞬を、社長とニムエさんは見逃しませんでした。

 頭の大きな傷へ素早く刀を振った社長。それは、明らかに今までと違う結果をもたらしていました。


「へぇ。内側は脆いんだ?」


 巨木のような堅さで阻まれていた刃が、大きく食い込んでいたのです。


「ちぃっ!!」


 もう一度腕を振り払った屍食鬼ですが、その動きを予見していたかのように社長は身を引いて躱します。刀に付いた血を大きな動作で払い、素手の方である右手を指先まで真っ直ぐ鈍色の天へと伸ばしました。


「完成された存在さんへご忠告。──死の超越は人の身に余る越権行為。神でもなくその領域に踏み入るならば、深淵の奈落へと堕とされよう」


 何か来るのかと身構える屍食鬼。身体は完全に強張っており、視線も社長の右手に釘付けになっていて、耳も社長の言葉に集中していました。しかし、それは社長の策に完全に嵌まった事を意味しています。社長自身が何かをする訳ではなく、それはただただ注意を引き付けるだけの行為。故に、屍食鬼の背後──ニムエさんは相手の心臓へ銃を突きつける事が出来ました。


「さようなら。出来損ないの化け物さん」


 社長のその言葉と共に、ニムエさんは引き金を引きました。

 この距離でも心臓がしゃっくりしそうになる破裂音。終わりの音です。攻撃が貫通しているのを見るに、屍食鬼の心臓は完全に破壊されたでしょう。その証とでも言わんばかりに屍食鬼の胸に空いた穴から腐った血が流れ落ち、頭は垂れ下がり、その場に佇んでいました。

 訪れた安堵。私達はそれぞれ肺に溜まった空気を全て吐き出すかのように深く息を吐きます。ニムエさんは銃を下ろし、社長も刀に付いた血を布で拭き取って鞘に納めています。私もお二人へと駆け寄ろうとした瞬間、強烈な違和感に襲われました。


(……なぜ、あの屍食鬼はまだ形が残っているですか?)


 動かそうとした足が止まり、代わりに頭の奥に仕舞っていた記憶が動き出します。──吸血鬼のお父さんとお母さんが屍食鬼を『処分』する時、頭と心臓を潰された屍食鬼はすぐに灰になっていました。それなのに、この屍食鬼はなぜまだ人の形を保っているのですか?

 終わり方はどうであれ、吸血鬼や屍食鬼、亡者は灰となって消えるはずです。つまり、あの屍食鬼が灰になっていないという事は──!


「──社長!!」


 その意味を理解した時、私は社長の名を叫びました。まだ終わっていないと。その壊し方では足りないと。そう伝えようとしました。


「ま──……だ…………」


 気付くのが遅かったです。ニムエさんは蹴り飛ばされ、銃もその時にへし折られ、社長は押し倒されていました。辛うじて刀は抜けたのか、近付く屍食鬼の首を刀でなんとか阻んでいます。


「再確認をしたのが幸いだった。地に書いたおかげで、うな垂れた時に視界の端に文字が入ってきた。身体の奥にはまだ魔力が残っていると感じ取れた。故に私はまだ動けると、いち早く認識出来た」


 社長は残された足でなんとかしようと藻掻いていますが、屍食鬼はビクともしていません。きっと人相手ならばなんとかなったのかもしれませんが、種族としての力の差があり過ぎます。


「貴様は頭が回るようだ。筋肉の力技ではなく、原理と理論で戦っていると私でも理解できたぞ」


 私の身体が震えています。この後に起きるであろう光景に、頭が『見たくない!』と喚き散らしています。それなのに、足は生まれたての小鹿よりも拙い動きで社長の近くへと動いていっているです。


「そんな貴様は、血を吸われ亡者となればどうなるのだろうな? 理性と知性を失った亡者となっても、貴様は貴様で在り続けるのだろうか?」


 揺れる視界デ、屍食鬼が、牙の生エた口ヲ、開キマしタ。


「検証だ。協力してくれるだろう? 貴様を亡者にするとどのような結果が訪れるのか、とても興味が──」


 ソノ言葉ニ、プツリト、ナニカガ、切レオチタ。


「────!?」


 不思議と、屍食鬼の動きが不自然に止まりました。どうやら声も出せないのか、言葉も止まっています。何か理由でもあるのですかね?


