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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
33/41

歩いて来た道(レール) 3

 ──黒い服は汚れが見えにくい。



 私は、こんな状況でそんな当たり前の事を考えていました。

 社長さんはまるで切り刻まれたのかと思えるくらいの量の血をその身に被り、真っ黒な服でそれを誤魔化しています。……ただ、それは隠し切れていません。

 黒色の大半を覆う赤茶けた染み──

 顔の右半分を血の布で拭ったかのような跡──

 痛んでしまった血の臭い──

 そのどれもが普通とは違う異常であり、吸血鬼である私でもあまりそのような状態にはなりたくないと思ってしまうです。

 おまけに明かりの下ではバレバレです。だから、こうしてローゼリアさんが顔を強張らせているのも分かるです。私やレックスがこの中央に、ましてや社長さんの後ろに居るのに、それすら気に留められないほど衝撃的のようです。


「すぐに手当てを──いえ、教会から神聖魔術を扱える修道士を連れてきます!」

「待って、ロゼ」


 そんなローゼリアさんを社長さんは手を出して止めました。ローゼリアさんは慌てて踏み留まり、焦りながらも困っているようです。


「これは私の血じゃないから安心して。それよりも、何があったか話すから中に入ろう」


 二人の事も説明しないとだしね、と言いつつ私とレックスへ視線を投げる社長さん。ローゼリアさんはそこでやっと私達へ目を向けて、少し考えてから中へ通してくれました。

 ……本当、色々な出来事がありました。本当に、色々な事が……。



…………………………………………



 一面の青空は、私にとって苦手な天気です。ジリジリと肌が焼けていくような感覚がしますし、力も入りにくいからです。実際どれだけお日様の下に居ても肌は白いままですし、力もお父さんより強いままなのであまり影響はありませんが、やっぱり気分的に苦手になってしまうです。

 お父さんやお母さん、レックスは晴れな方が良いそうで、晴れ渡っている時は笑顔で畑のお世話をしに出ます。


「アンター、アリシアー、レックスー。そろそろお昼ご飯よー!」

「おーう! お前らー、ここだけ終わらせたら戻るぞー!」

「ハーイ!」

「おう!」


 サッパリとした青空と、サッパリとしたお父さんとお母さんの声。晴れの日は苦手ですが、この声はとっても大好きです。落ち込んだ気分を持ち上げてくれますから、晴れの日にある嬉しい事の一つでしょうかね?

 お昼ご飯と聞いたからか、お父さんもレックスも作業の手が速くなった気がするです。レックスはこの前収穫して空いた畑の一画を耕していたのですが、もう本当にすっごい速さで鍬を振り下ろしています。それだけご飯が楽しみなのでしょうね。お父さんも肥料を運んで撒く速さが明らかに速くなっています。

 そんな二人の姿を見たら、自然と私の手も速くなるというものです。任されている玉ねぎの収穫も早くやっつけてしまいましょう! 引っこ抜いて根を切って、後で集めやすいように並べていって、それの繰り返し。今日は快晴ですので、このまま晴れが続いてくれたらすぐに乾いてくれるですね。

 作業を終え、家に戻り、お母さんが作ってくれた料理を食べ終わった時、私はふと思いました。


「そろそろ社長さんが来る日でしたっけ」

「ああ、そう言えばそうだねぇ」

「……いつもなら昼前に来ていたから、今日は来ないんじゃないのか?」


 最後の一口を飲み込む瞬間で遅れたお父さんの言葉で、ちょっとだけ残念に思ってしまいました。……でも、明日は来てくれるかもですよね?


「お前って社長に懐いてるよなぁ」

「ハイっ。なんだか、お姉さんみたいで頼れるです!」


 レックスがそんな事を言ってきたので、私は社長さんの横顔を思い出しながら答えました。

 他に見ない赤い眼鏡。普段は無表情なのに笑顔は安心させてくれる温かさ。そして長くて黒い髪は落ち着きを表わしています。私が魔族だと、吸血鬼だと分かっても変わらず優しく接してくれて、本当にお姉さんだったらなって思える人です。


「ん……? お姉さん?」


 ですが、お父さんはそこで首を傾げました。何かあったですか?


「社長は男じゃないのか?」

「え?」

「アンタ……いくらなんでもそれは失礼じゃないかしら?」


 お父さんの言葉で私は戸惑ってしまいました。私は社長さんを勝手に女の人だと思っていましたけど、確かに中性的だとは思うです。声と髪の長さからして女の人ですが……こうもハッキリと言われたら自信を失ってしまいます。……今度、訊いてみましょう。

 そんな時です。玄関の扉を叩く音が聴こえてきました。社長さんかと期待を抱きましたが、すぐに違うと分かります。だって、扉を『叩いた』音がしたからです。社長さんはこんな荒々しい音を鳴らしません。誰ですかね?


「はーい」


 私はパタパタと小走りに扉へと駆け寄りました。──この時点で、私達に悲劇が訪れる事が決まったとも知らずに。

 ハッキリと見えたのです。玄関の扉が飛んだのが。蝶番が弾けたのが。見えはしましたが、あまりにも突然の事で身体が動かなかったです。

 砕けて二枚となった扉が私を襲い、身を守るため反射的に身体を丸めました。割れた木の板と成り果てた扉は私を殴り倒し、そして床へと転がりました。


「──ほらな。居た」


 知らない男の人の声。何がどうして扉が飛んできたのか分からなかった私に唯一理解できたのが、その声でした。


「アリシア!!」

「てめえ! いきなり何しやがる!?」


 お母さんが心配をした顔で駆け付け、荒々しい声を上げたレックスは剣を構えたお父さんと一緒に私の前に立ちました。

 砕けた扉を踏みしめ、入ってきたのは二人の人間さん。剣を左腰に二本携えた男の人と、魔導書を片手にいかにもな魔術師の姿をした女の人。その二人は私達を冷たい目で見てきています。


「魔族と、魔族を匿う人間……。アーテル教に背きし異端者がどうなるか考えなくても分かるだろ?」

「少し前に聖女グローリア様が魔族に襲われたというお話、知らないとは言わせないわよ」


 お二人は聖堂騎士団の人達が言いそうな事を言ってきています。ですが……その姿はどう見ても冒険者のソレです。何よりも、聖堂騎士団はおろかアーテル教は私達へ干渉しないようにしているはずです。社長さんが聖女様たちと話して決めたと仰っていましたし、実際に聖堂騎士団の方々も私達へ何もしてきません。

 では……なぜ、この二人は私達にこんな事をするのですか……?

