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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
34/41

歩いて来た道(レール) 4

 ──朝は苦手。

 それが、私の朝に対する印象です。太陽が沈んでいて過ごしやすい夜が終わり、身体が重くなるお日様が昇ってくる時間だからです。

 普通、吸血鬼というものは朝になると眠って夜になると起きると聞いた事がありますが、私は逆の生活を刻んでいました。理由はとても単純なものでして、そもそも私は物心がついた時からそんな生活をしていたから、です。

 生みの親のお父さん達が何を考えて私をそんな風に育てたのかは分かりません。いつか分かるだろう、とだけ言われ続けて理由を教えて貰えず、お父さん達は亡くなってしまいました。もう、真実を知る事は出来ません。

 ですが……なんとなく分かっている事が一つだけあります。


(……温かい、です)


 目が覚めた私。いつもならば背と腕を伸ばしてさっさと起きる所ですが、今日は違います。なぜなら、社長さ……社長が私を抱き締めているから。たぶん一晩中、ずっとこうやって私を包み込んでくれていたようです。だって、なんだか優しい夢を見ていたような気がするですから。


(きっと、こうして誰かと寄り添えるようにする為なのでしょうね……)


 吸血鬼は読んで字の如く人の血を吸って生きる鬼です。そんな鬼が、人間さんと一緒に暮らせるようにと生みの両親は考えたのでしょう。吸血鬼として寂しく生きるよりも、人として温かく生きられるように育ててくれたのだと思います。

 私たち吸血鬼は、大昔にあった人間と魔族の戦争……通称『十年戦争』でほとんどが滅びたと聞いた事があります。実際に私は生みの両親以外の吸血鬼を見た事がありませんし、聞いた事もありません。もしかしたら……もう私以外の吸血鬼は居なくなっちゃったかもしれませんね。

 そんな少し寂しくて少し嬉しい事を考えながら、私はある事に悩みを馳せました。それは……動けないという事です……。

 ぼんやりと白みがかった暗さの部屋を見るに、かなり早く起きてしまったようです。きっとまだ、お日様は顔を出していないでしょうね。こんなに早い時間に起きてしまっては、社長も眠くて仕方が無いはずです。だから、私は動けません。


(……二度寝したくなっちゃいます)


 ですが、この気持ち良さは抗えません。お父さんやお母さんと同じく優しくて心地良い温かさ。守ってくれていると感じられる抱擁。……ずっと眠っていたくなります。

 ああ……このまま眠ってしまいましょうか。きっと、温かい夢を見られるかもしれません。

 そう思いながら軽く身じろいだ時です。


「ん……」

「!!」


 社長が目を覚ましてしまいました! あんなに小さい身じろぎだったのに、まさか起きてしまうだなんて……!

 ビクビクしながら社長の顔を見ていると、社長は眠たそうに細めた目を私へ向けてきました。うぅ……先に謝ってしまった方が良いのでしょうか……?


「んん……」


 なんて事を考えていたら、です。社長は目を閉じて私をより強く抱き締めてきました。社長の鼓動すら感じられる密着に、思わずドキドキとしてしまいます。

 ……………………。女性の方に抱き締められてドキドキするだなんて、私は変わっているですね……。社長の事を普通ではないと言っておきながら、私自身も普通ではなかったです……。

 自分ですら知らなかったおかしさに直面して落ち込みつつ、私は社長さんの二度寝を真似する事にしました。

 さっき見ていたであろう優しい夢の続きが見られたら良いな……なんて事を思いながら──。



…………………………………………



「お前さ、ちょっとくらい休んだらどうなんだよ」


 ……予想外な事が起きました。まさかこんな事態になるだなんて、思ってもいなかったです。


「確かに身体は疲れているけれど、休むほどじゃないよ」


 なんと、寝過ごしてしまったです……。社長も、私も、です……。

 今は少し遅めの朝食が終わった後で、皆さん紅茶を嗜みながら社長へ視線を集めています。どうやら社長が寝過ごすのはこれで二回目らしく、その一回目の時はとても大変な事が起きたようでした。……たぶん、あの時の事でしょう。詳しくは聞かなかったですが、一週間も姿を見せなかった時がありましたから。


「それに、いくら今お金があるからと言っても潤沢にある訳ではないでしょ。特に私達の武器はそれなりに手間と時間を取られるから、仕事は出来る時にやった方が良い」

「遣り繰りくらいしたらどうですか。お前ならどうせ出来るだろ」

「なら、まずは食費から削ろう。ハーメラにとって普通の食事にすれば、かなりの費用を抑えられるよ」

「反対反対はーんーたーいー!! ご飯は元気の源なんだからね!?」

「主任さん、今から仕事をしに行きますわよ。さあ早く」

「俺が言うのもアレだが現金だなぁお前らァ!?」


 大反対を貰った主任さんはそう叫びます。そして、そんなやり取りを見た私とレックスは少し唖然としていました。……なんというか、不思議な感じで仲が良いのですね?


「まあ……リリィの言い分は間違いないよな。すげえよく分かる」

「でしょでしょー! アンタ話が分かるじゃない!」


 そして、レックスが賛同した事でリリィさんは指をピッと向けていました。……凄く上機嫌です。確かに社長の料理はとても良かったので分かりますが、そこまで言ってしまう程なのでしょうか? 中央の街に住んでいらっしゃる方々は食に強い関心を持っているとは聞いた事がありますが、これは予想以上です。


「では、多数の意見を尊重して仕事をする事にしよう。私も自分の身体を労わりながら仕事に取り組むよ」


 ……最後にサラっと休まないと言ってしまう社長。今の流れって社長は休んで他の皆が働くとかそういう流れだったのでは……?

