裏の顔 3
「おいヤメロ。ヤメレ。ヤメやがれ下さい」
「えー、なんでー? 主任は女の子に抱き着かれるの嫌いなのー?」
「女の子っていうか薄汚れた捨て犬だろ……」
「ひっどーい!?」
北東へと足を進める為に裏市から出て少しした後、さっきまでの緊張の糸が切れたのか──いえ、あったのかどうかさえ分かりませんが──主任さんとリリィさんはお互いにじゃれ合っています。なるべく最短で向かうようにしているのであまり人と会いませんが、それでもすれ違う人はそんな姿を見て訝しげな表情を浮かべてお二人を見ています。
まあ、そうでしょうね。魔族が堂々と街中を歩いているかと思えば使い魔の刻印がありますし、だというのにその使い魔は主人を一切敬おうとせずにベタベタとくっついています。意味が分からなくて当然でしょう。お二人の事を知っている私でさえどこか納得いきませんもの。
「ところで、さっき何を話していたの?」
そんなお二人を気に掛ける事無く社長さんが質問をしてきました。どうやら、私が老婆と話した事が気になるようです。
「あまり面白い話ではありませんよ」
「それは私にとって?」
予想していなかった言葉でした。話すかどうかの問答をすると思っていただけに、社長さんがいつもの読めない表情でそう言ってくるとは一切思っていませんでしたもの。
(どう答えるべきでしょうか……)
少し考えてしまいます。正直に話してしまうと社長さんの詰めが甘かった事実を話す事になってしまいますし、かと言って社長さんに嘘は言いたくありません。
……困りましたね。どうしましょう……。
「……なるほどね」
すると、何も答えていないのにも関わらず社長さんは何かに納得をしました。
「たぶん、私に何か不手際があった。そういった所じゃないかな。……極めて残念なのは、私自身がそれを察せていない所か」
腕を組み左目を閉じる。いつもの考え込む社長の姿ですが、今回は少々違います。いつも以上に考えを巡らせているのでしょうか、僅かに眉が沈んでおり、歩く速さも少し遅れています。ほんの少し私が先行する形になると彼女はそれに気付き、閉じた目を開いて元の速さへと戻りました。
主任さんとリリィさんはそれに気付いていない様子。いまだに二人は自分達の世界に夢中となっておりイチャイチャと人目を憚らず蜜事を──
「ロゼぇぇえ!! お前今お下品なある事ない事考えてただるォ!!?」
「あら、事実では?」
「事実でーす!!」
「俺の意思がまったく尊重されねぇ!!」
いつもならば闇夜の崖下よりも深く気分が落ち込む主任さんですが、今日はリリィさんのおかげでそうもいかないご様子。落ち込む代わりに不愉快そうな表情へとなっております。
「リリィ、その辺にしておいてあげて。いくら主任でもそろそろ怒る頃だよ」
「はーい……」
「返事は伸ばさないの」
「……はい」
頃合いと感じたのか、社長さんが注意をしました。解放された主任さんは元気な野良犬に絡まれて疲れ切った人のように肩を落とし、盛大な溜息を吐いています。
しかし……どうしてでしょうかね? リリィさんは主である筈の主任さんの言う事は聞かないのに、社長さんの言う事は素直に聞いています。普通に考えて逆ではありませんか? それとも、社長さんに逆らうと面倒事が起きると分かっているのでしょうか。
ともあれ、リリィさんは大人しくなってくれました。あのままであれば人目を引いてまた別の面倒事に発展していたかもしれません。
「話を戻すけど、私に不手際があったら教えて貰っても良いかな。私はまだまだ甘い部分があるし、今後はそうならないように努めたい」
私の方へ顔を向け、そのまま真剣な顔付きで社長さんは言います。光の無い目なのにも関わらず強い意志が感じられ、思わずその瞳に吸い込まれそうになりました。
ホント、社長さんは不思議な存在です。何を考えているのか分からないのに物事の解決をしっかりと考えていると感じさせ、冷静で大人しいかと思えば苛烈で厳しい時もあります。そもそも主任さんは彼女を男性だと言っておりますが、どう見ても社長さんは女性にしか見えません。確かに胸は悲しいくらい貧相ではありますが、世の中にはそういう方も居ますので判断材料としては乏しいでしょう。
そう考えてみると、社長さんは非常に曖昧な存在だと言えます。頭の中も分からず、何をするのかも分からず、男女のどちらなのかも意見が分かれ、なのに信用は出来る存在。これほど不思議な人はそう居ないでしょう。
「ええ、分かりましたわ。実は先程の老婆の件について──」
だからでしょう。私は社長さんの要望に素直に答えました。
あの老婆だけでなく裏市を利用する人々の性格──。社長さんの詰めが甘かった事──。時には私の名前を使うのも悪くはない事──。
その一つ一つを彼女はしっかりと耳を傾け、噛みしめるように頷いています。その結果、次からは頼りにさせて欲しいと言って下さいました。
……なんだか新鮮ですね。私は今まで一人で仕事をしていたので、こうやって誰かに意見をするという事はほとんどありませんでした。自分の意見を聞いて貰い、それが採用されるというものは思ったよりも気持ち良く感じられます。
改めて思います。やはりあの時、一緒に仕事をしたいと声を掛けて良かった、と。こんなにも仲間を頼りに感じ、嬉しく思えるとは思いもしませんでした。過去の仕事仲間が今の私を見たら、どんな反応をするのでしょうかね?
