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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
27/41

漠然とした違和感 2

 今日のリアはかなりご機嫌な様子である。それはたぶん、その手に持っている小さな四角い手紙が理由だろう。手紙の差出人は社長さんだ。中身は一昨日に送った手紙の返事に違いない。

 それに加え、今日はリアの休みの日でもある。彼女にとっては良い事が二つ一緒にやってきた気分なのかもしれない。

 朝食を終えた僕達はいつものようにリアの部屋へと戻っていく。ただ、今回はリアの休憩時間ではない。出掛ける準備をする為だ。だけど、そこで彼女はいつもよりちょっぴり速い足取りで、着替え台ではなく椅子へ向かい、僕の方へ振り向いてきた。


「さあ、中身を確認しましょう!」


 今すぐにでも開けてしまいたいというのが見るだけで分かってしまう。空色の目は澄んでいてキラキラと輝いているし、手紙を持っている手は宝物でもその内に収めているかのように繊細で慎重だ。

 そんな子供っぽい彼女の姿を見た僕の胸の内が温かくなる。全身で急かしているリア。その対面に位置する椅子へ、僕は手を掛けた。それと同時にリアも椅子を引き、同じタイミングで腰を下ろす。

 そしてそのすぐ後、リアは手紙の封を開けた。別に魔術も何も掛かっていないようで、極々普通に開けられたようだ。

 その中にある紙を、リアは自身と僕の間にスッと置く。どうやら一緒に見ようという意味らしい。これだったら横に座った方が良かったかな。

 お互いが読めるよう横向きに置かれた手紙。それを目にした僕達は……困惑してしまった。



 ごめんよ。一週間ほど前から体調を崩しているの。

 治り次第すぐに連絡を入れるから、今は待っていて欲しい。

 ──社長



 非常に簡潔な内容がそこにあった。

 それを見た僕達は、たぶん十秒くらい固まっていたと思う。


「え、っと……社長さんが体調不良……?」

「大丈夫でしょうか……。一週間も良くないとあります……」

「うーん……どうなんだろ……。ちょっと不安になるよね……」

「それにしても意外です……」

「うん。僕も驚いた」


 僕もリアも、心配と同時に意外だと思っていた事がある。社長さんってなんだか体調管理がしっかり出来る人だと思っていたからだ。

 いや、勝手な想像だというのは分かっている。分かっているけど、なんとなくそんなイメージがあったんだ。……もしかして、身体が弱い体質なのかな?

 たった三行……いや、実質二行の短い手紙。それを何分も眺める事などなく、僕達は互いに目を合わせる。そんな僕の目には、少し曇りがかった空色の瞳が映っていた。


「ヒューゴさん、今日の予定を少し変更してもよろしいでしょうか……?」


 少しだけ不安そうな声をリアは出す。毎回の事だけど、彼女は自分の考えで何かを変えようとする時、まるで悪い事でもしたのを告白するかのように伺ってくる。別にそんなに気にしなくて良いのに、って思う事はしばしばあれど、きっとこれがリアの性格なんだろうなって思う事も毎回の事である。

 なので、僕の返事は一つだけ。良いよ、と返した。

 そしてリアはこう言う。


「ありがとうございます」


 彼女がホッとすると同時に、その目に浮かぶ曇りはゆっくりと晴れていった。こういうのを見ると、きっとリアは嘘が吐けない性格なんだろうなって思える。実際に彼女が嘘を吐いたのを見た事なんて無いし、仮に嘘を吐いたとしても一瞬でバレると思う。だって、物凄く下手そうなんだもん。

 そんなちょっと失礼な事を考えてしまったので、髪を揺らすようにして頭を振る。リアは一瞬だけ不思議そうにそれを見てきた。けど、僕はそれに気付かない振りをしてリアの寝台の傍に用意された修道着の一つを手に取る。


「じゃあ、僕も着替えてくるね」


 今日はクラーラさんが着付けてくれる事はない。なんでも、何かしらの用事が出来てしまったようで僕の着替えに手が回らないとか。なので、僕はリアと同じく一人でこれに着替えなければならないのだ。