 ですが、そんな事はもういつもの事なのでしょう。ローゼリアさんは苦笑いしておりますし、主任さんもどこか諦めたような感じです。やっぱり頑固ではありませんか。……人の事は言えないかもしれませんが。


「その前に、昨日の仕事の報告を聞いても良いかな。あんな事があって聞けなかったからね」


 社長がそう言った瞬間、一気に雰囲気が変わりました。さっきまでの和やかな空気はもはや無く、苛立ちや不機嫌さ、哀愁が主任さん達から滲み出て侵食していました。一体、何があったのでしょうか。


「……その事なのですが」


 言い辛そうに、ローゼリアさんがその報告をしました。

 仕事自体は完遂した事。ジェラード邸には奴隷が居た事。その奴隷の事。そして扱われ方──。それらを聞いて、私は自分の言葉でどれだけ社長を困らせたのかを知りました。

 奴隷がどう扱われているかは漠然とは知っていました。けれど、漠然としか知らなかったのだと思い知らされたのです。奴隷とは、主人の為にその身を粉にする存在としか思っていませんでしたが……身体を欠損させたりしなければ何をしても良いだなんて……本当に『物』扱いです。しかも、それはジェラード侯爵での扱い方なだけであり、世の中の奴隷は主人の気紛れで腕や足を無くしている人だって居るのかもしれません。

 社長に謝ろうとしましたが、その言葉は口から出る前に喉で引っ掛かってしまいました。謝った方が良いはずなのに、私は言葉が出ないように喉を窄ませてしまっています。

 社長をまた困らせてしまう──。そんな言葉が頭に浮かんで、私は何も言えなくなってしまったのです。そうです……『また』です。私の我儘により社長さんは私を嫌々ながらも奴隷である事を認めてくれました。だというのに、また私の我儘で奴隷を辞めたいだなんて、そんな風に思われるような言葉は絶対に言えません。だから、何も言わない事を選択しました。社長の気が楽になるように──と思って何を言ったとしても、それは社長が更に気を遣うだけになってしまいますから……。


「……なるほど。事情は分かった。だからアリシアの時にああいう反応をしたのね」


 チラリと私を見る社長。私は居た堪れなくなって、顔を俯けさせてしまいました。それを良しとしなかったのか、社長は私の頭を無言で撫でます。二回ほど撫でた後、社長はこれからの方針を語りました。

 基本的に今まで社長達がやってきた仕事は変わらず。ただしレックスは力仕事に向いている事から主任さん達と一緒に行動。レックスが何か言われても『社長の指示』とだけ言えば良い、との事。そして私は、基本的に社長の仕事を一緒に手伝えば良いらしいです。


「では、オルトン商工会へ行こう」


 社長がそう言って、私達は立ち上がりました。


「ご飯の為にも!!」

「肉の為にも!!」


 ……二人ほど、なんだか目的が違うような気がしないでもないですが。

 主任さんだけ嫌そうな顔をしつつ、私達は揃って商工会へと向かいました。……正直に言ってかなり不安でした。なぜなら、私は魔族を匿った一家の一人として見られていますし、レックスなんてその姿を一切隠してすらいません。なのに社長は堂々と歩いて行くのですから、不安になって当然です。

 けれど、それは半分だけ杞憂に終わりました。レックスの姿を見た人は警戒をするのですが、すぐ傍に社長と主任さんが居るのを見ると、何か納得したような顔をしていきました。思ってみればリリィさんだって淫魔ですし、今更なのかもしれませんね。

 そして私の方はというと……首に付けられた奴隷の証を見るや否や目を逸らされています。中には嘲笑する人も居ましたが、社長が声を掛けると逃げていっています。……普段、何をしているのですか。あんなに怖がって逃げるだなんて相当ですよ……?

 そんな事が起こりつつ訪れた商工会。そこで貰った仕事はというと、主任さん達は近くの山にある鉄鉱石を調達して、社長と私がジェラード侯爵の邸宅へ向かうなんて事になりました。


「……もはや依頼ではないですよね、これ」

「そうだね。一体、何が目的なのやら」


 そのジェラード侯爵の家へ向かっている途中、私達はそんな不審な『依頼』を警戒していました。

 けれど、少し不思議です。社長ならばそんな何が起きるか分からない依頼を受けなさそうな印象なのですが、何か理由でもあるのでしょうか?

 それを訊いてみたら、意外な答えが返ってきました。


「その奴隷の子に興味がある。主任が怒る程なんだから、きっと何かあるよ」


 なんて曖昧な答えですか。主任さんが怒ったから興味が沸いた、だなんて。らしくない理由と思いましたが、少し思う所もあります。それは『私は社長の事をよく知っていない』という事です。

 私達は会ってまだ数ヶ月程度の時間しか経っていませんし、必ず毎日顔を合わせていたという訳でもありません。ただただ今までの仕事で見てきた社長の事しか私は知らないのです。もしかしたら、私が勝手に思い込んでいるだけで違う部分なんてあるかもしれませんし、きっとあります。

 そう考えたら、なんだか社長の事をもっと知りたくなってきました。思ってみれば社長は私の正体すら知っているというのに、社長は自分の事を話してくれないです。……ちょっとだけ、訊いてみましょうかね?

 坂を上って行き、貴族の方々が住んでいるであろう見晴らしの良い場所へとやってきました。この辺りにはあまり人が居なく、衛兵や門番らしき人がたまに巡回しているのが見えるくらいです。そこで、私は人が居ない時を狙って訊ねてみました。


「……社長。昨日ですが、思った事は正直に話しなさいって仰いましたよね?」

「ん? うん、言ったよ」


 隣を歩く社長は少し不思議そうな顔をして答えます。ちょっとだけ首を傾げているので長い髪はサラリと流れ、どことなく凛としている雰囲気がありました。


「私は、社長の事を詳しく知りたいと思ったです。……ダメですか?」

「……………………」


 ピタリ、と歩くのを止めてしまう社長。一、二歩ほど前を歩いてしまった私は、後ろに下がって社長と肩を並べました。……これは、言ってはいけない事を言ってしまったかもしれません。だって、社長は難しい顔をしてしまったですから。

 数秒後、社長は左目を閉じて視線を地面へと落としてしまいました。深く何かを考えているのでしょうが……苦しそうで、悲しそうで、辛そうな表情が、見ていて不安を掻き立てられました。


「い、言えない事情があるのでしたら納得するです! ごめんなさい……」

「いや……考え事があるだけだから大丈夫。……………………アリシア」

「は、はい」


 唐突に名前を呼ばれ、肩が竦んでしまいました。社長はいつもより鋭い目付きで私を見ていて、明らかに大事な話をするのだと分かります。


「秘密を守る事は出来る? 誰に何を聞かれても、事前に私の許可が無かったら知らない素振りをする事が出来る?」

「……ほとんどやった事が無いので、自信はありません」


 秘密を守る事はともかく、知らない振りをするのは今までほとんどやった事がありません。せいぜいシャロン城の調査で社長に『人間ではないと知っている』と言われ、とぼけた時くらいです。あの時も結局は社長に一歩踏み込まれ、冷静さを失っていたと思います。