 どれだけ考えてもやっぱり意味が分からなくて、私はへたり込んだまま動けずにいました。


「その話は確かに知っている。許せない事だというのは俺も共感している。だが、それはこの竜人と何の関係も──ッ!?」


 お父さんが話している途中、男の人が突然斬り掛かってきました! 剣を抜きつつ片手で横に一閃し、お父さんの態勢を崩してから両手で持ち直しつつ上から叩き斬るかのように振り下ろしています。お父さんはなんとか剣で防ぎましたが、力は向こうの方が強いらしく、お父さんは苦悶の表情で食い止めているようでした。

 レックスが援護をしようとしましたが女の人が既に詠唱をしていたらしく、伸ばした腕の先には魔術陣が、更にその先には人の頭ほどの炎の玉がレックスを捉えていて動けないようにしていました。更には女の人の足元に不自然な小さい氷のトゲがいくつか見えています。動けば放たれる──近付いても氷のトゲで迎撃される──。戦いが苦手な私でも、それくらい分かります。


「問答無用なんだよオッサン。お前達が魔族を匿っている……。ただそれだけで裁かれるべき大罪だ。竜人だろうが何だろうが関係ねえ」

「皆殺しよ。正義は……私達にあるわ!」


 女の人の魔術陣が回転し、一回だけ脈動した瞬間、嫌な予感がしました。


「ちぃッ!!」


 宙に留まっていた火の玉がレックスへと撃ち出されたのです。レックスがそれを払い除けるように腕を薙ぐと火の玉は掻き消されましたが、鱗に覆われたその腕が煤けています。あの一瞬でそうなるのですから、どれほど危険な攻撃なのでしょうか……。


「アリシア……静かに聞きなさい。声は絶対に出しちゃ駄目よ」


 膠着していたお父さんと男の人が剣戟を始めた時、お母さんが私を守るように抱き締めながら囁いてきました。温かいお母さんの腕は、明らかに強張っています。


「私達があの二人の注意を逸らすから、アリシアは逃げなさい」

「っ──!!」


 咄嗟に声が出そうになり、それを強引に殺す私。お母さんはそれを見て私の頭を撫でると、小さな声のまま続けました。


「貴女なら本気で逃げれば誰も追い付けないはず。中央へ向かって、社長さんに助けて貰いなさい。……私達が頼れるのは、あの人しかいないから」


 その言葉に私は小さく首を振って拒絶しました。私は確かに世間知らずだと思いますが、それでもお母さんの言う通りにしたら何が待っているのか分かります。

 馬車を使っても中央へ着くのにかなりの時間が掛かります。運良く社長さんがすぐに見付かって、更に協力までしてくれるとなったとしても、ここへ戻ってくる頃にはお父さん達がどうなっているか……。

 今ですらお父さんは完全に防戦一方で、レックスだって迫りくる炎でジワジワと痛手を重ねています。家もあちこちに小さな火が付き始めていました。お母さんが加勢したとしても長く続くように思えません。


「アリシアが優しいのは分かっているわ……。でも、お願い。我が子だけでも生き延びて欲しいこの気持ちを、どうか受け入れて」


 その言葉を最後に、お母さんの温かい手が私から離れました。その温かくて優しい手が次に触れたのは、壁に立て掛けていた冷たくて硬い剣。お母さんは何かの詠唱をすると、女の人の足元にあるようなトゲが宙に現れました。


「アリシア! レックス! 走りなさい!!」


 その氷のトゲを女の人に飛ばし、お母さん自身も氷のトゲに追従するように斬り掛かりに出ました。

 私は一瞬だけ葛藤してから、意を決して足に力を込めて──


「──ぁ…………」


 ──そのまま、消えるように力が抜けてしまいました。お母さんの首に、男の人の剣が食い込んだからです。

 まるで時間の流れが遅くなったようでした。両手で扱っていた剣を片手に変え、空いた手で抜き放たれたもう一本の剣。軽く振るっただけにしか見えなかったソレでも、首の半分を斬るくらい容易かったです。


「が……ァ……!」


 喉を斬られてしまって声が出せないお母さんは、口と首から血を零れさせながら……力無く倒れていきました。


「エマぁッ!!」


 お父さんの叫び声。その声の後、肉の塊に刃物を突き立てたような音がしました。無意識にその音がした方へ顔を向けると、さっきお母さんを斬った剣が、お父さんの胸を貫いていました。


「なんて愚かだ。殺し合っている時に余所見をするとは」


 膝からゆっくりと崩れ落ちるお父さん。そのお父さんを冷たく見下ろす男は、乱暴に剣を引き抜きます。床にお父さんの真っ赤な血が広がり、お母さんの血と混ざり合って、更に床を赤く染め上げていました。

 私は、それが怖い夢としか思えませんでした。ついさっきまで、お父さんとお母さんは私達と優しくて温かい、平凡な生活を送っていたのです。こんな『一回目の怖い夢』と同じような事が現実だなんて、受け入れられませんでした。

