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クロス・レール  作者: 月雨刹那
第一章
17/41

人の温もり 1

 リアの部屋。朝食後の日課となりつつあるアーテル教の勉強の時間。それが終わるとリアは大聖堂の広場で信徒の人達と交流をする。何気ない会話をしたり、子供を相手に御伽噺を聞かせたり、祈りの仕方を教えたりと様々な事をするらしい。


「ではヒューゴさん、また……後で……」

「う、うん。いってらっしゃい」


 僕達はお互いにぎこちなく言葉を交わした。まるで電車の中で寝てしまって横に倒れそうになったら、隣で寝ていた人も同じく横に倒れそうになって頭をぶつけ合ってしまったかのような気まずさがある。

 そうなっている理由は……前に社長さん達に言われた言葉が原因だろう。あれ以来、僕達はお互いに気を遣い合うような感じになってしまっている。

 今までのように接そうと無理をしていたのはお互い感じていたと思う。それでいて、深く踏み込み過ぎないように躊躇してしまっていた事も。

 いつものように何気ない話をしていても、自分の個人的な考えを言う事は少なくなったと思う。それくらい、僕達は社長さん達の言葉が刺さっていたんだろう。


「……あの」


 ドアに手を掛けたリアだったけど、彼女はなぜかその手を下ろした。

 ドアを背にして僕へと視線を移す。その目は、やはり曇りがかった空の色をしていた。


「な、なに?」

「えっと……その……」


 何か言葉を紡ごうとして口を閉ざしてしまう。最近、僕達はこんな調子だ。

 信じても良いですか──。リアのその言葉に、僕は虚勢すら張れずに濁した言葉で逃げた。それが引っ掛かって今この状況になっているのだろう。


「……………………」


 リアは助けを求めている目をしているように見える。この状況をどうにかしたいと思っていて、不安に圧し潰されてしまいそうな顔だと見て取れた。


「……………………」


 だけど、僕は何も言えない。言おうとしても、社長さんの言葉が喉に刺さっているかのように吐き出せない。


『人を救うには、まず自分の身を守れる状態に置かないといけない』

『人を信用するな』


 僕はリアを助けられるのだろうか。そもそもの問題がそこだ。少なくとも、僕の寂しい語彙力ではどうにか出来るとは到底思えない。

 それに……信じて良いよと言えなかった僕が、リアに信用をして貰えているかどうか……。それが、酷く怖くて仕方が無い。

 たぶん、リアも同じように思っているかもしれない。……そうだったら、まだ良いな。


「……ごめんなさい。行ってまいります」

「いって、らっしゃい……」


 結局、僕達は──いや、僕は何も進めずにいる。

 臆病になって、怖がって、傷付くかもしれなくて……たった一歩を踏み込む事が出来ない。

 もう、何日もこんな感じだ。深い霧に迷い込んでしまったかのように出口が見当たらず、足元も見えないから歩く事も出来なくなっている。

 窓の外から見える空は青く澄み、綺麗な色を見せている。


「……この空のように、僕達の心も晴れるのかな」


 前みたいに晴れたら良いな──。そう、僕は思った。



…………………………………………



「……ヒューゴさん! み、三日後にご予定はありますか?」


 いつもの朝の勉強の時間。リアに丁寧に教えて貰った後、彼女は決心したようにそう言った。リアはどこか期待に胸を膨らませているような感じがあるけど、どこか不安そうにしている。

 それに少し驚きつつも僕は答えた。


「予定は、無いけど……どうしたの?」


 それに、なんで三日後なんだろ? 何かあるのかな。


「じ、実は、三日後にお休みが頂けるのです! なので、良かったら一緒にお出掛けしたいな、と思いまして……!」


 結構意外な話だった。リアから出掛けるお誘いをして貰ったってのもそうだけど、何よりも『リアの休み』という単語に驚いた。

 思ってみれば、リアは今まで毎日休みなく聖女としての仕事をしてきている。朝は礼拝や信徒の人と交流をしているし、昼になると大聖堂のどこかで修練とか禊とかしているらしい。昼下がりからは懺悔で忙しくなるし、夜はそもそも暗いし湯浴みもあるから、自由にできる時間はほとんど無いのだ。

 アーテル教の象徴という存在だから仕方が無いのだろうけど、絶対にしんどいと思う。僕の両親もあまり休みが取れなかったみたいで、その休みの日は家で身体を休める為に一日中と言っても良いくらい寝ていた。たぶん、リアもそうしたいって思う時はあるんだろうな……。

