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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
20/41

人の温もり 4

 時刻は夕暮れにはまだ早い昼下がり。普段ならばそろそろリアが信徒達の懺悔を聞いている時間だ。その時間に僕達は大聖堂の広場の端で遅めの昼食を取っていた。

 今日はリアが居ないと事前に知らされているからか、いつもより格段に人が少なくて静かだ。それでも訪れる人は居るらしく、チラホラと信徒らしき人達が広場や大聖堂へと足を運んでいる。

 社長さんから貰ったサンドイッチは手料理感の溢れる味だった。家で作った料理に近いと言えば良いのだろうか、安心できる味をしている。何よりもマヨネーズが良い。この世界でマヨネーズなんて物を見た事が無いから恐らく手作りなのだろう。向こうで食べてきたマヨネーズとはまた違ったコクのある、なんていうか複雑で厚みのある味だ。僕はあまりお酢とかの酸味が好きじゃなく、それでマヨネーズもあまり好きじゃなかったけどコレはいける。美味しい。酸味が強調されていないというのか、別の味と混ざって気にならなくなっていると言えば良いのか、そんな感じだ。

 ただ、一つだけ言うならばなんで具の玉子は白身だけで作られているんだろう……? 黄身の部分はどこに行ったの?

 それでも気付けば一つを食べ切ってしまっていた。どうやら夢中になっていたらしい。これだけでも割と満足できるくらいには美味しかった。


「ヒュ、ヒューゴさんヒューゴさん……!」


 そして丁度リアも一つを食べ切ったのだろう。手を空にさせた彼女は目を輝かせながら僕へ声を掛けてきた。


「この優しい酸味は何でしょうかっ? 私、こんなにも魅力的な味は初めてです!」

「えーっと、たぶんマヨネーズっていう物だと思うよ」

「マヨネーズ……! 凄いです! 世の中にはこんなにも魅了させる食べ物があったのですね!」


 ……凄いなマヨネーズ。ちょっと前までの恥ずかしそうにしていたリアの様子が吹き飛んでしまっている。

 確かに美味しいなって思ったけど、そこまでなるかな……? それとも僕が近代の料理に慣れ過ぎているだけで、この世界の人達にとってはこの反応が普通のなのかな。凄いぞマヨネーズ。


「良かったら残りも食べる?」


 ランチバスケットに残っているのは二つ。大きさ的にもたぶん一人用のサンドイッチだったのだろう。二人で食べるには少し量が足りない。

 僕はそうでもないけれど、リアは途中で走った時に凄く疲れていたみたいだし、たぶん二切れだけじゃ足りないだろう。


「いえ、二人で分けましょう。いつもより遅めの昼食ですので、夕食が入らなくなってしまっては料理人さん方に失礼です」


 そう思ったけど、どうやら足りなかったのは僕の考えだったようだ。うーん……本当、リアはちゃんと考えているなぁ。僕もそうなれるようにしなきゃ。

 僕はリアの言葉に頷いて二人で分ける事にした。……一つで割と満足できたと思っていたのに、二つ目のサンドイッチも簡単に僕の胃袋へと収まってしまう。どうやら満足しているようで満足できていなかったらしい。


「御馳走様でした」

「ごちそうさまでした」


 残りのサンドイッチを全て平らげた僕達は、空になったランチバスケットを前に両手を合わせてごちそうさまと言う。ランチバスケットは閉められ、その時に少し強めの風が広場を駆け抜けた。

 被りと修道着が小さく揺れ、食後の少し火照った身体を冷ます。何とも心地良い風だ。


「社長さんにお礼を言わなければなりませんね。それと、この素敵な箱もお返ししなければ」

「あー……どうやって返そう……って簡単か」


 軽く考えてみると、すぐにその方法が思い浮かぶ。確か社長さんたちの居場所は分かっているんだから、直接返しに行けば良い。……ただ、僕達が直接返しに行けるかどうかは別だけど。

