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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
19/41

人の温もり 3

 とんでもない光景を見せられたナリシャさんの家での出来事の後、僕達は中央ハーメラの西門に訪れた。どうやらリアの行きたい場所は中央から出ないといけない場所にあるらしいのだ。

 実はちょっと意外だなって思った。リアは普段、この中央どころかアミリオ大聖堂の敷地から出られない事が多い。そんなリアの行きたい場所が中央の外にあるなんて、一体そこに何があるのだろうか。

 西門の両脇には首から警笛をぶら下げた警備兵が二人立っており、入る人や出る人を兜越しに鋭い眼つきで睨むように観察している。怪しい人が居たら呼び止め、所持品や目的などを訊かれるようだ。

 なお僕達は今、顔の半分が見えないように被りを深くしている。当然──


「おい、そこの修道女二人。止まれ」


 ──こうやって止められる。

 しかし、こうなるのは事前にリアから聞いていたので気持ちが焦る事は無かった。リアは慣れているのか、片方の警備兵へ顔を向け、近付くのを待っている。僕も彼女に倣ってそっちへ顔を向けた。

 警備兵は僕達の全身を観察するように視線を動かすも、僕達の顔が見えないからか眉を顰めた。


「お前ら、被りを取ってみろ」

「ごめんなさい。事情があって被りは取れませんが、これでよろしいでしょうか?」


 そう言ってリアは深くしていた被りを軽く持ち上げ、警備兵に顔が見えるようにした。


「なっ──!」

「私の名前はお控え下さい。要らぬ騒ぎを招いてしまいます」

「か、畏まりました! 無礼を働き、申し訳ありません!」


 さっきまで以上に背筋を伸ばし、あからさまに動揺する警備兵。その様子に、もう片方の警備兵は警笛を持って近付いてきた。


「どうした。何があった」

「……どうしましょう」


 何があった、と聞かれたのにも関わらずリアへ顔を向ける警備兵。その様子に、もう一人の警備兵は訝しい顔をしている。

 リアは一瞬だけ周りを見渡し、誰も居ない事を確認してからさっきのように被りを軽く持ち上げた。そしてこっちの警備兵も同じく驚いた顔をしている。凄まじい衝撃を受けたのだろうか、手にしていた警笛が手から零れ落ちていた。


「訳があってこちらの方を中央ハーメラ周辺の案内をしている最中なのです。通して頂けますでしょうか?」

「勿論です! お通り下さい!」

「お気を付けて!」


 ああ、やっぱりリアって凄い人なんだなぁ……。今のやりとりを見て純粋にそう思う。

 警備兵の二人は元の場所へと戻り、リアが見ている前だからか石像にでもなったかのように姿勢良く門の両脇に立っている。良く出来た置物だって言われても信じられるくらいの模範的な兵士の立ち方だ。

 僕達は一礼してから西門を通り抜ける。そこから広がる姿は意外と良い景色。現代の感覚で言えば『何も無い』と言うのだろうか。すぐそこには大きな川が流れており、その川を渡る為に作られた木製の頑丈そうな橋が架かっている。その向こう側は広大な草原が広がっており、右前方には山々が連なっているのが見える。正面は丘があるくらいだ。地球でも産業革命が起こる前はこんな感じだったりしたのかな、なんて思ってしまうくらい緑と青の世界がそこにあった。


「私、実は西という方角が好きなのです」

「西が?」


 ゆっくりと歩き出したリアについていきながら、僕はリアの話に耳を傾けた。

 リアは顔を遠い空へ向けて微笑む。同じように向けてみるも、そこには奥が白く霞んだ青い空と横に伸びた白い雲、そして緑色の丘に一本だけ伸びる乾いた土色の道が視界の下に映るだけだ。特別何かがあるようには見えない。


「はい。何かと西には思い出が多かったりします。例えば、ここにある川がそうですね」


 そう言ってリアは岩肌が剥き出しとなっている急斜面へと足を踏み出した。その姿を見てちょっと慌てたけど、よく見れば木の板を並べただけの階段があったのでホッとする。

 ただ、やっぱり降りるのが怖いのだろう。岩肌に手を当てながら恐る恐ると足を一歩ずつ踏み出している。僕も一緒に降りて行き、河原へと降り立った。

 幅が十メートルはありそうな大きな川。川の底に大きな岩が見え隠れしており、それによって流れにうねりが生まれている。恐らく泳ぐのはかなり危ない……というか無理。丸くなった石や砂利が河原を敷き詰め、歩くと小気味良い軽快な石音が耳をくすぐった。