 それを思い出して、私は首を横に振りました。


「いえ……たぶん出来ないです……。社長に『半分の月ではない』話をした時、最終的に私は動揺を隠せていなかったですから……」


 あまりにも唐突だったから、というのは勿論ありました。けれど、社長が求めているのはそういう事でしょう。勝手な憶測ですが、社長は突発的な問題が起きた時も冷静な対処が出来る人だと思います。魔獣使いの人と戦っていた時も、的確な判断を下せていたですから。社長を知るには、近付くには、それが必要なのでしょうね……。

 そんな風に諦めた私に、社長は言いました。


「そっか。なら今夜、私に時間をくれる? 話せるだけ話そう」


 閉じた左目は開かれ、こう続けます。


「少し、長くなるからね」


 妙に心に残る言い方に、私は少し呆けました。その言葉がおかしい事に気付いたのは、社長が一歩前に出て私へ手を伸ばした時でした。

 私は伸ばされた手を取り、肩を並べてからそれを口にします。


「あの……? 出来ないと言ったのに、どうして教えようとするですか……?」


 出来ないのならば普通、その人へ話さない方が良いのではないでしょうか? これだけ秘密にしたがっていますし、どこで話が漏れてしまうかを防ぐには教えない方が良いはずです。


「アリシアの姿勢を見て、大丈夫と思ったからだよ。自分の事を客観的に見る事が出来て、出来ない事を自覚しているのは成長する人の特色でもある。……いや、これはアリシアが半分の月ではない事を考えたら当然かな? 失礼な言葉だった」


 急に謝られてしまい、私はまた一つ疑問が増えてしまいました……。前半の部分は要約すると、私は成長しそうだからそれを見込んで教える、でしょう。そこは納得出来ましたし、社長は先を見て言葉を話しているというのも分かりました。

 ……ですが、後半の部分の『半分の月ではないから当然』というのが完全に分かりませんでした。恐らく『吸血鬼だから』と比喩的に仰っているのでしょうが、なぜ吸血鬼ならば当然なのでしょうか……?

 首を傾げた私を見て社長は、どっちが分からなかったか、と訊いてきましたので、私は後者が分からなかったと伝えます。すると、社長は考え込むように下唇に軽く握った指を当てて質問を投げ掛けてきました。


「……アリシアは何歳なの?」

「十八ですけれど……」

「頭に百とか千とか付いたりする?」

「いえ、ただの十八ですよ?」


 生みの両親は数百歳だったらしいですが、と付け加えると、社長はまた何か色々と考え込みました。……左目を閉じたら深く考えているって事なのですかね? 癖なのでしょうか。

 そんな風に社長の事を見ていると、どうやら社長の中での考え事は終わったらしく、私の頭へ手を乗せてきました。優しくゆっくりと撫でてきて、まるで親が子にする愛情表現のようにも思えます。

 それがなんだか子供をあやしているように感じました。


「ぅー……。なんだか子供扱いしていませんか?」

「十八ならまだ子供でしょ」

「社長だってほとんど変わらないのではありませんか? というか、いくつなのですか」

「二十……ん?」


 と、そこで社長は難しい顔をしました。……何があったですか?


「……何歳だったかな、私」

「えぇ……?」


 信じられない言葉に、私は耳を疑いました。社長は一、二、三、四、五……と口に出して首を傾げています。どうやら、口に出す事でしっくりくる年齢を探しているようです。

 ……年齢って、無意識でも憶えているものではないのですか? しっかりしているのに、なんだか変な所で抜けているですね……。


「……ごめん。思い出せない」


 そして結論がこれでした。二十は超えていると思うけれど二十五まではいっていないはず。ですが、それもかなり怪しいと社長は仰っています。

 一瞬、はぐらかす為に言っているのかと思いましたが、そうではなさそうです。どうにも社長は自分の年齢に興味が無いらしく、誕生日すら曖昧らしいです。……どうしてそうなるですか? 年齢も誕生日も憶えていないだなんて、どれだけ自分に関心が無いのですか……。


「その事も後で話そう。ジェラード邸に着いたよ」

「!」


 社長さんの事ばかり見ていたので、目的地であるジェラード邸へ着いた事に一切気付きませんでした。門の前には槍を携えて番をしている衛兵さんが二人立っていて、その門の向こう側には槍を持った銅像がいくつも並べられています。

 社長が堂々と、私はその半歩後ろから門番さんへ近付くと、門番さんの首に下げられていた十字架が光り始めました。それを見て門番さんは槍を構えましたが、社長は左手の甲を見せました。そこには使い魔との契約の刻印が浮かび上がっています。


「私が竜人の魔族と契約しているのは知っているかな」

「魔族と契約? 何を考えているんだ貴様は」

「単純にお互いの利益が合致したからだよ。どうやら竜人達は今、事情があって方々に散っているの。それで生き延びる為に私と契約した。使い魔になるって契約をね」

「つまり、それでこれが光っていると?」

「ちょっと違うね。ルーファスの作ったそれは魔族の残滓に反応して光る道具。今は別の仕事をさせているけれど、基本的に私は常にその竜人と近くに居るから、魔族の残滓が私に強く残っているって事だよ」

「む……やけに詳しく知っているな?」

「私はルーファスと繋がりがあるからね。この前も魔術について語り合っていたら、その道具についても楽しそうに話をしてくれたよ」


 それと、と社長は懐からある手紙を取り出しました。


「私はジェラード侯爵に招待されてここへ来た。中身を確認して貰っても良いよ」

「な……!! …………これは、間違いなくジェラード様の御筆跡……!」


 手紙を受け取り、手を震えさせる門番さん。もはや十字架が光っている事など気にも留めていないようです。……侯爵様のお手紙って、凄い力があるのですね。勿論、社長の言葉の上手さもあると思いますが。だって、あんなに警戒をされていたのにも関わらず、素直にお手紙を受け取っていましたから。普通ならばあんな風にすんなりと事は進まないでしょう。

