変わらない世界に訪れた変化 1
アーテル教では三ヶ月に一度、聖女のリアと三人の大司教が集まって会議をする日がある。その日になるとリアは大司教の人達と部屋に籠もり、アーテル教の方針など様々な事に関して会議をして決めている。
なぜそれを僕が知っているかと言うと……。
「聖女様。三女神様からの新たなお告げはありましたのでしょうか?」
「いえ、ここ最近、三女神様はご静観されております。魔族との衝突が以前より減ったからかもしれません」
「確かに! 以前のような猪突猛進的行軍は帝国の方でも見受けられぬ!! 明らかに奴らは奇策へと転じております!!」
「三女神様のお告げが無い以上グローリア様を始め、我々がしっかりとアーテル教の皆々を導いていかねばなりませんな」
「奇策に対抗するには通常の手段では不充分!! もはや我らアーテル教だけでなく全ての国々と団結して対抗すべきかと!!」
「しかしながら、あの武断主義のオーリア帝国がそれを許すのでしょうかねぇ……」
「ううむ……」
……現在進行形で僕の目の前でそれが行われているからだ。
そもそも、僕がなぜここに居るのかがかなり不思議である。僕がここに居ても何かメリットなんてあるとは思えないのだけど、四人がそう決めたらしいので僕はそれに従う他がない。……いや本当、リアの姿をしているからってだけでそんなに重要人物扱いしなくても良いと思うんだけどなぁ。
半分ほど……いや、半分以上が理解できない事を話している中、僕は分かる範囲内での話を頭の中で考えていた。
まず、三女神様からのお告げ……つまり、神託が無いという話。リアは聖女であり、三女神様からのお言葉を直接聞くことの出来る唯一の存在である。実際に神託でリアは生まれる前から聖女という扱いをされていたらしいし、リア自身も神託を得た事は何度もあるらしく、最も印象的だったのが初めての時だそうだ。
『特異なる逢着は其方の緊要なり。決して忘れるなかれ』
噛み砕いて言えば、特別な出会いはリアにとって重要だから忘れないように、らしい。リアはそれを大事に思っているらしいけれど、そもそもからしてリアは誰であろうと出会いを大事にしそうだと思うのは僕だけだろうか? いや、単純にその神託があるからこそ今のリアがあるのかもしれないけど。
あと、四人が話しているのを聞いていて少し不思議だと思う事もある。魔族がどれだけの戦力を保有しているのかは僕じゃわからないけれど、三つの国を相手にしていて押し切れないというのはどういう事だろうか? 数の暴力でどうにかなりそうな気がしないでもない。
それとも、それほどまでに魔族の奇策というものが予想外すぎるのだろうか? 実際に僕がこの世界に来た時にリアは襲撃をされていたようだし、それを許してしまった事もまた事実だ。多くの護衛兵を連れているのにも関わらずそれら全てを無力化し、あと一手でリアを暗殺されそうになっていたし、魔族とはよっぽど手強いのだろう。
他にも色々な事を話す四人。今は孤児院の子が今以上に立派な大人となるようになるにはどうすれば良いか、そして孤児が出来る限り少なくなるようにするにはどうすれば良いか、なんて事を話している。僕は完全に蚊帳の外でポツンと座っているだけだ。
「して、ヒューゴとやら」
「あっ、は、はいっ」
そんな時、僕はミーシャ大司教に呼ばれた。リアとはまた違う落ち着いた声色だけれど、第一印象のあの怖い口調がどうにも離れてくれなくて緊張してしまう。
「聖女様や我たちだけでは考えも行き詰まる。何か妙案などはありますか?」
そして、僕へなぜ声を掛けたのかが判明した。詰まる所、別視点での意見が欲しいという事だろう。
……なんて怖い事を言うんだろうか、この人は。この状況で僕にそんな話を振ったら皆が僕へ意識を向けるじゃないか!
案の定、リアやオースティンさん、レナード大司教が僕へ視線を向けてくる。リアは期待した目で、大司教の三人は口を閉ざして待っている。……本当、どうしろと?