 そんなジャラリとした音を鳴らしながら、リアはくるりと振り向いた。


「この川は、昔ナリシャさんと何度も遊びに来た場所です」

「遊び?」


 ……この流れの速さでどうやって? 泳ぐのはまず無理だろうし、水切りは……これだけうねっていたらやるだけ無駄だろう。後は釣りとか? ……いや、魚とか居るように見えないから違うかな。水自体は透明で綺麗なんだけど、川で遊んだ事の無い僕じゃ他に何で遊ぶのか分からなかった。


「基本的に私は見ているだけでしたが、ナリシャさんが凄い事をして下さるので楽しかったですよ」


 よっぽど楽しい事だったのだろう。そう言っているリアの顔は満面の笑みで、サーカスでも見てきたかのように目を輝かせていた。


「例えば川から飛び出ている岩を伝って向こう岸まで飛んで行ったり」

(……ん?)


 聞き間違えだろうか。……岩を伝って、向こう岸まで? 飛んで行った? ……嘘でしょ?


「他には流れに逆らって泳いでいたり、潜水をしたかと思えば向こう側から声を掛けてきたりもしていたり」

(潜、水……?)


 僕はもう一度川へ目を向ける。流れは結構速く、あちこちには岩が顔を出したりしていて、中には完全に水の中に沈んでいる物もある。たまに枝なんかも流れているらしく、今もスーッと音も無く岩にぶつかりながら流されていく人間大の太い枝が流れていくのも見えた。

 この……川を……? 泳ぐ……?


「一番凄かったのは、幅広の板を足裏に付けて水の上を走った事でしょうか。あれはもう拍手を送るしかありません!」

(……忍者?)


 やっている事が伝説上の忍者と変わりない……。ナリシャさん、貴女は本当に人間ですか……?

 ちょっと想像してみようかと思ったけど、どうしても現実的な動きが思い付かない。頭に浮かぶのは漫画やアニメのワンシーン位なものだ。……いや、本当に人間ですか?


「身体の基礎訓練にもなるらしく、ナリシャさんは毎回張り切っていましたよ!」

(僕の知っている基礎と全然違う……)


 基礎って走り込みとか筋肉を鍛えるとかそういうのじゃないの……? 基礎の概念が砕け散ってしまいそうだ。……いや、そんな基礎があって堪るか!


「す、凄いんだね……ナリシャさんって……」

「はい! 他に出来る方はベネットさんしか居ない位です!」

「あの人も相当だね!?」


 この世界ちょっとおかしくない!? 僕の知ってる人間と違うんだけど!!

 しかしリアはその異常さを異常と認識できていないのか、笑顔で褒め称えるだけだった。


「お二人はアーテル教、ハーメラ王国、その両者が誇る方々ですから」

「ハ、ハハハ……」


 逆に思う。それくらい出来ないと聖堂騎士団長や勇者を務められないのではないか、と。……住んでる世界が違うんだなぁ。……確かにここは異世界だけど、そういう意味じゃなく。


「ただ……この川も良い思い出だけとはいきません。少し辛い思い出もあります」

「辛い思い出? 怪我をしたとか?」


 足元の石で滑って転んで怪我をするっていうのはありそうだ。

 けど、どうやら違うらしい。リアは軽く首を横に振って答える。


「……この川は、ハーメラ王城の地下水路に繋がっているのです。ナリシャさんと川で遊んでいた時、偶然それを見付けてしまいました」


 ちょっと無理をして笑おうとしているのが見て分かった。いわゆる苦笑いというもので、リアは悲しい時や辛い気持ちを覚えている時にこの顔をする。

 もはや何度この表情を見てきたか分からない。そしてその度に僕の胸も嫌な感じで苦しくなる。たぶん、僕はリアの笑顔が好きだからだろう。それ故にリアにこういう顔をして欲しくないんだと思う。


「ぁ……ごめんなさい。これはあまり気分の良いお話ではありませんでした。……お忘れ頂けますか?」


 ハッ、と何かに気付いたリアはそう言った。忘れて欲しい──。リアはそう言っているけど、少し違和感がある。それは、本当に忘れて欲しいのかな、という事だ。

 僕から見るとリアは聡明だ。日々、懺悔を聞いているという経験もあるからだろうけど、リアが口を滑らせた事なんてほとんど無い。しかも、忘れて欲しいだなんて言ったのは初めてだ。そんなリアがそう言ったのは、何かしらの理由があるんじゃないだろうか。そう考えると、違和感はますます大きく成長していった。そして、その違和感からある言葉が生まれた。