 私達は門番さんの一人に案内され、屋敷の中へと入っていきました。なんというか、キラキラしているです。絵本に出てくるお城の中みたいで、すっごく綺麗です。槍の名手と言われている家系だからか、ところどころ壁に槍を持った人の絵画が飾られています。そのどれもが手入れの行き届いている芸術品で、とても目を引かれるです。


「こちらでお待ちを。ジェラード様をすぐにお呼び致します」


 そうして通されたお部屋は、長い机と寸分の狂いも無く綺麗に並べられた多くの椅子が鎮座していました。ここの壁にはこれまた芸術とも言えるような槍が交差された状態で掛けられており、とても荘厳で居るだけで畏まってしまう空気で満たされています。

 社長が椅子に近付いたので、私はハッとなり急いで椅子を引きました。一瞬だけキョトンとした顔をする社長。そして、そのすぐ後に優しく微笑み、私の頭を撫でてきました。


「ありがとう。アリシアも隣に座りなさい」

「はいっ」


 奴隷として扱われる事なんて無いのはもう分かっていますが、それでも『ありがとう』という言葉と、私も社長と同じく座るよう言ってくれるのは、どことなく嬉しく思いました。


「っ……!」


 ……ですが、問題があります。それは、私がこんなにも豪華な椅子に座った事が無くて怖気付いた事です。というよりも、この首に付けた鉄の塊からしたら私は社長の奴隷です。そんな奴隷が椅子に座っているのは失礼ではないでしょうか……?

 はい、と返事をしておきながら思い浮かんだ問題点。そのせいで私は手に掛けた椅子がとても重く感じられ、どうしても引く事すら出来ずにいました。


「どうしたの、アリシア?」

「……いえ、その……私が座っても大丈夫なのでしょうか、と思いまして」

「ふむ、なるほど」


 そう言って社長は、私が触れた椅子を引きました。軽そうに、何の障害も無く、躊躇すら無く。

 流石にこうなっては私でも分かります。社長は、何か言葉巧みに私を座らせるに違いありません。


「アリシア、この椅子の前に立ちなさい」

「は、はい」

「よろしい。なら、次は腰を下ろしなさい」

「……社長」

「おや、お願いをした方が良かった?」

「う……。…………分かりました、です……」


 こう言われてしまったら、もう私は従うしかありません。奴隷が主人を願わせるだなんて絶対に起こしてはいけませんし在り得てもいけません。社長は頑固ですから、こうなってしまったらもう私ではどうする事も出来ないです……。

 言われた通り腰を下ろす私。上質な綿でも詰められているのか、柔らかい感触が返ってきました。……なんて座り心地が良いのでしょうか。木だけで作られた椅子とは大違いです。けれど、本当に私なんかが座っても良いのですか……? もしかして、ジェラード侯爵が来るまでの間は座っていなさい、という意味でしょうか。

 そんな風に不安を感じ続けている私と全く臆せず腕を組んで待つ社長が、遠くで聴こえる金属音を演奏代わりにジェラード侯爵を待ち続けます。

 社長は何も喋らないどころか視線すら向けてきていませんので、私はこのハラハラとした気持ちを抱えて待ち続けました。社長が話し掛けてこないという事は、きっと何も喋らない方が良いという事でしょうから。

 大体五分くらいでしょうか。そんな沈黙の時間を過ごしていたら、廊下の方から足音が聴こえてきました。私がビクリと肩を震わせると、社長はそれを一瞥だけして目を閉じてしまいました。そのまま足音は扉の前で止まり、その一瞬後に豪快に開かれました。


「──おお!! 待っていたぞ社長とやら!!」


 第一声で歓喜の声を上げた大男さん。隆々とした筋肉と赤い髪をしているので、きっとジェラード侯爵です。私は慌てて立ち上がり頭を下げ、社長は腕を組んだまま立ちました。……こ、怖くないのですか社長?


「やあ。貴方がジェラード侯爵かな?」

「そうとも! 槍の巧者と呼ばれた初代ジェラード様の名を受け継ぐのがこの吾輩だ!!」


 とても誇り高く語り、腕を腰に当てて大笑いするジェラード侯爵。うぅ……なんだか暑苦しい人です……。あまり思ってはいけないとは分かっているのですが、このような方は少し苦手です……。ついて行けないと言いますか、一歩も二歩も引いてしまうと言いますか……そんな感じです。

 そんな人を相手に社長はいつもと変わらず凛とした姿勢で腕を組んで立っています。……平気なのですか、こういうのが?


「なるほど。聞いた通り豪傑な人だ。──さて、仕事の話に入る前に一つ確認したい事があるのだけど、構わない?」

「ほう! なんだ? なんでも言ってみるが良い!」

「アメリアという奴隷は連れて来ないの?」

「しゃ、社長!?」


 とんでもない事を言ったので、つい叫んでしまいました。普通、貴族の方が奴隷を連れ歩くなんてある訳ないです。あったとしても荷物持ちやその程度のはずです。

 これにはジェラード侯爵も予想外だったのか、目を見開いて固まっています。そんなジェラード侯爵へ、社長は次の言葉を放ちました。


「私はその奴隷の子が気になったのもあってここへ来た。奴隷の身分だというのにも関わらず使用人と見紛う程の丁寧さと礼儀正しさと話は聞いているよ。さぞかし私の気分も良くなると思ったのだけれどね」


 バクバクと心臓が鳴り響きます。何が起きてもおかしくないこの状況で、社長は一体何を考えてこんな事を言っているのですか。

 社長は変わらずジェラード侯爵へ視線を投げています。向けられた視線にはまるで感情が籠っていないかのように何も感じられず、何を考えているのか全く分かりません。視線が冷たいや優しいなんて話ではないです。本当に何も『無い』のです。