 前に一回だけ着付けてくれた時にやり方は覚えた。まあなんせすっごいシンプルにワンピースを着て、頭巾(白い布で髪を隠すアレ)と修道帽(ベールの事らしい)を被るだけである。流石の僕でも一回で覚えられる。というか聖女の正装が複雑過ぎるだけなんだよね。なんで袖と上半身と腹部と……他にも色々と分かれていたりするのか意味分かんない。


「あれ……? こちらで着替えていかないのですか?」

「……えっ」


 突然、リアも意味不明な事を言ってきた。……確かに前の時もこの部屋でクラーラさんに着替えさせて貰った。けど、それはどっちかが着替えている時はもう一人が部屋の外で待機していたのであり、同時に着替えている訳ではない。僕の強い希望でもあり、面倒臭がり疑惑のあるクラーラさんですら何かを察してくれたかのような顔をしてくれたのだけど……リアはそうじゃなかったらしい。

 そこでふと思い出す。僕はリアへ男女の違いやらなんやらを教えていたという事を。つまり……どうやら僕の教えというのは不充分だったらしい。いや、一緒に寝るなんて事になった時に気付けって話だけど、それも後で教え直そう。


「……リア。前に僕がリアに男女の違いを教えていた事を憶えてる?」

「はぇ? はい。憶えています」


 質問を質問で返したからか、それともいきなり別の話に変わったからか、リアは目をパチパチと瞬かせる。


「絶対に守って欲しいと言った事に、男の人に身体を無闇に触らせたらダメってのは言ったと思う」

「はいっ! 約束はしっかりと守っております!」


 とても良い笑顔でそう言うリア。……いや、僕が言うのもおかしいんだけど、リアは普通に僕の手を握ったりしてくるから厳密には守れていないと思う。まあ僕も手だから良いのかなって思っていたし、それに……うん、嬉しいから何も言えなかったというのが本音でもある。


「これは言ったかどうか曖昧なんだけど、触らせるだけじゃなくて、際どい部分を見せるのもダメだよ」


 たぶん見せる方は言っていないと思う。僕自身、言ったかどうか凄く怪しいと思うし、何よりもリアが普通に僕と着替えをしようとしたのだから言っていないのだろう。

 と、ここでリアが固まる。フリーズしたと言っても過言ではない。それが解かれたのは、たぶん十秒くらい時間が経ってからだ。


「えっと……ヒューゴさんにもダメなのですか?」

「……むしろ、なんで僕だと良いって思ったのかな」


 なんで? って顔をされたけど、それはむしろ僕が思った事だ。……まさかとは思うけど、僕が男だっていうのを忘れていないよね?


「無闇にという事は、私が良いと思ったお方には良いと解釈していたのですが……違っていたのでしょうか」

「……………………」


 待ってそれどういう意味? リアが良いと思ったって、それって……。

 嬉しいという感情以上に信じられない言葉だったので、思わずリアの顔を詳しく視てしまった。……彼女の表情は困り顔だ。もしかして間違っていたのかと不安がっているようでもある感じ。恥じらいがある訳でもなく、期待や希望といった類のものも無い。ただただ、自分の間違いの可能性を怖がっているだけのようだ。

 ──ああ、そういう事なのかな。


「間違っていないよ。ありがとう」

「はぇ……どういたし、まして……?」


 たぶんリアは、僕が教えてきた事を知識として蓄えただけなのだろう。それもそうだ。知識として『知る』事と、心として『感情を持つ』事とは全くの別物である。

 例えば、普段から全裸で過ごしている人が居るとしよう。それがその人にとっての常識ならば、それで恥ずかしいという感情になる訳がない。そんな人に『裸で過ごすのは恥ずかしい事』だと教えた所で羞恥心を覚える訳ではない。特別でもなければおかしい事でもないという認識なのだから当たり前だ。

 リアも同じなんだろう。膝枕をしたり一緒に寝ようとするのは、それがリアにとって何か特別な事ではない上、何もおかしい事ではないのだ。思ってみれば先代の聖女様にして貰ってきた事でもあるという話だ。ならばリアにとってそれは『普通の事』なんだろう。


