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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
29/41

漠然とした違和感 3

 ……これは、どういう状況だろうか。目の前の光景があまりにも想像の範疇を超えていて理解が追い付かない。


「は、裸……! ナリシャさんが、男の人に……! 裸で……!!」


 まず、一番目を引くのはリアの言った事だろう。いつかの褐色のお兄さんが、一糸纏わぬナリシャさんを大事そうに抱き上げている。これ、まさかとは思うけど……。


「お邪魔……でした?」


 ベッドに運ぼうとしている途中だったのかな……? 何の為にとは言わないけど。いや、それだったら服を脱がすのはベッドの上の方が都合が良いような気が……?


「こ、こここれは、だな!? し、仕方が無くてだな!? 俺がやるしかなくてだな!!?」

「はっ……! もしかして……ナリシャさんの恋人さんだったりするのですか!?」


 リアの言葉で軽く納得する。男の人が女の子のお世話をするっていうのは今になって考えると少し違和感があったんだ。けど、もしナリシャさんに恋人がいて、その人がこの褐色のお兄さんならば理解も出来るし納得も出来る。……まあ、この状態のナリシャさんに『今やろうとしているであろう事』にはちょっとどうかと思うけど。

 ちょっと前まで甲斐甲斐しいなぁ……なんて思ったんだけど、やっぱりお兄さんも男という事だろうか。


「いやそういう訳じゃ……」

「……え? 違うのにナリシャさんを裸に……?」


 爆弾発言だった。恋人の関係でもないのに女の子を裸にしたっていうのこの人? それって強姦だよね……?

 僕はリアの盾になるように位置を変える。目の前のお兄さんがとても不純な人に見えたからだ。


「身体を拭いてただけだっつぅーの!! お前らが考えてるようなよこしまな事は何一つしちゃいねえよ!!」


 本当かな……。と疑った瞬間にある事に気付いた。よく見るとお兄さんの右手には布が持たれている。見た感じ、湿っているようだ。次に足元の桶が目に入った。ほんのり湯気が昇っており、お風呂のお湯をそのまま持ってきたように思えた。

 ……あ、なんかこれ本当っぽい。でもなんで抱き上げているのかはサッパリ分からないや。


「はああぁぁぁぁぁ……。まあでも丁度良いか……。コイツの身体、拭いてやってくれ」


 盛大な溜め息を吐く、不純ではなかったらしいお兄さん。ゆっくりと丁寧にナリシャさんを床に下ろした後、お兄さんは僕に布を放り投げてきた。慌ててそれを受け取ると、思った通り少し温かくて湿っている。結構固く絞ったんだなこれ。

 そしてお兄さんは床に置かれたナリシャさんの服らしき物を拾い上げ、開かれたままの扉から出ようとしていた。


「え? どこに行くんですか?」

「服を洗って干してくるだけだ。あと小銭でも稼いでくる」


 なんで出ようとしたのかが分からなくて声を掛ける。その返事は洗濯をしに行くという。……なんだか逃げたように見えなくもないが、玄関とは逆の方向へと歩いて行ったので洗濯をしに行ったのは間違いないだろう。


「……い、行ってしまわれました」


 未だに心が落ち着いていないらしいリアは顔を赤らめたまま、閉められた扉へ首を向けている。対して僕は非常に困っていた。……いくら女の子の身体になって久しいと言っても、女の子の裸に触れるというのは厳し過ぎる。自分の身体ですらまだまともに触れられないくらいチキンな僕……。そんな僕がナリシャさんの身体を拭くなんて到底無理な話である。


「……リア。拭いてあげるのはお願いして良いかな」

「あ、はっはい! お任せ下さい!!」


 ……なんだか不安になる返答だったけど、とりあえず僕はお兄さんから放り投げられた濡れ布をリアの手に渡した。それをリアは一回お湯に浸した。……なんで?