「リアは、もしかして誰かに聞いて欲しかった?」

「……え?」


 空色の目をパチクリとさせて呆けた顔になるリア。その顔を見た僕は、予想が当たったように思えた。

 リアのこの顔は何回も見てきた。まだ確信とまではいかないけれど、なんとなく分かる。たぶんリアは今、言い当てられて驚いているのだろう。


「どうして……分かったのですか?」

「なんとなく、なんだけどね。リアが珍しく『忘れて欲しい』って言ったから、ポロっと本音が出ちゃったのかなって思ったんだ」


 今度は明確に驚いた顔をするリア。口も小さくだが半開きになっており、よっぽど驚いたように見える。しばらくこのままになるのかな、なんて思ってしまうくらいだ。

 けど、それは僕の予想に反してすぐに笑顔へと変わる。……なんだか嬉しそうにしているような?


「はい。お察しの通りです。……やっぱり、ヒューゴさんは不思議なお方ですね」


 川の流れる音に交じって聴こえてくる、丸くなった石と砂利の上を歩く音。その音の発生源はリアの足元で、それは段々と僕へ近付いてきている。

 リアは僕のすぐ傍にまで寄ってきた。あと一歩でも近寄れば触れてしまいそうな距離。もう何度も経験してきているっていうのに、僕の心臓というヤツはどうしてか張り切ってくれる。本当、僕って単純なんだなって思い知らされた。


「ヒューゴさん、どうしてですか? どうしてヒューゴさんは、聖女としてではなく、グローリアとして嬉しい言葉を下さるのですか?」

「それは……たぶん、偶然……だよ?」


 嘘だ。本当はリアが好きだからだ。好きだから目で追ってしまうし、細かい仕草なんかも記憶に残る。だからなんとなく分かる。ただそれだけの事だ。

 ただ……生憎と僕はそんなことを言えるくらいの勇気は持ち合わせていない。むしろ……そう言って拒絶されたら怖いし……。


「偶然なのですか?」

「う……う、ぅ…………たぶん……」


 ジッと見てくるリアから逃げるように視線を逸らす。ああ……これじゃ嘘を言っているってバレバレだ……。むしろ、最近まで男女が何たるかすら知らなかったリアでも僕の気持ちを気付きかねない……。


「偶然、という事にしておいた方が楽ですか?」

「……今はそうやって曖昧にしてくれると嬉しいです」

「はい。いつか、話してくれるのをお待ちしております」


 ああ……意気地なしだなぁ僕……。

 自分の気持ちすら正直に言えないなんて、いくら何でも臆病すぎる。だから僕はいつまでもリアに助けられてばっかりなんだ。

 ……落ち着こう。このままじゃ負の思考スパイラルに陥ってしまう……。


「……ところで、王城の地下水路には何があったの?」


 なので僕は、リアが誰かに話したかった内容を聞く事にした。

 その途端、空気が少し重くなる。リアは白く波立つ川の方へと視線を落としてしまった。

 マズイ、と思った時にはもう遅い。リアは話し始めてしまった。


「……牢獄がありました」

「え……」


 予想外の返答に、僕の頭は少し停止してしまった。

 頭が戻ってきてまず認識できたのが、寂しい顔をするリアだった。どこか諦めているような、理解はしているけど納得はしていないかのような、そんな雰囲気を漂わせている。


「ハーメラも国です。人が作ったものです。……ですから、罪を犯す方が居るのも、当然です。捕まって処罰を受ける人が居るのも……当たり前です」


 静かに首を振るリア。呟くように、あるいは零れ出てくるように、彼女は話を続けた。


「中には入れないように……いえ、中から出られないように鉄格子があって、その奥に罪を犯した方を閉じ込める牢屋が見えました。すぐにナリシャさんが私を引っ張って引き返しましたが、ハッキリと聴こえてしまいました。出してくれ、と。悪かった、と。寒くて冷たい、と……。その頃の私はまだ幼く、前聖女様も御健在でしたので懺悔を受け持つ事はありませんでした。……知らなかったです。世界は温かくて、優しくて、笑顔に満ち溢れているものだと私は信じていました。ですが、それは一部だったのだと思い知らされました」