「とりあえず、僕は自分の部屋で着替えてくるね。早くしないと時間が無くなっちゃう」

「ぁ……はい……」


 リアの返事をほとんど待たず、僕は部屋から出た。そのまま自分の部屋へと戻って着替えを始める。

 ……少しだけ、僕は残念に思っていた。リアは普通の女の子としての感性を持ち始めていると勝手に思っていたからだ。僕の事を掛け替えの無い人だとも言っていた事から、もしかしたらリアにとって僕は特別な存在なのかもしれない……なんて事も頭にチラついていた。だから僕は期待をしてしまったのだろう。

 しかし、今回リアの顔を詳しく『視て』しまった事でそうじゃないと分かってしまった。

 僕はいつも人の顔色を窺ってきた。だからか、何回も見ればその人が今どういう感情を抱いているのかが分かる。そういうのが好きじゃないから普段は漠然としか見ないように意識をしているけど、視るとなると話は変わる。

 あの目は、聖女ではなく『リア』個人の目であったのは間違いない。その上で分かった事は、リアが『ヒューゴ』という僕を通して何か別の部分を見ているという事。僕を見た上で僕以外の何かを見ていた。それが何なのか、ちょっと考えればすぐに分かる。

 それは『掛け替えの無い存在』という『言葉』だ。リアにとっては誰もが『掛け替えの無い人』なのであり、誰もが『平等の存在』でもあるのだ。聖女として満点の考え方だろう。その考え方ゆえに、僕というガラスを通してその向こうにあるモノを見ているのだろう。

 勝手に浮付いて、勝手に落ち込む僕。……そんな風に自分が傷付きたくないから、もう経験したくないから人を視るようになったというのに、僕はそれを忘れていたようだ。期待する前から分かっていたら、傷付くなんて事はないのにさ。


「……でも、やっぱりヤダな」


 着替えが終わった頃、僕はポツリと呟いた。

 傷付きたくはない。けど、人を視るのも嫌だ。そのどっちかを選ばないといけなくて、僕は人を視ないようにするのを選ぶ。──だって、分からないままでも傷付かずに済む方法もあるのだから。

 やり方は簡単だ。常に距離を取れば良い。そうすれば相手も必要以上に踏み込んでくる事も無くなるし、自分も必要以上に踏み込む事も無くなる。なのに、どうして僕はそれを怠ったのだろうか。……なんて事を考えている癖に、答えはもう分かっている。

 別の世界に来たから──

 姿形も変わったから──

 第二の人生を送っているから──

 ただそれだけの事だ。そうして僕は油断をして同じ轍を踏む。なんて馬鹿なんだろうか。



 コンコンコン──



 首を横に振った所で、部屋にノックの音が響いてきた。


「……ヒューゴさん、お着替えは終わりましたでしょうか」


 不安交じりの声が扉の向こう側から聴こえてくる。リアの事だから、たぶん僕の様子が急に変わったのを気にしているのだろう。なんせリアは、心優しい聖女なのだから。

 一回だけ大きく息を吐く。溜まったドロドロの黒い感情を吐き出すように、肺の中全てを。新しく吸い込んだ空気はほんのり冷たく、気持ちを改めさせてくれるような感じがした。


「うん、終わったよ。開けるね」


 扉は廊下側に開くようになっているので、扉の前に人が居る時は開けると言ってから開けないと少し危ない。ゆっくりと開けた扉の先には、声で分かっていた通り不安そうにしているリアが立っていた。その身には修道服が完璧に飾られている。

 ……少しだけ胸が痛む。前の世界のように当たり障りのない距離に立っていれば、彼女もそんな不安に駆られる事もなかったろうに。


「お待たせ。じゃあ、行こっか」

「っ……ヒューゴさん」


 震えた声がした。怯えているような、怖がっているような声。そこにいつもの綺麗な声などない。その声の主も、いつもの元気の姿ではなかった。怖い社長さんと話した後の時のように、今にも壊れてしまいそうなリアが居た。