 ランチバスケットの中にパン屑とか残っている筈だから、今日か明日には掃除しておかなきゃ

 その方向で話が纏まり、僕達の間から言葉が無くなる。風で草木が囁き優しく頬を撫で、遠くから人々の声がその風に乗ってくるように耳をくすぐった。

 空は遠くがほんのり赤みを帯び始め、あと三時間もすれば夕闇が空を覆うだろう。


「こうやって外で食事をしたのは久し振りです」


 風が弱まってきた頃、リアがそう言った。


「……ずっと大聖堂で過ごしているから?」

「はい。私が外に出るのは、今日みたいに休みの日か遠征のどちらかですので」


 ニッコリとリアが笑う。作り笑いなんかじゃなく、その軟禁じみた生活の中の一つのイベントだと言わんばかりの様子だ。

 いや、そもそもリアは今の生活を軟禁じみているとすら感じていないだろう。それが彼女の普通であり、当たり前であり、日常なのだから。


「休みの日はナリシャさんが私を連れ出して下さって、こうやって外で食事をしていました。その後は露店を見て回ったり、近場を練り歩いていたのですよ」


 時には冒険をし、時には市街を歩き回り、時には買い物をする──。

 リアの話によると、ナリシャさんとは休みの日をそうやって過ごしていたらしい。なんて事はない、冒険の部分以外は普通に女の子しているようだった。


(ん、あれ? お洒落とかはしなかったのかな?)


 ただ、ちょっとだけ気になった事がある。女の子はおしゃれに気を遣うと聞いた事があるけれど、今の話だとそういった事は無さそうだった。リアもナリシャさんもあまりそういう事に興味が無いのかな?

 そう思ったけれど、すぐに気付く。この修道着を脱ぐような事をしてしまったらリアの正体は速攻でバレてしまう。だからそういった事は出来なかったのだろう。

 リアがお洒落とかしたらどうなるかな。金髪で空色の目だからアリス系の青と白のドレスなんか凄く似合いそうだ。ワンピースにカーディガンというのも良いかもしれない。……まあでも、どっちも叶うことはないだろう。僕達はお金を稼ぐ手段が無い。お金が無ければ服を買うなんて事も出来ないし、アーテル教から出して貰うだなんて事はもはや論外だ。信徒達による寄付や何かしらの仕事をした時の謝礼で運営しているって話だし。かと言って僕には裁縫の技術なんて無い。ボタンくらいならば出来るけど、それ以外の事は正直やれる気すらしない。


「ヒューゴさん?」

「あ……ごめん。別の事考えてた……」


 一応、彼女の話は聞いていた。近場のパン屋さんの作るパンが美味しくて、ナリシャさんがいつも買っていたらしい。ただ、そこから僕が相槌すら打たなかったので静かになった所までは分かっている。うぅ……失敗した……。


「いえ、それは構わないのですが、何やら真剣に悩んでいらしたのでどうしたのかと……」


 言われてから初めて気付く。僕ってそんなに真剣に悩んでいたんだ……?

 リアは心配した顔で僕の目を見ている。なんとなくだけど、僕は考えていた事を正直に言う事にした。なんだか、誤魔化したりしてもリアが不安に思い続けそうだ。


「えっと……リアってアーテル教関係の服しか着ていない気がして、それでリアはどんな服が似合うんだろうって考えちゃってたんだ」

「……私の、服ですか?」


 意外だったのだろう。リアは二回ほど瞬きをしてからそう言った。


「うん。リアは髪と目の色が凄く綺麗だから青と白の服とか良さそうだなって思ったりしてた」

「──っ!」


 途端に赤く染まったリアの顔を見て、僕も『しまった!』と顔が熱くなったのを感じた。

 ……確かにリアは髪と目が特別綺麗だ。そこが一目惚れの要素の一つでもあったのだけど、それを僕が言うのはちょっとマズイ。なんせ正直に言って、最近リアは僕の気持ちに気付き始めているんじゃないかって思う節がある。じゃないと、綺麗だって言われてこんな反応をするはずがない。男女の違いを教えた時からリアは何も知らない純粋培養の女の子じゃないんだ。少しずつ、ほんの少しずつ普通の女の子としての感性も持ち始めている。照れるのだって当然だし、もし僕がリアに惚れているっていうのが分かっているのであれば、好意を伝えたと思われる可能性だって充分にあり得る。