 一度決壊したダムは、溜め込んだ水が流れなくなるまで止まる事はない。それと同じように、リアの溜め込んでいたであろう気持ちが止め処なく溢れ出ていた。


「……そのような世界があるだなんて、その時は考えた事もありませんでした。私は、私の知っている世界が世の中の全てだと思い込んでいたのです。……善人という言葉があるという事は、悪人も居るという事です。でなければ、善や悪といった言葉は存在しません。悪に手を染めてしまった方は、あんなにも暗くて冷たい世界に連れていかれるのだと……あの時、初めて知りました。同時に、疑問も生まれました。どうして悪人となった方は、罪を背負うような事をしたのか、と。それは……懺悔を受け持つようになってしばらくしてから分かりました。一時の悪意、抑えられなかった感情、復讐心、悲しい偶然、避けようのない悲劇……。理由は様々ですが、そう言った理由で罪を背負ってしまうのだと……私は感じました」


 リアの頬に、一筋の雫が流れ落ちる。それは涙で、リアが泣いている事を表わしていた。改めて思う。リアは強くて、やっぱり聖女なんだ、と。

 そんな世界を見てきたのに、人々の悪を『懺悔』として聞いてきたのに、人前では絶対にそんなそぶりを見せてこなかった。きっと、それを含めて『人』なんだと、それを含めて『信じて』いたんだろう。

 思えば、社長さんから『人を信用するな』と言われ、主任さんから『自分に得のある事ばかりに興味がいくのが人』と言われた時、リアは酷く落ち込んでいた。それは、僕の感じていた無力さとは違っていたんだ。

 リアは知っていた。知っていた上で人を信用していたんだ。なのに、それは再認識という形で真正面から打ち砕かれた。もしかしたら、心が折れかけていたのかもしれない。



 ──信じていても、良いのですよね? ヒューゴさんは……。



 あの時、リアはそう言った。不安そうな声で、絞り出すように。あの時の言葉に、一体どれだけの重い気持ちが込められていたのか、僕は今になってやっと理解した。


「……リア」


 彼女の名を呼ぶ。呼ばれたリアは自分が泣いている事に気付いていないのか、涙の跡を拭こうともせず僕へ顔を向けた。

 悲しそうに垂れた眉と、目尻に溜まって今にも落ちそうな涙。そして……触れてしまえば壊れてしまいそうなくらい弱々しい笑顔がそこにあった。

 僕は何も言わず、彼女の頬に袖を当てる。擦ったりはせず、滑らせるようにゆっくりと涙を拭き取った。


「あ…………ぁぁ……っ」


 そこで、リアは初めて自分が泣いている事に気付いたのだろう。唇を震わせ、溜まっていた涙が溢れ、僕の袖を濡らしていった。

 リアが崩れ落ちるように座り込む。丸いとはいえ下は石と砂利で痛いだろうに、そんな事すら気に掛けられないほど心が弱っていた。僕も膝を地面に下ろし、泣き続けるリアの背中をさすった。そうしていると、彼女はいつかのように僕へしがみついてきた。あの時のように、耐えきれなくなった感情を吐き出しながら。

 やっぱりだ。リアは気丈に振舞っていただけなんだ。聖女だからと。アーテル教の象徴だからと。王族の血を引いているからと。そんな重荷を背負って、今まで生きてきたんだ。

 酷いプレッシャーだったはずだ。周囲は大人の人ばかりだったから、気軽に相談できる人も居なかっただろう。


(そうか……だからナリシャさんが……)


 歳が近く、恐らく唯一ちゃんとした友人であるナリシャさん。リアがあれだけ気に掛けていたのは、もしかしたら数少ない心の拠り所だったのかもしれない。……辛かっただろうな。

 そんな時だ。後ろから声を掛けられたのは。


「そこの人達、どうしたの?」


 瞬間、ゾクリと背筋が凍りそうになる。この声は忘れるにも忘れられない。リアなんか肩が縮み上がってしまっていた。


「社長、さん……」

「ん? その声……」


 リアの声で僕達を僕達と確信したのか、社長さんはジャリジャリと足音を鳴らしながら近付いて来た。

 だけど、そこで信じられない事が起こった。


「え──?」


 社長さんとの距離は二メートルくらい。そこでリアの首に掛けている十字架が光り出した。慣れたらどうって事はないだろうけど、少し眩しいくらいの光量で目が眩みそうになる。

 訳が分からず、僕達は光り輝く十字架をただただ呆然と見詰める。けれど、いつまでもそうしている訳にはいかない。僕はリアの前に立ち、全力で目の前の社長さんを警戒した。


「なるほど。それが光ると敵って意味なのかな」


 僕の行動を見てそう判断したのだろう。社長さんは女性っぽく腕を組み、半分は興味深そうに、もう半分は呆れたように僕達を見ている。

 ……どうするべきだろうか。まさか社長さんが魔族だったなんて思いもしなかった。もしかして、ずっとこの機会を窺っていた……?