 心臓がキュッと締め上げられたかのような錯覚が起きる。きっと、今までの僕だったら即座に心配の声を掛けただろう。


「出発の前に……! お話を……少しだけで良いです! お話を、させて下さい!」


 だけど、今回はリアが先に言葉を発する。絞り出すように、恐怖を振り払うようにして──。何も言わなかった僕の間を、彼女は埋めてきた。

 話、か……。なんだろう……。

 気は重かったけど、流石に断る訳にもいかない。僕は首を縦に振って了承する。そのまま僕達はリアの部屋へと戻った。

 まだ朝だというのに、パタリと閉められた扉の音が寂しく部屋に響く。扉を閉めたリアは、その音以上に暗い顔をしていた。そんな彼女の顔には、ちょっと前までの輝いた笑顔なんて微塵も残っていない。


「……恥を承知して、お願いがあります」


 椅子に座る訳でもなく、寝台に腰掛ける事もなく、閉まった扉の前でリアは呟いた。それを見た僕の頭の中では、全力で叩かれる警鐘が鳴り響いている。そんな嫌な予感を酷く感じた。異常事態だ。あの礼儀を欠かさないリアが、話し相手を座らせる事なく話し出すなんて。


「私は……何をしてしまったのでしょうか……」

「っ……」


 リアの声が、さっきよりも大きく震えていた。親と逸れて迷子になった子供のように、今まさに泣きそうになっている声。それを聞いて、さっき改めたはずの気持ちが思わず揺れてしまった程だ。


「途端にヒューゴさんのご様子が変わってしまわれて……どこか距離を置かれてしまったかのようで……! なのに、私はどんな酷い事をしてしまったのかが分からなくてっ……!」


 ──違う。そんな事ない! リアは悪くない! 僕が勝手に落ち込んだだけなんだ!!

 そう言ったつもりだったのに、僕の声は出てくれない。自己保身の気持ちが、それを許してくれなかった。

 リアは身体を強張らせ、両手を固く握って俯いている。これは……自分自身へ怒りを感じているのだろうか。こんなリアを見たのは、初めてだ。


「私は人として不出来だと思います……。大切な人を傷付けてしまったのに、それが何なのかすら分かっていません……」

「それ、は……!」

「お願いです……! 私が何をしてしまったのか、教えて下さい……! 許して下さる機会を、どうか、頂けませんか……! ヒューゴさんに嫌われてしまうのは……耐えられません……。ヒューゴさんには……ヒューゴさんにだけは……嫌われたく、ないのです……」


 擦れた声でリアは言葉を吐き出す。それどころか両膝を床に下ろし、ギュッと握り締めた両手を胸に当てて頭を下げられてしまった。まるで、藁にも縋る想いで神へ祈るように──。

 リアが跪いている場所の床に水滴が落ちていく。それは床を濡らし、落ちる度に染みを作らせていた。それを見た瞬間、僕の中で何かが崩れていくのを感じた。

 僕はリアへと足早に近付き、彼女と同じように両膝を落とした。


「ふ、ぇ……?」

「……ごめんなさい」


 そのままリアを抱き締める。深い理由なんて無い。ただただ、泣いている彼女を見たくなかった。


「なぜですか……? なぜ……ヒューゴさんが謝るのですか……? 酷い事をしたのは、私ですのに……」

「違う。それは違うよ、リア」


 触れている所からリアの強張りと震えが伝わってくる。そんな少女を宥める様に、僕はゆっくりと言葉を紡いだ。


「僕が勝手に落ち込んだだけ。リアは何も悪い事をしていないよ」

「そんなはず、ありません……! 私が悪い事をしてしまったから、ヒューゴさんが傷付いて、落ち込ませてしまったのです……!」


 カタカタと、彼女の震えが大きくなる。それでも僕は変わらずリアを抱き締める。


「僕が落ち込んだのは、リアにとっては誰もが掛け替えの無い存在なんだ、って思っちゃったからなんだ。僕を掛け替えの無い大切な人と言ってくれたけど、それはリアにとって誰にでも同じなんだ、と思って勝手に落ち込んだだけなんだよ。だから、リアは何も悪い事をしていないよ」


 普段ならば否が応でもな状況でないと出ない言葉。それを、僕は自分の意思で口に出した。


「それこそ、違います……! 私は、確かに……誰もが掛け替えの無い人、だと思っています……。だって……! 誰かの代わりをするなんて、誰も出来ないではないですか……! 同じ事が出来るからといって、その誰かの人生を代われる人なんて、居ません……」