 気付けば視界の端ではレックスが床に散らばった氷と一緒に倒れているのが見えていて、静かになっていました。家にあちこちに付いた火はパチパチと爆ぜる音を鳴らしながら姿を大きくさせていっていて、平凡な生活の姿なんてどこにもありません。


(ああ……全てが壊れてしまいました……)


 声には出なかったですが、呆然とする頭の中ではそんな言葉が浮かんでいます。

 お父さんも、お母さんも、レックスも、家も──いつも見ていた世界のどれもが、もう二度と戻らなくなっていました。

 コツリと床を歩く音がしました。音を出したのは、両手に二本の剣を持った男の人。その内の一本は血で濡れており、今まさに私を殺さんと振り上げられています。

 最後に残った私を殺すつもりのようです。ですが、私は知っています。それでは私を殺せないと。吸血鬼は、そのくらいじゃ死に至れないと。この人達じゃ、私を殺してくれないと。

 それが凄く嫌でした。お父さんもお母さんもレックスも死んでしまったのです。なぜ私だけ死ねないのですか? どうして私だけ、一人ぼっちにならないといけないのですか……? そんなの……絶対に嫌です。一人ぼっちになってしまうのは、もう……嫌です。


(でも……斬られ続けていたら、死ねるのでしょうか……?)


 僅かに残ったのは、そんな暗い希望。斬られて、刺されて、穿たれて、燃やされれば、いつかは私もお父さん達と同じように死ねるのでしょうか……。

 もしそうならば早くしてほしいです。そうじゃないとソポータ様が天界へ連れて行ってくれる時にお父さん達と一緒に行けません。痛いのは怖いですが、それ以上にお父さん達と離れ離れになりたくありません……。


「いや待ちなされ」


 今まさに剣が振り下ろされそうな時、知らない男の人の声が投げ掛けられました。壊れた玄関に立つその人は商人さんのように見えます。……誰でしょうか?


「その娘は奴隷にしましょう。実に美しくて可憐ですので、高く売れること間違いない!」

「なるほどな。当然、分け前は俺達にもあるんだよな?」

「勿論ですとも勿論ですとも! 金貨1枚ずつお分け致しましょう!」

(奴隷……私が……)


 それを聞いて、ただ一つだけ残っていた暗い希望すら消えてしまいました。私は……死ぬ事すら許されないようです。

 抵抗をすれば逃げられるでしょうが、乱暴は嫌いです……。乱暴な事をするくらいなら、される方がずっとマシです……。…………ああ、それも良いかもしれませんね。乱暴され続けたら、いつかは死ねるかもしれません。少し遅くなってしまいますが、もしかしたら天界でお父さん達と会えるかもしれませんよね……?

 何もかも諦めた私は、彼らのされるがままに移動しました。火の手が回って何かが落ちる音のする家から離され、私は奴隷の証である鉄の首輪を掛けられました。冷たくて硬いソレに商人は鍵を施し、鎖で引っ張りながら近くにあった馬車へ私を誘導しています。


「…………ぁっ」

「ん? ……誰だアレ」

「ここらじゃ見ない顔ね」


 そんな時です。見覚えのある人が、馬に跨って私達へと近付いているのが見えました。

 他に見ない赤い眼鏡──。黒い服で覆われた格好──。長くて黒い髪──。その姿を見間違える事などなく、社長さんでした。

 社長さんだと認識した私の胸中で、ほんの少しだけ光が差します。良い意味でも、悪い意味でも──。


「……おや、先客かな?」


 燃えていっている家と私達を交互に見ながら、社長さんは馬から降りてそう声を掛けてきました。


「誰だお前は」

「ここに用事があった者だよ。どうやら先を越されてしまったようだけどね」


 社長さんは肩を竦めながら悠々と歩いて近付いてきています。まるで、見知った人と話す為のように。その姿は、私にとって酷く違和感のあるものでした。


「……ん? 貴女……どこかで会った事があるかしら」

「うん? ……いや、初対面だね。もしかしたら他人の空似じゃないかな」


 魔術師の人が社長さんを見て首を傾げましたが、社長さんは軽く否定しながらもゆっくりと歩き続け、途中でその足を止めました。ある程度だけ空けたこの距離は、きっと初対面の人と外で出会った時に最適な距離のように思えます。


「随分と派手にやったようだね。ちゃんと片付けたの?」

「ああそうだ。オッサンもオバサンも竜人も、あの中で仲良く死んでるぞ」

「へぇ、そうなんだ。だけど、まだ一つやり残している事があるようだね」

「ん? ああ、コイツの事か? コイツは奴隷として売り捌く。良い金になるってよ」

「いや、そうじゃないよ。私が言っているのは……そうじゃないの」



 バァン──ッッ!!



 いつか聴いた炸裂音。それが、社長さんの武器から発せられました。ドシャリと倒れる二本の剣の人。その倒れる瞬間……人であるはずの姿から、頭が無くなっていました。詳しく見たら吐きそうだったので咄嗟に顔を背けましたが、その瞬間はハッキリと見てしまいました。

 破裂。言葉で表すならば、それ以上に当て嵌まる言葉はありません。二本の剣の人は、社長さんの攻撃により頭が弾け飛んだのです。


「……え? な、何が……!? い、いや……!! イヤァアッ!?」

「黙りなさい。動くな。動いた人は、今みたいに殺す」


 武器の横から何かを詰め込み、ヒポグリフを撃ち落とした時のように武器を構える社長さん。ゆっくりと言い聞かせるように話すその顔は、ドス黒い怒りを表わしていました。

 社長さんの氷より冷たい言葉に、魔術の人は笛のような悲鳴を短く上げて黙りました。私の首輪に繋がる鎖を持った商人は手をブルブルと震わせて怯えています。


「奇妙な杖……魔術……赤い、眼鏡……! まさ、か……社長……!? あのルーファスすら凌ぐと噂された、社長!?」


 どうやら魔術師の人は社長さんの事を知っていても見た事が無かったようです。会った事があるか、と言っていたのは、見覚えが無いのに知っていたからでしょうか。


「そうだね。私は社長。──そんな事よりも、正直に答えなさい。三人を殺し、家を燃やしたのは誰?」

「そ、そこの二人だ!! 私は何もやっちゃいない!」

「────っっ! ち、違うわ!! い、今、貴女が殺した人よ!! そいつが全部やったの!!」



 バァン──ッッ!!