 何をするんだろう、と思いながらリアの様子を観察する。どうやら彼女はもう少し濡らした方が良いと考えたらしく、改めて絞っていた。手がプルプルと震えている辺り、リアの力の無さが見て取れる。


「ナリシャさん、失礼しますね」


 そしてリアがナリシャさんの身体を拭こうとした所で僕は背を向ける。流石に僕が見て良いものではないし、僕自身も注目すべきじゃないだろう。

 コシコシ、といった音が背後から耳に入ってくる。その音を耳にしてから、ジワジワと罪悪感が僕の心から滲み出てきた。

 ……これ、リアにやらせてるんだよね。聖女って立場のリアに。本当は僕がした方が良いような気がしてきた……。

 しかしだからと言って僕がやるのもどうだろう。特に面識のない男の僕が、女の子のナリシャさんの身体を拭くという行為……。とても、非常に、物凄く、良くない。


「────ッ!!」


 そんな場面を想像しそうになったので、頭を大きく横に振って邪念を振り払う。……ちょっと頭がくらくらした。でも、そのおかげで良くない妄想は消えてくれたようだ。


「……ヒューゴさん、どうしたのですか?」

「あ、いや……」


 が、リアにはその姿をバッチリ見られてしまったらしい……。コシコシという音もしていない事から、手を止めてしまう程おかしかったのかもしれない……。


「……身体を拭くのって僕じゃ出来ないからリアにして貰うしかないのは分かっているんだけど、聖女って立場のリアにやらせるのはなんか申し訳ない気がしてるんだ。本当だったら僕がやった方が良いと思うし」

「…………? なぜヒューゴさんがしてはいけないのですか?」


 その一言で僕の頭がカクリと落ち込む。リアは本当に分かっていないようで、狼狽えている声が聴こえてきた。

 ……なんというか、リアって僕の性別がどっちなのか意識していないのかな? この前の事もあるから少し怖くなってくるな、これ……。


「えーっと、リア?」

「は、はい」

「僕は男だっていうの、忘れていたりする?」

「いえ、一度たりとも忘れては──…………はっ!!」


 言葉が途切れてジャスト三秒。リアは僕じゃ出来ない理由を見出した。


「ごめんなさい……。ヒューゴさんであれば大丈夫と勝手に思い込んでいました……」


 それはそれで凄い考えだなぁ……。なんて風に呆れる僕と、自分の考えがとんでもない事だったと気付いて落ち込むリア。本当に、本当に不思議である。どうしてリアは僕の事をここまで信頼して信用しているのだろうか?

 今まで何度か頭に浮かんでいた疑問。リアは『聖女として穢れ無く育てられてきた』という理由ですら弱い。聖女であり、信徒達の懺悔を一身に受けてきたリアならば、逆に人の事を信用は出来ても信頼とまではいかないのじゃないだろうか? 少なくとも僕では表面上だけ取り繕って内心では誰も信じられなくなりそうだ。


「うぅ……」


 と、そこでちょっと気になる事が起きた。リアが嫌そうに声を唸らせたのだ。もしかしたら初めて聴くかもしれないその声に、僕の意識はそっちの方へ向けられた。


「何かあったの?」

「ぁ……い、いえ……その……」


 リアの言葉が、まるで何か悪い事をしてしまったかのように歯切れが良くない。おまけにちょっと声も暗い。自己嫌悪というかなんというか、そんな感じの雰囲気だ。

 今の僕はリアに背中を向けている形なのでリアがどんな顔をしているのか分からないけど、なんとなく想像がつく。きっと彼女は今、辛そうな顔をしているのだろう。


「……ヒューゴさんがナリシャさんのお身体を拭いているお姿を想像して、その……胸を締め付けられたかのような苦しみを覚えたのです」

「えっと……」


 それって、そんなの嫌だって思ったって事?


「それと同時に、羨望の気持ちもありました……。こんな事、初めてです……」

「……………………」


 困惑しつつ言葉を零れ落とすリア。それを聞いて、僕は自意識過剰になってしまいそうになる。独占欲……とでも言えば良いのだろうか。彼女の言葉を解釈すると、リアは僕に対してそんな感情を抱いているように思えた。

 ただ、それは僕が勝手に思っただけであり、実際は違うかもしれない。というか、僕は女の子が物事に対してどう思うのかなんて分からない。脳の構造の違いだとかなんとか、そんな事を先生が授業の面白話で言っていたのを思い出す。僕は男でリアは女の子で、根本的な所で思考回路が違っているのだ。だから、僕がリアの言葉を聞いてそう思ったのは間違っているのかもしれない。


「……………………」

「……………………」


 僕達は言葉が途切れる。僕はなんて言えば良いのか分からないし、リアだってどうすれば良いのか分からないだろう。

 そんな時だ。この状況に一石を投じる変化が訪れた。


「クシュンッ」

「あ……」


 ナリシャさんがくしゃみをした。思ってみれば当たり前だ。彼女は一糸纏わぬ裸の姿だった上に、濡れた布で身体を拭かれていたのだから。蒸発作用……じゃなくて、えーっと……あれだ、気化熱で体温を奪われてしまったのだろう。