「うん。僕もそう思えるよ。誰かが居なくなっちゃったら、必ず誰かが悲しむもん。その悲しみを埋める事は出来たとしても、完全な代わりになるなんて、出来っこない」


 リアが心中を吐き出していく。それを僕は、しっかりと受け止めていった。


「それでも……私は思うのです……。誰かが居なくなったら、その誰かの代わりに、誰かがその人の場所に立つ事になると……。矛盾は承知しています……聖女として失格なのも分かっています……。ですが……ヒューゴさんだけは別です……! ヒューゴさんだけは、私にとって絶対に居なくなって欲しくないお方です!」

「……………………」


 その言葉に、僕はわざと返事をしなかった。これは誰も耳にしてはいけない言葉だ。

 全ての人々を等しく愛する存在である聖女──。そこに位置するリアが、絶対に言ってはいけない事だから。


「私は、他の誰よりもヒューゴさんを大切に思っています……。いつもお世話をして下さるグレッグさんやクラーラさんよりも、私を宝物のように扱って下さるオースティン大司祭よりも、秘密の友人であるナリシャさんよりも……大切なのです……」

「……………………」

「……ご迷惑かもしれません。困られていると思います……。ですが……これが、グローリア=ハーメラの……隠していた本音です……」


 グローリア=ハーメラ。それはリアのフルネームであり、聖女ではなく個人のもの。彼女がそれを口にしたという事は、それだけ彼女にとって重要な事なのだろう。

 ハッキリと言えば重い。それは間違いない。しかし、彼女が誰かにこんな姿を見せたなんて話を僕は知らないし、聞いた事もない。つまり、それだけ切羽詰まっていたんだ。聖女が抱いてはいけないと分かりつつも抱いてしまった不平等とくべつを、打ち明けてしまう程に。

 僕は彼女を──リアを、少し強く抱き寄せた。


「──ありがとう、リア」


 重いからどうした。言わさせたのは僕だ。そう思わせたのも僕だ。聖女という絶対不可侵の領域に深く踏み入ったのだから、相応のモノがあるのは当たり前だ。ならば、それを背負うのが男の義務だろう。

 リアの心臓の音がトクトクと感じられる。感情を吐き出したからか、その鼓動は少しだけ速い。


「確かに少し困った。けど、それ以上に嬉しかった。僕なんかを、大切に思ってくれる人が居るって分からせてくれたから」


 大切な人だと思われている──。それは、僕の人生において感受した事なんて無かった。あっちの世界に於いて、僕は居ても居なくても変わらない存在だったから。

 両親は僕が小さい頃から仕事で忙しく、家では常に一人だった。僕は本当にあの家の子供なのだろうか、と子供ながらに考えた事があるくらい、僕の家では家族という概念が崩壊していた。

 仲の良い友人が居る訳でもない。学校でも何も問題を起こしていないし、称賛されるような事もしていない。ただただ僕は事なかれを貫き、大人しくする。そうすれば、両親の苛烈な喧嘩のような出来事に巻き込まれる事なんて無いからだ。

 そんな人生を送ってきたからこそ、僕は誰も大切に思う事など無く、誰も僕を大切に思う事も無かった。


「やっぱり、リアには敵わないなぁ……」


 だけど彼女だけは、リアだけは違った。僕を大切だと言ってくれて、出来る限り傍に居ようとしてくれて、笑顔を向けてくれた。そんなだからこそ、僕は一目惚れ以上の恋心をリアに抱いたのだろう。


「僕をこんなにも温かい気持ちにさせてくれて、嬉しいって気持ちでいっぱいにしてくれる。好きになった人がリアで、本当に良かったって思えた」


 これは僕が心から思っている言葉だ。いつか言えたら良いなって思っていた想いを、まさかここで言う事になるとは思っていなかった。

 その言葉の途中で、リアの震えが止まった。


「あの……それって……」


 確認するように、催促するように、信じ難い出来事でも起こったかのように、リアは声を零す。

 少しだけ……ほんの少しだけ間を置いてから、彼女の疑問に僕は答えた。


「前にも似たような事を言ったけど、改めて言うよ。──僕はリアが好きだ。僕にとってリアは、一番大切な人だよ。一人の人としても、女の子としても、一番大事で、一番大切だ」