 冷や汗が流れる。よく考えてみればおかしかったんだ。社長さんは自ら『魔術師』と名乗っている。あの淫魔誤召喚事件の時、社長さんが淫魔を間違って召喚したと言われていたし、その証言も残っていた。挙句にはルーファスさんという魔術師にも一目置かれるほど優秀だとか。

 どう考えてもそれはおかしいんだ。社長さんは僕と同じく魔術なんてモノの無い地球の人のはず。なのに、どうして魔術を使う事が出来るのか。

 日本やアメリカを知っているから地球の人で間違いはない……。実際、日本語以外や地球の文字を使うなってすら言われた。もしかして、こっちの世界ではあっちの世界の人間が魔族だったりするのだろうか……。

 色々な考えが頭の中を駆け巡る。リアは回復系の魔術しか使えないと言っていたし、僕なんてそもそも魔術の使い方すら知らない。どう考えても逃げる事なんて出来ない。なら……せめてリアだけでも逃がさなきゃ!

 そうは思ったものの、上へと登る階段は社長さんの背後。どうしようもない状況だ。一体、どうすれば良いのか……。


「……何も言わないって事はそういう事か。心外だけど、二人がそう思っているのなら仕方が無い」


 社長さんは左目を閉じて諦めたような顔をした。……僕達の事を見据えているけど、別の事を深く考えているようだ。

 ……今の内にリアを逃がす事を考えよう。一番良いのは社長さんが道を空ける事だけど、そんな事をするほど考えが浅い人じゃないのは分かっている。前に僕達を叱った時みたいに、僕達の考えている事は全部分かっていると思った方が良い。なら、全部読まれている前提で考えるまで。

 だったら僕が自分で一番取りそうにない選択をしたら良い。僕が一番取りそうにない選択……。それは、勇気のある行動……かな。

 自分で言っていて悲しくなるけど、僕だったら絶対に逃げるとか気を逸らすとかそういう事をする。なら、その逆。社長さんに突っ込めば良い。流石に社長さんも僕みたいな気弱な奴が馬鹿正直に突っ込んでくるなんて思わないだろう。

 階段までの距離を見る。……大体だけど十メートル。完全に上へ登るにはそれ以上の時間が掛かるだろう。おまけに走るのが得意じゃないリアと足場の悪さを考えて、三十秒くらい時間を稼げればなんとかなるはずだ。

 三十秒。たった三十秒だけど、非常に長い。僕なんかが社長さんを三十秒も止められる自信は……正直に言ってほとんど無い。だけど、やるしかない。

 ──心は決まった。後はタイミングを計るだけだ。

 社長さんは未だに腕を組んで僕達を見ている。光の無い目で、僕達を観察するように。

 くそ……。これじゃあ良いタイミングがありそうにない……。

 が、転機が訪れる。なぜか社長さんが目を閉じたのだ。しかも、深呼吸をするかのようにゆっくりと深く息を吸っている。

 今しかない──。そう思って僕は足に力を入れようとした。


「え……? 光りが……? あ、あの! お二人とも待って下さい!!」


 その瞬間、リアが待ったを掛ける。踏み出そうとした足を無理矢理止めてしまう。ヤバイ。完全にタイミングを見失ってしまった。


「リア……? どうして……」

「これです! これを見て下さい!」


 そう言って十字架を見せるリア。手に乗せられたそれは、なんの変哲もない少し白く曇ったガラスの十字架だった。さっきまで光っていた姿はどこにも無く、ただただ静かにしていた。


「この十字架は魔族の残滓を感知すると光ります。それが今は光っていません」


 ……どういう事? さっきまで十字架は光っていたのに、どうして今は収まっているんだろう。まさかとは思うけど……電池切れみたいな事じゃないよね……?


「……それだけの事で私の疑いを晴らすっていうの? じゃあそもそも、なぜ私に反応したの?」


 ちょっと苛立っているのか、少しばかり不機嫌そうに社長さんは言う。……リアには申し訳ないけど、僕も社長さんと同意見だ。光が消えただけじゃ疑いは晴れない。


「それとも、ちょっと前まで竜人のレックスに会っていたから反応したって言うの?」

「確証はありませんが……そうだと思います」

「バカ言わないで。確証も無いのに今の絶好の機会を捨てるだなんて愚かにも程がある」

「……え?」


 絶好の機会って……。それって、さっき目を閉じて深呼吸していた事?