「それって俺らにも言ってるんですかね」
「勿論。期待しているよ」
主任さんの質問に珍しく微笑みながら答える社長さん。なんだかどことなく嬉しそうに見えます。
それから社長さんはスッキリとした雰囲気で歩み続けました。もう足を遅らせる事など無く、その長い髪を揺らしながら目的地へと。
数十分ほど歩いた頃、私達はその場所へと辿り着きました。主に貧民の者達が暮らす北東の荒れた住宅街。壁は汚れてヒビが入り、埃は風に煽られ、ゴミは点在して寂れた印象を与えます。正しく、小物な悪党が隠れ潜んでいそうな場所です。
「……意外と人が居ないね」
社長さんが周囲を見渡してそう言います。出歩いている人は一人も居ないのでそう思うのも無理はないでしょう。
「この時間は働いているか大聖堂へ懺悔しに行くか、もしくは家の中でお酒を浴びているかのどれかでしょうからね。あまり見掛けない時間帯だと思いますわ」
「なるほど。都合が良い」
都合が良いと言った社長さんは一つの家の前に寄りました。その家の玄関には薄汚れて読めなくなった看板が鎖で繋がれております。屋根も周囲の家が青いのにも拘らずここだけ赤くなっていますので、永氷晶を強盗した犯人の家に違いないでしょう。
「情報と一致。後は獲物の確認だけ」
「確認? 獲物の確認すんの? ん?」
「主任、また顔が邪竜になってるよ。獲物って単語で興奮しないの」
「失敬な。人は気分が良くなると笑顔になるもんです」
「その笑顔が邪竜って言ってるの」
主任さんの邪悪な笑顔を流しつつ、社長さんは私へ顔を向けました。その表情は相変わらず読みにくいものですので、何を言うのか少しワクワクしてしまいます。
「中の調査、ロゼなら簡単だよね」
「ええ、勿論です。目標が居ましたら仕留めましょうか?」
袖に仕込んでいるナイフを指先で確認しながら言います。強盗が強盗されても誰も同情なんてしません。あるのは自業自得だけです。
ですが、社長さんは違う事を考えているようでした。
「いや、まずは偵察だけだよ。中に居る人の数、装備、状態を見てきて欲しい」
偵察だけ、となるともう少し簡単ですね。外から確認するだけで全て終わらせられるでしょう。
お任せを──と言って私は家と家の間に身を潜ませました。日の影となっているその場所で、私は家の壁に手を当てて目を閉じます。意識を身体から手放して手の平へ……壁を伝い、中の気配を探ります。
一階部分……玄関側に大きな間、そして小さな間……小さな間の左奥に小型の生き物が一匹……。ネズミですね、これは……。では二階へ……。…………構造が一階と違いますね……。一本の廊下に扉が四枚……。手前の部屋は……左が空室……右は狭いですね……倉庫、なのでしょうか……。では最後の二部屋へ……。左側は……少し手狭です……。右には、人の気配……。ただし、弱々しい……。病人のような弱さですね……。
(……なるほど。これが老婆の言っていた妹さんですか)
家の中全体を察知し終わり、私は意識を元に戻しました。軽くですが息を整えます。やはりこれは少々疲れますね。
「終わりました。中には妹さんと思われる病人が一人です」
そう言いながら三人の元へと戻っていくと、主任さんが酷く胡散臭そうな顔をしていました。例えるならば、目の前で盗みを働いた子供が盗んでいないと豪語している姿を見掛けた時のような顔です。
「……いやお前壁に手ぇ当ててただけじゃねーか」
まあ、そうとしか見えませんよね。その意見は尤もです。ですが、これは私の得意技の一つなのですよ、主任さん。
もう一度だけ息を整えるように深く息を吸って吐き、私は言いました。
「壁を伝って中の気配を探りました。間違いなく中には妹さんと思われる病人一人のみですよ」
「なんだそりゃ……。魔法か何かでも使ってんのか?」
まほう……?
