閑話休題 ナリシャと褐色のお兄さん
2020/02/29注意書き
今回の更新のメインは『通ずるもの4』の最後の300行くらいの方です。以前からこの物語を読まれていらっしゃる方はそちらの方もご覧下さいませ。
──朝が来た。
目が覚めた時に真っ先に頭に浮かぶ言葉がそれだ。頭の中だけでもその言葉を浮かべると意識がハッキリとしてくれる。
路地の硬い石床に腰を下ろして寝ているもんで身体が痛い。だが、これもちょっとばかし動かしてやれば無くなるので、最近ではあまり気にしなくなってきた。
「さて、と」
腕を片腕ずつ伸ばし、背筋と腰の筋肉をほぐし、脚を何回か曲げる。……良し。今日も良い調子だ。
外套の被りを整え、剣を懐に仕舞い、いつもの場所へと出発する。あの勇者であるナリシャの家だ。
歩けば五分くらい。それくらい身体を動かせば丁度身体の痛みも無くなるし、そんなに遠い訳でもない。治安も悪くないらしく今まで路地で寝ていて襲われた事が無いので、我ながら良い場所を見つけたと思っている。
そしてだいたい五分くらい歩いた先、もはや見慣れた家へと辿り着いた。
「入るぞ」
それだけ言ってからナリシャの家へと返事を期待せずに入る。勝手知ったる他人の家、という言葉があるが、まさしく今の俺はその状態なのだろう。
いつもの部屋。惨劇の跡が残る部屋。そこに、人形のようにずっと同じ姿勢で佇んでいる女の子が居る。今は厚めの布で身を纏ませ、横になって目を閉じているので寝ているのだろう。
最初の方は俺が来た時いつも座って血痕を見ていたのだが、ここ最近は俺が来ても寝ている事がほとんどだ。いつも同じ姿勢で疲れてきたのか、それとも俺が来るのに慣れてきたのかは分からん。まあ……どっちにしても良くない事だ。
「起きろ。朝だ」
剣を部屋の端に置いてからそう言って彼女の肩を揺する。閉じられていた目はゆっくりと薄っすら開かれるのだが、まだ眠いのか現実を見たくないのか判断が付かない。
じっくりと時間を掛けてこの子は身体を起こしていつもの姿勢になる。ぺたんと座り込み、両腕をだらんと垂らし、血の塊の向こう側でも見るかのように虚空へ視線を向ける。
そんなナリシャが身を包んでいる寝具(?)の布を回収し、俺の朝一の用事が始まった。
まず最初にコイツの顔を塗らした布でなるべく優しく拭いてやる。初めの方は訓練とかで肌が荒れたり傷があったりするのかと思ったが、そんな事は無くて綺麗で肌理の細やかな肌をしている。……たまに変な寝方をしている事でもあるのか、顔のどこかに赤い跡が付いていたりする。それはどうしようもないのだが、気になってしまって布を触れる程度の強さで当て続けてしまう事もしばしば。
次に髪だけを簡単に整える。着替えはある理由で後回し。部屋を片付けた際に見付けた質素な櫛を使い、毛先から徐々に根元の方へと梳いていく。もし引っ掛かりがあればその部分を指で解してやって、そこからもう一回梳き直しだ。
それが終わったら次は一つ目の問題である飯である。食料や水に関しては騎士団の人達が仕事終わりに持ってきてくれてるらしいんで食べる物には困らない。今日はパンといくつかの果物だ。
俺はそれらが入った小さな篭を一つ持ってナリシャの前に座る。
「おい」
自分でも素気ねえなって感じの呼び掛け。世話を始めた頃は一切微動だにしなかったコイツだが、最近は極一部の呼び掛けなどには反応するようになった。
ナリシャは俺の声に反応して顔を向ける。何も見ていない視線が俺の目に突き刺さる。……面としてそんな目を向けられると、心が痛くなる。どうにかしてやりたいって気持ちが強くなるのだ。
俺は果物を一つ齧り、細かく噛み砕いてから言う。
「……飯だ、食え。命令だ」
その言葉──いや、命令でナリシャはゆっくりと身を寄せてくる。柔らかい肢体が俺の身体と密着し、俺の心が罪悪感で満たされる。──初めて物を食わせた時、こいつは噛まずに飲み込んで喉を詰まらせかけた。その時から俺は口移しで食わせているんだが、身体が離れているとやり辛い。考えるまでもなく当然だろう。接吻の時は身を寄せている方が安定する。