 だから心配になって、僕は逆に質問をしてしまった。


「それはすっごく嬉しいんだけど、リアの休みって初めて聞いたよ。身体とか、大丈夫なの?」


 すると、彼女は一瞬キョトンとした顔になった。しかし、すぐに柔らかい笑みを浮かべる。

 僕は知っている。この屈託の無い柔らかい笑みを。リアが嬉しいと思った時にしている笑顔だ。


「お気遣い、ありがとうございます。ヒューゴさんはやっぱりお優しいですね」


 何かに安心したようなリア。逆に、僕は少し困ってしまった。どう反応するのが良いんだろう……。今まで通りでも、良いのかな……。


「えっと……リアっていつも休まずに働いているから分からなくなってたけど、休みってどれくらいの頻度であるの?」

「基本的に一ヶ月に一回はあります。ただ、忙しかったりすると無くなったりもしますね」


 そう言われて驚いた。一ヶ月に一回しか休みが無いって……それって身体を壊してしまうんじゃないだろうか……。


「……それって辛くない? 一ヶ月もずっと働きっぱなしなんて……」


 一ヶ月働いて一日だけ休む……。まるで、僕の居た世界で騒ぎとなったブラック企業のようだ。確かあの時は過労死したとか自殺したとか、そういう事が原因で浮き彫りになったんだっけ……。

 正直に言って、心底心配になった。もしリアもそうなったら……と考えてしまって、物凄く怖い気持ちになったからだ。

 けど、リアは少し困った風に首を傾げながら言った。


「そう、なのでしょうか……。農耕をしていらっしゃる方々はもっと大変なのに一年を通して働いていらっしゃいますし、硝子や鍛冶の職人さん方は窯や炉の火を落とす訳にはいかないのに燃料代は掛かるから毎日働かないといけないと聞きます。とても立派です」


 それを聞いて、改めて思った。僕の居た世界の常識は、この世界とは違うんだ、と。

 向こうでは一般的に土日祝は休みで、一週間に一度も休まないのはブラック企業と言われていたりする。けど、この世界はそうじゃない。一週間どころか毎日ずっと働き続ける事が普通の世界なんだ。

 よくよく考えてみれば、物が溢れている訳でもない世界で仕事に休みなんてある訳が無い。休めば休むだけ、自分が苦しい思いをするのだから。

 そう思うと、僕は恵まれた世界で生きてきたんだな、って思えた。


「なので、私も本当ならば休まずに皆さんの為に聖女の仕事をしたいのですが……どうしても私の身体はそうは言ってくれないようです」

「身体、弱いの?」

「ヒューゴさんも同じ身体をしているのでご存じかと思いますが、強いとは言えません。一日に二回も身体を休める時間を下さっているのも、私の身体が弱いが故なのです」

「……………………?」


 思わず疑問が生まれた。いくつも生まれた。

 まず一つ目。確かに僕はリアと同じ身体をしている。だけど、力が弱いとは思った事はあっても身体が弱いとまで思った事なんて今まで一度も無い。むしろ、疲れはすぐに取れるし一度寝てしまえばスッキリ回復する辺り、丈夫なんだなってすら思っていた。

 そして二つ目。リアは一日に二回、身体を休める時間を貰っているって言った。その時間は心当たりがある。本来は自由時間だった朝食後の朝の勉強時間と、懺悔の時間が終わった後に僕と一緒にこの部屋に居る時間だ。一日の流れの内、この二つの時間だけ何か特別な事があったりしたらそれを優先していた事から、きっとそうなのだろう。

 最後に三つ目……。今まで、リアの身体が弱いと思わなかった事。いや、むしろ逆だとさえ思っていた。リアは疲れを顔に出さないし、疲れていると思わせるような素振りも一度として無かった。僕が気付かなかったのか、それともリアが気丈に振舞っていただけなのか……。