 もう一度、あの音がしました。さっきと同じように人が倒れる音もしましたが、今度は獣のように叫ぶ女の人の声もしています。恐る恐る、泣き叫ぶ魔術師の人の方へ目を向けると……その人の脚が一本無くなっていました。少し離れた場所に短くなった脚が転がっていて、それは裂けたかのように千切れていました。


「服と帽子に大量の煤。言ったよね? 正直に答えなさいって……」


 変わらずゆっくり話す社長さんが、とても怖く映りました。何もかも諦めたと思っていた私ですが、今の社長さんはあの時の聖堂騎士団の人達よりも、御伽噺の魔王よりも恐ろしく見えてなりません。

 腰に添えていた短剣を抜きながら近付いてくる社長さん。その視線の先には必死に血を止めようとしている魔術師の人が居ます。彼女の前で膝を折った社長さんは、短剣を持った手を振り上げ、薪でも叩き割るかのように思いっきり振り下ろしました。


「痛い!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」


 短剣は魔術師の人の腕に根元まで深く刺さり、更なる悲鳴を上げさせています。……あんなに優しく接してくれる社長さんが、こんな事をするだなんて。

 にわかに信じられませんでした。ひょっとして目の前の社長さんは別人で、本当の社長さんはまたどこかに居るのではないでしょうか、と思ったくらいです。

 鞘に収まった剣を抜くかのように短剣を腕から引き上げられ、痛みが少しはマシになったのか魔術師の人は呻くように泣きじゃくりだしました。顔は涙や汗や血と混じった土でドロドロになっていて……見ているだけで、罪悪感を覚えます……。


「答えなさい。何が目的でこの人達を襲ったの?」

「ひっ……ま、魔族が……許せない、から……」


 完全に心が折れてしまったのか、魔術師の人は顔を真っ青にしながら答えました。

 それを聞いて、私は呑気にも『ああ、やっぱりですか……』なんて事を考えます。なんとなくですが、そんな気はしていました。人間さんや妖精さんは、もうずっと魔族と争い合っているのです。親を殺された人も居るでしょうし、子供や恋人を失った人だって居る筈です。目の前の恐ろしい光景のせいで、その理由がとても普通で当たり前のように思えてしまいます。……本当は、とても重くて根深い理由だというのに。


「どうして許せないの?」

「婚約者を、殺されたからよ……。私と彼は、同じ理由で冒険者を始めた……。魔族を、復讐する為に……! 大事な人を虫けらのように殺していった、魔族を根絶やしにする為に!!」


 段々と声を荒げる魔術師の人。その理由は、とても悲しいものでした。いえ……共感さえ出来ます。その辛さを、私は知っていますから……。

 胸が締め上げられたかのように痛いです……。私も復讐を考えた事は一度や二度ではありません。初めの方は心の中で何度も呪いました。吸血鬼として、全力で壊し回ってしまいたかったです。

 そうならなかったのは……お父さん達とお母さん達が優しくて温かかったからでしょう……。


「……なるほどね。それで、その魔族を殺せたの?」

「まだよ……! 今はどこに居るのかも分からないわ……。だから、全ての魔族を殺せば、いずれそいつも殺せる……! だから、あの竜人の魔族も! 魔族を匿った反逆者も!! 全部殺さなきゃならないのよ!!」

「そっか」


 煮え滾った感情を曝け出す魔術師の人とは対極に、社長さんは冷たく相槌を打ちました。そして……血塗れとなっている短剣を、魔術師の人の首に添えました。


「なら、私のコレも受け入れなさい」


 ピッ──と短剣を空へ向けた社長さん。短剣にお日様の光が反射し、一瞬だけ目を閉じてから入ってきた視界には──鮮血が噴き出している光景でした。

 初めに勢い良く社長さんの顔へ血を浴びさせ、すぐその後は弧が強くなるにつれ穏やかに変化していきました。風に乗ってくる強烈な血の香りが私の本能を刺激してきます。込み上がってくる欲望を必死に抑え付けてはいましたが、恐ろしいながらも美味しそうなソレからは目が一切離せませんでした。


「……はぁ。本当、こういうのは嫌いだよ」


 血の滴る服の汚れていない部分で眼鏡や短剣の血を拭った社長さんは、どう見ても異常者でしかありませんでした。比較的白い肌は血で化粧され、黒い服でも分かるくらい赤い血が上塗りされていて、吸血鬼である私でも怖いと思える姿です。

 そんな状態だというのに、社長さんは眼鏡や短剣を手入れし、顔はサッと袖で拭いただけです。恐怖という文字を人にしたような、そんな怖さが社長さんにありました。


「さて、君は商人かな」

「ハ、ハイッ!!」


 その社長さんが、商人へ声を掛けます。恐ろしい事この上無いのか、鎖が擦れて音を鳴らしています。


「ならば分かってくれるかな。あの燃えている家の人達は、私の取引相手だったの」

「取引……相手……?」


 そう、と社長さんは未だ僅かに怒りを残しながら肯定しました。ただ……どうしてでしょうか。社長さんのその言動に、どこか違和感があります。噛み合っているのにズレているというか、真っ直ぐ捻じれているというか……そんな矛盾な感じです。