「そ、空も赤くなり始めたから、そろそろ部屋に戻ろっか!」

「へ……ぁ、そ、そうしましょう! はいっ!」


 とにかくこの空気は耐えられない。僕は逃げるように部屋へ戻る事を提案した。

 僕達の顔が赤いのは夕日のせいに出来ない。だって、確かに空は赤みが帯びているけれど、それは遠くの空の話なのだ。頬を赤く染める程の赤さじゃない。自分の中ですら言い訳が出来なくて、ちょっと叫びたくなってしまう……。

 幸いなのは被りを深く出来る事。中に入って誰かとすれ違っても、見てくれの態度さえしっかりしていればバレる事はないという事だ。


「……………………」

「……………………」

「…………?」


 ……ただし、僕達が何とも言えない微妙な空気を醸し出しているというのはどうしようも出来ない。こればっかりは諦めるしかないだろう。

 ああ……布団に顔を押し付けて大声で叫んでしまいたい……。

 僕達は聖堂関係者でなければ入る事の出来ない通路までやってきた。後は階段を登って少し歩けばリアの部屋だ。


「──クラーラよ、髪が乱れている」

「ん、ありがと。グレッグ」


 そんな時、少し遠くの角から聴き慣れた声が耳に入ってきた。


「襟も整っていない。我々はアーテル教の修道士。全ての信徒の見本となるべきだ」

「んん……ごめんなさい。気を付けるわ」


 どうやらグレッグさんとクラーラさんらしい。今の話から察するに、クラーラさんがグレッグさんに叱られているようだ。

 それにしても……髪と襟が整っていないって、なんだかクラーラさんらしいなぁ。僕の着替えを手伝ってくれる時なんて確かにちょっと大雑把な所があるし。


(…………う……)


 ……その角を曲がった時、叱っているグレッグさんと叱られているクラーラさんが目に入った。リアと僕が変装をして街に出たのを知っているグレッグさん達は僕達にすぐに気付き、頭を下げてくる。僕達は『ただいま』と挨拶をしてリアの部屋へと向かった。

 さっきまで僕達の間にあった恥ずかしく、こそばゆい雰囲気はもう無い。代わりにあるのは、重くて気まずい空気だ。

 忘れていた訳じゃない。考えたくなかったんだ。社長さんは僕からリアに叱れと言った。僕もリアのあの行動には注意をした方が良いと思っている。……けどその僕は今、矛盾した気持ちを抱えている。それは、リアを叱りたくない、だ。

 好きな人を好き好んで説教したり叱ったりする人が居るだろうか? 居たとしても、それは正しいのだろうか? 少なくとも、僕は好きな人を好き好んで叱ったりはしたくないし、それは正しいと思えない。好きだからこそ叱るというのは分かる。分かるけど、実行できるかってなったら話は別だ。

 僕は胸を張って生きていけるような人間じゃない。取り柄と言える取り柄も無い、間違いなく平凡以下の存在だ。そんな僕が、一つの巨大な宗教の象徴であるグローリアさんを叱る? 無茶苦茶だ。出来る訳がない。


(本当、なんて運が悪いんだろう……)


 さっきのグレッグさんとクラーラさんを見たら、嫌でも意識させられてしまう。叱るにしても、もっと軽い空気だったらやりやすくもあった。普段の二人はそんな様子を見せた事なんて無いのに、どうしてこのタイミングで……。


「……ヒューゴさん」


 リアに呼ばれる。隣を歩いていた彼女は足を止め、被りを取る。チラリと目にやるのはすぐ目の前にあるドア。リアの部屋へと繋がる扉だ。

 リアは一度だけ俯く。言い辛そうにしながらも、それ以上に自責の念に駆られたのか口を開いた。


「お願いします……」


 ああ……ダメだ。この雰囲気はダメだ。こんなの、簡単な言葉で逃げるのは難しい。

 僕は諦めて頷く。ぎこちない動きをしてしまったので、リアに僕の心境が伝わってしまったのだろう。彼女は辛そうな顔をしながら僕を部屋に招き入れた。

 そのままリアは部屋の中央にある来客用の長机へと足を運ぶ。そして椅子の傍まで行くと、そこで僕へ振り向いた。

 立ったまま微動だにしないリア。まるで僕が来るのを待っているかのようだ。

 またしても僕は逃げ場を失った感覚に襲われる。いつもの雑談と同じようにベッドに腰掛けてくれるのであれば、どれだけ楽だっただろう。たぶん、リアもそうと分かっているからこそ敢えてこの机を選んだのだろう。事は重大だった。だから相応の心持ちが出来るように彼女は選んでいる。