初めて聞く言葉に首を傾げます。言葉の響きからして魔術の事を言っているのでしょうか? それとも、魔術と聖法がごちゃ混ぜになって覚えてしまっているのでしょうか。
「ごめんよ、ロゼ。私達の居た場所では魔術の事を大抵は魔法って呼ぶ習慣があったの。魔術の事を言っているだけだからそこまで気にしなくて良いよ」
社長さんが説明をして下さったので、それに『なるほど』と頷いておきました。という事は、魔術と聖法を一つに纏めて呼んでいたのでしょうね。
自分の中でそう納得しておいた所、ふとリリィさんが目に入りました。驚いているような、懐かしさを覚えているような、そんな不思議な顔をしております。
ただ、それは僅か数秒の出来事。少しだけ長めの瞬きをした次の瞬間にはもうそんな面影すら残さずいつものリリィさんへと戻っておりました。
「結論から言いますと、これは魔術ではありません。単純に気配を読み取っているだけですわ」
「お前本当にバケモンだなオイ。無敵じゃねーか」
化け物呼ばわりとは失礼な。諜報活動をしている内に自然と身に付けた技術ですよ。
……しかし、言われてみればこれと同じ事をしていた仕事仲間はほとんど居ませんでしたね。希少な能力のようで少し喜ばしいですね。
「そうでもありませんわ。すぐ壁の向こう側だけを察知するだけならばともかく、さっきのように家の中全体を把握しようとすれば大きな隙が生まれます。それに、少々疲れますもの」
少なくとも、連続で使ったりなんかはしたくないですね。過去にも何度かやらざるを得ない場面はありましたが、その時なんて酷く疲れましたもの。
「使い勝手が良いのか悪いのか分かんねーな……」
「そう? 使い処を間違えなかったらとても強力だと私は思うよ」
社長さんの言う通り、使い処を間違えさえしなければとても便利な能力だと私も思います。闇雲に使おうものならば仕事に支障がきたすほど疲労困憊となり、最悪の場合は大きな失敗をして自分の命を落とす事になるでしょう。
「まあいいや……。んで社長、どうすんの? 雑魚一匹だけなら正面からお邪魔しますでも良いんじゃねーの?」
それってつまり何も考えないという事ではありませんか。いくら頭の中が筋肉な人でもそうそうそんな事をしたりはしませんよ。
「失敬な。脳筋だったら最初っから『こんにちは。死ね!』ってしてるわ」
「色々と突っ込みたいですがもう良いです……」
思わず大きな溜め息を吐いてしまいました。ホント、どうしてこの人は私の心を読めるのですか? 不思議で不思議で堪りません。ある意味で私の気配を読む技術よりもよっぽど難しい事をしているのではないでしょうか。
「社長さん、どうなされますか?」
「そうだね……。では注文を一つ。大きな騒ぎにしたくないから音を立てないように忍び込む。先陣はロゼ。案内をお願いね」
「ふふっ、承りました」
社長さんの『注文』という言葉選びにほくそ笑みつつ扉の握りに手を掛け、ほんの少しだけ扉を引きました。
ギ──
やはり見た目通りボロくて音が鳴りますね。であれば──。
細筆と小さな紙を取り出し、即席で簡素な魔術陣を一つ仕上げます。それは音を消すモノで範囲は私の身の丈ほど。効果時間も僅か十秒足らずと局所的にしか使えないものですが、こういう時には役に立ちます。
陣を発動させると淡い光が零れ、即座に扉を開けて中に身体を滑り込ませます。三人が中に入って扉を閉めた頃、丁度魔術の効果が切れたようで光も消えて無くなりました。
その紙を懐に仕舞い、周囲を見渡します。──罠は無い様子。ならば、さっさと上に登ってしまいましょう。
構造は先程の調査で分かっています。玄関の左手にある階段の端に足を置き、三人にもそれを習って貰いながら足音を立てないよう二階へ上がりました。
上がり切ったら目の前にあるのは一本の廊下と左右二つずつある部屋を区切る扉。その右奥に例の妹さんは居る筈です。
廊下は意外としっかり造られているらしく、普通に歩いた所で板が軋む事はありませんでした。難無く右奥の扉の前に辿り着くと、社長さんが私の肩を叩きました。
「ありがとう。後は任せて。……だけど、中に居る人が暴れそうだったら黙らせて」
何をするのかは分かりませんが、社長さんの事です。何か面白い事をしてくれるに違いありません。
私が首を縦に振って頷くと、社長さんはあろう事か扉を三回だけ叩きました。
「えっ……? お姉ちゃん……じゃ、ないよね? 誰?」
その軽快な音とは逆に妹さんらしき声の人は警戒した声で問うてきます。
「いやいやいやいやいやいやいや何やってんだコイツ……」
「えー……いや、えー……?」
主任さんとリリィさんは小声で呆れた声を出しています。……まあ、そう思うのも無理はありません。お二人がそう反応しなければ私がそんな反応をしていた自信がありますもの。
「社長、と言えば分かってくれるかな。最近この街にやってきて商工会のお世話になっている者だよ」
おまけに自己紹介までする始末。ますます彼女のやりたい事が分かりません。
そもそも、こうやって自己紹介をするのならば音を立てずに潜入した意味が無いのではありませんか?