身を離した口移しを何度かやって、やり辛くて煩わしくなった時に抱き寄せた。それがいけなかった。そっちの方が食いやすいと覚えたのか、コイツが自ら身体をくっつけてくるようになったんだ。今では俺の背中に腕を回してくるようにすらなりやがった。たぶん、俺の心が耐えられなくなって離れようとした時の事が原因だろう。逃がすまいと腕を回され、前以上に身体を密着されるようになったので後悔した。
「水だからゆっくり飲め。命令だ」
何回か果物を食わせ、そう言ってから俺は口に水を含み、これも口移しで飲ませる。パンは水気を吸うので喉に詰まりやすい。だからその前に水を飲ませる必要がある。
……本当を言うと、俺は水を口移しするのが一番苦手だ。軽い音ではあるが精神衛生上非常に良くない水音が鳴る。しかもその音はただ耳に入るだけじゃない。顎や頬を伝って痺れるような淫靡とも言える濁った音が内側から鼓膜を刺激してくる。それで終わるのならまだマシだが、ここから更に飲み込む音が聴覚と触覚を通じて伝わる。俺が流し込んだモノを、この子は一切嫌がる事なく、コクリコクリと飲んでいくのだ。
……ハッキリ言って、劣情を催しそうになる。実際に何度か押し倒してしまいたくなった事だってある。もちろん一度たりともした事なんて無いし、そんな外道をした日には俺は俺を絶対に許さない。
「……終わったぞ」
そう言うと、コイツはまだ食べ足りないのか酷く緩慢な動きで俺から離れる。だが、持ってきて貰った食料を一度に全て与える訳にはいかない。そうしたら夜にコイツが腹を空かせる事になるからだ。
俺の心はここでもう一度、葛藤を迎える。そんなに名残惜しそうな感じで後ろ髪を引かれるように離れられたら、もう一回抱き寄せてしまいたくなる。それをなんとか振り払い、俺は彼女の口周りと乱れた服を整える。
唇は充分な水気でしっとりとしており、また俺の唇も同じように水気を帯びて柔らかくなっている。さっきまで自分のと触れ合っていたと強く思わせられる。……仕方が無い事とはいえ、無抵抗の女の子と口を触れさせるのはとんでもなく大きい罪悪感がある。だから、この一連の食事は俺にとって一つ目の問題なんだ。
そこから昼までは比較的に気が楽になる。ナリシャの服を洗濯し、干してから掃除をする。この時に騎士団の何人かが様子を見に来るのだが、それはのらりくらりと対応してやれば良い。
掃除まで終わらせたら別の用事……いや本来の用事なんだが、そっちをしに家から一旦出る。まあ、ただの人探しだ。……滅茶苦茶なほど気苦労する人探しだけどなぁ?
(……この街には居ると思うんだが、本当どこに行って何をしているんだか)
街のあちこちを歩き回り、見付からない人探しに区切りをつける。昼頃になったら騎士団の奴らも訓練が再開するのか誰一人として来なくなるので、その時間を狙って俺はナリシャの世話をしに戻ってきた。お湯を良い感じに沸かし、最大たる第二の問題との直面である。
その問題とは……身体を拭いて着替えさせる事だ……。
溜め息が出る。ついでに頭も抱えてしまう。これだけは絶対、いつまで経っても、何回経験しても慣れる事は無い……。
だって、身体を清潔に保たせようとしたら風呂に入れるか濡らした布で拭くしかないだろ? そもそも風呂に入れるとしても結局は身体を擦ってやらないといけないだろ? だったら女の子の入ってる風呂場に一緒に入るよりも、部屋で身体を擦ってやった方がまだ僅かにマシだろ?
「あー……」
思わず呻き声すらあげてしまった。どうしてこんな状況になってしまったのか……。いや、俺が悪いのなんて分かり切ってる。壊れたあの子を見ていられなくなって世話をしだしたからだ。それが全ての原因だ。
(だけどなぁ……まさかここまでする事になるだなんて、誰が予想できるよ?)