「ど……どどどどうしましょう!? ナリシャさんが風邪をひいてしまいます!? 服っ!! 服をお着せしなければ!!」


 慌てるリアの声と、あちこちを探している音が聴こえてくる。しかし、どうやら替えの服は無いらしく、リアは慌て切った様子で服を探し続けていた。


「ックシ!」


 ……その間もナリシャさんはくしゃみをしていて、ナリシャさんの姿を見ないようにしている僕も探した方が良いんじゃないか、って思ってきた。

 だがしかし、僕がそれをする事はなかった。なぜならば、この部屋の扉が勢い良く開かれたからだ。


「──お前らぁ……一体何を遊んでいやがんだぁ?」


 振りむけばそこには眉間に皺を寄せ、青筋を立てた褐色のお兄さんが立っていた。その声は僕達を萎縮させるには充分過ぎる程の怒りが込められており、お兄さんの姿は荒々しい炎がそのまま人の形になったかのような錯覚を覚えた。

 お兄さんが一歩一歩と歩く度に心臓が悲鳴を上げて鼓動の刻む間隔を速めており、頭の中では『逃げろ』と警鐘が鳴り響いている。

 如何に勘の悪い人だろうと、この状況に立てば本能が理解するだろう。この人は、僕達を殺すのなんて容易い狩る者であると。

 しかし、身体は金縛りにでもあったかのように動いてくれない。ただただ視線だけがお兄さんを追従していく。


「クシュッ……!」


 生物として絶対的に僕達よりも高い位置に鎮座しているであろうお兄さんは、手にしていた大きな布をナリシャさんの肩に被せている。──その時、僕の視界にリアの姿が映った。彼女は身体を強張らせて怯え切っていた。それを見た瞬間、僕はリアの下へ全力で駆ける。傍を通り過ぎる僕にお兄さんは何もせず、そして僕はリアを抱き寄せて彼女の盾になるようにした。

 リアの震えは一瞬だけ止まったが、やはり怖いのだろう。その身体は明らかに力が入っていて、すぐに震えが戻っていた。


「……後は俺がやる。お前らは帰れ」


 怒りはそのままに僕達を睨みつけるお兄さん。そんなお兄さんを見た僕達は、ゆっくりと、お兄さんを刺激しないよう、にじり寄るように部屋の外へと出ていった──。




…………………………………………




「ったく……」


 聖女とそのお供を帰らせた後、俺はナリシャに視線を移した。

 布一枚を肩に掛けただけの姿。それを見てさっきまでの怒りは一気に消えた。代わりに罪悪感が胸を支配する。目の毒だが、そんな事よりも言わなければならない事がある。


「……ごめんな。俺がやるべきだった」


 間違いなく寒い思いをしただろう。普段から何も反応をしない子だが、それでも寒いものは寒いのだ。昼間なので裸になるだけだったらここまでならなかっただろうが、濡らされて放置されりゃ身体が冷えて当然だ。

 おまけに服を持ってくるのも忘れていた。それに気付いてここに持って来た時にはくしゃみをしていて、急いで開けてみれば慌てた様子の聖女と後ろを向いているお供が居た。それに怒りを覚えたが、そもそも俺が服を忘れていなければこうならなかった事態だったかもしれない。……アイツらにも悪い事したな。


「クシュ──ッ!」


 着替えさせる為に布を取ったが、身体はまだ冷えているらしい。服を着せるのにはそれなりに時間が掛かるので、とりあえず温まって貰った方が良いだろう。布を掛け直し、なるべく隙間が生まれないように包んでやった。

 この子が寝る時に使う布を今持ってきていて良かった。おかげで必要以上に寒がらせる事は無くなった。


「クシッ……!」

「む……」


 ナリシャはまたくしゃみをした。……まだ寒いのか。困ったな……今から風呂を沸かしてもかなり時間が掛かるし、服を着せるにしても途中が寒くなるだろう。……いや、とりあえず服だけは着せておくか。そうすればすぐに温かくなるはずだ。


「……服、着せるから寒いのはもう少しだけ我慢してくれ」


 伝わっていないだろうが一言だけ断わってから彼女に服を着せていった。案の定、服を着せている間ナリシャのくしゃみは増えた。今すぐになんとかしてやりたいという逸る気持ちをなんとか抑えながら着せていく。