「玄関を叩いても返事が無かったので勝手に入らせて貰ったよ。もしかしてお休みしていたのかな?」
「あれ……? 気付かなくてごめんなさい。えっと……社長さん、ですよね? 話はお姉ちゃんから聞いた事があります。なんでも、あのルーファスさんと一戦交えたとか」
……玄関なんて叩いておりませんが、もしかして警戒心を薄れさせる為、なのですか? 判断を鈍らせるとか、そういうのでしょうか……? 効果的なのかどうか私には分かりませんが、この様子ではどうやらあったようです。
それにしても……噂にどんな尾ひれが付いているのですかね。一戦どころかお互いに魔術すら見せていないはずなのですが……。
「一戦なんて交えていないはずなんだけれどね……。それはさておき、今日はそのルーファスの話で君に伝えたい事があって来たんだ。少し時間を頂いても良いかな?」
「えっ!? あの王国の第三魔術部隊長のルーファスさんの!? わぁ……! どんなお話ですか!? あ、どうぞ入って来て下さい!」
とびっきり声を弾ませている妹さん。その逆に、社長さんは真剣な顔付きで主任さんへ小声で質問をしました。
「主任、今のあの子の反応を聞いてどう思った?」
「箱入り娘」
「ならあの子は一切関係が無いね。ありがとう」
この社長さんの言葉を聞いてピンと来ました。なるほど。妹さんがどこまで今回の事を知っているのか知っておきたかったのですね。ただの永氷晶ならいざ知らず、高純度となればルーファス程の魔術師でなければ簡単には手に入りません。そのルーファスの話があると言って、その反応を鋭さだけならば無駄に高い主任さんに判定して貰うという算段ですか。後ろめたい反応をすれば黒。今みたいに純粋な反応をすれば白。それによって対応も変わってくる、ですね。面白いやり方です。
「失礼するよ」
そう言って社長さんは扉を開きました。一目見て思ったのは殺風景な部屋。寝台とその隣に置かれた小さな棚。後はいくつかの雑貨を仕舞うのであろう大きめの収納棚、そして三人くらいは座れそうな長椅子くらいしかありません。寝台の上には勿論、妹さんらしき少女が。傍の棚にはいくつかの本と水、果物が乗せられています。恐らく、病弱な彼女の暇潰しと栄養のある食べ物を食べさせたいが為でしょう。
少女は上体だけを起こしており、その白くて華奢な体躯からもう何年もこの状態で居るというのが分かります。茶色味が掛かった黒髪は定期的に切っているのか肩に届くほどの長さで揃えられており、黒い瞳は不思議そうに私達を捉えています。病弱故か少し儚そうで穏やかな顔付きをしていて、僅かに庇護欲が沸き上がりました。
「……こちらの方々は?」
「私の仲間だよ。この魔族の子も使い魔の契約を交わしている子だから安心してね」
「よっろしくー!」
小さな子供のように無邪気な笑顔を見せるリリィさん。それを見て何かしらの興味をくすぐったのか、少女は目を輝かせています。
……ああ、なるほど。よく見ると棚に置かれている本は社長さんが持っている魔術の本と同じです。社長さんのよりも新しいように見える事から、最近になって読みだしたのでしょう。それで興味津々なのですね。
「さて、悪いんだけど早速本題に入らせて貰うね。──っとその前に、私達も腰を下ろして良いかな。立って話すというのも失礼だからね」
「はいっ。……あ、でもどうしましょうか。その椅子だと四人は座れそうになくて……」
困ったように少女は辺りを見渡しますが、物の少ないこの部屋に腰を下ろせそうな物は一目で無いと分かります。
すると、社長さんは少女の傍に寄ると、膝立ちの状態になりました。丁度……と言って良いかは分かりませんが、少女の目線より少し低いくらいの高さです。
「私はこうやっておくから三人は椅子に座っていると良いよ」
「じゃああたしイッチバーン!」
「あーチカレタ……」
「失礼しますね」