 何が辛いって、僕も同じようにそれ相応の心持ちをしなければいけない事だ。そうしないとリアに失礼だし、そうしないと真面目な性格である彼女は納得できない。

 ここで僕が取れる行動は一つだけ。リアの正面に位置する椅子へと進む事。そして……


「……座って良いよ」

「……はい」


 ……僕の主導で状況を動かす事。

 リアは僕の言葉を聞いてから椅子に座った。それを見て僕も椅子を引いて腰掛ける。

 …………ああ……とても居心地が悪い……。リアの部屋でこんなにも居心地が悪いのなんて、社長さんが最後にここへ来たとき以来だ。あの時は最悪の空気だったけど、今回も別の意味で負けていない。叱られるのを望んでいるリアと叱るのをなんとか回避したい僕。こんなの、居心地が悪くならない訳がない。

 けど……覚悟を決めるしかない。なるべく会話をするような形でやっていこう。


「……リア。あの河原での出来事だけど、どうしてダメだったか分かる?」


 まずはリアの意思を聞く。そうすれば、自然と会話のような形で出来る……と思う。


「それは、ヒューゴさんを危険に晒してしまったからです……」


 けど、それは出来そうになかった。どうやらリアは『僕を危険な目に合わせようとしたから叱られている』と思っているらしい。

 ……これは説明からしないといけないようだ。


「それは確かにそうなったけど、もっと大事な事があったんだ」

「大事な、事ですか……?」


 そう。僕が危ない目に合うなんかよりも、もっと避けたい事があの時にあった。リアはその事を自覚していない。


「それは、リアが危なかったって事だよ」

「えっ、と……? なぜ……私なのですか? 私は、後ろで邪魔をしてしまっていたと思うのですが……」


 やっぱり分かっていないのか、心底困った表情へと変わっている。

 むしろ僕が困ってしまう。ここまでリアが自分の事を勘定に入れないとは思っていなかった。……あんまり言いたくないんだけど、言うしかなさそうだ。


「聖女のリアが危険な状態に置かれていた。……それは、アーテル教として絶対に回避したい事だよ」

「あ……」


 リアの顔が一気に悲愴に包まれる。強張っていた肩の力が抜けており、全身が脱力でもしてしまったかのようになっていた。どうやら理解してくれたらしい。


「そう、ですよね……」


 けど、僕は逆に理解できない事が起こった。リアの様子がなんだかおかしい。悲しそうにはしている。傍目から見ても間違いなくリアは悲しみを覚えているというのが分かる。けど、その悲しみ方に違和感があるのだ。

 リアには後悔の色と共に、諦めのような気配が混じっていた。後悔しているのは分かる。けど、なぜ諦めているかのような雰囲気があるんだろう? ……もしかして、僕の言い方が悪かったのだろうか。

 そう考えると、サァっと背筋に寒気が走った。僕は失敗したかもしれない。おまけに、何が悪かったのかも分からない。どうしよう……やっぱり僕なんかが叱るなんて事、するべきじゃなかったんじゃ……。


「もしそれで聖女の私の身に何かがあれば、アーテル教全体が混乱してしまいますよね」

「それも……あるとは思う」


 だから、僕はここで大きなミスをしてしまった。リアの言葉に対し、ほぼ反射的に答えてしまったのだ。


「それも、とは? ヒューゴさんは別の問題が見えていたのでしょうか……?」

「あ……」


 当然、そこをリアに訊ねられる。……ダメだ。この流れは絶対にダメだ。このまま進んでしまうと客観的な意見じゃなく、僕の個人的な感情が入ってしまう。それだけは絶対に阻止したい……。おまけに、その個人的な感情とは今の話の内容とズレている。僕は完全に間違えてしまったのだ。