 社長さんの言っている意味がよく分からなくて混乱する。じゃあ、社長さんはわざと隙を見せたって言うの? 何の為に?

 そんな風に思った僕だったけど、社長さんは大きく溜め息をついており、自分が何を言ったのか気付いていない様子だ。


「ああもうこの子は……。そんなの私を拘束してから確認すれば良かったでしょう? むしろ、そっちの方が安全だった。グローリアさん、貴女いったい何を考えているの?」

「ぁぅ……ごめんなさい……」


 社長さんに叱られて、しゅんと小さくなるリア。そんな二人を前にして、僕は酷く違和感を覚えていた。

 ……何かおかしい。社長さんの言葉を聞く限りじゃ、まるで自分から捕まろうとしていたように聞こえる。思ってみれば、あの深呼吸も凄くおかしい。なんであんな大きな隙を見せたんだ?

 どういう事……? なんでそんな事を……?


「はぁ……まあ良い。それで、グローリアさんは何がしたいの? わざわざヒューゴの決断を鈍らせるような事をしたんだから、何かあるんでしょ?」

「は、はい……。あの……社長さんに神聖魔術を掛けさせて下さい」

「別に良いけど、なぜ?」


 社長さんは怪訝そうな顔をした。……僕も完全には納得できないけど、悪くはないと思った。神聖魔術を掛ければ、社長さんが本当に魔族なのかどうかがハッキリする。もし魔族だったら魔族の残滓が黒い粒子として見えるはずだ。

「魔族には魔族特有の魔力があり、それは常に身に纏われています。その零れ落ちた魔力は魔族の残滓と呼ばれていて、神聖魔術が掛かると黒い粒子として見えるようになるのです」

「なるほどね。やっぱり私を拘束してからで良かったのじゃないの?」

「それは……社長さんが痛い思いをしてしまいます。誰だって痛いのは嫌なはずです。そうならない方が、絶対に良いです」


 まさかの理由だった。こればかりはリアを擁護できそうにない。確かに心優しいけれど、それはあの状況において絶対にやっちゃいけない事だった。もし本当に社長さんが敵だった場合、逆に僕達の命が危なかった。


「……ヒューゴ。後で叱っておきなさい。たぶん私が言うよりも効き目があると思うから。私が何を言わんとしているか、分かっているよね?」

「はい……」

「あと、念の為に言っておくけど、怒るのじゃなくて叱るようにね。……グローリアさんは覚悟しておきなさい。さっきのあなたの行動は、貴女自身だけじゃなくヒューゴの命まで危険に晒す行為だよ。ヒューゴは貴女を叱る権利がある」

「はい……」

「よろしい。じゃあ、神聖魔術を掛けてみて?」


 そう言われ、リアがその場から詠唱をして社長さんになんらかの神聖魔術を掛ける。しかし、社長さんから黒い粒子はおろか、何かしらの変化も何も起こらなかった。

 これで完全に証明された。社長さんは魔族じゃない。さっき十字架が光ったのは、レックスさんと会った時に付着した魔族の残滓だったのだろう。

 ……ところで、魔族の残滓ってどれくらいで消えるのものなのかな。今の様子を見る限りじゃ結構長く残っていそうだけど。


「……何も起こらないね。判定は?」

「魔族ではないと証明されました。……ごめんなさい。早とちりしてしまいました……」

「ご、ごめんなさい……」


 リアが頭を下げたので、僕も慌てて頭を下げる。……かなり失礼な事をしてしまった。どうしよう……。

 とんでもなく悪い事をしたという罪悪感が心臓を苦しいくらい締め付ける。けど、社長さんから意外な言葉が降ってきた。


「いや、疑われても仕方が無い事をしている自覚はあるよ。何であれ魔族である竜人と定期的に会っているしね」


 社長さんは目を閉じて小さく静かに深呼吸をした。目を開いた彼女の瞼は、さっきよりもほんの少しだけ下がっていた。

 ……こうは言ってくれているけど、どこか落胆しているようにも見える。心なしか組んでいる腕も力の入り方が弱いような気はする。

 ただ、それはほんの数秒だけ。腕を組み直し、社長さんは読めない表情となった。


「そうだ。二人はもうお昼を食べたの?」

「いや……まだ、ですけど……」

「そっか。ちょっと待ってて」


 それだけ言うと、社長さんは踵を返して階段を登っていった。

 ……待ってて? 何か持ってくるのかな。なんだろう? たぶん食べる物か何かなんだろうけど、こういう場所でも食べられる物と言えばかなり限られてくる。果物か、パンか、それとも干し肉か。いずれにせよ、食器を使わないで済む物だろう。