「……ねえ、リア。確かこの後の時間って、大聖堂の広場で信徒の人達と交流する時間だよね?」


 今までの一日の流れからして、そのはず。そして懺悔の時間が終わるまで、彼女は休憩をする時間が無いはずだ。


「もうほとんど時間が無いかもしれないけど、ちょっとだけでも休もう?」


 そう言ってベッドへ視線を向ける。その視線をリアへ戻した時、彼女の表情は苦笑いをしていた。


「……お気持ちだけ受け取っておきますね。もう、その時間のようです」


 リアは外へ目を向ける。太陽の微妙な傾きで分かるのか、それともまた別の何かがあるのか、彼女はもう仕事に戻らなければならないようだ。


「ですが、とても嬉しいです。……ヒューゴさんは不思議な方です。いつもその優しさに甘えてしまいそうになります。私は、幸せ者です」


 席を立ち、アーテル教の勉強に使う本を撫でるリア。その細く白い指先はつぅっと滑り、リアの胸の前へと場所を移動させた。

 聖女としての立ち方……だったかな。背筋を伸ばし、両手を胸の前で組んで顎を少し引く。この時に要らない力を加えない事が大事らしく、そうすると落ち着いた雰囲気を出せるのだとか。


「今日は一段と頑張れそうです! また、夕刻のお話しを楽しみにしていますね」


 行ってまいります、と言ってリアは嬉しそうにしながら部屋を出た。パタリと閉まるドアの音。部屋の主はもうここに居ない。僕も自分の部屋に戻らなきゃ。

 そうして僕も席を立って、リアと同じように本を撫でる。本のタイトルは『過去の聖女』というもの。どうやら、聖女の信託を受けた者は幼い頃からこの本を読み聞かされて育つらしい。つまり、この本はリアの根本となる本でもあるという事なのだ。

 それが今回ようやく十分の一くらいまで進んだ。厚みはそれほどもないけど、内容を理解しながら進まないといけないのでどうしても時間が掛かる。


「……リアは、貴重な時間を使ってくれていたんだ」


 自分の身体を休める為の時間。それを何も言わず僕の勉強時間に割いてくれていた。今日、その休み時間を話してくれたのはどうしてだろう? リアの性格上、察して欲しいから言った、と言うのは考えにくい。だったら、他に考えられるのは……。

 その本を手に取り、僕は考えながらリアの部屋から出る。そして、少し歩いた先にある僕の部屋を警護している聖堂騎士団の人に一声掛けた。


「ご苦労様です。終わりました」

「畏まりました。すぐに持ち場へ戻ります。それと、新しい写本をどうぞ」


 そう言って彼女は僕に一冊の本を渡してリアの部屋の警護へと移る。その後ろ姿は聖堂騎士団の象徴とも言える白銀の鎧と槍を手にし、毅然とした態度で歩いていた。

 基本的に、僕達の部屋とその周辺は警護が付いている。ただ、それは寝ている時か中に誰も居ない時だけだ。前まではそうでなかったらしいけど、リアに『男とは何か』という勉強をする際に部屋の前に誰かを立たせるのは如何なものか、とオースティンさんが気を遣ってくれたので、その時以外は警護の人を巡回の方に回すようにしたらしい。

 今はもうその勉強は終わったので前のようにしても良いんだけど、どうしてかこの方法が残っている。もしかしたら、オースティンさんが気を利かせてくれているのかもしれない。確かに部屋の外にずっと誰かが居るっていうのはちょっと気になるし、僕にとってはありがたい。

 僕は自室のドアを開けて中に入ると、大きく息を吐き出した。


「……それだけ、疲れて頭が回っていないって事なのかな」


 たぶん、そうだと思う。リアがそういう事を話した上、その事に気付かないなんてよっぽどだ。

 さっきリアが撫でた本を、もう一度撫でる。見た目は豪奢ながらも丁度良い手狭な僕の部屋。目に映るのはベッドと机と窓。そして明らかに大きな本棚の半分を占領する本の数々。最初は殺風景だったこの部屋も、ジワジワと本に侵食されてきたように思える。

 僕はまず『過去の聖女』を机の引き出しへ丁寧に仕舞い込んだ。この本だけはすぐに持ち出せるよう、こうやって分かりやすい場所へ置くようにしているのだ。

 それに、写本とはいえこの本は大事にするべきだろう。アーテル教の歴代聖女の事が書かれているし、何よりもリアがとても大事そうにしていたのだから。

 僕は隣に置いてある本棚へ目を向ける。そこに置かれている本はほとんどがアーテル教に関する絵本やその歴史の写本であり、何日かに一度、今日のように新しい本がまた一つこの空白を埋めていく。

 僕は何もする事が無い時間はこの本を読んでアーテル教を勉強しなければならない。というより、それ以外やる事が無いと言っても良い。


(……それに、僕がリアの代わりをする事が出来るのなら)