「……それは…………あの、えっと……黙秘権は、ある?」

「お願いします……教えて下さい。聖女として至らない私を、どうか導いて頂けませんか……?」

「あ、ちょ、リアっ!?」


 リアが頭を下げてしまった。慌てて頭を上げるように言ったが、リアはその態勢のまま微動だにしようとしない。

 困った……。滅茶苦茶困る……。最悪の流れだ……。この上など無いというくらい、極上の試練と言っても良い……。

 リアは真剣だ。聖女として成長する為に、何も持っていない僕なんかに頭を下げるという行動にすら出た。そんな彼女の気持ちを蔑ろにできるだろうか? いいや、それは絶対に許されない。知人かどうかですらなく、人としてそんな非情な事など出来っこない。


「……………………」

「ぅ……そ、の……」


 狼狽える僕の視界には、頭を下げ続けるリアが映っている。一秒毎に罪悪感が増していく。僕の個人的過ぎる理由でリアが頭をずっと下げさせるなんて、僕には耐えられない。かと言って、その個人的な理由を話すのも相当な茨の道だ……。


「……………………」

「…………っわ、分かった! 言う! 言うから頭を上げてよリア!」


 自分でも『クソ』が付くほど情けない声だと思った。ああ……そんな僕は、これから個人的過ぎる理由を言わなくちゃならない……。恥の上塗りどころか恥でメッキ処理でもするような気分だ……。

 ようやくリアは顔を上げてくれた。その表情には恐怖が少し混じっている。きっと、僕がここまで言うのを拒んでいるから、リアは自分の相当悪い所を指摘されるとでも思っているのだろう。

 ……実は全然そんな事なんか無いと分かっている僕にとって、彼女のその表情は僕を諦めさせるのに充分な力を持っていた。ああ、うん……こうなったら洗いざらい吐いてしまおう……。

 僕は、机の方に視線を落としてから言った。


「……だって、気になる人が傷付くのなんて、見たくない」

「…………え?」


 素っ頓狂な声とはこういうのを言うのだろう。リアは気の抜けた声を漏らした。


「あ、あの……ヒューゴさん? それは、一体……?」


 おまけに『何を言っているんだろう』とでも言いたそうな声で聞き返された。

 普段の僕ならば濁せるだけ全力で言葉を濁すだろうけれど、今の僕は違う。もう秘密にしておくのを諦めた。いずれバレたかもしれないんだ。むしろ遅かれ早かれリアに呆れられたんだ。もうさっさと吐き出してしまえ。


「あの時僕は、好きな人を守りたいって思った。だからリアが逃げられるようにしようとしたんだ」

「……………………」


 凄いな僕。リアを絶句させたぞ。……その途端、強烈な後悔の念が僕の身体へ襲い掛かった。

 はぁ……何やってるんだろ、僕……。バッカじゃないの? 叱る事に失敗するし、その事で考えが足りなくなってズレた返答をするし、挙句にその詳しい内容を言うときた。酷い。酷過ぎる。死ねば良いんじゃないの? 生きてる価値あるの、僕? ああ……この世界に来た時、空から落ちていたんだからペシャンコになってしまえば良かったのに。それで地面の肥料になっていた方が百万倍は有意義だったよ。


「……………………」

「……………………」


 沈黙が痛い。この上なく痛い。そりゃリアも何も言えなくなるよ。余りにも意味不明だし個人的過ぎるし、何よりもキモい。

 はぁぁぁぁ……。これからどうしよう……。僕、もうアーテル教に居られないんじゃないのかな……。聖女様に何を言っているんだーって言われても仕方が無いよコレ……。リアが居なかったら僕がここに居て良い理由なんて一つたりとも無いんだ。……どっか近くに奈落の崖とかないかな。今すぐにでも飛び降りさせてよ。それなら誰にも迷惑掛からないでしょ。