 服を着せ終われば一安心──だと思ったのだが、現実はそんなに甘くはなかった。ナリシャの手に触れた時、少し冷たいと感じたのだ。気のせいかと思いたくなったが、一度気になってしまった以上、それがとても不安を掻き立ててきた。


「ックシ──!」


 おまけにくしゃみの回数も減ったと感じられない。むしろ増えたか……? 服を先に着せたのは間違いだったかもしれない……。

 ナリシャの手を取り、温めるように包み込んでみる。……やっぱり気のせいじゃない。ほんの少しだが俺の体温より低い。一先ず布を被せておこう。あと、何か温かい物でもあれば良いんだが……。

 とは言っても、在るのは温くなったこのお湯だけである。これじゃあ手か足くらいしか温まれない。魔術で火を出しても良いかもしれないが、手違いで家が火事になったら大惨事なので止めておこう。

 ……………………いや、もう一つだけあった。身体の大部分を温められ、尚且つ火事の心配もないものが。だが……やって良いのだろうか。似たような事は毎日やっているから問題無いような気もするが、それでも躊躇してしまう。


「ックシュン!」

「……やるか」


 誰に言うでもなく、自分を言い聞かせるように呟く。風邪をひかれた方が心配極まりないし、その状態でもコイツは血の跡を眺め続けるに違いない。もしそうなったら、まず悪化するだろう。

 勇者だから大丈夫……という感覚も勿論ある。だが、今の俺にはそれ以前にコイツの事が一人の女の子としてしか見れていない。……たったの一日で両親だけでなく、財産も全て失い、そして母親が惨殺されたであろう場所に縋り付くこの子を、俺はそんな目で見れない。


「……嫌だと思ったら払い除けろ。命令だ」


 恐らく無意味な命令。今のこの子に、嫌だとか良いとかの判断なんて出来るとは思えない。だが、それでも言っておきたかった。可能性が無い訳ではないからだ。

 俺は外套を脱いでナリシャの脚に被せる。流石に脚の方まではどうにも出来ないからだ。そして俺は彼女の前に座り、膝を立てる。太腿の上にこの子を乗せ、なるべくゆっくりと抱き締めた。互いの身体が密着し、その間にこの子の両腕を挟ませる。出来る限り温めようとしたら、これ以外だと一緒に横になるくらいしかないだろう。


(……いや待て。この体勢、非常に良くないんじゃねえか? もしかしなくても、横になった方がマシだったんじゃ……?)


 ふとそれに気付き、途端に不安が押し寄せてくる。傍から見たらどうなっているのか、というのを想像したら大問題な体勢にしか見えない。今からでも変えるべきだろうか……。

 そんな風に考えていたら、ちょっとした変化が訪れた。座り辛かったのか、ナリシャは座る場所をもう少し前にずらしてきた。おかげで彼女の重みがさっきよりも強く感じられ、より強い密着感が生まれる。それだけでなく、頭も俺の頭へくっつけるように預けてきている。

 一瞬『正気かコイツ?』なんて思ったが、正気ではないのは間違いなかった。だからこそ俺はコイツの世話を好きでやっている。……もっと温かさが欲しかったのか? たぶん、そうなんだろう。

 なんとなく背中を擦ってやる。こうすればちょっとは温かさも増すだろうよ。

 それからはこの子も大人しくなり、ただただ俺の体温で自身の身体を温める事に徹していた。くしゃみの数も明らかに減っていき、一時間もしない内に彼女からくしゃみの音を聞く事は無くなった。


「……もう大丈夫だな」


 むしろ俺よりも体温が高くなったんじゃないのか、って思えるようになったので離れる。洗濯の途中でこっちに来たので、その続きをしなければならない。ナリシャの肩に掛けた布は念の為にそのままにしておこう。脚に被せた外套は……まあ、これもそのままで良いか。この時間は普通、人が来ないから俺の姿を見られる事も無いだろうよ。念の為だ。

 立ち上がり、洗濯の続きをしに行こうと扉に手を掛ける。そこで、何やら視線を感じた。背後から……という事は、ナリシャが?

 まさかな……と思いながら振り向くと、体温を戻したナリシャが俺の事をジッと見ていた。いつも虚空を見詰めているあの目が、今は俺の事を間違いなく見ている。


「どうした?」


 返事は期待していなかったが声を掛けてみる。あまりにも珍しい光景だ。この子が誰に何を言われるでもなく自ら行動をするだなんて、初めて見たかもしれない。


「……………………」


 そして、やっぱりナリシャは何も反応を示さない。ただただ俺の事を見ているだけだ。……どうしたんだ? 温かい物が離れていったから名残惜しいのか?