主任さんを中央に据え、私が彼の左側でリリィさんが逆側という、主任さんの両脇に座る形となりました。……どうしましょうか。立った方が良いような気がしてなりません。ふと主任さんの方へ盗み見るように横目を向けてみると、両手に花の本人は酷く顔を引き攣らせていました。
なるほどなるほど。主任さんはこういう事が苦手なのですね。それでも疲れているから座るしかない、と。なるほどなるほどなるほど。これは良い事を発見しました。
「お前この状況楽しんでるだろ……後で覚えとけよ……」
「ええ。主任さんの苦手な事ですもの。生涯忘れる事などしませんわ」
「やっぱ忘れて。一生思い出さないで」
向かいでは主任さんの頬を突こうとしているリリィさんがペシペシと指を払われています。どうやらリリィさんも主任さんを弄るのがお好みのご様子。この部分だけは気が合いそうですね。
そんな私たちを尻目に、社長さんは少女とお話をしているようでした。
「へぇ。メアリーって名前なんだ。可愛らしいね」
「えへへ。お姉ちゃんからもよく言われるの」
どうやら少女はメアリーという名のようです。……それにしても、仲良くなろうとしているのは分かるのですが、仲良くなってどうするつもりなのでしょうか? 見当もつきませんね……。
「さて、ルーファスの話をしよっか。──近々ルーファスは大きな研究をするかもしれなくてね。それで助手を募集しているみたいなんだ」
「助手さんですか! もしかして、社長さんがその助手さんになるとかですか?」
「いや、私はルーファスの助手にはならないよ。他にやるべき事があるからね。その代わりに私がその助手を探しているの」
少女は更に目を輝かせました。ルーファスの話は聞いていたでしょうから、きっと魔術の本を読んでいくにつれ彼に憧れを持つようになったのでしょうかね。子供、しかも入ってくる情報が限られているこの場所では今興味を持っているモノにのめり込むというのもおかしくはありません。何せ、それ以外の何も知る事が出来ないのですから。
「この本は魔術の勉強をする為の本だね。魔術に興味があるの?」
「はいっ! 昨日、お姉ちゃんが買ってきてくれて読んでみたら、すっごく面白かったんです! 時間だけは沢山あるから、一日で全部読み終えちゃいました」
「へぇ。私も読んだ事があるけど、全部読むのには少し時間が掛かったよ。メアリーは本を読むのが得意なんだね」
少女は褒められると素直に喜んでいます。しかし……よくもまあこんな怪しい私達と楽しくお話なんて出来ますね。隣で煩い動きをしている主任さんが言っていた『箱入り娘』なだけでなく、他人との会話に飢えているのでしょうかね? そうでなかったら私達を罠に嵌めるため時間を稼いでいるという可能性しか残りません。……ですが、それはまず無いですね。少女はどう見ても話す事に全力で楽しんでいますし、何かしらを企てているような雰囲気もありません。ホント、一から十まで社長さんと話している事が楽しくて仕方が無いという感じです。
「きっと、メアリーなら良い魔術師になれるよ」
「……えへへ。無理です。だって、私は病気で身体をあまり動かしちゃいけないですから」
褒められて喜んで良いのか、それとも病気の事で嘆くのか困った少女。その相反する感情で板挟みとなった彼女は苦笑いという形で自身の気持ちを表しました。
「ふむ。病気、ね。どんな症状があるのかな」
社長さんは少女から状態を聞いています。漠然とした倦怠感や疲労感、食欲不振に微熱、お腹の上辺りで不快感が出る事もあるそうです。
なんとなく風邪かと思いましたが、その期間が一年に達するというのですから何か別の病気であることは明らかでしょう。足を悪くしているという話を聞きましたが、どうやら足に力が入らないと言った事で広まったのかもしれない、と少女は言いました。……いやはや、ホント、自分が確認した訳でない情報というものは信用し辛いものですね。