「……ヒューゴさん、ごめんなさい」


 そんな事を考えていたら、いきなりリアが謝ってきた。酷く自己嫌悪している顔をしており、何のことを言っているのかと一瞬考えてしまったけど、すぐに思い出す。さっき、リアが僕を止めた事の話だ。


「あ、いや、だいじょ…………後で、話そ?」

「はい……」


 いつものように『大丈夫』と言おうと思ったけど途中で言葉を切る。……社長さんに言われたからってのもあるけど、流石にさっきのは注意するよう言った方が良い。誰かを危険に晒すというのもあるけれど、何よりもリア自身が危険だ。


(それにしても、叱る、かぁ……)


 心の中で吐露しながら途方に暮れる。今まで叱るなんて事はおろか、誰かに意見を言った事すらほとんど無いっていうのに、いきなり叱る、しかも僕より遥かに大人であるリアに対してだなんて上手く出来るとは思えない。どう考えても僕なんかよりも社長さんの方が上手に叱ってくれる。あの人の言葉は、どうしてか耳を貸してしまうのだから。

 無言となる僕達。なんて声を掛けるべきか分からなくて居心地の悪い空気が漂っている。

 こんな時どうすれば良いのかなんて僕には見当もつかない。……やっぱり、僕なんかがちゃんと叱れるとは思えないや。

 そうして悩んでいると社長さんが姿を現した。手にはランチバスケット……と言えばいいのか、洒落た人がピクニックに行く時に持って行くような四角いアレを持っている。

 ……社長さんが近寄った瞬間に一瞬だけまたリアの十字架が光ったんだけど、これ壊れてるんじゃないの?


「──お待たせ。要らない警戒をさせてしまったお詫びだよ。二人の口に合うかは分からないけどね。……まあ、毒を疑うかは二人の判断に任せるけど、どうする?」

「え、えっと……」


 なんて滅茶苦茶困る言い方をするんだこの人は。どうするべきなのか判断出来なくてリアがソワソワしているよ。

 ……………………。とりあえず中身を見てみよう……。


「……え?」


 社長さんが開いて中身を見せているランチバスケット。そこには、なんとサンドイッチが並んでいた。三角の形に切られていて、コンビニでも必ずと言って良いほど置かれている、あのサンドイッチだ。

 ほんの少しはみ出したレタスの緑色に赤いトマト、そして塩コショウを掛けているのが見て取れる薄く切られた肉が挟まれている。

 それは、この世界では一度も見た事の無い料理だ。


「え、ちょ、サンドイッチ? なんでこんなのが?」

「さんどいっち……?」


 ……やっばぁ。

 あまりに衝撃的で英語を使ってしまった。使うなって言った本人の前で、思いっきり言ってしまった。

 恐る恐る社長さんの顔色を窺う。しかし、彼女は全く気にしている様子が無かった。逆に戸惑ってしまう。一体どうして?


「良いよ。食べ物に関しては英語も已む無しだと思う。……なんせ、一部の物には既に使われているみたいだしね」

「そう、なんですか?」

「うん。例えばガラスとかパンとかね」


 ……言われてみれば確かにそうだ。普段から日常的に使っていたから気付かなかったけど、ガラスもパンも元々は海外から入ってきた言葉であり日本語じゃない。

 疑問が浮かぶ。なんで英語がこっちの世界にあるんだろう……?


「ヒューゴの考えている事は現時点では答えが出ない。だから、食べ物以外の英語は使わないようにね」

「は、はい」


 ……って、なんで僕の考えている事が分かったんだろう。

 そう思ったけど、社長さんがリアに話し掛けたのでその思考はどこかに行ってしまった。


「ところで、グローリアさんはこの食べ物を見た事がある?」


 ランチバスケットを傾けて中身を見せる社長さん。リアはそれをさっきの僕みたいに恐る恐るといった感じで覗き込む。


「ぁ、可愛いです……い、いえ、初めて見ました。これはどんなお料理なのですか?」


 小声だったけどハッキリ聴こえた。サンドイッチを可愛いって言った人は初めて見た。


「簡単に言うと、耳を落としたパンで野菜や肉、マヨネーズ……所謂タレを挟み込んだ食べ物だよ。片手で食べられる上に手を汚さないように済ませたいが為に作られたの」


 へぇ、と素直に聞き入ってしまう。簡単かつ分かりやすい。というよりも作られた由来もさらっと説明していて、記憶に残りやすい。僕だけなのかは分からないけど、雑学が混ざってくると憶えやすい気がする。そういうのは参考にしよう。……僕の少ない知識で出来るかは分からないけど。