 まあ、そうだとしてもやる事はやらなければならない。少々心苦しいが、甘えさせる為にやっている訳じゃないからな。


「……洗濯してくる」


 それだけ言い残し、俺は洗濯へと戻っていった。

 ちなみに、洗濯が終わって様子を見に行った時にはいつものように血の跡をボーッと眺めているナリシャの姿であったので、少しホッとした。本当、さっきのは一体なんだったんだろうな。




…………………………………………




「こ、怖かったです……」


 ナリシャさんの家から出てきた僕達。開口一番に出てきたリアの言葉がそれだった。それに僕は同意する。初めて会った時、とても危ない人に見えていたのは間違いじゃなかったようだ。

 今は後ろにあるナリシャさんの家。そっちに顔を向けたリアは、なんとも驚く事を言った。


「今度、謝りに行かないといけませんね」

「本当に凄いねリア……」


 やっぱり王家の血を引いているだけはある。肝が据わっているなんてレベルじゃない。

 ……いや、これは僕がおかしい。肝が据わっているとか危ない人に見えたとかじゃなく、まずはリアのように悪い事をしてしまったと思わなければならなかった。

 なんせ、あのお兄さんが怒っていたのは僕達がナリシャさんを放置してしまった事が原因だ。僕が目を背けていなかったら替えの服が無い事に気付いてお兄さんに伝えられたと思うし、リアも手を止めなかったら良かった話である。

 ナリシャさんを寒がらせてしまったからお兄さんは怒ったのであり、僕達は反省をすべきだったんだ。……僕もリアみたいに配慮が出来て、自分本位じゃない考えにならないとなぁ。


「……いや、確かに謝りに行かないとだね」


 僕もリアに同調する。リアは頷きながら『はい……』と返事をし、申し訳なさそうな表情でナリシャさんの家を見詰めていた。彼女ならば今すぐにでも謝りに行きそうな気がしないでもないけど、流石にそれは出来ないらしい。お兄さんの気が落ち着くのを待った方が良いと考えたのだろう。


「あの兄さん、ナリシャさんが大事なんだなぁ……」

「そうみたいですね……。怖くはありましたが、やっぱり優しいお方なのだと思います」


 恋人じゃないとは言っていたから、もしかして幼馴染とかで長い付き合いがあるとかなのかな? その辺りの事は分からないけど、ナリシャさんを大切にしているというのは伝わった。

 リアは家に向けていた視線と身体の向きを合わせる。一瞬、今から謝りに行くのかと焦ったけどどうやら違うらしい。リアはペコリと頭を下げた。


「ナリシャさんを、どうかお守り下さい」


 まず絶対に届かない言葉。それでもリアは、あのお兄さんにそれを言いたかったのだろう。きっとリアの事だから、次に会った時に謝ると同時にそうやってお願いしそうだ。

 僕も同じように礼をする。少し恥ずかしい気持ちもあったけど、少しずつ慣れていきたいな。

 それにしても……守る、か。僕も、ナリシャさんを守るお兄さんのように、リアを守っていけるようになりたい。剣士っぽそうであるお兄さんみたいに、というのはちょっと無理かもしれないけど、僕なりの方法でも良いから守っていきたい。

 ナリシャさんを大切に想っているお兄さんのように、僕もリアを大切に想っているから──。


「──それじゃあ、そろそろ帰ってるかもだから、社長さんの所に行く?」

「はいっ」


 そうして僕達は社長さんの所へと再度向かって行った。元気良く返事をしたリアの笑顔は被りに隠れて分からなかったけど、今までの経験からしてとても輝かしい笑顔をしていただろう。

 オースティンさんから貰ったメモを頼りにもう一度足を運ぶ。そして目的の家へと着いた時、中から声が聴こえてきた。


「ええい放せ!! 俺は疲れてんだ!!! お前を構ってる元気なんぞ塵一つ残っとらんわ!!」


 ……とても覚えのある声である。あまり良い印象がない、主任さんの声だ。

 途端にどうしようかと考えてしまう。そりゃ社長さんが住んでいるんだから主任さんも居て当然なんだろうけど、正直に言えば主任さんとはあまり関わりたくなかったりする。なんというか……近付くなって雰囲気が凄い人だし。