おまけに、お世辞でも孤児院に詳しいと言えない僕に何が出来るというのであろうか。考えはするけれど、妙案なんて思い付くはずがない。……とは言っても、立派な大人っていう所からある程度は想像できる。
この世界において『立派な大人』というのは僕が居た世界と少し違う。言ってしまえば自立さえしていればそれで『立派な大人』扱いなのだ。そこに若さなんて関係無いし、能力の優劣で小突かれたりなんかもしない。ただ、当たり前だけどその能力の優秀さで評価は分かれる。そこは元の世界と同じだろう。
自立……自立かぁ……。やっぱり、自分の手で何かを作れる人がそうだろうか? 農業とか武器とか、後は服や本を作れるとか。
「……子供でも出来る事と言えば、やっぱり農業が一番かな、と思います。孤児院で今やっているように酪農とか敷地内で野菜や小麦を育てる事は経験としてとても良いですし」
「一番!? ならば二番目や三番目もあるという事ですか!!」
当たり障りのない事を言ったら、レナード大司教がなぜか食いついてきた。いや、そういう意味で言ったんじゃなくて、ただの言葉の流れっていうか……。
しかしそんな事が通用しないのがレナード大司教だろう。さっき、前の魔族のやり方は猪突猛進的と言っていたけど、この人も間違いなく猪突猛進的だ。言葉の全てを大真面目に真っ直ぐ捉えて暴走してくる。ミーシャ大司教とはまた違った恐ろしさがある……主に振り回されそうな意味で。
「あ、あとは……鍛冶師さんの手伝いとか裁縫をさせてみたりとか、本を作ったりできるように文字の読み書きを教える、とか……? 生産的な事が出来るようにすると未来に繋がりそう、です……」
「ほう。文字の読み書きで未来ですとな? それは、立派な大人に成長するとはまた違ったものでしょうかな?」
「ええっと」
挙句にオースティンさんにも食いつかれる始末。……どうして文字の読み書きって所でそんな反応をするのだろうか。結構当たり前の事を言っているだけだと思うんだけど。
「例えば子供たち全員が文字の読み書きを出来るようになると、その子達が大人になったら自分達の子供にも文字を教えますよね。便利ですし。そうなると先生が黒板に文字を書いて勉強を教えるってだけで何十人も一斉に同じ勉強ができますし、その知識から新しく何か物事を発見できるから未来に繋がるって事です」
いわゆる学校──いや、寺子屋の方が近いのだろうか? そんな感じである。この世界じゃあんまり聞かない話なのだけれど、どうしてそうしないのだろうか?
そう思っていたところ、それ以前の問題が発生した。
「ヒューゴさん、こくばん……とは?」
「えーっと……板書って言ったら良いのかな」
「ばんしょ……?」
黒板と板書。その言葉に対してリアは首を傾げた。……まさか過ぎる事だった。どうやらこの世界には黒板も無ければ教師が大きな板に文字を書いて生徒がそれを書き写すという行為も無いらしい。普通にあるものだとばっかり勝手に思い込んでいたんだけど、もしかして学校とかが無いのだろうか……? そんな事ないと思うんだけど。
「こう、凄く大きな板を用意して、それに書く事。そうすれば沢山の人に対して一回で同じ内容の知識を与えられるでしょ?」
「ほう。なんと新しい……。それはとても良い方法ではないですか」
そんな事があった。……てっきりお金持ちの人だけが学校に通えるものか何かかと思っていたけど、そもそも集団教育の発想が無いとは思っていなかった。
とても感嘆とした様子で耳をピンと伸ばすミーシャ大司教と、ふむふむと考えるオースティンさん。リアは見るからに驚いた表情をしている。……レナード大司教は真面目な顔付きのまま表情がずっと変わらないから分かんないや。
「あ、つまり一部の貴族の方々が通っていると言われている学校という事でしょうか?」
あるんかい。全然話に聞かないから無いのかと思ったよ……。
「学校ですと!? それには多額の資金が必要です!! しかし我らがアーテル教ならば多少の無理をすれば一つの街に一つ建てる事も可能でしょう!!」
「いや……普通に教会でやっても良いと思うし、なんなら孤児院でも出来ると思うんだけど」
「ふむ……それがですな」