「え、えっと……ヒューゴさん……」

「はい……」

「私の、聞き間違えでなければ……ヒューゴさんは、私に好意を寄せていらっしゃる、と……?」

「……そうです」


 改めて聞き返された……。あー……どっかにハーメラの地図があったような気がする……。……探そう、崖。出来ればマリアナ海溝くらい深いのが良い。


「それは……私が、聖女だからですか?」

「……え? なんでそうなるの? 聖女とかそういうのじゃなくて、リアだからなんだけど……」


 今度はリアが意味不明な事を言ってきた。しかし僕みたいにトチ狂っているのではなく、呆気には取られていてもかなり真剣な表情で言っている事から、リアは大真面目に訊いているのだろう。

 ごめんリア……。人の事を言えないって自覚はしているけど、僕にはどうしてその発想になったのかが分からないよ……。


「それ、は……え、あれ……? えっ? はぇ?」


 おまけに何やら混乱している模様。あちこちに視線を移しながら何かを必死に考えている。その奇妙な動きが終わったのは、たぶん五分くらい経ってからだった。


「ヒューゴさんは……聖女だからではなく、私だから好意を……」


 確認をするように、口に出しながら僕の言っていた事を咀嚼する。そして、やっとその意味を理解したのだろう。突然リアは目を見開いて顔を真っ赤にさせた。


「ヒュ、ヒューゴさん!? それは、あの……っ! 好きな人を守りたいって……!?」

「……言葉通リノ意味デス」


 アア……ドウシテコンナコトニ……。

 初めは叱る予定だったのに……僕がミスを重ねたせいでこんな事になるなんて……。

 リアは未だにパニックになっているのか『僕の好きな人=リア』『聖女ではなく=リア個人』という式を必死な様子で口にしながら自己確認している。……ああ、なるほど。これが公開処刑? いや不特定多数の人は居ないけども……。気分的にはそれに近いものがある……。

 ……ああもうこんなの耐えられない!! ヤメだヤメ!! さっさと終わらせよう!!


「と、とりあえず!」

「はっはいッ!?」

「社長さんと僕が言いたかった事は、敵かもしれない人を相手する時に自分や周りの身の安全を考えてって事だよ。さっきリアが言ったように、リアは聖女だからもしもの事があったらアーテル教も混乱するし、僕も……その……リアが酷い目に遭うのなんて、嫌だから、さ……」


 最後の方はまたいつものように弱々しくなってしまったが、僕の言いたい事は大体がこれだ。

 僕自身の危険もあったけど、それ以上にリアが傷付くのはアーテル教にとって大事件だし、僕を含めて身近な人達も心配をする。そして、リアの事だから身近な人が傷付くかもしれないと分かれば二度とそんな事はしないだろう。

 その事をなるべく会話するように伝えたかった。……結果は大失敗だけど、リアだったらあの説明でも分かってくれる……と思う。

 弱々しい声になった僕を見たからなのか、それとも僕の言いたかった事を正しく理解してくれたのか、リアはある程度の落ち着きを取り戻していた。


「人を救うには、まず自分の身を守れる状態に置かないといけない……」


 呟くようにリアがそう言った。その言葉が胸に突き刺さる。社長さんが言った言葉だっただろうか……。けど、どうして今それをリアは言ったのだろう。

 しかしその理由はすぐに分かった。


「逆に言いますと、自分の身を守れない状態にすると人を破滅させてしまう……。正しく、今回がその通りでした」


 なるほど、と納得する。確かにリアが今言った通りだ。あの時のリアの言葉は僕の動きを止め、そして僕自身も躊躇した。社長さんが本当に敵だったら、無防備となった僕達は易々と殺されていたに違いない。

 あの時は漠然と『命が危なかった』としか考えなかったけど、理屈としてはそうなのだろう。敵の前で無防備を晒すという事は死に繋がる。言われるまでもない当たり前の事ではあるけど、実際に考えた事なんて無かった。……そんな事は起きて欲しくないけれど、良い教訓になったのかもしれない。僕も、そしてリアも、これからは意識して気を付けるだろう。


「ヒューゴさん。改めて謝らせて下さい。危険な事をして、ヒューゴさんまでも危ない目に遭わせていました。ごめんなさい……」

「……うん。僕も一層気を付けるよ」


 これで『叱り付け』は終わりだろう。……間違いなく社長さんの思惑とは違った過程だろうけど、結果が良ければそれで良し……かな?