 それはジェラード侯爵が一番感じ取っているでしょう。どう対応したら良いのかと顎を撫でています。


「……つまり、何が言いたい?」

「そのアメリアの対応次第で依頼を受けるかどうかを決める」


 絶句しました。今の私は、間違いなく呆けたように口を半開きさせてしまっているでしょう。試しに口を閉じようとしてみたら、少し乾いた唇が触れる感触がしました。

 ……いえ、そんな事はどうでも良いです。本当に何を考えているですか社長……? 貴族の依頼を相手に『奴隷の対応次第で決める』だなんて、いくらなんでも滅茶苦茶です。

 これにはジェラード侯爵も眉を顰めさせ、明らかに不機嫌な顔をしました。


「なぜそこで吾輩の奴隷が関係してくる」

「さっきも言ったように、私はその奴隷の子が気になった。昨日の依頼で機嫌の悪い男の人が居たと思うけど、その人が主任だよ。主任は極めて勘が鋭くてね。鋭いが故に並大抵の事には興味を向けない。そんな主任が気に掛ける程の相手……これは私も非常に興味がそそられたよ」

「……………………」

「ルーファスにも同じような事を言ったけど、私は地位や名声に興味が無い。私は私の欲望と目的の為に生きている。耳にしているかもしれないけれど私は先日、軍師ソフィアから補佐官の勧誘を受けた。当然、その話は蹴ったよ」


 またもや絶句してしまいます。軍師の補佐官だなんて……相当な役職ではないですか。どうして受けなかったのですか。大粒の宝石を底無し沼に放り投げる事とほとんど変わりが無いですよ……?

 不機嫌だったジェラード侯爵すら驚きで怒りが吹き飛んでしまっているようです。少し前の私のように口を開けて信じられないとでも言いそうな顔をしていました。


「私の判断基準はそこだよ。……さて、どうするのかなジェラード侯爵? このまま仕事の話をするか、それともアメリアという子を連れてから仕事の話をするか。槍の巧者とまで言われた貴方ならば、一つの手間の大事さを知っていると私は信じているよ」

「……分かった。連れて来よう」


 僅かに考えたジェラード侯爵は、その大きくてゴツゴツとした両手を叩いて音を鳴らしました。想像以上に大きな音で、ちょっとだけビックリしてしまったです。

 何の為にそんな事をしたのか、と思いましたが、すぐにその理由が現れます。槍を持った衛兵さんがやってきて、ジェラード侯爵の前で片膝を落としたからです。なるほど。人を呼ぶ為の音なのですね。


「アメリアをここへ連れて来い」

「ハッ」


 ただ一言それだけを言うと、衛兵さんは一切の疑問すら持たずに了承して退室します。訓練されたかのようなキビキビとした動きに感嘆としました。

 そしてジェラード侯爵は社長の向かいの席へと移動し、椅子へ腰を休めます。主任さんを超える大きな身体なのにも関わらず、どこか気品さを感じさせる佇まい。この方は間違いなく貴族だというのが感じられました。


「私達も座って良いかな?」

「ああ、良い──うむ?」


 社長の言葉に、私とジェラード侯爵は違和感を覚えました。今『私達』って確実に言いましたよね……?

 ゆっくりとさっきまで座っていた椅子へ再び座る社長。……私を座らせていたのはジェラード侯爵が居なかったからかと思ったのですが、まさか単純に座らせたかっただけだったりしますか?


「おや、何か?」

「……いや、吾輩の気のせいだったようだ」

「そっか。アリシア、許可を貰ったから座って良いよ」

「むぅ!?」


 今度は聞き間違える筈がありません。社長の言葉に、ジェラード侯爵は明らかにおかしさを感じています。むしろ私と目を合わせてお互いに困った顔をしたくらいです。


「……社長。お前は奴隷を何だと思っているのだ?」


 理解しがたいモノでも見るかのようにジェラード侯爵は社長を見ています。

 まあ……そうなるですよね……。私だって心底それは思ったですもの……。


「奴隷という概念で言えばそこまで皆と大差は無いと思うよ。奴隷とは主人の所有物であり権利など一切与えられていない存在──ただ、私の奴隷となると話は別だね」


 一度私へ視線を送り、小さく微笑んでからジェラード侯爵へ視線を戻す社長。ああ……なんだか大変な事が起きてしまいそうです……。


「私の奴隷は貴方達で言うと使用人に近いかな? 勿論、厳密には違うけどね」

「使用人でもここまでの待遇って他にはないと思うですよ……?」

「他の所がどう扱っているかなんて知らないね。私は私の思うがままに扱うよ。奴隷とは主の好き勝手に振り回されるのでしょ? 実際にアリシアも私に振り回されていると思っていたのだけど?」

「う……間違ってはいませんが……」

「なら、何もおかしい所なんてないよね。──それで、ずっと立たせてしまっていてはアリシアも疲れてしまう。そうなって困るのは私だから、座らせても良いかなジェラード侯爵?」


 ……本当、社長さんはちょっと強引で困ってしまいます。けれどなぜでしょうかね。この強引さが、私にとって心地良いと思ってしまうのは……。

 ジェラード侯爵は腕を組んで悩ませていましたが、最終的には許可を頂けました。遠慮がちにこの柔らかい椅子へと座りましたが、さっきまでの感動は得られません。だって、こんなにも座り辛い状況なんて早々無いです……。


「……お前も噂に違わぬ分からん奴だな」

「他の人と考え方が違うというのは自覚しているよ。ところで、アメリアを連れてきてくれるという話だから先に依頼の内容を聞いても良いかな?」

「ふむ……そうさな……。実は、ついこの間ルーファスと会合してな。その時に社長の話が出たのだ」


 正直に言って動揺を隠せませんでした。王国第三魔術部隊長のルーファスさんと槍の巧者ジェラード侯爵……。その二人の会話に社長が出てくるだなんて、一体どれだけ凄い事をしているのですか。


「これはルーファスの持論だが、魔術の開発をしている者は総じて料理が上手らしい。吾輩も戦いに身を置く者。食事には重点を置いている。そこでだ。奇抜な発想ながら有用な魔術を開発した社長ならば、他に食べた事の無い料理を作るのではと吾輩は考えた」


 ニンマリと笑うジェラード侯爵ですが、私は呆気に取られていました。……えっと、つまり社長の料理が食べたいってだけですか? 確かに社長の料理は他に見ないような物ですしとっても美味しかったですが、わざわざ依頼として扱う程ですか? 本当……中央の方々は食に対して強い関心を持っているですね……。