先生さえ居れば後はどうとでもなりそう。紙とペンが無いのなら木の棒で地面に書いても良い。……なんて事を思ったんだけど、どうやらその先生という存在を確保するのが難しいらしい。誰かに学問を教えられる人というのは、それだけで貴重な存在だとか。そして、そういう人はそれなりの階級に位置する人なので雇う事が難しいとの事。
確かにそれを聞いたらかなり厳しい話だ。人材、資金、その両方がネックとなる。お金でなんとかしようものならばどれだけ必要になるのかも未知数だろう。いくらアーテル教が強大な力を持っていようと、その辺りをどうするのかは課題となる。運営は勿論、管理も出来なくなれば破綻してしまうのだから。
こうやって考えてみると、僕の居た世界では教師が溢れていたんだなって思えてきた。いや、国という大きな力があるからこそ出来たのだろう。実際に家庭教師なんてかなり高く付くって話だったし。
ただ、可能性が秘められているという事で教会や孤児院での勉学というのは保留の形になった。次の定例会議までに色々と情報を収集し、そこで改めて検討しようとの事。やっぱり現代社会ってかなり考えて作られているんだなって改めて思った。一般庶民である僕が普通に享受していたモノが、この世界では新しい事だったり目から鱗な事だったりしている。だからこそ社長さんはその技術をなるべく隠したがっているのだろう。やろうと思えばその技術や知識で悪用なんていくらでも出来そうだから、そうならないように釘を刺してきたんだと思う。
──その後も会議は続き、当然ながら僕は静かにその様子を見守っていた。たまに話を振られた事があったけれど、よく分からない事ばかりだったので話を合わせて同意するという、のらりくらりとした事をして何とか凌いだくらいだ。
「それはそうと流石はヒューゴ様! グローリア様に信頼されているだけあります!! よもやあのような妙案を心中に収めておられたとは感服致しました!!」
……そして、レナード大司教は終始こんな感じのテンションでずっと話していた。疲れないのだろうか?
「初めての会議参加でお疲れだったのでしょうか!! 今ではあまり調子が良くないようにお見受けします!! ここは一つ私めの神聖魔術で疲労を回復致しましょう!!」
「あ、えっと、ありが──」
「ハァァァァアアアアアッッッ!!! ケェンンッ!!」
力強くケンと唱えるレナード大司教。もはや僕の答えなど聞く前から神聖魔術を使おうとしていたらしく、リアの優しい温かさと比べて爆熱と言っても良いくらいの情熱的な詠唱をしている。なんて暑苦しいんだ。
右腕を目一杯の力を込めて前に出し、左手で手首を掴み、足腰なんて完全に踏ん張った態勢。どう考えても回復系の魔術をする動きではない。控えめに言っても、触れたら爆発しそうな玉を撃ち出しそうなんだけど……。
「……むん!? 手応えが無い!?」
しかし、その震わせた咆哮は何も起きずに終わった。なんで? と思ったけれど、この見覚えのある状況に僕は嫌な予感が過る。
社長の時と同じだ。社長が原因不明の病気になった時、リアも手応えが無いと言っていた。それは普通ありえない事であり、リア自身も自分の神聖魔術が不完全なのでは、と疑っていた程だった。それと同じ事が、今僕の身に起こっていた。
僕と社長の共通点。それは、この世界の人間じゃないという事。もし神聖魔術はこの世界の人にしか通用しないのであれば、手応えが無いというのも頷ける。いや、むしろそう考える方が自然だ。
どう誤魔化すべきか……。そう悩んでいた時、助け舟がやってきた。
「はっ!! なるほど! グローリア様と同じ身をしていらっしゃるという事は私めのような神聖魔術など下の下!! 故に通用しないのですな!?」
「そう……なんだ?」
「恐らく!!」
レナード大司教がまた暴走してくれたのだ。僕は確認するように聞き返すと、キッパリと曖昧な言葉を返してきた。なんでここまで不確定要素を不確定要素だと断言できるんだろう……。何一つ間違っていないんだけど、なんだかおかしい気がする……。
ホッとした気持ちと共に呆れも出てきた。……色々と凄い人だな、本当に。
「……ヒューゴや。ちょっとこちらへ」
「え? は、はい……」
そして、なぜかミーシャ大司教が僕を呼んできた。何かを疑っている細まった目をしていて非常に怖い……。拒否する理由も無いので素直にミーシャ大司教の傍へ向かうと、なぜか僕のお腹へと手の平を当ててきた。訳が分からず何度か瞬きをする僕。ミーシャ大司教は目を瞑り、まるで聴診器を当てて音を聴いているお医者さんのように意識を集中させていた。