「もし貴方ならどう思う? これから仕事の話をして、お金を稼ぐ話をしようとした矢先に全てを壊されたら、怒りが込み上がってこない?」

「え、ええ……確かに……」

「入るはずだった金貨は無くなり、時間という有限なモノを浪費しただけに終わる……。その時間があれば、もっと稼ぐ事が出来たのだから」

「なる、ほど……。つまり、邪魔をしたあの二人は死に値すると」

「話が早いね。商人として見ると、今回のあの二人は私の敵となった。ならば、ここで殺しておかないと次も邪魔されかねないでしょう? もっと大きな仕事の時に同じ事をされでもしたら、それこそ大損害だよ」


 社長さんの言葉に納得をしたのか、顎に手を当て言葉を噛みしめるように喉を鳴らしながら商人は考え込みました。冷静さを取り戻し始めている事から、社長さんのこの異常な行動に理解と納得をしているのでしょう。

 ただ、やっぱり私には社長さんが別の事を言っているように聞こえます。人間を『半分の月』と比喩した社長さんは今この時、何を言っているのでしょうか。社長さんは商人ではない……と思いますので、まさかこのやり取り自体が別物の可能性もあるのでしょうか?

 と、そこで私はある事に気付きます。社長さんからは見えないように口元を隠していますが、商人の口端がほんの僅かだけ上がっているのです。その商人の視線の先にあるのは、社長さんの武器。先程、轟音と共に頭を弾き飛ばして脚を千切り飛ばしたあの武器です。あの武器がどうかしたのでしょうか……?


「それでしたら丁度良い! 今ここに仕事の話がございますよ。そこの二人は私の護衛で雇ったのですが、残念な事にもう仕事が続けられそうにありません」


 満面の笑みを社長さんに向ける商人。……とても、とても嫌な笑い方です。何人も人が死んだというのに、どうしてこんな笑い方が出来るのですか? 何かを企んでいる、とか……?


「そこで! その護衛を遥かに凌駕する貴女へ仕事を依頼したいのです!」

「へぇ? 随分と肝の据わった商人だね。今まさにその二人を殺した人へ、そんな依頼をするだなんてね」

「これは至極当然の事です。この辺りは魔族が拠点を作ろうとしていたという話もありますし、だからこそ護衛を雇ったのですから。私は命が惜しい。そして貴女は損失の穴埋めをしたく思っているはず」

「なるほどね。だから私を雇ってお互い利を得ようという事か」


 まるで演説でもしているかのような商人の顔を、社長さんは無表情で見続けています。……いえ、少しだけ目が細まっているような? なんだかあまり機嫌が良くなさそうに見えます。

 商人は私を鎖で引っ張りながら、社長さんへと歩み寄り始めました。


「ささ。馬車の中には着替えもございます。返り血で気持ち悪いでしょう。荷物はお持ちしますので、どうぞ中でお着替え下さい」


 社長さんの荷物というと、腰に据えた短剣と手に持った武器のみ。商人はその武器を預かろうとしているようです。

 ですが、社長さんは商人の気遣いをサラリと流しました。


「……おや? まだ私は報酬の話を聞いていないよ。貴方は何を出すつもり?」


 少しだけ低くなった社長さんの声が、とても怖く感じます。何か……何か、良くない事が起きそうです……。

 ざわめく胸が不安を覚えた時、強引に鎖を引かれて態勢を崩し掛けました。それをした商人は、未だに満面の笑みで社長さんへ面と向かっています。


「こちらの奴隷をどうぞ」


 そう言った商人は、私を社長さんの傍に押しやりました。繋がっている鎖をジャラリと鳴らし、社長さんの手元へそれを差し出しています。


「美しく可憐でしょう? 髪は光り輝く小麦畑のようで、瞳は丁寧に磨かれた宝石と見間違う程。おまけにとても大人しい。まだ教育も調教も一切しておりませんので、貴女のお好きなようにする事も可能です! このままでも金貨10枚は下らないと思いますが、調教次第では20にも30にも届く売り物へと膨れ上がるでしょう!」


 商人の言葉に、社長さんは無言で私へ視線を移します。私の目の奥を見るように覗き込み、私を観察しているようです。

 そこで私は気付きました。社長さんは、私を観察などしていません。私を見てはいますが、その瞳には怒りが含まれていました。ただ、その怒りは私に向けられていないようです。だって、一度だけ瞼を閉じて次に開かれた時には、それが葛藤へと変わっていたからです。


「もし契約をされるのでしたら、この鎖を手にお取り下さい。その時点でこの奴隷は貴女が所有者となり、契約は結ばれます。このような上質の奴隷は滅多に手に入りませんよ?」


 社長さんは未だに何かを悩んでいるようです。眉を少しだけ顰めさせ、唇を噛んでいました。


「…………社長さん……」

「────っ!!」


 私が無意識に名前を小さく呟くと、社長さんは目を見開き、まるで奪い取るように鎖を掴みました。そのまま私を片手で強く抱き寄せ、明らかな憤怒を見せながらあの武器を商人の口へ突き入れています。


「は──!? はに、を!?」

「もう我慢できない……! アリシアに何をしている……!!」


 私の名前を口にした瞬間、商人は自分の置かれている状況を理解したようです。脂汗がだらだらと流れ落ち、命乞いでもしているのか何か言っているようです。


「奴隷? 調教? 売り物!? 誰がそんな事をするものか!! あの世で己の非道を懺悔しろッ!!」


 耳を劈く炸裂音──。一層強く抱き寄せられたので商人の最後の瞬間を見ずに済みましたが、遅れてやってきた水袋を落としたような音で……どうなったのか容易に想像が付きました。