(……まあ、好都合です)


 自分でもびっくりするくらい思考が透き通っている気分です。市場で社長と一緒にお夕飯の材料でも買い歩いているかのように自然な足取りで歩き、手頃な大きさのジャガイモでも手に取るように屍食鬼の頭蓋骨の断面を掴んでいました。ミシミシと軋む耳障りな音を鳴らしながら、社長から死にぞこないを引き剥がして投げ捨てます。……掴んでいた部分が取れちゃいました。まあ良いです。ポイしちゃいましょう。

 手に残った頭蓋骨の破片を雑に落とし、投げ捨てたモノへと近付きます。社長に覆い被さっていた態勢のままコロンと仰向けに転がった屍食鬼を見下ろし、私は少し不思議な気分になりました。自分でも感じた事の無い、真っ直ぐ沈んでいくような静かな怒り。あまり良い気分とは言えませんが、今の私がやるべき事は一つだけです。


「……誰が、誰の血を吸うと言ったですか?」


 目の前の死にぞこないさんを、ちゃんと殺す事です。


「許しません。絶対に」


 屍食鬼の半分残っている頭を鷲掴みにし、握り潰そうとした時です。屍食鬼の身体がビクリと痙攣しました。


「なんと……! なんという事だ……!!」

「……何がですか?」


 この人が何に驚いているのか分からず、私は問います。


「なぜ気付かなかった!? 一瞬でも違和感を覚えたというのに、私はなぜ気付かなかったのだ!?」

「……………………」

「黄金に輝く月のような髪……どの宝石よりも輝く鮮血の紅い瞳……。私の理想……私の憧れ……! 絶対の存在が!! こんなにも……こんなにも近くに……!!」


 ああ……これはダメです。会話なんて出来そうにありません。さっさと終わらせてしまいましょう。

 私はもう一度、各々の指に力を入れました。


「──やはり、美しい」

「さようなら」


 グシャリ、と柔らかい物と硬い物が入り混じるモノを握り潰す感触が両手に走ります。腐った血の臭いが溢れ出し、赤くもドス黒い血が私の手を汚していました。

 口だけ残った屍食鬼は、なぜか笑っているように見えます。この人の言っていた『理想、憧れ、絶対の存在』とは、吸血鬼の事を言っていたのでしょうか。……だったら、私はそれと程遠い存在ですね。私は血を吸うのが怖くて、暴力も嫌いで、特別な何かも無い、ただの『出来損ないの吸血鬼』なのですから。

 屍食鬼の身体は死体のように色がありませんでしたが、それが更に白くなっていっています。完全に燃え尽きた灰──そう表現して間違いないでしょう。その灰は段々と形を保てなくなっていき、吸血鬼のお父さんお母さんと同じように崩れていきました。やっぱりとても脆くて軽いのか、僅かな風で空気へ溶け込むように散っていってます。……もう、怖い人は居なくなってくれたです。

 曇り空が僅かに裂け、日の光がこの周辺を少しだけ照らしました。その光が終わりを意味しているかのようで、それと同じように少しだけ、私は呆けてしまいました。


(……出来損ないの吸血鬼、ですか)


 自分が思った言葉と、社長の言った『出来損ないの化け物』が頭に過ぎります。

 出来損ないの吸血鬼と出来損ないの化け物……。それが同じ意味のように思えてきます。私もあの人も、完成された存在とは程遠いです。吸血鬼としてお互い不完全で、周りから見れば等しく化け物です。

 ふと、私は思いました。私は……本当に人間の人達の中で生きて良いのでしょうか。


「アリシア」


 私を呼ぶ声を聴いて、私はハッとします。振り返ると同時に地面を蹴り、その声の主である社長へと走り寄りました。

 社長は片膝を立てて座っています。目立った傷はありませんが、地面を転がったからかいくつかの擦り傷と一緒に乾いた土で汚れてしまっていました。しかしその表情は落ち着いており、一仕事を終えたような雰囲気です。

 私は社長を抱き締めました。いえ、しがみ付いてると言った方が正しいかもしれません。街で迷子になった小さな子が泣きそうになっている時に親を見付けて必死にしがみ付くように、私は社長の上半身を覆うようにしがみ付きました。


「ありがとう。助かった」


 ジワリ、と私の目に熱い物が込み上がってきているのが分かります。それは私の目の端に溜まっていき、ポロポロと零れ落ちていくのを感じました。


(ああ……私は安心しているのですね……)


 それが涙だと気付いたと同時に、私は社長が無事だった事に安堵しました。

 そんな私に社長は頭を撫でてきます。さっきまで一歩間違えたら死んでしまう状況だったなんて思えないくらい、私はその温かさに身を任せてしまいました。




…………………………………………




「──で、結局何をしたの?」


 私達は一息ついた後で他に魔術陣がないか確認し、情報として例の魔術陣を紙に書き留めたのと、歯のような物が灰の跡から出てきたので回収してから帰路についていました。勿論あの魔術陣はちゃんと消しているです。


「えっと……」

「そうだね……アリシアの切り札ってだけ言っておこうか」


 馬上ではニムエさんが私達のした事を聞いてきていて、私が困っていると後ろで手綱を握っている社長が助け舟を出してくれました。


「ふぅん? ま、そういう事にしておくわね」


 あまり深く追求されなかったので正直ホッとしたです。普通の人はあんな事なんて絶対に出来ないので、どうはぐらかしたら良いのかと思ったですから。

 私は社長に身を預けながら、屍食鬼の頭を握り潰した左手に視線を落としました。血を拭っても右手と比べて微かに赤黒く見える事から、やはり血は落ちにくい事を実感します。……最後に感じた感触は、きっとこの血と同じように記憶にこびり付いて忘れられないでしょう。