「……元々、身体も弱くて体力も無かったから、この病気になってから働くと倒れちゃうようにもなったんです。お姉ちゃんはそれを知ってから私の代わりに一杯一杯お金を稼いでくれてるの」
「なるほどね。……残念だけど、私じゃ治す事は出来ない」
「えへへ。治そうと考えてくれてありがとうございます。……でも、早く治ると良いなぁ。治ったら、代わりにお姉ちゃんに休んで欲しいです。今まで頑張ってくれたから、今度は私が頑張る番だよって、言いたいです」
なんともまあ美しい姉妹愛でしょうか。
そう、私は軽く思いました。今まで暗殺に触れてきているので、どうしても初対面の相手には疑って掛かってしまいます。……いえ、正確には『疑う』というよりも『無関心』といった方でしょうか。どちらであっても自分には関係の無い事であり、仕事を遂行する上ではそんな感想など邪魔にしかなりませんでしたので。
(……なんとも、私は冷たい人間ですね)
ふと、私は自分が冷血であると思いました。多少、心が温まる話や行動があったとしても、その場限りにすらならない自分に少しだけ呆れてしまいます。
……ダメですね。最近、社長さんや主任さんと過ごしていていると楽しくて仕方が無くて、自分の胸の内が温かい気持ちになってしまいます。悪い事ではないのでしょうが、今まで数え切れないくらいの人を殺してきた私がこんな気持ちになって良いものかと思ってしまいます。
「……主任さん。あの少女が言っている事、どう思いますか?」
……この考えは止めましょう。何も生みません。そう思い、私は誰かと話をする事にしました。
ルーファスや魔術に関する会話で夢中となっている社長さんと少女の邪魔にならぬよう、少し声を抑えて主任さんに問います。彼は私を一瞥すると、いい加減面倒になったのかリリィさんに影へ戻るよう命令をしました。リリィさんは不貞腐れながらも『また夜に出てくるわよー』と言って主任さんの影に潜りました。……なんだかやけに素直ですね?
空いた一人分の席を奪うように主任さんは私から距離を取り、先程の私の質問に答えました。
「本心じゃねーの。知らんけど」
……酷く曖昧ですね。社長さんの時はハッキリと答えていたと思──。
「ん? ……おう、何があった」
私の雰囲気が変わったのを察したのか、主任さんも真面目な顔付きとなりました。
さっき、確かに玄関の方から音が聴こえてきました。それと一緒に、何者かの気配が近付いているのも感じられます。警戒をしているのか、音を限りなく殺しているようです。ただ、その動きは素人寄りのもの。殺さずに組み伏せる事すら容易に叶うでしょう。
「誰かが階段を登っていますね」
「マジかよ。どうすんだ」
「ご安心を。誰一人として傷つけさせませんわ」
相手は一人のようですが、油断はしない方が良いでしょう。社長さんは……気付いていないのか、未だに楽しそうに話す少女の相手をしています。
(さて……どうしたものでしょうか)
こういう時、一人ではないというのは不便です。更に今回はメアリーという完全に一般人の少女も居ます。例え二人へ伝えても、社長さんなら上手く演技をするでしょうが、この少女ではとても上手くやれるとは思えません。困りましたね……。
こういう時、社長さんの機転の良さを羨ましく思います。そうして少し考えている間に、侵入してきた誰かはこの壁一枚の向こう側へと移動してきたようです。こちらの様子を探っているのか、扉の前で止まっている様子。
……どうしようもありませんね。万が一の事を考えていつでも戦えるよう構えておきましょう。
袖の中に隠している短剣を滑り下ろし、相手が入ってきた瞬間に対応できるよう左手の内に二本だけ隠し持ちます。一本は投げる用に。もう一本はそれが失敗した時用に。……さて、相手はどう出ますかね?
「……………………」
「…………………………………………」
しかし相手も迷っているのか、それとも絶好の瞬間を狙っているのか動きがありません。
さてさて、その我慢はどこまで続きますかね?