「────!!」


 自分の想いを濁す事なく、ハッキリと明確に伝える。……ああ、言ってしまったなぁ。

 息を呑むリア。衝撃的だったのか、それとも何か別の事を思ったのか。ただ一つだけ分かっているのは、さっきまでのように強張ったり震えたりしていないという事だ。


「……敵わない恋だというのは分かってる。僕は表に出られないし、何よりリアは聖女だから。……それでも、僕はリアの事が好きで、大事で、大切な人だっていうのを知っていて欲しい」


 身勝手な告白だと自分でも思う。感情に駆られ、ほとんど一方的に想いを伝えてしまった。自分勝手で、相手を困らせる告白だっただろう。それでも僕の薄っぺらい人生経験では、今ここで言わないと手遅れになると感じた。

 何が手遅れになるのかなんて分からない。もしかしたら、泣いているリアを前にした僕が狂っただけなのかもしれない。だけど、それは悪い結果にはならなそうだ。

 リアの震えは止まっている。泣き声も聴こえない。硬く握られていた両手から力がゆっくりと抜けていっているのが肌で感じられる。

 今リアが何を思っているのかは分からないけれど、少しでも落ち着きを取り戻してくれたのは間違いないだろう。


「……許して、下さるのですか?」


 ただ、これは少し予想外だ。どうやらリアは、僕は怒っていたとまだ思っているらしい。


「そもそも僕の覚悟が弱かっただけの話だよ。リアが悪いなんて事は何も無い」

「ですが……私の言葉でヒューゴさんを落ち込ませてしまいました……」

「僕が勝手に落ち込んだだけ。……前の世界で間違えた事を、また繰り返してしまったってのもあるんだ」

「前の世界で……」


 前の世界──。それは、僕がふらふら漫然と過ごしていた世界。僕が存在している理由が、無かった世界。


「うん。前の世界……。僕は居ても居なくても良かった世界。けど、その話はまた機会があった時にしよ? 今はそんな事より、涙を拭こっか」

「ぁ……。ん……」


 僕が彼女から手を離すと同時に鼓動も離れる。その代わり、潤み切った空色の瞳が僕の視界に入ってきた。

 僕は、その瞳から零れ落ちた涙の跡を袖で拭う。なるべくゆっくり優しくしているけど、やっぱり人は目の近くに何かがあると瞼を閉じるらしい。

 リアの長く綺麗な睫毛も濡れてしまっている。もしかしたら目を閉じたまま泣いていたのかもしれない。


「……これで良し。ちょっとだけ休んでから出掛けよ? 目が赤くなっちゃってる」

「ぅぁぅ……」


 リアが恥ずかしそうに唸りながら目を閉じる。それと同時に口を小さく開いたのに凄く違和感があった。今では明らかに必要以上の瞬きをしている。……もしかして、何かを言い掛けたのだろうか?

 ……うん。訊いてみよう。


「ねえリア。いつも話している時みたいに、寝台の上に行かない? そうすれば言葉も出やすくなるんじゃないかな」

「え、え?」

「何か言いたそうな顔、してるよ」

「えっ!? そ、そそそそんな事は──!!」


 ああ、なんて分かりやすい……。


「そんな事は?」

「…………あります……」


 追加で問い掛けてみると、彼女はすんなりと白状した。そんな素直な様子を見た僕の顔は、きっと綻んでいるに違いない。だって、また違った温かい気持ちが胸に広がったのだから。

 僕は立ち上がり手を伸ばす。リアはその手に躊躇いながらも自身の手を重ね、それを支えにゆっくりと僕の目線と同じ高さへとなった。……そんな彼女が少しフラついているのは、ずっと同じ体勢で足が痺れたからだろうか。