「なるほど料理……。つまるところ、私は貴方が食べた事の無いような料理を振舞えば良いって事かな?」

「そういう事だ。報酬はたんまりと出そう」

「報酬……。例えばどんな報酬が出るの?」


 報酬と聞いて一瞬だけ考えた社長。そして、答えが出なかったのかどのような報酬が得られるのかを訊いています。


「吾輩の腹がどれだけ満たされたかで変わるが、金でも物でも構わんぞ」

「お金でも物でも……ふむ……。なら、作る料理の方向性を考えるから、いくつか質問させて貰って良いかな」

「おお! なんでも聞くが良い!!」


 とんでもなく深く食い付いたジェラード侯爵。……本当、食べる事が好きなのですね。

 それから社長はいくつかの質問をしていきました。肉と野菜と魚のどれが一番好きか、主食はパンと米のどっちか、味が濃い物と薄い物のどっちが好みか、辛い物や甘い物は好きか、などなどと様々な事を聞いています。

 質問が終わり、その答えから社長は考え込みます。どんな料理を作るのか考えているのでしょう。


 そんな時、部屋の扉が叩かれました。


「入るが良い」


 ジェラード侯爵の許しが出て、扉が開かれます。そこには二人の人が立っていて、一人は先程の衛兵さん。そしてもう一人が、首に私と同じく鉄の首輪を付けた、白髪の奴隷の子でした。

 ですが、その立ち方に少し違和感があります。ほんの僅かですが左に重心を偏らせているようで、なんだか右足を庇っているかのように見えます。

 衛兵さんは一礼をしてから部屋を出て、アメリアさんと思われる白髪の子は……なんというか、社長のように感情を感じさせない目をしてそこへ立っていました。


「これがアメリアだ。アメリア、社長はお前を気にしているらしい。粗相は絶対にするな」

「はい。ご主人様」


 そして、やっぱり感情を感じさせない喋り方をします。……本物の奴隷を見たのは初めてですが、私との違いに愕然としました。

 右足を庇っているように見えるのは、きっと怪我をしているからだと思います。それはきっと、体罰を受けたからでしょう。どれほどの怪我をしているのかは服で隠れていて分かりませんが、庇う程なのですからかなり痛いと思われます。何よりも、自分を人とすら思っていないかのような雰囲気を出しています。まるで自分を動く人形か何かのような佇まいをしていました。それに、ジェラード侯爵はアメリアさんを『これ』と言い放ちました。……本当に、物扱いです。

 これが、奴隷ですか……。改めて、私は認識が甘かったと思わされました。


「む……困ったね……」

「?」

「何がだ?」


 困ったと言う社長と何に困ったのか分からない私とジェラード侯爵。社長は腕を組み直して言いました。


「料理の事を決めながら屋敷の中を案内して貰おうかと思ったのだけど、脚を怪我しているみたいだからね。どうしたものか……」

「歩かせれば良いではないか」

「私はそういうのが好きじゃない。……予定は変更しよう。この子と話をしたいのだけど、構わない?」


 そういうのが好きじゃない、と即答した社長に、アメリアさんは社長へ視線を向けました。その視線には、驚きや困惑といった色が微かに見えています。


「構わんが、料理を決めるのならば気が散らんか?」

「逆だね。私は誰かと会話をする事で特に発想力が強まる。アメリアの対応も見られるし私の発想力も発揮される。打ってつけでしょ?」

「……本当に不思議な奴だな」


 それに対して社長は答える事なく、さて、と言って話を変えました。


「ジェラード侯爵、貴方は身体を動かしてくると良いよ」

「む? なぜだ?」

「空腹は最高の調味料。そのままでも美味しい料理を更に美味しく食べるには、空腹であればあるほど良い。だけど、身体を動かすのは出来るのならば調理室の風下に位置する場所が良いよ」

「ほう。それまたどうしてだ?」

「訓練中に料理の匂いが風に乗ってきたら、最高にお腹が空くでしょ? 脂の乗った肉の焼ける匂いや醤油の焦げる香ばしい匂い、様々な野菜を煮込んだ甘い香り……。どんな料理をしているのかと気にもなるし、その期待した料理が出てきた時は心も満たされる。料理は匂いだけでも楽しめるモノだよ」

「ほう……ほうほうほう……!」


 想像をしているのか、ジェラード侯爵は楽しそうな笑みを浮かべています。……ビックリするくらい本当に食べる事が好きですね。


「なれば吾輩は早速、訓練をして来ようではないか!! 空腹は最高の調味料! その言葉は気に入ったぞ!!」


 言うが速いかジェラード侯爵は席を立ち、指をバキバキと鳴らしながら扉へと足を進めています。ちょっと前までの不機嫌さはどこへやら。社長の言葉で誘導されていると言った方が良いのかもしれませんが、ここまで来ると凄いですね……。


「いってらっしゃい。私はアメリアと話をして料理が決まったらすぐに取り掛かるよ」

「絶品を期待しておるぞ!!」


 期待して笑いながら部屋を出たジェラード侯爵。アメリアさんは少し驚いた表情で侯爵様の後を見ていました。よっぽど珍しい姿だったのでしょう。


「さて、アメリア」

「! はい」

「まずはそこへ座って貰って良いかな」


 早速アメリアさんへ声を掛けた社長は、さっきまでジェラード侯爵が座っていた席へ手を向けて座るように促します。しかし、これには流石にアメリアさんが戸惑っていました。


「何かが起きても庇うから安心しなさい。立っているのも辛かったでしょ?」

「……畏まりました」


 社長の言葉のおかげなのか、それともジェラード侯爵が居ないからか、アメリアさんはオズオズと遠慮がちに椅子へ座りました。

 小さく吐いた溜め息。それはどちらかと言うと安堵したようにも見え、立っているのがよほど辛かったのだと思います。


「まずは自己紹介からだね。──私は社長。そしてこの子がアリシア。よろしくね」

「わっ、よろしくです。……でも社長、こんな時に頭を撫でられたら驚いちゃうですよ?」

「可愛い声が聴けられて何より」

「むぅ……」


 私を紹介する時に頭を撫でられ、ビックリして声が出てしまいました。いくらなんでも自己紹介の時にこれはあまり良くないのではありませんか? ……でも、可愛いって言ってくれるのはちょっと嬉しかったりするので微妙な気持ちです。

 私達のやり取りを見て、アメリアさんは呆然としていました。主に私の首を見ている事から、奴隷の扱いではないと思っているのでしょうかね?