「……メ、メアリー。誰と話してるんだい」
「あっ、お姉ちゃん! おかえりなさい! 今ね、社長さんとお話ししてるの!」
それは三分と保ちませんでした。会話を盗み聞きしていたのですから、それはもう気が気じゃなかったでしょうね。大事な妹さんが社長と名乗る人と楽しそうに話をしているのですから。
入っておいでよ、と楽しそうに言う少女に誘われたお姉さん。それはもう恐る恐るといった感じで扉を開けました。まるで、これから地獄の審判でも受けるのかというくらい強張った顔をしていたのですから。
「────っ!?」
「こんにちは。お邪魔させて頂いていますわ」
ただ、その顔も私の顔を見る事で一気に蒼褪める事となりました。どうやら私の事を知っているご様子ですね。扉を閉める事すら忘れているようで、ただただこの部屋に居る私達へ視線を泳がせています。
「お邪魔しているよ。……顔色が悪いみたいだね。仕事帰りで疲れたのかな?」
「あ、あぁ……そんな所、だよ。今日は疲れていてね……」
少女と同じ色の髪を揺らしながら彼女は社長さんの言葉に頷きました。流石に盗賊をするだけあって勘が鋭いようですね。話を合わせる方が随分と建設的だと思ったのでしょう。
「実は、ルーファスが大きな研究をするらしくてね。その助手を探していたのだけど、色々あってここに足を運ぶ事になったんだ」
「そ、そうなのかい? 生憎だけど、ウチもメアリーも魔術は素人、だよ……?」
「何も魔術に長けていないといけない訳でもないでしょ? 例えば、本を読むのがとても速かったり、魔術の材料を見極める能力が優秀だったり……ね?」
ルーファス、魔術の材料。この二つの単語で彼女も察したのでしょう。冷や汗をタラリと流し、僅かに足を震わせています。
チラリ、と社長さんが私へ視線を送ったのを見て、私はニッコリと微笑みながら少女には見えないよう短剣をチラつかせました。それに満足する社長さんと、今にも足が崩れ落ちてしまいそうになるお姉さん。ええ。勿論逃がしませんとも。
お姉さんももう察している通り、あの高純度永氷晶はルーファスの品です。それを盗んだ彼女が辿る末路など、容易に想像が出来るでしょう。
「それ、で……どうしてウチに……?」
またもや我慢できなくなったのか、私達がここへ来た理由を尋ねました。……焦っているからなのかどうかは分かりませんが、死に急ぎますねぇ。そんなの、もう分かっているのでしょう? この状況で敢えて確認するのは、紛う事なく悪手ですよ。
「高純度永氷晶……。私達がルーファスに頼まれたもう一つの依頼がそれだよ。貴女ならば知っていると思ってね?」
ガクリ、とお姉さんは床に膝を落としました。
「お、お姉ちゃん!? え、えっと、水、飲もう!? あと、寝台に座ってて!! そんなに疲れて無茶しちゃダメだよ!」
お姉さんを心配して寝台から降りた少女は少しフラついて歩き出しました。が、それを社長さんが抱き留めます。
「ダメなのはメアリーだよ。安静にしないといけないんでしょ?」
「でも、お姉ちゃんが……」
「大丈夫だよ。……大丈夫なはず、だよね?」
含みのある言い方をしながら、社長さんは寝台に腰を下ろして少女を膝の上に座らせました。少女は何が何だか分かっていない様子で、背中に居る社長さんとお姉さんへ視線を交互に移しています。
「ここで話すのと、別の場所で話すのと、どちらが良いか選ばせてあげるよ。選ばなかったらここで話すよ。……あと、貴女の名前は?」
「バーグラー……ここで良い」
社長さんの選択肢に、お姉さんは意外な答えを出しました。奇特な方ですね。妹さんの前で自分の悪事をバラされたくないと言うかと思いましたが……それとも、この少女は既に事情を知っているのでしょうか?
ところが少女は何も知らないようで、今の状況をただただ不思議そうな顔で見ているだけでした。
「おう、その前に持ってる武器は全部その場に落とせ」
と、ここで主任さんが椅子の背で頬杖を突きながらお姉さんに言いました。
なるほど武装解除ですか。確かにその方が面倒が起きなくて良いですね。痺れ毒を使うとの情報でしたから、万が一の事を考えたらしておくべきでしょう。珍しい事もあるではありませんか。主任さん、役に立っていますよ。
「ロゼ、お前も無駄な事考えてねーでちゃんとコイツが怪しい動きをしねーか見とけ」
「……癪ですが、その通りですね」
主任さんの言葉に何も言い返せず、私はお姉さんが武器を床に落としていく様を観察していきました。
一つ、二つ、三つ……四つ。計四本の短剣が懐から落とされていきます。……ふむ。あと一本くらいありそうなのですが。
「全部だよ。早くしろ」
主任さんが苛立った声を出します。お姉さんは苦虫を噛み潰したような顔で目を瞑り、腰の後ろから小指程の小さな短剣も床に落としました。
ホント、こういう時の主任さんは頼りになりますね。悪党の考えている事が手に取るように分かっているようで抜け目がありません。
全ての武器を落としたのを確認すると、社長さんが話を再開しました。
「ではバーグラー。貴女は昨日、オーリア帝国から来ている途中の商人の馬車を襲ったのは間違いないね」
「え……?」
「もう裏は取れてるんだろ……そうだよ、間違いない」
「お姉、ちゃん……?」
ああやはり、少女は何も知らなかったようです。病気の自分を支えてくれているお姉さんが、盗賊なんて事をしているとは思いもしなかったのでしょう。彼女の眼は、困惑の色で一杯になっています。
「その中には金貨40枚にもなる高純度永氷晶があったと思うけど、実はルーファスが発注していた物だった。私達はルーファスからの指名で、その永氷晶を取り返す依頼を受けたんだよ」
少女は状況を理解したのでしょう。社長さんが話していたルーファスとの会話も思い出して話が繋がったのか、顔色が曇っています。
「……ははっ。ヤバいブツにはヤバい奴が絡んでるってか」
観念したのでしょうか、お姉さんは空笑いをしています。その表情は暗く落ち込んでおり、諦観の色が強く出ていました。
「……ウチらはどうなるんだい」
「さあね。それは周囲の感情次第じゃないかな。少なくとも、私はある一つの事をして貰おうとは思っているけどね」
そう言って社長さんは少女を寝台へと座り直させて立ち上がりました。未だに立ち上がれないお姉さんの前に立ち、いつものように腕を組んでいます。
片や感情の無い死んだ目で見下ろし、片や畏怖で震える目で見上げ、そんな様子を私達は静かに見守っていました。
「あの永氷晶を買い戻してくる事。私はそれさえしてくれたら他に何も要求しないよ」
社長さんはそう言いましたが、大丈夫でしょうか? この盗賊がまだ金貨を持っているという保証はありませんし、何よりも逃げられてしまう可能性があります。
しかし、私は知っています。こういう時、社長さんはいつも私を楽しませて下さると。さて、今回はどうするのですか?