しばらくしてミーシャ大司教は顔を歪ませた。途端に不安が戻ってくる。この表情は、間違いなく何か良くないモノを見付けた時の顔だ。
目の前の怖い人は手を離し瞼を持ち上げる。とてつもなく深い疑惑の色を、その瞳に宿していた。
「……主よ、何者か? 妙な気配を感じようぞ……」
ゾッとする低い声。明らかに敵意を向けられているのが一発で分かるその声に、僕は無意識に一歩引いてしまった。
「ヴィンデン」
その瞬間、聴き慣れない何かを口にされて僕の周囲に光る鎖のような物が現れた。状況が分からないままそれに縛られ、そして一瞬後に鎖が砕け散る。
声には出していないが目を見開いて驚くミーシャ大司教。対して僕はもう完全に頭が混乱していた。どうしてミーシャ大司教が僕のお腹に手を触れたのかも、妙な気配というのも、それで敵意を向けられた事も、明らかに僕を拘束しようとした事も、鎖が砕けた事も、それらの何もかも全てが理解できない。そのせいで僕は立ち竦んでしまった。学校で飼われていたハムスターが目の前で大きな音を鳴らされて固まったのを思い出す。ああ、きっとあのハムスターもこんな感じだったのだろうか。
「ヒューゴさん!!」
やっと身体を動かせたのは、リアが僕の傍に来てくれた時だ。血相を変えたリアが僕の腕に触れ、安否を確認している。
「リア……」
「お怪我はありませんか!? 痛む場所は!?」
怪我をしていないか心配するリアだけれど、僕にとっては軽く縛られた瞬間に鎖が砕け散ったのでなんともない。あれは一体なんだったのだろうか。
ただ、それを良しとしない人が居る。あの鎖を出した、ミーシャ大司教だ。
「我の魔術を無効化? いや、破壊された?」
険しい顔付きになり、再度腕を構え直して僕へ向けている。それを見たリアは、僕を庇うように両手を広げてミーシャ大司教へ身体を向けた。
「……聖女様。そこを離れて下さい」
「いいえ! ヒューゴさんは傷付けさせません!!」
慣れていない大きな声の出し方。必死になって僕を守ろうとする姿。それらは、とても聖女らしくないものだった。お淑やかであり、穏やかであり、等しく全ての人を愛する。それがアーテル教の聖女グローリアだ。そんな彼女が今、声を荒げて大司教へ面と向かっている。不確定で未知でしかないであろう僕の傍で、僕を庇っていた。
まさかリアがそんな事をすると思っていなかったのだろう。明らかにミーシャ大司教は動揺していた。伸ばされた腕は少しだけ引かれ、表情が曇っている。
……しかし、それは一瞬の事だった。すぐにミーシャ大司教は冷たく目を細め、落ち着きを取り戻している。
「その者が魔族──いえ、魔王やそれに類する者であったとしても……でしょうか?」
「なんと!? ヒューゴ様が魔王!?」
「いいえ! そんな事はないと、私は知っています!」
魔王……? 僕が……?
唐突に身に覚えの無い事を言われ、呆けてしまう。リアの言う通り僕はそんな存在じゃない。それは僕が誰よりも知っている。普通の家庭で生まれ、普通の暮らしをして、普通に育った僕が魔王ならば、一体この世に魔王は何億人居るのだろうか。
だけど、ミーシャ大司教には何か確信があったようだ。
「我が妖精族の女王というのは聖女様も知っておられよう。今この場ではアーテル教の大司教ではありますが、妖精族の長を座する我の魔術を容易くああも破壊できる者など限られております」
魔王──
魔神──
真祖の吸血鬼──
伝説と呼ばれた古の勇者──
古代竜──
一つ一つ、確かめるよう口にするミーシャ大司教。それらを口にする度、彼女の顔は真剣さを増していった。
「古代竜は論外として、勇者も在り得ないでしょう。現在の勇者はナリシャという少女。加えて勇者が生存している間に代を移すといった話も耳にした事がありませぬ。ならば……残るは魔王、魔神、真祖。そのどれもが魔族であり、そして魔族の中でも最上級に我ら妖精や人間にとって危険極まりない存在」
一拍だけ置き、リアの後ろに居る僕を睨みつけてきた。
「聖女グローリア。其方が庇い、背中を預けている者はそのどれかであろうぞ。どのような手段を使い、魔族の残滓を隠しておるのかは分かりませぬが……敵である魔族であるというのは間違いないのですよ?」