悪態を吐きつつ温めたお湯を張った桶に布を放り込む。それをナリシャの部屋へ持って行った。
当のナリシャはいつもと同じように座り込んで床に広がる夥しい血の跡を見ている。ナリシャの斜め後方に桶を下ろし、俺は彼女に声を掛けた。
「……身体、拭くぞ」
ナリシャはその声に何も反応を返さない。ただただ目の前の光景を呆然と見ているだけだ。
俺はもう慣れてしまった手付きでこの子の服を脱がしていく。上着を脱がし、肌着も全て脱がす。完全に素っ裸の状態だ。前から見るのは俺の中の絶対超えてはいけない線引きなので後ろからなのだが、これもまた精神に極めて悪影響を与えてくる。
女の子らしい華奢な肩。背中から腰に流れるほっそりとしたくびれ。男とは違った丸さの足腰。その全てが俺の心臓の動きを速めさせてくる。毎度の事ながらこの時、この子は女の子で俺は男だっていうのを強烈に意識させられる。身体の輪郭が全然違うし、男の角ばった肉体とは違って柔らかそうな丸みがあるのだ。
頭を振り、煩悩を払おうとしても全く消えてくれやしない。なので諦めて身体を拭きに掛かるのだが、その時もまた凄烈なまでに俺の心が俺を苦しめてくるのだ。
何せ、この子は完全無抵抗だから。腕を持ち上げたらそのまま持ち上げられるし、柔らかい……胸……とか……尻、等々……を拭いても一切振り払おうとしないし力も込めてこない。そもそも脱がされる時もそうなのだ。
つまり、悪く言うと俺はこの子を自由に出来る。きっと何をしようとも壊れたこの子は抗わないだろう。
だからこそ最大の問題だ。意識がハッキリとしている上で任せられているのならばまだ良い。だけど、今のこの子は何をされても何も言わないし何も出来ない状態だ。そこに付け込んで身体を好き勝手に弄っているようで、俺にとって人生で最も辛い時間とすら感じる。
だが、やらない訳にはいかない。この子だって女の子だ。身嗜みくらい、しっかりとさせてやるべきだろう。もし俺が逆の立場で意識が戻った時に身体が臭かったら……すげえ落ち込むし恥ずかしい。
そもそも誰か女の人がやってくれりゃ解決なんだけど、俺は今まで騎士団で女の人を見た事が無い。きっと居ないのかもしれない。そう思っていたんだけど、よくよく考えたら近所の人に頼めば良い話だった。しかしそれに気付いた時はもう遅かった。
たまたま通りかかったナリシャをしっているらしき女の人に話し掛けて頼んだ事があったんだが、その頃には既に俺が真面目に世話をしているという話が広まっていた。知らなかったのは俺だけくらいだった。そこまで真摯に世話をしているのだから、きっとナリシャと深い仲なのだろうって勝手に決め付けられていたのだ。おまけとばかりにナリシャのお世話をお願いまでされてしまった。逃げ場なんて無かった。
それで俺は今現在も馬鹿正直にここまでやっている。自分でも阿呆だと思う。
……だが、俺には一つだけ、勇者のコイツに縛られている事がある。勝手に縛られたようなものだが、俺にとってソレはこの上なく衝撃的な事でもあったんだ。そうじゃなかったら、俺は今頃──
「ナリシャさん、お邪魔します」
──そこで思考が停止した。……嘘だろオイ!? 誰か来たぞ!!?
悶々とした気分が一気に血の気と共に引かれる。に、逃げないと!! いや、コイツをこのまま放ってはおけない! なら服を着せ──る時間なんて無い! な、ならばこいつを抱き上げて家の中を逃げ回るか!? いやそれしかない!!
俺はこの時、相当なまでに混乱していたと思う。お湯に漬けて固く絞った布は持ったままナリシャを抱き上げ、どこをどうやって逃げ回るか辺りを見渡していたのだ。
……結論から言おう。この部屋の扉は一つだ。逃げる場所なんて無かったのだ。そして、その扉はそれに気付いた時には開かれていた。
いつぞやで見掛けた聖女とそのお供。俺の姿を見て凍り付いた二人が、唯一の出入り口に立っていた。
「…………えぇ……?」
「あ……ぇ……ナ、リシャ……さん?」
「~~~~~~ッッッ!!!」
ああ……どうしたら良いんだコレ……。
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