 そして、社長さんは銃を背中に仕舞い、私を強く……震えながら抱き締めてきました。血で湿った服越しに、社長さんの体温が伝わってきます。


「アリシア……」

「……はい」


 先程までの荒々しい口調などどこにも無く、いつか見せた弱々しい声が響きました。


「ごめん……来るのが遅かった……」


 その悲痛を感じさせる言葉で、今になって涙で目の前が滲んできました。麻痺していた感情が、濁流となって胸の内を滅茶苦茶にしていきます。家族を失った痛みが、燃え落ちていく家の喪失感が、何も出来なかった無力さが、ちっぽけな私を襲いました。ただただ泣きじゃくり、しがみ付き、喚き、自分でも何を言っているのか分からない言葉を叫び続けています。そんな私を、社長さんは頭を撫でて宥めてくれました。

 心の内にある言葉を全部吐き出した頃、やっと私は落ち着きを取り戻し始めました。埋めていた顔を上げ、ぼやけた視界に映る社長さん。社長さんは今でも罪悪感を覚えた顔をしています。申し訳なさそうに私を見ています。……ですが、私にはこの世界で一番頼りになれる人だと思えました。

 確かに今は弱々しい顔をしています。圧倒的な暴力という手段を取りました。しかしそれは私達の事をそれだけ強く気に掛けている証拠の表情であり、私を助け出す為の確実な手段でもありました。

 普段は冷たいようで、誰かの為に怒ると怖く、そして優しい人──。そんな風に社長さんの事を知っているからこそ、私は社長さんに信頼を寄せるのかもしれません。

 首に掛けられた奴隷の証……それに軽く触れた私は────。



…………………………………………。



「──こんな感じかな」


 時々紅茶を嗜む社長さんと隣の私がお互いを補完し合いながら、主任さん達に何があったのかを説明しました。レックスも私達に何があったのか気になっていたようなので、静かに私達の言葉へ耳を傾けています。

 三者三様という言葉がありますが、今はまさにそんな感じの状態です。主任さんは肘杖を突いて社長さんを睨むようにしながら黙って話を聞き、ローゼリアさんは社長さんと同じように紅茶を口にしつつ相槌を打ち、リリィさんは真剣な顔持ちをしつつたまに質問を挟みながら自分の中で理解しやすいように話を噛み砕いている様子です。

 ローゼリアさんは紅茶で唇を濡らし、なるほど、と漏らすように声を出しました。腕は社長さんと同じような組み方をして、どことなく社長さんを真似ているように見えます。


「ところで話されていませんでしたが、レックスさんはよく生きていましたわね。それと、よくこの街にも入れましたわね?」

「ん? ああ……俺はどっちかって言うと氷の魔術のせいで身体が冷えてな……。倒されたっていうよりも身体が冬眠に入って戦えなくなったようなもんだよ……」


 気まずそうにレックスは言っていますが、あの時は本当にビックリしたです。崩れ落ちる家の中からお父さんとお母さんを両脇に抱えて飛び出してきたレックスを見た時、何が起きたのか分からなかったですから。


「中に入れたのは……まあ、これだね」


 社長さんは左手の甲を見せ、レックスは背中を見せます。そこにはリリィさんと同じく使い魔の刻印があります。リリィさんも胸に刻印がありますので誰かと契約をしているのでしょうが、間違いなくレックスと比べて契約の意味は違うものでしょう。なぜなら、社長さんとレックスが交わした契約とは『権利、義務、拘束力の無い仮契約をする』が契約内容の、無意味な契約だからです。正式な理由で中央都市ハーメラへ入って滞在できるようにする為だけの中身が空っぽの契約です。主従関係すら発生していなく、ただ刻印があるだけで今までと何ら変わりありません。……使い魔の契約でこんな契約をした人って社長さんだけじゃないですかね?


「なるほどねー。……でも、もう一個だけ気になる事があるのよね」

「ええ。もう一つだけ……」


 レックスの事に納得したのか、ローゼリアさんとリリィさんは次の疑問点の話へと続けました。お二人だけでなく、主任さんすら私へ視線を向けています。


「私、ですよね」


 集まった視線の先。それは私であり、私の首に付いている『コレ』でもあります。

 奴隷の身分を表わしている首輪──。鍵は勿論掛かっていて、その鎖も捩じ切って短くなってはいますがちゃんと付いています。

 私はこの硬い首輪を指先で触れながら、自然と出てきた笑顔で答えました。


「えへ。社長さんの奴隷になりました」

「ふざけんなよテメェ」


 なので、ビックリしました。今まで黙っていた主任さんがいきなり口を開いた事もそうですが、何よりも不機嫌そうに社長さんを見ていたからです。……え、なぜ……ですか? 私をそうやって見るのなら分かりますが、どうして社長さんへ……?

 しかもよく見てみれば、ローゼリアさんも眉を顰めさせていますし、リリィさんは憐れみを含んだ目を私へ向けています。訳が分からず、私の頭は混乱してしまいました。


「アリシア。私はアリシアを奴隷にするつもりは無いって言ったはずだよね」

「いいえ。私は商人から首輪を付けられた時に奴隷へ堕ちてしまったです。だから私は奴隷ですし、社長さんがご主人様です。社長さんだって、鎖を手に取って下さったではないですか」

「む……あれは……感情的になったからであって……。本当ならば、もう少し情報を吐き出させたかったのだけれど……つい……」

「あの時の商人の言葉も憶えているです。この鎖を手に取った時点で私は社長さんの奴隷となる、って」

「あの商人はもう死んだ。だからアリシアはもう奴隷じゃない」

「私が奴隷かそうではないかに、あの商人の生死は関係ないと思うですよ?」

「……認めない。私はアリシアを奴隷なんて扱いにしない」

「むう……強情です……」

「どっちがよ……」


 困った顔で溜め息を吐く社長さんと、どうしても奴隷と認めて欲しい私。自分でも分かりますが、傍から見たら異常な光景でしかないでしょうね。現に主任さんもローゼリアさんも意味不明そうな顔をしていますし、リリィさんに至っては頭を抱えて悩んでいるです。