 そこでふと思った。オースティンさんは護衛を忍ばせておくと言っていたけど、その護衛は一度も見掛けなかった。……一体どこでサボっていたんだろ。


「それで……その……」

「ん?」


 リアが手をもじもじと遊ばせている。どうしたんだろう?


「ヒューゴさんは……どうして私に……こ、好意を、寄せて下さったのですか……?」

「────────」


 絶句した。まさかここでその話に戻されるとは思ってもいなかった。ホッとしたばかりの僕に、またもや絶望が舞い降りる。……言えと? 僕がリアの事が好きになった理由を?

 そりゃ理由なんていくらでもある。最初は一目惚れだったけど、内面を知っていく内にまた別の意味で好きになっていっていた。例えば聖女という肩書に負けないくらい優しい所なんかそうだし、笑顔の柔らかさなんて未だに心臓が跳ね上がってしまう。相手を思い遣って行動するのもそうだし、何事にも必死になっている姿なんてとても健気で目を奪われる。

 ……だけど、言えない。ちょっと前までの僕のテンションなら言えたかもしれないけど、今は絶対に無理だ。


「……い」

「い?」

「言えるようになったら……言う。今は恥ずかしくて……ゴメン、言えない……」


 またもや顔が熱くなったのを感じる。目だって合わせられない。今リアの顔を見たら、きっと僕は恥ずかしさのあまり部屋から飛び出して逃げてしまうかもしれない。

 だから逃げた。臆病で、恥ずかしがり屋で、意気地の無い僕には到底飛べないハードルだ。


「──はい。いつまでもお待ちしております」


 意外な事に、リアは落ち着いた様子でそう言った。

 チラリと盗み見るように彼女の顔を見てみると、優しい笑顔の中にちょっぴり恥ずかしそうにした朱色の頬が見える。


「……待ってくれるの?」

「はい。ヒューゴさんが言えるようになったその時が、ヒューゴさんにとって一番の瞬間だと思います。……それに、私はヒューゴさんを信じていますから」


 ああ……本当に敵わないな。改めてそう思った。

 この優しさは猛毒だ。僕の心に深く入り込んで心を掻き乱す。そして気付けばもっとそれを欲しがってしまう。こんなの、抗える訳がない。


「……ですが、一つだけ我儘を言わせて頂けますでしょうか」

「我儘? どんな?」


 リアが我儘を言うなんて珍しい。一体なんだろう?

 そんな珍しい事を言おうとしているリアは窓の外へと目を向ける。釣られてそっちの方へ目を向けるも、赤くなり始めた空が見えるだけ。普段ならばリアが信徒達の懺悔を聞いている真っ只中な頃だろうか。


「……いつもの自由時間にはまだ早いですが、膝枕をお願いしたいのです。良いでしょうか……?」


 何を言うのかと思えば、最近の日課になりそうである膝枕の要求らしい。……今はちょっと恥ずかしさが強いけど、こんな些細な我儘をお願いをされた所で断る理由など僕には無かった。


「うん。良いよ」

「ありがとうございます!」


 パァっと嬉しそうに笑顔を浮かべるリア。その笑顔は昨日や一昨日以上に嬉しそうで、僕としてもやっぱり良い気分になってしまう。なんというか、温かい気持ちになる。これが母性本能を刺激されているというものなのだろうか?