 リアの方へ視線を向けてみると、被りをしていても分かるくらいに身体を強張らせていた。お兄さんの事は大丈夫なリアでも、主任さんは難しいようである。

 それでもここまで来たからか、被りを少し浅くしてリアが僕を見てくる。その表情はとても困った様子であり、僕に助けを求めているようにも見えた。

 僕もリアと同じように被りを少し浅くする。そして彼女を安心させるように笑顔を向けた後、二歩前に出て扉を三回だけ叩いた。

 少し待つと扉が開かれる。そこには、いつも張り付いたような微笑みを浮かべるローゼリアさんが現れた。


「あら? どちら様で──ッ!?」


 そこで微笑みが無くなり、心底信じられないような物でも見たかのような顔へとなった。たぶん、リアの顔を見てしっかりと『聖女グローリア様』だと認識したのだろう。これ程までに分かりやすい絶句もなかなか拝めないかな……。


「他人の空似……ではありませんね。本当に、グローリア様なのですか?」


 それでも信じられないのか、ローゼリアさんは確認をしてきた。リアは周囲を見渡し、誰も居ない事を確認してから被りを取る。露わになる金色の長い髪と空色の瞳。そしてその顔は見間違える事などないであろう聖女グローリア様。ローゼリアさんも認めざるを得なくなったのか、それとも心を落ち着ける為なのか、目を閉じて長く息を吐く。そうして、ローゼリアさんはまたもや張り付いたような笑顔を浮かべた。


「失礼しましたわ。まさかこのような場所にお訪ねされるとは思いませんでした。本日はどのようなご用件でしょう?」


 うわぁ、と思ったのが本音だ。ここまで目上の人に対する他人行儀な対応になるのか……。まあ……それも当然かもしれない。一信徒である自分の所にその宗教の象徴たる人が来たら、そりゃもう畏まるってものだろう。


「突然訊ねてしまってすみません。社長さんが一週間も体調を崩されているという知らせを頂いたので、お見舞いに来ました」


 僕とは違ってリアは慣れているのか、それに何かしらの反応を示す事無く僕達の目的を伝えた。ローゼリサさんは深く頭を下げ、ニッコリと笑いかけてくれた。……なぜだろう。なんだかズレた笑い方をしている。ちゃんと喜んでいるっていうのは分かるんだけど、その喜び方が『ありがたい』ではなく『助かった』といった感じだ。


「これは心強いですわ。どうぞ、お入り下さい」


 そう言ってローゼリアさんは僕達を中へ招き入れる。心強い……? どういう意味だろう。

 お邪魔します、と一言。中はナリシャさんの家と似たように木の柱と石の壁と板張りの床で出来ており、やっぱりどこの家も同じ造りなのかなって感じだった。


「こちらに社長さんは居ます」


 案内された部屋に入る。そこには色々な物……本当に色々な物が置かれてあった。

 まず、壁には様々な工具の類いが掛けられているという事。金槌にノコギリ、ペンチの化け物みたいなのやヤスリ等々、多種多様に極まる。その下には腰くらいの高さの棚があるのだけど、そこの上には釘や尖った万年筆っぽい何かしらの木の道具や羊皮紙の束が置いてある。床には金床もあるし、箱の中には包丁っぽい物や剣……というか刀(?)みたいな形のよく分からない武器も見える。

 かと思えば別の棚には布や針に糸といった裁縫関係の道具があるし、机の上にはいくつかの魔術関連の本があるし、壁には大量の紙が張り付けられていて魔法陣のパーツみたいな感じの模様と共に文字が注釈されていた。あと、なんか身体に悪そうな青色をしたキノコも籠に入れられてある。

 一目見ただけで『何の部屋なんだろう……』って思ったくらいだ。その部屋の隅にある簡素な造りのベッドで社長さんが眠っているし、ベッドも少し離れてもう一つあるのだから、もう本当に何の部屋なのか分からない。……工房兼研究室兼寝室とか?