 臨時的にでもリアの代わりが出来るように──。僕がアーテル教の勉強をするようになった理由。それは、今もう一つだけ追加された。

 リアは身体が弱いと言った。おまけに、疲れも出てきているようにも見えた。それでも毎日、聖女の務めを果たしている。ならば、僕がそれを少しだけでも肩代わりする事が出来れば負担は軽くなるんじゃないだろうか。


「……よし。やろう」


 社長さんや主任さんが聞いたら何かを言われそうな気がするけど、今の僕が出来る事はそれだけだ。

 ただ……一応リアには話しておこう。話をする事は大事というのを、僕は僕の両親を見て学んできた。勝手に考えて勝手に行動すると、相手にとって困る事だったりする事もある。それで喧嘩なんて事は、もうほとんど日常茶飯事の事だった。……こういうのって、反面教師って言うんだっけ。なんだか違う気もするけど、まあいいや。

 リアに教えて貰わなくても大丈夫な部分……例えば、アーテル教の成り立ちとかそういうの。そういう本を選んで勉強していこう。


(と、その前に。今日渡された本はどんな内容なんだろ)


 一応、この本棚に置いてある本はただ置いているだけじゃない。自分なりにだけどカテゴリーで分けている。なので、今日みたいに新しく本が来た時は中身を確認してから近い場所に置かないといけないのだ。

 ……じゃないと、勉強をする時に困るのは僕だ。というか二回くらい困っている。整理整頓の大事さが身に染みて分かった。

 机に向かい、本のタイトルへ目を落とす。


「三女神……?」


 そこには、たった一単語だけそう書いてあった。……中身の予想が付かないな、これ。作者は誰だろう。……夜魔よるま? 当然ながら聞いた事が無い。しかも、名前の後は見た事が無い模様──いや、もしかして何かのサインかも──がある。なんだろうこれ。

 中を開いてみると、何の事はない。子供向けの絵本のようだった。一応パラパラと斜め読みしてみたけど、前にリアから教えて貰った三女神様の御伽噺とほぼ同じのようである。

 ただ一点、覚えの無い文字と絵が目に入ったので手を止めた。



 クローナスは両者を愛おしく思いながら昼にはアーテルを、夜にはエレヴォをその膝で休ませた──。



 その一文の隣にはコマを斜線で区切り、アーテル様とエレヴォ様に膝枕をしているクローナス様が妙に気合の入った細かい絵で描かれている。

 ……………………。そっかー……。

 なんというか、そんな感想しか出てこない。……なるほど。これは確かに省略されても仕方が無い訳だ。力の入れ所を間違えている。残りもリアから聞かせて貰った内容と大して違いも無い。

 夜魔さん、ごめんなさい。と、心の中で簡単に作者へ謝りつつ本棚の絵本を固めてある場所へ差し込んだ。たぶん、もう手に取る事は無いだろう。

 こうして、僕は今日のアーテル教の勉強を始めた。……ただ、毎回思うけどこれはもはや勉強と言うよりも調査とかの方が近いかもしれない。読んでいって意味が上手く理解できなかったり分からない事があったら別の本を取り出して調べていく。そこでも更に分からない部分が出てきたら更に別の本を──。その繰り返しだ。

 正直に言って、困難を極めている。真っ最中だ。なんせ、どの本のどこにそういう事を書いているのかなんて、実際に開いてみないと分からない。……こうやっていると、現代のネットって凄かったんだなって思う。単語を打って検索をするだけで答えを出してくれていたんだから。

 たった一ページを進めるだけで三十分は掛かっていると思う。酷い時はその三倍くらいの時間が掛かるんじゃないだろうか。

 なんとか三ページほど進めた頃、ドアをノックする音が聴こえてきた。どうやら昼食の時間がやって来たらしい。それが終わってからまた勉強に励み、今度は五ページくらい進んだ頃になってまたドアがノックされる。