「た……助けて貰った事は事実、だし?」

「こういう時くらい素直になったらどうなんだいニムエ?」

「うるさいわね!! すぐに戦線離脱しちゃった癖に高説垂れるんじゃないわよ!」

「そう言いながらいつもは後ろの僕を前に乗せる辺り気を遣ってくれて嬉しいよ」

「……ペレアス、アンタ今夜覚悟しておきなさいよ」

「仲が良い事で」


 社長が言うように、お二人は本当に仲が良いです。お互いがお互いを信頼しているっていうのが見て分かりますし、さりげない気遣いも見ていて気持ちが良いです。私も、同じくらい社長の事を理解できるようになりたいものです。ニムエさんとペレアスさんはずっと一緒に居たらなったらしいですが、一体どれくらい一緒に居ればなれるのでしょうかね?


「……それにしても、僕ももっと強くならなくちゃね」

「いきなりどうしたのよ」


 ニムエさんの言うように、突然ペレアスさんはそんな事を言いました。


「いや、自分の力不足を実感しただけだよ。ニムエの言う通り、僕は早々にやられちゃって何もしていないからね」

「わ、私はそういう意味で言ったんじゃ……」

「結果的にそうなっている。だから、僕はもっと強くなるよ。ちゃんと支えられるくらいにはね」

「……うん」


 ……なんでしょう。なんだかお二人の周りだけ甘い空気が漂っている気がするです。お馬さんも胸やけしたのか二頭揃って咳のようなものをしています。

 そうこうしている内に陽が傾き始め、影が伸び始めてきました。一日の終わりが近付いてきたようで、帰り道の距離的にもここら辺で夜を越した方が良いでしょう。


「ちなみにこれはなるべく秘密にしているんだけど、僕は元々剣士でニムエは魔術師なんだよ」

「あれ? 言っちゃうの?」

「二人になら話しても大丈夫だと思ったからね」

「まあそうよね。魔と武を学ぶ者は力を得ずとか言わなそうだし」


 ……なんだか、サラッと大事な事を聞いた気がするです。そして、その話題もお二人はサラッと流し、私達は川の近くで野宿の準備を始めました。




 ──今日は大変でした。ジェイドさんからお仕事があってその最中に屍食鬼と遭遇して、私は初めて吸血鬼として暴力を振るって……って、あれ?


(そう言えばジェイドさんのお仕事って、結局なんだったのでしょうか?)


 流石にあの屍食鬼の事とは思えない上、途中で見付けた鍵の掛かってた箱も結局中身は空っぽでした。だったら、なぜジェイドさんは『行けば分かる』と言ったのでしょう? 私達が見付けられなかっただけなのでしょうか? それとも、あの盗賊さんの事を言っていたとか?




 そんな事をぼんやりと考えつつ、私は社長の腕の中で『おやすみなさいです』と言いました──。



…………………………………………


「──まだ連絡は来ないの?」

「その件について報告に参りました。……ネクは敗北したようです」

「敗北? 実験の失敗ではなく?」

「戦闘の痕跡がありました。実験自体は行われていたと思われますが、魔術陣は消されておりました」

「……術式が不完全だったか、もしくは吸血鬼の力を上回る誰かがネクを殺した、か」

「その戦闘の痕跡にこのような物が残っていました」

「毛……いや髪? 黒くて長い……何よりも美しい」

「人間族にこのような純粋な黒髪は存在しません。しかし、我ら魔族でもここまでの上質な髪を持っているのはネメシス様……貴女を除いて一人しか居りません」

「ならば奴が?」

「それにしては痕跡の残り方があまりにも小規模過ぎました。あの程度の陣地ならば全て吹き飛んでもおかしくありません。恐らく、我らにとって未知の存在が彼を葬ったと愚考します」

「厄介だな……。捜索をするにも現時点で情報が少な過ぎる。まずは情報を集めなさい」

「畏まりました。……それと、こちらは優先度の低い報告です」

「構わん。報告しろ」

「ネクの吸血鬼化魔術を継がせろと渇望する者達が居ります。如何いたしましょうか?」

「好きにさせろ。ただし、成果が出なければ支援も補助もしない」

「伝達いたします」

「……まあ、無駄だろうがな。アレは吸血鬼に成るものではない。ただ一歩二歩近付くだけで魔力を尋常じゃなく貪るだけの届かぬ魔術だ」

「まずは効率化を指示しましょうか。それとも完成度を高める方で?」

「現状と同等の結果を出せる効率化を成功させてから完成度を高めさせろ。今と同じく魔結晶を使うなど割に合わん。毎回実験の度に魔物100体の血を凝縮させるのはいくらなんでも非効率過ぎる。以上だ。下がれ」

「畏まりました」




「……………………自分の身と魔物100体を使って一晩だけ吸血鬼に近付ける魔術、か。一体それにどれだけの価値があるというのか。やはり私には分からんな」




……………………

…………

……

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