 部屋の主であろう社長さんは顔色が悪く、死んだように眠っている。……呼吸も浅いのか、本当に死んでしまっているように見えて怖い。傍に置かれた台には社長さんの赤い眼鏡にパンと水、果物なんかが少しだけ乗せられており、それがお供え物に見えて余計に怖くなってしまう。メモ書きか何かに使われているであろう紙とペン、そして動いた跡と思われる布団の多くの皺が、社長さんは生きているという証なのだろうか……。


「あの……社長さんって本当に大丈夫なんですか?」


 思わず聞いてしまったくらいだ。病院に連れて行った方が良いんじゃ……なんて事も考えたけど、この世界に病院なんて存在しないのを思い出す。病気は自力で治すというのが基本だからだ。風邪以外の病気に罹った事の無い僕だけど、そこはちょっと不安になる。


「どうなのでしょう……。実は、修道士さんを呼んで治癒魔術を掛けて頂いた事もあるのですが……芳しくありませんね」


 目を閉じ、首を横に振るローゼリアさん。その顔色は心配の色が強く出ており、どうしたものかと悩んでいるようでもあった。

 そんな中リアが、失礼します、と一言だけ断わってから一歩前に出る。社長さんの額に触れたり、首筋で脈を測っているようだ。


「……熱はありませんし、汗も掻いていません。ですが、脈が酷く弱いです。病気であれば治癒魔術で回復すると思うのですが……」


 リアは社長さんのお腹へと手を置き、ゆっくりと目を閉じる。


「ウル」


 そしてリアは、僕が一昨日くらい前に本で読んだ中にあった神聖魔術の詠唱を唱えた。どの詠唱がどの効果のあるものだったかは憶えていないけど、流れからして病気を治す治癒魔術なのだろう。

 ここで少し違和感があった。リアの手辺りから何かしらの気配を感じるのだ。前に河原で神聖魔術を使った時は何も感じなかったと思うんだけど、これは一体なんだろう? 悪いモノじゃなさそうだけど。

 リアは神聖魔術を掛けたようだけど、社長さんに変化は訪れない。良い変化も悪い変化も出ていないようだ。


「……病気ではないようです。──ローゼリアさん。確認なのですが、社長さんはいつ起きていらっしゃるのですか?」

「……お恥ずかしながら、詳しくは分かっていませんわ。ただ、傍に置いた水は一日に一度か二度は減っています。……食べ物が減っている事は、二日に一度あるかどうかなのですが」

「二日に一度って……」


 僕はそう呟き、リアは絶句していた。

 当然だ。通常ならばどんなに食が細い人だろうと一日に一回は食事をする。なのにそれが二日に一度。しかもあるかどうかだなんて、どう考えても異常だ。


「書き残される言葉も非常に短く、それも『ごめんよ』や『ありがとう』ばかりです。たまに違う事を書いているかと思えば、わたくしや主任さんとリリィさんを気に掛けてくる始末。……こんな状態なのに気を遣ってくるのですから、逆に心配が増えますわ」


 そう言ったローゼリアさんは半ば諦めているような溜め息を吐いた。

 真面目で律儀だな、と僕は思う。ただ……確かにそれは精神的にキツい。まだ何も書かれていない方がマシかもしれない。病人から心配をされるだなんて、そんな余裕は無いだろ! って言いたくなってしまう。

 しかも、流しそうになってしまったけど『食べ物が減っている』とローゼリアさんは言っていた。それはつまり、完食していないという意味だ。僕はもう一度、台の方へ目を向ける。……どう見てもその量は多いと言えない。小食な女性が一回で食べるくらいの量だろうか。それを二日に一回の食事で、しかも食べ切っていないだなんて……。


「……今度は体力を回復させてみましょう。──ケン」


 リアも同じ事を考えたのか、今度は別の神聖魔術を使う事にした。さっきのは病気を治すもので、今のは体力を回復させるものらしい。

 ……けど、社長さんの容態は変わっていない。どれくらい時間を掛けて回復させるのかは分からないけど、リアの顔が暗くなったのを見て、魔術が効いていない事だけは分かった。

 病気でもなく体力を回復させても無意味……? じゃあ、一体何が原因なんだろう……?


「……呪い、とか?」


 なんとなく、思った事を口にする。病気じゃないけど寝込んでいる。けど体力が回復しない。ならば呪いか何かなんじゃないかな、という簡単な考えだ。

 が、ローゼリアさんには心当たりがあったようだ。


「──そうかもしれませんわ。言われてみれば、仕事で廃墟の街を調査しに行った後に調子を崩されています」

「その時に何かあったのですか?」


 食い付くようにリアは詳しく訊ねる。それしかありません、という顔を彼女はしていた。


「その途中で主任さんが一箇所、絶対に近寄ろうとしなかった場所があります。不自然なくらいに嫌がっていまして、そこだけは遠巻きだけの調査に終わらせました。それを社長さんに報告していますので、もしかしたら後で調査に向かわれたのかもしれません」