「……アメリア、です。よろしくお願いします」


 遅れてやってきたアメリアさんの簡単な自己紹介。それになぜか満足をした社長は、色々な質問を投げ掛けていきました。


「早速だけど、アメリアは何か得意な事ってある?」

「…………得意な事……」


 予想していなかったからでしょうか。やはり少し鈍い反応をして考えるアメリアさん。社長もどことなく軽い雰囲気で質問をしています。それにしても、なぜ得意な事を訊くのでしょうか……?


「家事、でしょうか。昔、別の場所で暮らしていた時は炊事や洗濯、お掃除を主にしていました」

「なるほど。今もやっているの?」

「はい。暇さえあればお手伝いをしています」

「ふむ……ふむふむ……」


 何かに納得をしている様子の社長。そんな様子を見て、私とアメリアさんは首を傾げます。社長の意図が分からないからです。

 私達の事はいざ知らず、社長は質問を続けていきました。


「得意な料理はある?」

「……いえ、ありません。料理はどれも手順通りに作ればそれなりの物が出来ますから」

「間違っていないね。確かに料理は手順通りに作る事が大切だから」


 さて、と社長さんは区切りを付けた言葉を零します。少しだけ調子を落とした真面目な声。目付きもどことなく冷たい感じのするものになっています。


「ここからは少し嫌な事を訊くよ。どうして奴隷になったの?」

「……………………」


 明らかに顔を曇らせるアメリアさん。その表情を見るだけでも分かります。何か、理不尽な事が起きたのでしょう。……だって、凄く共感できる顔だからです。胸に訴えかけるようなこの表情を、私は知っています。お父さん達やお母さん達が殺された時……私もきっとこんな顔をしていたのでしょう。

 社長は黙ったまま、アメリアさんの言葉を待ちます。そんなに長くない時間を掛け、アメリアさんはゆっくりと口を開きました。


「……少し、長くなります」

「良いよ。言ってごらん」


 社長がそう言うと、アメリアさんはポツリポツリと、たどたどしく語り始めました。

 生まれは貧民街。そして物心がついた時から親など居なく、孤児院で暮らしていたそうです。姉妹として姉が居て、アメリアさんとは違い勝ち気で活発な子だったそうです。

 12歳になった頃、アメリアさんはとある富豪の男性に気に入られて引き取られたそうです。姉や孤児院の子達と離れるのが嫌だったそうですが、豊かな暮らしをして欲しいという皆と姉の後押しもあって富豪の家へ使用人として働いたそうでした。

 他の使用人と同じく家事を覚え、二ヵ月ほどして仕事に慣れ始めた頃……事態は一変しました。夜に富豪の自室へ呼ばれて向かうと、そこには裸となった使用人が富豪に抱かれていたそうです。アメリアさんも拾って貰った恩を返さなければ、という事で嫌々ながらも受け入れたそうです。

 一ヶ月もすると性欲処理にも慣れ、半年もすると初めにあったはずの苦が無くなり、一年もするともはや娼婦となんら変わらなくなった。そして三年もすると飽きられて奴隷として売られてしまった──。

 そして現在、こうしてジェラード侯爵の奴隷として生きてきた、らしいです。

 初めは覚束ない舌の動きでしたが、話すにつれアメリアさんの言葉は溢れ出るように零れていっていました。溜め込んで抑えていた感情を洗い流すように。それに釣られるかのように、彼女の琥珀色の瞳には涙が滲んでいました。

 その時、社長が私へ視線を送ってきました。次にアメリアさんへ視線を送り、頷いています。言葉はありませんでしたが、なんとなく言いたい事は分かります。私は席を立ち、アメリアさんの傍へと歩み寄ります。彼女は虚ろげな目で私を見ていましたが、私がなるべく優しく抱き締めると、震えた溜め息をしながら泣きついてきました。

 こんな事をしたのは初めてなのですが、私はどうすれば良いのか知っています。かつてお父さん達に引き取られた時も、社長に拾われて初めて夜を過ごした時も、こうやって抱き締めてくれたからです。

 頭を撫でる時のように手を丸め、ほとんど触れるくらいの力で背中を叩く。それは、とても心を落ち着かせてくれます。勝手に涙も溢れ出ますし、何よりも救われた気持ちになるのです。

 それと同時に、私は少しだけお父さん達や社長の気持ちが分かりました。こんなにも弱々しくて儚い姿を見せられてしまったら、こうして優しくしてしまいます。庇護欲……なのかは分かりませんが、守りたいって気持ちが沸き上がってきます。


「……辛かったんだね」


 社長がそんな事を言うものですから、アメリアさんは余計に泣き出してしまいました。時々しゃっくりを交えた泣き声が私の服を濡らし、彼女の感情を私は受け止めました。

 どれくらい経ったのかは分かりませんが、アメリアさんが泣き止んだ頃には彼女の目元が赤くなっていました。


「アリシア、そろそろ戻ってきて」

「ぁ……はい……」


 社長に言われ、私はアメリアさんから離れます。……名残惜しそうに見てくるアメリアさんに後ろ髪が惹かれますが、私は社長の隣の席へ戻ってきました。


「先に謝っておくね。──アメリア、私はこれから一度だけ貴女を物扱いする。どうにか出来たら良いのだけど、今回は私も少し自信が無い」

「んん……?」

「……………………?」


 よく分からない事を言う社長さんに、またもや私達は首を傾げました。物扱いをすると宣言するのもよく分かりませんし、それが一度というのもどういう事でしょうか。そして自信が無いとは一体何を指しているのか……。

 社長はこうして時々、分からない事を言います。ただ、そのどれもが良い方向へ転じていました。きっと、今回もそうなるのでしょう。


「料理も決まったし、これからどうするかも決めた。アリシア、手伝ってくれる?」

「はいっ」

「それじゃあ、調理室へ向かおう。アメリアさん、また後でね」


 社長からのお手伝いの要請に、私はそう返事しました。その時に気付いたのですが、アメリアさんは羨ましそうな視線を私へ送っています。……うぅ、どうにかしてあげたいです。まるで捨てられた仔犬のようで、とてつもなく心を揺さぶってくるです……。