 そこで気付いたんだけど、空はもう夕暮れ時だった。つまり──


「お忙しい所すみません。ヒューゴさん、お時間よろしいでしょうか?」


 ──夕方、リアの部屋でゆっくりとする時間だ。


「うん。少し待ってね」


 僕は今読んでいた部分に栞を挟み、すぐに部屋を出る。すると、そこには緊張した顔のリアが立っていた。


「あ、あの……こ、こここんばんは、です」


 ガチガチに緊張して噛みながら挨拶するリア。そのリアらしい姿を見て、僕は少し笑いだしてしまった。


「あ、あれ!? 私、何かおかしかったでしょうか!? ね、寝癖でも付いていましたか!? それとも服装か何か!?」


 リアはわたわたと自分自身を確認している。ああ……やっぱりリアってこんな感じだ。純粋で、少し臆病で、そして少しだけ天然な反応をする女の子。僕にとって、リアはそんな子だ。最近はそんな姿が見れなかったけど、やっぱり彼女にはこうであって欲しいと僕は思う。


「いや、そうじゃないから安心して?」


 そう言ったら彼女はホッと胸を撫で下ろした。

 ……ちなみに、リアの部屋の前を警護している聖堂騎士団の人が一瞬だけ首を傾げたのを僕は見逃していない。……この場に居続けるのはなんだか恥ずかしくなったので、僕達はいつものようにリアの部屋へと入って行った。

 いつもと変わらないリアの部屋。私物と言えるような物はほとんど無いからか、どうしてもこの部屋は荘厳な印象と共に一種の寂しさも覚えてしまう。けれど、そこにリアの姿が目に入ると芸術を感じてしまうのは、リアが僕のドストライクな女の子だからなのかな。

 そんなリアは心をリラックスさせる為か、今になって深呼吸をしている。ああ……リアって感じが凄いするなぁ。


「なんだろう。安心しちゃったからかな」

「……安心、ですか?」


 その言葉が予想外だったのか目をパチパチとさせてリアは質問を投げ掛けてきた。


「うん。いつものリアだーって思ってさ」

「いつもの……ですか?」


 首を僅かに傾けながらリアは何かを考える。すると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「? どうしたの? 今度は僕が何かおかしかった?」

「いえいえ。そんな事はありません」


 首を横に振る否定。けれどその否定はとても優しく、そして嬉しそうだった。


「良かった、と思ったのです。その言葉は私にとって、とても嬉しいものでしたから」


 笑みのある横顔を見せながらそう言ってリアは少女らしく軽快な足取りでベッドへと向かう。その姿はまるでお菓子を買って貰うと約束した子供のように楽しそうで、相当ゴキゲンだというのが分かる。

 少し意外な姿だった。リアはいつも大人しくておっとりとしているけれど、こういう風に元気な様子を見せる事はほとんど無かった。という事は、本当に嬉しい気持ちで一杯なのだろう。

 僕の心臓は、そんな彼女の姿を見て胸が高鳴った。

 リアはベッドの脇へ立ち、僕の方へ前身を向ける。胸の前で手を組む聖女の立ち方。けれど今の彼女はとても聖女という感じじゃなく、少し後を歩く保護者を待っている子供のような印象だ。


「ヒューゴさん」


 ベッドの脇に立って僕の名を呼ぶ。それは、前ならば『聖女としてではなくグローリアとしての相談』の時の合図だ。けれど、今回はどうにも違う。ただただ楽しく話がしたい、というような感じが凄くしている。

 なんとなく僕は思う。リアのこの合図は『聖女としてではなくグローリアとしての相談』だと思っていたけど、実は違うのかもしれない。

 けど、それが何かを考える時間はちょっと無さそうだ。僕がベッドへ腰掛けるのを今か今かと待っているリアを放ってはおけまい。

 僕はベッドへと座る。すると、リアはやはり僕のすぐ隣に腰を下ろした。その距離も変わらず近く、たったの握った手一つ分くらい。身じろぎすれば触れるんじゃないかってくらいの近さ。そして相変わらず僕はこの状況に対してドキドキしてしまう。

 近くに誰かが居る時特有の気配のような体温が肌で感じられ、呼吸でほんの僅かだけ動く肩、微かに耳へと入ってくる吐息。そのどれもがこの距離でないと分かりえない事で、それがどれだけ僕の心を掻き乱すものなのか、彼女は気付いているのだろうか。