 僕達は少しだけ慣れた感じでベッドの中央へと座る。僕は女の子座りでリアは正座の形だ。……ただし、ここで僕は強烈にリアを意識してしまった。

 自分の気持ちを伝えてしまった今、この膝枕は僕にとって刺激が強過ぎる。なんせ、リアは膝枕の時に眠るのだ。彼女は僕の気持ちを知ったというのに無防備な姿を見せようとするだなんて、どれだけ危機感が無いのだろう。

 ……いや、それはリアが信頼を表わしているのかもしれない。ついさっきもリアは言っていたじゃないか。僕を信じている、と。だからこそ彼女は僕の気持ちを知った上で無防備になるのだろう。……ならば、僕もそれに応えるべきだ。大丈夫。自制心はまだ死んでいない……。理性は保てる……保ってみせる。


「ヒューゴさん、失礼します……」


 そんな僕の決意を知ってか知らずか、ゆっくりと僕の膝へ頭を預けるリア。やっぱり彼女は僕の身体側へ顔を向けており、そしてとても幸せそうに顔を綻ばせていた。

 初めて膝枕をした時からの流れなんだけど、リアは膝枕で横になるとすぐに瞼が半分だけ閉じていく。よっぽど落ち着くのか、それとも前聖女様の事を思い出すのか僕には分からない。ただ、こうするとリアがすぐ眠ってしまうのだけは知っている。

 今日は走ったり色々な所へ歩いたりしたから疲れたのもあるのだろう。リアはもう眠そうにウトウトと微睡んでいた。


「ひゅーごさん……」


 そんな時、初めて膝枕をした三日前と同じく少しだけ甘えた声をリアが出した。


「私も、好きですよ……」


 …………………………………………。え? 今、なんて?

 ほんの少しだけフリーズした僕の頭。その僅かな時間の間に彼女はゆったりとした寝息を立ててしまっていた。

 ……私『も』って言った? え? 今の本当……?

 心臓がバクバクと跳ね続ける。冷静でいられる訳がない。ダメだ。このままじゃ暴走しかねない。いやでもリアは僕を信じてくれている。それにリアは寝ている。そんな彼女の信頼を裏切って良いのか?

 少し想像してみる。もしリアが僕に裏切られたら、どうなるだろうか。…………あ、泣いた。リアが泣いた。心底悲しそうに泣き崩れてしまった。

 その光景は頭の中での出来事だ。だけど妙に現実味があって、本当にそうなるんじゃないかっていう強烈な恐怖感がある。なんせ、リアと僕は『人を信用するな』と言われて悩み、不安になり、その上でリアは僕を信用してくれた。その僕がリアを裏切るような事をしたら、リアが泣いてしまうのは容易に想像できる。そう考えると、この興奮した感情がスーッと引いてくれた。


「…………ふぅー……」


 リアに嫌われるかもしれない。リアが泣き崩れるかもしれない。それだけは、絶対にさせたくない。

 なんとか落ち着きを取り戻した僕。だけど、冷静になったが故に生まれる疑問もあった。それは『どうしてリアはそんな事を言ったのか』だ。

 まず除外できる項目として、僕の事をloveの意味で好きだという事。これだけは絶対にない。今の僕はリアと同じ姿をしているし、僕の本来の姿もほとんど分からないと言っていた。……自慢じゃないけど人に好かれるような性格をしていない自信もある。自分でも優柔不断だと思う事があるのだ。ならば他人ならもっとだろう。

 単純に寝惚けていただけなのかもしれない。それかlikeの意味で好きだと言っただけかもしれない。どっちにしろ、僕を異性として好きだと言った訳ではないだろう。

 まあでも……そうは思っても矛盾した気持ちを抱えるのが人である。希望的観測で良いように思いたくなったりもする。……あぁ、もし本当にそうだったらどれだけ心が躍るのだろうか。

 ──日が暮れていく。太陽は地平線の向こうへと隠れていき、夜の色が空を染めていっている。昼下がりから僕達がこの部屋に居るから部屋の照明は点いていない。魔術の炎を灯してくれる人が入ってきていないからだ。たぶん、この時間の事情を知っているクラーラさん辺りが気を遣ってくれているのだろう。

 薄暗くなっていく部屋の中、僕はリアの頭を撫でた。彼女は安心し切っているのか、気持ち良さそうに微笑んでくれる。そんな彼女を起こさないよう、夕食の時間になるまで僕は優しく彼女の頭を撫で続けた。



 この時、僕は突拍子もない事を思った。

 ──願わくば、この幸せな時間が永く続きますように、と。


…………………………………………

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