「ヒューゴさんは、そのようなお方ではありません」
ミーシャ大司教が断言していてもリアは僕を庇った。僕を信じて、聖女という立場でありながら、僕を守っている。
嬉しかった。涙だって出そうになった。……そして、同時に胸が痛んだ。
僕はリアの右腕へ優しく右手を乗せた。そして腕を下ろすように、ゆっくりと彼女の広げられた腕を閉じさせる。
「ヒューゴさん……?」
当然、リアは困惑する。それもそうだろう。庇う為に広げた腕を下ろさせたんだ。戸惑って当たり前だ。
僕は首を横に振る。リアは更に困った顔になった。なぜ僕がそんな事をしたのか分からないのだろう。
そして僕はリアの前に出て、両手首を合わせて前に出した。手錠を掛けられる、あの状態だ。
「縄で縛って下さい」
「──ヒューゴさん!?」
僕がそう言うと、リアは『信じられない』とでも言いたそうな声を上げていた。そのリアに対し、僕はもう一回首を横に振った。
「これで良いんだよリア。このままじゃ、リアがどうなるか分からない」
「私の事は構いません!! それよりもヒューゴさんが──!!」
「ううん。良いんだよ、これで」
彼女の言葉を切り、僕はミーシャ大司教の顔を見る。完全に警戒しきった顔だ。今度は別の聴き慣れない言葉を発し、火の玉を生み出している。いつでも迎撃できるようにと構えているのだろう。
僕は火の玉へ一度だけ視線を移し、そして再びミーシャ大司教を見据えて言った。
「約束して下さい。リアに何もしないって。リアは聖女様だから、全ての人が大事なだけなんです。それは、正体不明の僕も含まれていただけなんです」
「何を……」
震えた声が後ろから聴こえる。だけど、僕はその声を無視した。
「気の済むまで僕を調べて下さい。僕は抵抗しません。大人しくどこへでも行きます」
「待って下さい……」
「だから、心優しいリアを……聖女のグローリアさんを、どうか──」
「待って下さい!!」
慣れていない大声。本気で嫌がっているリアの声。それでも、僕はその悲痛な声を無視した。
「どうか、諫めて下さい。間違った道に進んでしまわないよう、正して下さい」
「…………っ!」
ミーシャ大司教へ、オースティンさんへ、レナード大司教へ、そうお願いした。
言葉が届かないと諦めたのか、それとも怒りで声が出せなくなったのか、もしくは……無力さを感じているのだろうか。リアは言葉を詰まらせた。
聖女、間違った道、諫める──。この言葉を聞いて、アーテル教に深く関わっている僕達はある出来事を思い浮かべたはずだ。
『反逆の聖女』
かつて、敵である魔族を手当てして帰した、心優しい裏切り者。
もし、その人が独りでなかったらどうだっただろうか。聖女は間違わないと信じて疑わなかった当時の人達。けれど、その中にたった一人でも共に歩く誰かが居たら、どうなっていただろう。
おそらく諫めていたはずだ。前にリアが口にしそうになって僕が止めた……不平等の気持ちの時のように、誰かが止めていただろう。
僕がそれを出来るのは、たぶん今のが最後だ。だから、僕はこの場に居る人達に託した。
「分かりました」
最初にそう言ったのは、レナード大司教。真面目なこの人が一番に行動するのは目に見えていた。大司教の外套を脱ぎ、それをロープ代わりにして僕の手首を縛る。強い圧迫感があるので、しっかりと縛ってくれたようだ。
それを見て、今度はオースティンさんが動いた。部屋の扉を開き、門番をしている人を呼んだ。
入ってきたのは大剣を背負ったベネットさん。聖堂騎士団で最強を冠するどころか、勇者であるナリシャさんよりも強いと思われる人。一瞬、この場で斬り殺されるのかなって思ったけど、どうやらそうではないらしい。
「俺が護衛する」
護衛、か。それは誰を護衛するのだろうか。明らかに僕へ向けた言葉だから、もしかしたらオースティンさんの優しさなのかな。
この状況を見て、ベネットさんは眉を顰めた。
「……ヒューゴ、お前何をしたんだ?」
「僕が、魔族かもしれないからです」
「…………そうか」
それだけ言って、ベネットさんは扉の横に立つ。僕はレナード大司教に薦められるように背中を触れられる。それで僕は火の玉を出したまま警戒しているミーシャ大司教に背を向け、ベネットさんが待つ扉へと身体を向けた。