 そのまま時間が過ぎていく。僕達は部屋のどこを見るでもなく、何かを話す訳でもなく、ただ隣に座って、ただただ時間の共有をしていた。

 どれくらいそうしていただろうか。前触れは無く、けれどゆっくりと、その包まれていた静寂をリアが解いていった。


「私は、少し怖くなっていました」

「怖く?」


 理由の予想は付く。けれど、敢えて訊ねるように聞き返してみた。

 たぶん、僕も同じ気持ちだったから。そして、リアと話して僕も安心したかったから──。


「はい。……社長さんのお言葉は、私の心を大きく揺らしました。今まで私が信じてきたものすら考えさせるほどに……」


 その言葉に僕は頷く。ここ数日は何を信じて良いのか分からなくなったし、酷く考えさせられもした。

 リアは僕から目を逸らし、視線を落とす。


「この数日の間……私がヒューゴさんにすらどう接すれば良いのか悩んでいたのはご存知だと思います。……どうすれば良いのか悩んで、それでも分からなくて……途方にも暮れました。いっそ、クローナス様のように時間を進める事が出来て、時間で解決してくれたら……とさえ思ってしまうくらいでした」


 ですが、と言って彼女は顔を上げる。


「私は、ヒューゴさんとまたいつものようにお話したいと思っていました。ご迷惑かもしれませんが、私はヒューゴさんとお話するのがとても楽しくて、心が安らいでいたのだと改めて感じてもいたのです。……ヒューゴさんは、どうだったのでしょうか」


 その顔は不安で翳っている。けど、どこかしら勇気を出して言ったようでもある。

 ああ……まただ。僕はまたリアから一歩踏み出させてしまっている。……情けないなぁ、僕。


「僕はどうしたら良いのか分からなくて……何か切っ掛けを待っていたと思う」


 それでも、これだけは言わないといけない。自己嫌悪をしている最中だとしても、これだけは。


「その切っ掛けで、またリアと一緒に話したいって思ったし、リアの為に何か出来ないかなっても思ってた。……実は今日、夕方の時間に気付かなかったのも部屋で勉強をしていたからなんだ。朝の勉強時間が本来のリアの休憩時間に戻れば、その分だけリアも身体を休められるって思って。……言いにくいけど……これは今日、思い付いたんだけどね」


 思わず今度は僕が目を逸らしてしまう。正直に言って、最後の言葉は要らなかった。安心させたいのなら嘘でも『あの日から続けていた』って言った方がリアは喜んでいただろう。

 リアは今、どんな顔をしているだろうか。幻滅したのか、それとも悲しい顔をしているのか……。どちらにせよ、あまり良くないだろう……。

 そんな風に後悔していたら、僕の手に温かく柔らかい何かが乗ったのを感じた。まさか、と思いながら手を見ると、そこにはリアの手が包み込むように優しく乗せられていた。


「ありがとうございます。ヒューゴさん」


 なぜかリアは嬉しそうにしていた。意味が分からず、つい首を傾げてしまう。

 その様子を見て察したのだろう。彼女はニッコリと微笑んだ。


「不利益や不都合な事も正直に話して下さる方は信用できる方です。これが、私が必死に考えた結果でした。だからヒューゴさんは信用できます。──今まで通り、私はヒューゴさんを信用致します」


 ──ああ、これは勝てないな。

 リアの言葉に対し、スッと思い浮かんだ言葉がそれだった。何に勝てないのかなんて分からない。惚れた弱みだとか恋愛は恋をした方が負けだとか言うからそれかもしれない。……うん、それなら納得だ。


「……ありがとう、リア」

「えへへ。これで仲直りですね」


 乗せられた手が握られる。まるで子供みたいな仲直り。けれど、どうしてこんなにも心が温まるのだろう。どうしてこんなにも落ち着くのだろう。

 ────……ああ、そうか。なんとなく分かった。これが『人の温もり』なんだ。

 単純な温度じゃない。物質として形の無い心を温めてくれるのが人の温もりなんだ。

 初めてだった。だからか、くすぐったさも感じるけど……嫌いじゃない。


「──あ」

「?」


 またもやよく分からない事が起きた。リアが僕の顔を見て何かに気付いたらしい。意外なものでも見たかのような表情をしている。


「今、ヒューゴさんが笑いました」

「……え? い、いや……僕だって笑うと、思うよ……?」


 たぶん。


「笑い方がお優しかったです! とても慈愛に満ちておりました! ちょっぴりドキっとするくらい可愛らしかったです!!」

「ぅ……」


 可愛いって言われるのはあまり嬉しくない。けど、ドキッとしたという事とこんなにも目をキラキラさせて言うものだから心が躍るほど嬉しい。嬉しくないのに嬉しいとか矛盾している。