 ほんの二、三メートル程度のエスコートをして、僕はリアへ顔を向ける。リアは少し恥ずかしそうにしながら先に寝台の上へ乗った。

 そのまま僕もリアへ続く。そしていつもの休憩時間と同じようにお姉さん座りとなった。いつもの、膝枕をしている時の座り方だ。

 リアは覚悟を決める必要があったのか、一度だけ深呼吸をする。その後も遠慮がちな顔付きは変わらなかったけど、深呼吸の効果はバッチリだったらしく、いつものように一言だけ断わってから僕の脚へ頭を乗せてきた。ああ……なんだろう。いつも以上に穏やかな気持ちになれるなぁ。


「何を聞きたいの?」


 そのまま堪能していたかったが、そういう訳にもいかないので訊ねる。さっきの深呼吸の効果はもう切れてしまったらしく、リアは言い辛そうに目を逸らしてしまった。


「……叶わない恋の事、です」


 逸らした目をそのままに、呟くように小声でそう言う。さっき僕の言ったそれが気になったらしい。


「叶わない恋?」


 どうしてそれを聞きたいと思ったのかよく分からないけど、きっと彼女にとって大事な何かがあるのだろう。

 リアはチラチラと僕の方へ目線を泳がせ、僕は彼女の言葉を待つ。そのまま待つのもあまり気が向かなかったので、何気なくリアの頭へ手を乗せて、手櫛で髪を梳いた。

 柔らかくサラサラとした髪が僕の指の間を抜けていく。ああ……いつまでも触っていられるくらい心地良い……。

 しかし、内心でそんな事を思っている僕とは逆で、リアは辛そうな顔のままだった。


「どうしても、叶わないのでしょうか……」


 僕を見上げながら、彼女は寂しそうに問うてきた。

 僕の手がピタリと止まる。同時に僕の息も一瞬だけ止まってしまい、少しだけ息苦しくなってしまった。


「……そうだね。叶わない」


 軽く呼吸を整えてからリアの問いを返す。遅れて首も横に振ったらリアは目を伏せてしまい、余計に寂しそうな顔となった。


「人々を平等に愛する聖女が誰か一人にだけ愛情を向けるだなんて、周りの誰も許してくれないよ」

「やっぱり、ですよね……」


 口にしてから改めてその儚さを感じる。誰からも愛され誰をも愛する聖女は、たった一人の人を愛する事が出来ないのだ。もしそんな事をしてしまえば、象徴という立場から人間に落ちる事でもある。おそらくだけど、信徒の人達が感じている神聖性や清廉なんてイメージも薄れてしまうのではないだろうか。

 今までは『命の恩人』という意味で大切な人と説明してくれていたけど、そうじゃないのならば何かしらの暴動とか起きそうで怖い。

 ……もしかして聖女ってアイドルみたいなものなのだろうか? いや、僕はアイドルも好きに恋愛すれば良いんじゃないのって思うけど……聖女はまた別かもしれない。なんかそんな印象がする。


「ですが、私は──」

「リア」


 禁句の言葉を言い掛けたリアを、僕は制する。


「これ以上、ハッキリとは言わない方が良い。いや、何も答えないで欲しい。そうしないと……リア自身が聖女で居られなくなる」

「っ……………………はい……」


 きっと反論したかったのだろう。そんな事はない、と。だけど、彼女は言葉が詰まってしまった。僕への気持ちをハッキリ伝えた上で、今まで通りに信徒の人達へ接する事が出来るのか、懺悔の言葉に耳を傾ける事が出来るのか──それが頭に過ったのだろう。


「……聖女である事がこんなにも辛いだなんて、初めて思いました……。どうしようも……ないのですね……」

「そうだね……。でも、アーテル教を信じてくれている皆の事を考えると……」

「……心が、苦しいですね」


 リアは目を閉じ、短く苦しそうに溜め息を吐いた。その苦しさを紛らわす為なのか、それとも心を抑える為なのか、両手で心臓の上辺りを押さえていた。


「……先代の聖女様も、こんなにも辛いお気持ちを経験したのでしょうか……」


 先代の聖女。敵である魔族を手当てして処刑された、反逆の聖女。恐らく、リアが一番心を許していた人。その人は一体、どんな人だったのだろうか……。


「……どうだろ」

「もしそうであっても、そうでなくても、悲しいお話です……」


 消え入りそうな声でリアは悲しいお話と言った。全くもってその通りだ。もし恋をしたのならば、今のリアのように気持ちを伝えられず苦しんだだろう。そして恋をしなかったのならば……それは、人として当然持つであろう感情を持てなかったという事になる。……本当、どっちであっても悲しいお話だ。