「ええっと……社長さん、アリシアさん、何がどうなっているのですか……?」


 少しの沈黙の後、ローゼリアさんは説明を求めてきました。その顔は、もう混乱しきっている感じです。

 その説明を、社長さんはもう一回だけ溜め息を吐いてから始めました。


「……この中央でアリシアがどういう扱いをされているのかは知っていると思う。魔族を匿っている一家の一人……そういう扱い。だから、事情がどうであれ普通ならば中に入る事が出来ないのは考えるまでもなかった。だからアリシアには奴隷の振りをして貰おうとしたのだけれど……」


 社長さんは左目を閉じ、困った顔を変えずに一呼吸をしました。


「……御覧の通り、なぜかアリシアは振りではなく本当の意味で奴隷になりたがっているの」

「えぇー……。アリシアちゃん……どうして奴隷になりたいの?」

「使い魔になりたがったお前がそれ言う??」

「主任、ちょっと黙っててくれない?」

「ひでえ。お前本当に俺の使い魔かよ」


 ……えっ? リリィさんって主任さんの使い魔だったのですか? 驚愕の事実に少し驚きました。てっきり、魔術師である社長さんの使い魔かと思っていたですが……。それに、使い魔なのに主任さんの扱いがだいぶ雑です。……えっと、本当に主任さんの使い魔なのですか?


「ええっと……言えない部分もあるのですが、私は社長さんの事を信頼しています。社長さんは、普通の人だったら受け入れられないであろう事を受け入れて下さっているですから。そんな社長さんが、私の窮地をたった一人で救ってくれました。腕の立つ護衛の二人と、何か企んでいた商人を相手に、たった一人で私を救って下さったです。……それに、お父さんが息を引き取る時、お父さんが社長さんへ私の事を託しました。社長さんもそれを受け入れて下さいました」


 レックスがお父さんとお母さんを抱えて家から飛び出た時、お父さんはまだ微かに息がありました。たぶん、剣は心臓を掠めただけで貫いていなかったのだと思います。でも身体は火傷を負っていて、出血量から助からない事は明白でした……。その時、お父さんは言ったのです。社長さんへ、私達の娘を頼む、と。社長さんはお父さんの最後の願いを聞き入れて、お父さんは笑顔で……この世界を去りました。


「だから、私は奴隷となって社長さんに尽くしたいです。奴隷になるという事は、逆に言うとご主人様の為にこの身の全てを捧げられる事なのですから」

「……うーんなんだか献身的過ぎないかしら?」

「えへ。それだけ、私は社長さんに何かをしたいです」

「……よし、分かった。そこまで言うのなら私は認めるよ」


 そこまで語ると、社長さんは唐突にそう言いました。一瞬、嘘なのかと思ってしまいましたが社長さんがそんな嘘を言う訳ありません。


「本当ですかっ!?」

「本当だよ。アリシアはこれから正式に私の奴隷となって貰う」


 舞い上がる私に対し、ただし、と言って社長さんはいくつかの条件を付けてきました。


「まず、私の事は『社長』と呼び捨てにして貰おうか」

「? は、はい……。分かりましたです……社長……」


 最初の条件は、なんともよく分からないものでした。……なぜ奴隷に自分を呼び捨てさせるのですか?


「次に、思った事は正直に言う事。意見や反論があればしっかりと伝える事」

「え、え……? なぜ、そのような事を……?」

「本当に私の為に行動するというのなら、意見や反論を言わないと私が間違った道を進みかねない。だから、これは私の為になる事だよ。それは仕事でも日常でも同じ事。だから、思った事は正直に言うべきでしょ?」

「なるほど……」


 確かにそうです。誰かの意見に耳を傾けるというのは大事です。奴隷の言葉であったとしても、それで社長さん……いえ、社長に利のある言葉であれば社長の為にもなりますし、私も嬉しいです。


「次。自分を大切にする事。明らかに必要以上の事をして自分自身を蔑ろにしないようにしてね」

「はい」


 素直に頷いてから思いました。……あれ? なんだか変なような……?

 妙な違和感を覚えていると、ローゼリアさんが楽しそうに笑い始めているのが目に留まります。……何かおかしな事でもあったですか?


「最後に、今までと同じように振舞う事。具体的に言うと、主従関係を考えず、ありのままのアリシアで居なさい。その方が私も楽だからね」

「待って下さい……。それ、もう奴隷ではないです……」


 ここでローゼリアさんが笑いを堪えて顔を隠しました。ええ……なぜ楽しそうにしたのか分かったです……。社長の意図が分かったからですね……?


「おや、間違いなく奴隷でしょ? ほら、首輪の鍵も私が持っているよ」

「そうではないです! 扱いが奴隷ではないと言っているです!」

「うむ。しっかり意見を言っているね。間違いなく私の奴隷をしている」

「う……。確かに社長から見ればそう見えるかもですが……。なんだか違わないですか……?」

「なんて献身的で優秀な奴隷かな。主が今さっき決めた言いつけをしっかりと守っている。これならこの先も安心できるね」

「それは……そうかもしれませんが……」

「主の私は奴隷たるアリシアの言動にとても満足している。何か問題がある?」

「…………でも、奴隷という扱いではないですよね?」

「おや、私は自分の奴隷をこういう風に扱うけど?」

「うぅ……うぅー……!」

「聞くに世の中の奴隷は主人の横暴や意向でとても辛い思いをしているらしいよね。──今のアリシアと同じように」

「あぅ……」


 そう言われ、私は諦めました。ご主人様である社長がそう言ってしまえば、もう私から言える事は何も無くなってしまいます……凄く言い包められた感じがするです……。

 私はさっき『ご主人様の為にこの身の全てを捧げられる』と言いました。社長の望む事ならば何でもする気持ちを込めて言った言葉です。社長が私へ要求して、私が社長に応える。それは現状でも間違っていないのですが……確かに何も間違っていないのですが……。