「もう一度! もう一度して下さい!」

「……やけに食い付くね?」


 これまた珍しい光景だ。自分の欲を出すリアって初めて見たかもしれない。

 ええっと……どうやったんだろ……。

 とりあえず普通に笑顔を作ってみる。……リアは何とも言えない苦笑いを浮かべていた。


「……ごめん」

「いっ、いえいえ!! 突然あんな事を言われても難しいです! ハイ! な、なのでお気になさらずに!!」


 ……きっと変な笑顔になっていたんだろうな。前言撤回。笑顔って難しいや。

 そんな時、ふと視線が交差する。リアが三回瞬きをしたのに釣られ、反射的に僕も瞬きをしてしまった。ジワジワと笑いが込み上がってくる。それはリアも同じらしく、口元を硬く結ぼうとしているのが見て取れた。


「っく……!」

「ふ、ふふふっ……!」


 そして今度は全く同じタイミングで笑い出す。何て下らない理由で笑っているんだろう、僕達は。

 ああ……こんな風に笑ったのなんてどれくらい振りだろう。


「……はしたない所をお見せしました。久し振りにこうして笑ったかもしれません」


 そうは言っているが、リアはどこか楽しそうにしている。──いや、一人の女の子として年相応な振る舞いになったと言った方が良いのだろうか? そんな感じだ。


「ヒューゴさん。久し振りという言葉で思い出した事があるのです」


 思い出した事? 何だろう。

 彼女は一瞬だけ悲しい顔をしてから言った。


「ナリシャさんが『してくれると落ち着く』と仰っていた事です」


 ああ……だからさっきそんな顔をしたんだ。

 けど、落ち着く事? ますます分からない。何をしていたんだろう。


「膝枕です。横になられてみますか?」


 あまりにも予想外過ぎた。膝枕……膝枕かぁ……。

 …………あれ? 膝枕って最近どこかで見たような? 妙に引っ掛かるんだけど……──あ。あれだ。


「ああ、あの三女神様の絵本か」

「知っていらっしゃるのですかっ?」

「う、うん。今朝届いた本がそれだったから……」

「私、実はあの本が好きなのです! 今は主流の絵本に変わりましたが、何十年か前はその絵本が主流だったと前聖女様が仰っていました!」


 マジで? 僕は反射的にそう言いそうになったけど、思ってみれば中身がほとんど今と同じだから原本にして文章校正をしたのかな?

 にしても……『あの三女神様の本』で分かるって事は、リアはよっぽどあの膝枕のシーンが好きなのかな。ちょっと聞いてみよう。


「リアはあの絵本の膝枕の部分が好きなの?」

「はいっ! それはもうとても!! あの絵に描かれていたアーテル様とエレヴォ様はとても幸せそうで、それを見た後は前聖女様に膝枕をして頂いていた程です!」

「……なら、膝枕されてみる?」


 前聖女様に膝枕をして欲しいと言うくらいだし、相当好きなんだろう。

 是非、と凄く良い笑顔で答えるリア。その時に表情といったら心底嬉しそうにしているのだから、こっちまで良い気分になりそうだ。

 そして始まった膝枕。人生で初めての膝枕がまさかする側になろうとは思ってもみなかった。

 まず、ベッドの端じゃ危ないので中央へ移動する。僕たち二人分の重みで少し沈み込んだベッド。僕はそこに女の子座りで腰を下ろす。……この座り方も初めてなのに、割としっくりくるのだから困る。


「それでは、失礼しますね……」


 そして、いよいよ膝枕だ。リアは僕に一言だけ断わってから横になり、ゆっくりと太腿へと頭を乗せてきた。

 人の頭は意外と重いらしく、中々の重みが脚へと掛かってくる。けど苦になる程ではなくて、割とすぐに慣れる事が出来た。人肌の温かさも心地良いけど、人によったら熱いって言うかもしれない。

 視線を落とせばリアの横顔が目に入る。僕は膝枕を実際に見た事が無いから詳しくは知らないんだけど、顔ってしている人の身体に向けるのが普通なのかな。……どうしよう。ちょっと恥ずかしい。


「あぁ……とても落ち着きます……」


 けど、リアはとても幸せそうにしているのでそんな事はどうでも良くなった。

 しばらくそのまま膝枕をしていたのだけど、よっぽど心地良いのかリアは起き上がる事も無く、そして懐かしむように微笑んだまま瞼を薄く開かせていた。


「……ひゅーごさん」


 リアに名前を呼ばれる。その呼び方はいつもと違って少しだけ甘えてきているような言い方。薄く開かれた目から覗く空色の瞳。触ったら柔らかそうな唇。その全てが僕を狂わせそうになる。