 それにしても意外な事が起こっている。リアがかなり興味津々なのだ。マジマジといった感じでサンドイッチを見ており、まるでショーケースに入れられたケーキを見る子供のようだ。


「……貰っちゃう?」

「え!? あ、そ、その……」


 恥ずかしそうに身体をビクンと跳ねらせ、明らかに視線がサンドイッチへ釘付けになっているリア。……うん、可愛いし食べてみたいんだね。凄く良く分かるよ。というか僕も久し振りに食べたい。こっちの世界の料理は……その、なんというか微妙にズレていて困っている。やっぱり化学調味料最高なのだろうか。


「い、頂いても……宜しいでしょうか?」

「ふふ、どうぞ」


 あ、社長さんが笑った。リアの期待と羞恥を耐える表情も非常に良かったけど、それ以上にあの社長さんが笑った事の方に気を取られた。

 ほんの一瞬だったけど、リアとはまた違った慈愛の笑顔。リアが聖女的な微笑みとするならば、社長さんは親が子供に向ける微笑みといった感じだ。

 なんだろう。社長さんの印象が一気に変わってしまった。


「さて、私はこれで失礼するよ。逢引の邪魔をして悪かったね」


 だけど、その印象はまたもや変わる。いつもの死んだ目で何を考えているのか読めない社長さんへと戻ってしまっていた。……僕の気のせいだったのかな。そう思ってしまうくらい真逆の社長さんを垣間見た。

 社長さんの姿が見えなくなった後、二頭の馬が橋を歩いて渡っていく。その一頭には社長さんが乗っていて、もう一人は僕達と同じく被りを深くした外套を羽織っていたので誰かは分からない。だけど、二人は何か話しているので知り合いらしい。

 一瞬だけ金髪の髪が見えたし体格的に女の子っぽいから何かの仕事中だったのかもしれない。

 ところで、アイビキってなんて意味だろう? リアは知っているかな。


「ねえ、リア。……リア?」


 リアの方へ顔を向けると、リアの様子がおかしかった。口をアワアワとさせているし、なんだか頬が赤い。……どうしたの、一体?


「リア?」

「ひゃいっ!? な、なななんでしょうかヒューゴさんっ?」


 もう一度声を掛けると、リアは今まで見た事が無いくらい身体をビクンと跳ねさせた。ナリシャさんの家の時みたいにまた被りが外れてしまっている。

 ここで見付かったら何があるか分かったものではないので、僕はリアに一言だけ断わってからリアの被りを直した。

 ……それにしても、やっぱり様子がおかしい。顔はさっきよりも赤くなってて真っ赤になっているし、手はやり場を無くしているのか空気を掴もうとして必死になっている。かと思えば急に肩を窄め、被りを更に深くして顔を隠してしまった。


「えっと……アイビキってどういう意味か知ってるのなら教えて欲しいなって思って」

「……………………」


 リアからの反応は無かった。……もしかして、あまり聞かない方が良い言葉だったりしたのかな。

 ちょっとだけ不安になると同時に、自分の学の無さに落ち込む。ああ……ケータイがあればその場で調べられたのって、すっごい便利な事だったんだなぁ……。


「……だめ、です。教えられないです……。知られると、私は死んでしまいます……。出来れば、知らないままで居て下さい……」


 蚊が鳴いたような小さな声でリアがそう言った。

 ……訳が分からないけど、一つだけ分かった事はある。リアはとてつもなく恥ずかしがっている。恐らく、僕が今まで見た中で一番。

 これは、そっとしておいた方が良いのかな……?


「えっと……よくは分からないけど、リアがそう言うなら……」

「……………………」


 リアは声を出す事なく一度だけ頭を縦に振る。リアをここまでさせてしまうだなんて、一体アイビキとはどういう意味なのだろう……?

 残念な頭の僕では、せいぜい合い挽き肉くらいしか想像が付かなかった。

 ただ、ちょっと困った事がある。もうそんな空気じゃなくなってしまったんだけど、このサンドイッチはいつ食べよう……?


…………………………………………

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