「私、も……!」


 私達が部屋を出ようとした時、アメリアさんが声を掛けてきました。


「お手伝い、して良いでしょうか……?」


 痛いであろう左足を庇いながら、アメリアさんは自ら手伝いを申し出てきました。私は『勿論です!』と言いたかったのですが──


「いや、アメリアは待っていて欲しい」


 ──社長は違ったようでした。

 しゅん……、と肩を落とすアメリアさんが可哀想で、私は社長へ顔を向けます。ですが、社長は首を横に振って再度待ったを掛けました。


「たぶん、手伝ったらここから出る事が出来なくなる。だから待っていて欲しいの」

「…………? よくは分かりませんが……分かりました……」


 社長はアメリアさんにここで待つよう指示を出し、調理室の場所を訊いてから向かいました。

 アメリアさんも素直に座って待ってくれるらしく、私達が部屋を出るのを見送ってくれました。


「……さて、唸らせる料理を作るよ」


 部屋を出た社長は、いつもより強い感情を露わにして歩いて行きました。



…………………………………………



「──大変満足であったぁ……」


 出来上がった料理を全て平らげたジェラード侯爵は、さっきの来賓室でご満悦な表情をして椅子の背にもたれていました。

 用意した料理はたったの一つ。鶏肉を油で揚げたものです。ただ、調理を手伝っている時にやった事もないような手順や仕込みをしていたので、ただの鶏の揚げものではない事は明白です。

 種類豊富な調味料を混ぜ込んで鶏肉と漬け置き、それを高温の油で揚げたのです。それだけではなく、塩、塩胡椒、甘辛くドロリとしたタレなどの数種類を個別に用意して、好みでその鶏肉を食べられるようにしていました。

 一緒にお米も用意しており、ジェラード侯爵はなんと山盛りのご飯を六杯もお代わりしていました。その気持ちは分かります。すっごくよく分かります。味見の時に食べたら、頬が落ちてしまいそうなくらい美味しかったですから。

 お皿に文字通り山となったソレをジェラード侯爵は一人で食べ尽くし、今は後味すらも味わっているのか満足の溜め息を吐き出しています。

 ……羨ましいと思ったのは内緒です。


「満足してくれたようで何よりだよ。良い食べっぷりで、見ているだけで私も満足できたよ」

「褒めて遣わす……! このような料理は今まで口にした事が無い……!! いやぁ……吾輩の専属料理人にならんか?」

「丁重に断っておくよ。私の本職は料理人ではないしね」

「全くもって勿体ない……」


 声は心底残念そうにしていますが、顔は緩み切っていて全然残念がっているように見えないです。……やっぱり羨ましいです。今日の晩御飯はこれを希望してみましょうか……。


「お腹も膨れたようだし、私も帰ってやらなければならない事もある。そろそろ報酬の話をしても良いかな?」

「うむ。なんでも言うが良い」


 一息を置いて、社長はとんでもない事を言いました。


「そこに居るジェラード侯爵の奴隷、アメリアを私に譲って欲しい」

「────っ!?」

「む。うーむ……」


 流石にこれは緩み切った心も張り直す程らしく、ジェラード侯爵は姿勢を正して悩みました。

 目を閉じ、眉間に皺を寄せ、顎を撫で、首を傾げ、頭をガシガシと掻いています。

 そして、何かを思い付いたのか『あー……』と声を漏らしながら言いました。


「……金や名声では動かんと言っていたなぁ」

「そうだね。正直に言ってあまり興味が無い」

「…………アメリア、この料理の作り方は分かるか?」

「え……?」


 唐突に侯爵様から訊ねられたアメリアさん。予想をしていなかったのか、うまく反応が出来ていない様子です。


「この料理だ。手伝ったり、作り方を見ていなかったのか?」

「……はい。ここで待つようにと社長さんからご指示されましたので……」

「この子は手伝おうとしたけれど、脚を怪我している人を手伝わせるような趣味は無いし、足手まといになるから大人しくして貰ったよ」

「むう……そうかぁ……」


 またもや悩むジェラード侯爵ですが、今度は社長から提案を出してきました。


「調理法は私の財産でもあるから教えられないけれど、優秀な料理人ならば真似をする事は出来ると思うよ?」

「ふむ……なるほど。真似をさせても良いのか?」

「アメリアをくれるというのならば、どうぞ」

「……よし分かった!! アメリアをくれてやろう!」


 豪快に言葉を飛ばし、懐に持っていた鍵をパシンッと置くジェラード侯爵。私は社長の隣に居たので分かったのですが、社長は静かにゆっくりと溜め息を吐いていました。……もしかして、自信が無かったというのはこの事だったのでしょうか。


「ただ、また料理を作って来てくれんか? あまりにも美味だったのでな、これはしばらく食事に苦労しそうだ」

「これでも忙しい身だから、時間が空いた時だけで良ければ」

「うむ!! 良かろう!!」


 社長は鍵を手にし、アメリアさんへ視線を向けました。アメリアさんは少し困った顔をしてジェラード侯爵を見ましたが、侯爵様が無言で頷いたので、たどたどしく私達の方へと歩いてきました。

 傍に来たので社長は立ち上がり、アメリアさんの頭へ手を乗せました。


「これから私が君の主だよ」

「……はい。お役に立てるよう、精一杯頑張らせて、頂きます……」


 戸惑いを隠せないのか、これまたたどたどしく返事をするアメリアさんです。

 ……この時、なぜか私の胸はチクリと痛みました。初めての感覚で、それも一瞬の事だったので気のせいかもしれませんが……なぜかちょっと気になりました。

 それから私達は馬に乗せて貰ってオルトン商工会まで送って頂きました。陽が傾き始めていますが、まだまだ街の中は活発のようです。


「……さて、と。疲れたし一回帰ろう。アメリア、歩くのは少し辛いかもしれないけど我慢してくれる?」

「はい。いくらでも」

「よろしい。──アリシア」


 アメリアさんに確認を取った後、社長は私へ声を掛けてきました。


「ありがとう。助かったよ」

「──はいっ!」


 こうして、私達は家へと戻っていきました。

 ……これは少し後の話なのですが、アメリアさんの姿を見た主任さん達が信じられないモノでも見たかのような顔をしたのは言うまでもないでしょう。

 私の生活は、まだまだ変化がありそうです。




…………………………………………

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