「……………………」
視界に入るリアの姿。彼女は俯いていた。前髪で隠れて表情は読めない。……ただ、涙を流している事だけは見えた。彼女の頬を伝い、床へと落ちていく水雫。リアが感じている無力さが形として現れた感情だ。
僕はオースティンさんへ視線を送る。リアの様子を詳しく見たオースティンさんは察したのだろう。懐からハンカチを取り出してリアの目元を優しく拭ってくれている。
本当なら、僕がそれをしたかった。リアを泣かせたのは僕というのもあるし、何よりも僕がそうしたいと強く思っていた。
だけど、それは許されない。絶対に許してはならない行為だ。今の僕は敵の疑いが持たれている。そんな僕がリアに触れるだなんて、今すぐ殺せって言っているようなものだ。
僕は無言で歩き出した。リアの横を素通りし、レナード大司教に案内されるようにベネットさんの所まで歩いた。
「……ヒューゴさん」
部屋を出ようとした時、リアが僕を呼んだ。
弱々しく、震えた声。それは、僕の足を止めさせるのに充分な効果があった。
「…………信じています……。我侭を、叶わなくても、苦しくても……私は、信じています……」
ズキン、と心の奥が痛んだ。リアがこの場で言える、僕にだけ伝わる精一杯な気持ち。それを伝えられたから。
「……覚悟はしているよ」
だから、僕はそう答えた。これからどうなるかは分からないけれど、この『覚悟』の意味が伝わってくれるか分からないけれど、僕ではそう答えるのが限界だった。
「……行くぞ」
ベネットさんに言われて、僕は部屋を出た。
膝枕を、恋も、伝えられなくても、僕は覚悟している。
…………………………………………
連れられてきた場所は、石壁の地下通路。明かりは少しだけ入ってきているけど薄暗く、カビの臭いがしている上にジメッとしていてあまり気分の良い場所じゃない。大聖堂の普段は利用しない裏口から出た小さな中庭。その草の茂みに入り口が隠されていたとはいえ、敷地内にこんな場所が隠されているとは予想外だ。明るい光の印象がとても強いアーテル教に、こんな暗い場所があるだなんて知らなかった。
ここは……何をする場所なのだろうか。
「ベネット、ここで構いませんよ」
「はっ」
途中からレナード大司教の代わりにオースティンさんが僕を案内していき、辿り着いたのがここである。オースティンさんもベネットさんも別にこの場所に興味を示していない事から、ここは二人とも知っている場所なのだろう。
「おい、ヒューゴ」
目が慣れてきたので辺りを見渡していたら、ベネットさんが僕を呼んだ。……怒られてしまうのだろうか。
「俺はお前が悪い事をするような奴とは思っていない。絶対に無実を証明しろ。グローリア様を悲しませるなよ」
「……はい」
「もし本当に魔族で何かを企んでいたのなら……その時は俺が直々に断罪してやる」
それだけ言って、ベネットさんは来た道を引き返していった。……なんでだろう。少しだけ、心が楽になった。ここで何をされるのかは分からないけれど、あの言い方だ。きっと痛かったり苦しかったりする事でもあるのだろう。
流石に魔女裁判のような事は起きないと信じたいけれど……どうなるのかな……それは怖いや……。
「ヒューゴさん、こちらへ」
オースティンさんがそう言って少しだけ進んでいき、T字の分かれ道となった右の方へ促してくる。僕は素直に右へと進み、そこに広がっている光景を見て驚いた。
「……牢獄」
錆びた鉄の臭いと、石に染み付いたであろう腐った肉の臭い。左右に並べられたいくつものそれら。光り輝くアーテル教に似つかわしくない、生々しい黒い影がそこにあった。
どうしてこんな物があるのか。そう思ったけれど、理由なんて考えようと思えば多少は考え付いた。
捕縛した魔族の拷問や尋問。異教徒の改心。都合の悪い事実を知った者の始末。……他にもありそうだけれど、パッと思い付いたのはそれくらいだ。
「ヒューゴさんの考えている事は分かりますな。なぜアーテル教にこんな場所があるのか、と」
「……はい」
「私も初めてこの場所を教えられた時、驚きの余り呆けてしまいましたなぁ……」
その時の事を思い出しているのか、オースティンさんは僕と逆側にある牢獄へ顔を向ける。……きっと、当時そこで何かを見てしまったのだろう。