 正直、心臓が跳ね上がった。なんでこんなに色っぽく言うのか。また我慢が出来なくなりそうじゃないか。

 ああ……顔が熱い。脚なんかよりもよっぽど顔の方が熱くなってしまっている。絶対、今の僕は顔が風邪を引いた時以上に真っ赤になっているに違いない。極めて大きな自信すらある。

 その恥ずかしい顔をなるべく見られないようにする為、僕はリアの頭を撫でる事にした。そうすれば自然と目を閉じるはずだし、手で良く見えなくなる……よね?


「気持ち良い、です……」


 …………………………………………。と、とりあえず思惑通りにはなった。リアは言葉通り、うん……気持ち良さそうにしながら目を閉じた。

 そのままリアの柔らかくて細い髪にもドキドキしつつ頭を撫で続ける。くすぐったい時もあるのか、時々リアは身じろいでいた。


(──あれ?)


 何度かそれを繰り返す内にリアの背が丸まってきだしている事に気付く。この体勢、もしかして……?

 僕は撫でるのを止め、彼女の顔を眺める。


「……寝てる」


 僕の目にリアの寝顔が映った。この時になって理解する。さっきリアが甘えたような声を出していたと思っていたけど、単純にまどろみの中に居ただけだったんだ。

 やっぱり、疲れているんだ……。それなのに無理をして僕の勉強や話に付き合ってくれていたのか……。

 その健気さを愛おしく感じ、さっきまでのように頭を一撫でする。やっぱりくすぐったいのか、彼女は気持ち良さそうな顔をしたまま身じろいだ。その様子を見ているだけなのに、どうしてか僕の胸の内が温かくなる。もしかしたら、寝ている我が子を見る母親とはこういう気持ちになるのかもしれない。


(僕も赤ん坊の頃は、母親からこんな風にしてくれていたのかな)


 そうは思うも、まったく想像が付かない。母親どころか両親からこんな風に愛でて貰った記憶が無いからだろう。……そういえば、物心が付いた時から僕は一人部屋で寝る時も一人だったっけ。今になって思えば普通じゃなかったのかもしれない。

 けど……もし僕が憶えていないだけで、親が僕を愛してくれていた時期があったのなら……こんな風にしてくれていたのかな。

 もう確認のしようが無い事を思いながら、僕はリアに膝を貸し続けた。



 ──結局、リアは夕食の時間になるまで僕の膝で寝続けていた。

 彼女はドアのノックにすら反応せず夢の国を楽しんでいて、僕がどうしたら良いかと悩んでいる時にクラーラさんが中を確認する為に入ってきてしまった。

 一応、リアが悪者にならないようクラーラさんに説明をしようとしたのだけど、クラーラさんは状況を察したのか、ドアを閉めたらそのまま立って待ってくれた。

 流石に皆を待たせる訳にもいかないので、僕がリアの肩をポンポンと叩く。リアはそこで起きて、寝ぼけ眼ながらクラーラさんの姿を見て状況を理解した。リアは何度もクラーラさんに謝り、そしてなぜか僕にも謝ってきた。

 夕食が終わる頃には流石にリアもいつもの調子に戻ってくれて、その後の湯浴みが終わると僕を部屋へ呼んできた。

 どうやら、膝枕をしていた時に良い夢が見られたらしい。なので『お返し出来るかどうかは分かりませんが、今夜は一緒に寝ませんか──?』というお誘いだった。

 もちろん断れるはずもなく断る気すら無く、僕はそのお誘いに乗った。リアと一緒に寝るのはこれで三回目だけど、やっぱり僕の心臓は暴れ回っていた。……これは一生、慣れてくれないな。

 今夜はリアの一層幸せそうな顔を見ながら、暗くなっていく部屋で眠りに就いた。三日後、リアの休みをどう過ごすのかを脳裏に浮かべながら──。



 …………ちなみに、リアは次の日から夕方の自由時間、僕に膝枕をお願いしてくるようになった。どうやら物凄く気に入ったらしい。何か特別な事でもない限り、僕が毎日リアに膝を貸し続けているのは言うまでもないだろう。

 ──こうして、リアの一日の流れにちょっとした変化が訪れたのであった。


…………………………………………

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