「ふふふ。アリシアさんも社長さんの事が少し分かったようですわね」

「普通の方ではないと思っていましたが……予想以上です……」

「ええ。私も予想以上ですわ。本当、私を楽しませて下さいます」


 本当、ビックリです。奴隷を奴隷として扱わないだなんて、初めて聞きました。そして、その事に対して少し残念に思っている私は……同時に温かい気持ちが胸に広がっていました。

 本音を言えば奴隷になるのは嫌でした。この首輪を付けられた時なんて全てを諦めたくらいです。社長の奴隷ならば良いと思ったのも、あくまで『奴隷という身分』の上での話です。奴隷に堕ちたこの身を拾って下さった社長に感謝を示す為、仇を討ってくれた恩返しをしたいが為に社長へ尽くすつもりでいました。

 でも、社長は変わりませんでした。私が魔族だと、吸血鬼だと知った時と同じく変わりません。変わらず優しくして下さっています。それが、とても嬉しいです。


「さて、説明はこれで終わりだよ。仕事に関しては明日に話そう。お腹も空いただろうし、ご飯を作るからアリシアも手伝ってくれるかな」

「はいっ! 喜んで」

「なら、先に台所へ行って貰って良いかな。私は顔の血だけでも落としてくるよ」


 社長に頼まれ、私も一緒に台所へ立って夕食を作りました。その時に知ったのですが、社長は手の込んだ料理をするのが好きらしく、今日は特に腕を振るったそうです。

 その結果は言うまでもないでしょう。多くの調味料を使った料理は驚くほど美味しく、リリィさんとローゼリアさんは特に満足した表情を浮かべていました。

 社長はお風呂に入って身体の血を落とし、私も入らせてくれて身を清めました。後は寝るだけです。


「……レックスは床じゃないとダメなの?」

「ああ。……どうも布団っていうのに慣れなくてな。柔らかいから眠れねえんだ」

「そういえば、余ってたお布団を一度も使ってなかったですね」

「じゃあおやすみ……」


 私とレックスが寝る場所について話していると、早々にお布団へ潜り込む主任さん。邪魔しないよう私達は声を少しだけ小さくして続けました。

 結論から言うとレックスは床で伏せるように寝転がり、私は社長のお布団へお邪魔する事になりました。

 初めは社長が床で寝るだなんてとんでもない事を言い出したのですが、私のある理由を聞いてそれを改めてくれたです。

 寂しいから、一緒に寝て欲しい──。私の正直な気持ちを伝えると、社長は理解してくれたのか一緒のお布団で寝る事を許してくれました。

 美味しいご飯を頂いて、温かいお風呂に入れて、きっと私の心が解れてきたのだと思います。だからなのか……急に寂しくなってしまいました。

 お父さんはもう居ません。お母さんももう居ません。暮らしてきた家も無くなりました。……それが、急に現実味を帯びて襲ってきたのです。

 思えば、あの時もそうでした。家を燃やされ、続いて『お母さん』が殺され、怯える私は『お父さん』に抱えられながらお父さんとお母さんに出会いました。そして『お父さん』が託すと同時に灰となって……。

 ああ……まるっきり同じです。同じ事を、私は繰り返しています。


「アリシア」


 寝台に腰掛けた社長に呼ばれ、私は顔を向けます。どうやらボーッとしてしまっていたようで、既にレックスは身体を丸めて目を閉じていました。私は社長の声に誘惑されたかのように歩み寄り、社長の前で立ち止まります。

 社長は腕を広げ、私に言いました。


「おいで」


 私は社長のお誘いに、躊躇なく身を寄せました。すぐに、けれどゆっくりと社長は腕を閉じ、私を包み込みました。私の中で、何かにヒビが入っていくような感覚がします。

 社長が身体を横にしたので、私の身体も同じように倒れていきます。社長の胸に顔を埋めているせいで、私の頭は自然と社長の腕を枕とさせてしまっていました。けれど社長はそれを嫌がるどころか、私が安心できるように背中を叩きました。……いえ、叩くというよりは触れて離すの繰り返しと言った方が正しいかもしれません。頭を撫でる時のように手を丸め、その状態で背中を触れてきています。

 投げ出された脚も布団へ潜り込ませると、社長の脚がそこにありました。布越しでも分かるその体温。全身で社長の温かさを感じた時、私の中の何かは壊れるように割れました。

 その瞬間、あの場所で枯れ果ててしまったと思っていた涙がまたもや溢れ出てきました。悲しみと痛み、辛さと喪失感。あの時と同じようにそれらを感じつつも、私は安息を感じています。

 本当、社長は私にとって頼れるお姉さんみたいです。だって、こんなにも私の心に平穏を与えてくれて、私を包み込んでくれるのですから……。

 そんな時、社長は少しだけ強く私を抱き締めてきました。静かに涙を流しているというのが伝わってしまったのでしょうか。真実はどうなのか分かりませんが、きっと社長の事です。私が今どんな気持ちでいるのかお見通しなのでしょう。

 ダメだと分かりつつも、私は社長に甘えました。温もりを求め、もっと身を寄せました。社長はそれを拒む事無く、受け入れてくれています。それが溜まらなく嬉しくて、安心できて、もう二度と失いたくないと思いました。

 そんな状態でずっといれば、変化も訪れます。社長の呼吸がゆっくりと、そして深くなっていたのです。あんな事があった後ですから、疲れてしまったのでしょうね。

 私も眠りましょう。この心地良い状態をもっと感じていたいですが、それは明日に響いてしまいます。

 私は社長の規則正しい寝息を子守唄に、ゆっくりと意識を落としていきました。

 ボヤけた頭の中で、私はお父さんとお母さんの顔を思い浮かべながら、こう思いました。



 お父さん、お母さん。私は、お父さん達の分まで幸せになってみせます。

 だから、おやすみなさい……────。

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