「実を言うと、私も詳しくは知らないのです。アーテル教で保管している書物にこの場所に関する物は一つもありません。……ですが、何をしていたのかは察しがついてしまいますな」
オースティンさんは懐から何かを取り出す。擦れ合う金属の音が鳴っている事から、きっとこの牢獄の鍵なのだろう。
その予想は当たっていた。オースティンさんはいくつかの鍵を差し込んで、四本目で目の前にある牢獄の扉を開いた。
「……心苦しいですが、入って下さいますかな」
「……………………」
僕は一瞬だけ躊躇したけれど、ゆっくりと深く頷いて牢獄の中へ入った。ベッドは無い。部屋の右隅にはなぜかポッカリと石床が無くて代わりに一段低く土が露出している。そして……壁には打ち付けられた長い長い鎖と、それに繋がっている手錠……いや、手鎖がそこにある。暗くて分かりづらいけれど、その手鎖がある壁と床だけ他の場所よりも黒く汚れている。それが何を意味しているのか、考えなくても理解できた。
「レナード大司教の外套は回収しましょう。代わりに……この手鎖を」
「……分かりました」
キツく縛られていた布の外套。代わりに付けられた錆び臭い手鎖は、僅かなゆとりがあるものの冷たいその感触がもっとキツい印象を与えてくる。
自分でも意外だな、って思うくらい従順だ。けれど、それには理由がある。だって、オースティンさんは全く冷たい対応をしない。何かに悩んで行動している。その悩みが何かは分からないけれど、たぶんこういう事をしたくないという思いなのかもしれない。
「……ヒューゴさん。これから貴方は間違いなく辛くて苦しい思いをします。傷も付けられてしまいましょう。痛みで眠れない夜を過ごす事にもなりましょう。しかし、堪えて下さる事を、私は祈ります」
「……ですよね」
たぶん、そうなるだろうとは思っていた。どんな尋問や拷問が行われるかは分からない。正直に言って怖いし、痛いのだって嫌だ。だけど、ここで暴れた所でどうにかなるとは思えないし、何よりも……リアがどうなるか分からない。リアも反逆の聖女と見られてしまうくらいならば、僕は大人しくここで尋問でも拷問でも受けよう。
「夜です」
覚悟を決めた時、オースティンさんが夜と口にした。どういう意味だろうか、と思ったが、どうやらその続きがあるらしい。
「夜になると、この牢獄の中に執行者が現れます。私もどのような姿形をしているのかは知り得ませんが、この中に入れられた者から聞いた言葉によると……闇に映る黒い影だそうですな」
「黒い影……」
なんて嫌な響きだろうか。身体が一瞬、震えた。しかも、その黒い影が執行者と呼ばれている。何を執行するのか大体の予想が出来てしまうから余計に怖い。
ただ、一つ分からない事があった。ベネットさんは無実を証明しろと言っていた。けど、話の流れ的に尋問や拷問を行うのは黒い影の執行者っぽく思える。それで一体、何をどうやって無実の証明をするのだろうか。
……考えてもしょうがないか。どうせ今晩、嫌でも分からされるんだから。
「執行者がどのくらいの時間を必要とするのかは誰にも分かりはしません。ただ分かっているのは、執行者が徹底的に調べ尽くしたら終わるという事だけですな」
「……つまり、何日も続くって事ですか?」
「ええ」
オースティンさんは短く答えると、牢獄から出て鍵を掛けた。冷たい施錠音がこの空間を木霊している。
「……私から言える事はこのくらいです。一日に一度はこちらへ伺います。……どうか、ご無事で」
そう言って、オースティンさんは最後に牢獄の前で嫌そうな顔をした。──いや、終始そんな顔をしていたと思う。声色もこの場所に来てから何かを毛嫌っている雰囲気があったし、きっとオースティンさんにとっても僕へのこの処置は不本意なのだろう。
それだけ分かると、また少しだけ気が楽になった。ミーシャ大司教は僕の事を最後まで疑っていたけど、それはリアの事を考えての行動だ。そうなるのも無理はない。それが普通なのに、リアもオースティンさんも、そしてベネットさんや関わりの薄いはずのレナード大司教ですら僕の事を信じてくれているように思えた。その優しさが、きっと僕をここまで大人しくさせてくれたのだろう。
「……リア」
薄暗くてジメジメとしたこの空間。そこで僕は独り、愛しい人の名前を呼んだ──。
……………………
…………
……