 あくまで可能性ですが、と最後に付け加えるローゼリアさん。確かに可能性の話なんだろうけど、有り得そうな話である。

 廃墟の街の調査というのは、きっとソフィアさんに渡されたというあの報告書に出てくるシャロンだろう。あの報告書は僕も読んだけど、あの書き方からして手を抜くというのは考えにくい。ならば、不充分な調査個所は社長さんが改めて調査した可能性が非常に高い。その時、何かに呪われたのだろうか。

 そう考えると筋が通っている。むしろそれしかないだろう。

 僕はリアに目を向ける。リアも僕へ視線を向けていたらしく、真剣な顔付きで頷いた。

 再度、同じように社長さんのお腹へ手を添えるリア。そして、僕にとってはゾッとする詠唱を唱えた。


「ソーン」


 耳にした瞬間、背筋から悪感が駆け上ってくる。手の骨から血の塊が這い出てきたようなあの感覚がフラッシュバックする。……もしかして、リアも今、あの時と同じような感覚がしているのだろうか。

 息が荒くならないよう、暴れる心臓を落ち着かせる為に、僕はゆっくりと深く息をする。社長さんがこの状態なんだ。僕の方にまで気を回させる訳にはいかない。

 そして、その神聖魔術の結果は──


「…………何も、起こりません……。手応えも、ありません……」


 ──芳しくないものであった。

 魔術は効いている効いていないというのがなんとなく感覚で分かるらしいのだが、リアはその手応えすら無いと言っている。

 行き詰ってしまった。何かしらの原因があるのは明白なのに、病気でもなく体力が無くなっているのでもなく、果てには呪いですらない。原因が、全く分からない……。

 社長さんのお腹に置かれたリアの手は、力無くだらりと揺れ落ちる。壊れた振り子のように動きがすぐ止まったそれは、リアの無力感を表わしているかのようだ。

 僕は、その揺れ落ちたリアの手を握った。


「ヒューゴさん……」


 僕の名を呟き、悲しそうな顔を向けるリア。そんなリアに、僕はゆっくりと首を縦に振る。



 リアは出来る限りの事をした。その頑張りを、僕はちゃんと見ているよ──。



 声には出さない。声に出すべき言葉じゃないだろう。だから、僕は頷く事でそれを表わした。


「……ありがとうございます」


 伝わったのかは分からない。けど、リアが苦笑いを浮かべている事から伝わったと思いたい。

 頑張ったのならば、結果の良し悪しに関わらず誰かが認めるべきだ。じゃないと、その努力が報われない。そうでないと、余計に気が滅入ってしまう。否定される事も、無関心であるのも、辛いから。僕は、それを良く知っている。

 リアが手を握り返す。──その時、状況が動いた。


「う……」


 死んだように眠っていた社長さんが苦しそうに呻いたのだ。僕達の視線は、一斉に社長さんへと向けられた。


「ぐ、ぅ……」


 息が荒くなってきていて、身を丸めさせて自分で自分の身体を抱き締めている。見ているこっちが怖くなるような苦しみ方をしていて、胸がハラハラしてしまう程だ。

 僕達は社長さんを刺激しないよう静かに見守る。下手に何かをして悪化させる訳にはいかないからだ。

 そして、数分もの間を苦しみ続けた社長さんは、ゆっくりと瞼を持ち上げた。光が無くて、虚ろな目が僕達へと向けられる。


「ぅ……だ、れ……?」


 今にも崩れ落ちそうなくらい、弱々しい社長さんの姿がそこにあった。自身を抱き締めていた腕も脱力して、全身に力が入っていないというのが分かるくらいだ。眼鏡を掛けていないからか、僕達の事が分からないらしい。


「ごめ、ん……。は、ぁっ……後で……連絡、するから…………。ん、くぅッ……! あと……二、三日で……治るはず、だから……」

「治るはずって……」

「いつもなら……それくらい、で……………………ぁ、ぅ……」


 それだけを言って、社長さんの瞼が閉じられた。いや、意識が落ちたのかもしれない。途中で言葉が切れてしまったのも、限界が来たからなのだろう。


「……今は、そっとしておきましょう」


 ローゼリアさんは諦めた声で小さくそう言う。僕達は声を発する事無く、その言葉に頷いた……。

 無力感。それを胸に携えて……。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ナリシャと褐色のお兄さんの絡みたまんないっす!!! [気になる点] ヒューゴ鈍感すぎるやろ!はよリア抱いたれや!!! すんません。 [一言] 脳内映像再生の臨場感の濃度が半端ないっす!!…
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