 僕達の会話はそこで終わり、静かに時間が過ぎるのを待った。時折僕がリアの頭を撫でて、リアは気持ち良さそうに儚い笑顔を浮かべる。

 そんな僕達が行動を起こしたのは、もう昼が過ぎてからだった。リアの目が落ち着いたのを確認し、オースティンさんの下へと足を運ぶ。


「オースティン大司教」

「む? ……む? グローリア様にヒューゴさん。もう出掛けられているかと思っていたのですが」

「リアと話をしていたらこんな時間になっちゃいまして……」

「ホッホッ。なるほど。仲睦まじいですなぁ」


 あはは、と苦笑いを返す僕とリア。オースティンさんはまるで子供の成長を見たかのようにウンウンと頷いていた。


「実は、社長さんが体調を崩されたというお話を耳にしたのです。なので、お見舞いに行こうかと思っているのですが……構いませんか?」

「ふむ。勿論ですぞ。彼女はアーテル教の信徒に助力をしているようなもの。病に伏せてしまっているのであれば、見舞いの一つでもした方が良いでしょうな。では、彼女が住む場所を書いた紙を用意しますので、しばしお待ちを」


 そう言ってオースティンさんは懐から紙とペンを取り出し、サラサラと社長さんの住んでいる場所を書いてくれた。その紙をリアに渡し、僕の方へは小さな革袋を渡してきた。


「……オースティンさん、これは?」

「多少ばかりの小銭ですな。お二人はずっと話をされていたのですから、お昼もまだでございましょう。それだけあれば昼食と見舞いの品、そのどちらも買う事が出来るでしょう」

「わぁ……! ありがとうございます、オースティン大司教」

「ありがとうございます、オースティンさん」

「うむ。無駄遣いはしないように」


 僕達はオースティンさんにお礼を言い、彼に見送られながら街へ足を進めていった。

 まずは昼食にしようという事で、前にリアがナリシャさんと行っていたというパン屋へと向かう。小麦の焼ける心地良い香りがとても良かった。味の方も結構良い感じで、やっぱり焼き立てのパンは美味しいものだと実感した。

 ……まあ、流石にサンドイッチなるものは無かったのでリアはちょっとだけ残念そうにしていた。よっぽど社長さんの作ったサンドイッチが気に入ったらしい。凄いぞマヨネーズ。

 その足で近くにあった市場でいくつかの果物を買っていく。りんごにぶどうにバナナにミカンと買ったのだが、とても不思議な感じである。ぶどうは結構どこでも出来る印象なんだけど、りんごって寒い場所の物だった気がするし、ミカンは逆に寒い場所では栽培できなかったような……? バナナなんてもはや南国でしょ。どういう気候をしているんだろうハーメラ……。

 が、しかし。ここで残念な結果を迎える事となる。社長さん達は留守だったのだ。いくら扉を叩いても物音一つ返ってこない。仕事でもしているのだろうか。


「……先にナリシャさんの所に行く?」

「お出掛けのようですし、そうしましょう」


 いつ帰ってくるか分からなくてこのまま待ちぼうけになるのもアレなので、当初の予定通りナリシャさんの家へ向かう事にした。

 どことなく見覚えのあるような無いような道をリアに案内されつつ、僕達はナリシャさんの家へと辿り着く。扉へノックを三回鳴らし、僕達はナリシャさん宅へ上がっていった。

 ……が、しかし。


「…………えぇ……?」

「あ……ぇ……ナ、リシャ……さん?」

「~~~~~~ッッッ!!!」


 そこで遭遇したのは、いつぞやここで出会った褐色肌のお兄さんと……その人にお姫様抱っこされている素っ裸のナリシャさんだった……。




…………………………………………

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― 新着の感想 ―
[良い点] リア氏の人間的な感情の進展とそもそもの聖女の深い愛が 理性的慎重派のヒューゴ氏のハートにじわじわ浸透する その過程、いや~たまんないっす。 [気になる点] しかしヒューゴ氏の姿はリアという…
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