「……それで、許してくれるんだな?」
「ただし、買い戻す際はロゼと同伴。永氷晶はバーグラーが売った露店の物である事。話は通してあるから問題無いだろうけど、もし売った時の値段よりも高い金額を要求されようとその額を素直に支払う事。これが条件だよ」
そして、と言って社長さんは寝台へ身体をクルリと回転させます。さっきまでの楽しそうにしていた少女の頭へ手をそっと優しく乗せました。少女はさっきまでの面影など欠片も無く、ただただ悲しそうな顔をしていました。
「……以上の条件が守られなかった場合、メアリーは私の好きにさせて貰う」
「そっ、それだけは!!」
「何も難しい事なんて無いでしょ? 私とてルーファスに一目置かれた魔術師。さっきの条件を守る限り私もメアリーに手を出さないよ。もし私が反故にしてしまえば、その時は契約を守れない魔術師という屈辱の烙印が押されるからね」
なるほど。主任さんの言う事も分かります。なんて酷い拘束力でしょうか。第一に私を監視役に就ける事で物理的に逃げられないようにし、第二に少女を担保──いえ、人質と言った方が正しいですね──にする事で精神的にも逃げられないようにした二重の雁字搦めです。
やっている事の一つ一つはそこまで特別ではないのですが、それらを組み合わせるのですから酷いものです。もし苦言を捻り出そうものならば、今回は比較的大人しい、くらいでしょう。
「制限時間は特に設けないけれど、そこはロゼの裁量で好きにして良いよ」
「あら。わたくしは厳しいですわよ?」
「なら好都合。お願いね」
「ふふっ。承りました」
それから私とお姉さんはこの家を後にし、例の老婆の元へ向かいました。これといって特筆するような事も何も無く永氷晶も買い戻し、従順な犬を散歩している気になってしまうくらい退屈な時間を過ごす事になります。
ただ、帰って来た時にこの退屈に変化が訪れます。
「お姉ちゃん、話があるの」
意外も意外。帰ってみると少女が意を決した表情で出迎えてきたのです。私はてっきり、身体を休める社長さんと気怠そうにしている主任さん、そして落ち込んだままの少女が居ると思っていましたが、何があったのでしょうか……? しかも、社長さんは珍しく困ったような雰囲気を出しているではありませんか。ホント、何があったのですか?
ああ、主任さんは私の想像通りだったので割愛しましょう。
「私、ルーファスさんの助手になる!」
「……えぇ?」
漏れるように声を出したお姉さんと同じく、私も心の中では同じ反応をしました。いきなり何を言い出すのでしょうか、この少女は……?
社長さんへ視線を向けてみるも、あの社長さんが片手を力無く宙で揺らして首を横に振り、諦めたと言います。……いやホント、何があったのですか?
一先ず買い戻した永氷晶を社長さんに預け、話を伺ってみます。その内容は予想外のモノでした。
「今回、ルーファスさんには迷惑を掛けてしまいました。その罪は償わないといけないと思うの。ルーファスさんは今、助手を欲しがっているから私が頑張って助手になろうって話です!」
……なんと言いましょうか。正しく子供の発想で呆れてしまいました。
社長さんと少女が交わした話を思い出す限りでは、文字は読めれども魔術は初心者。しかもただ読んだだけという始末。更に言うと病気で満足に身体を動かせないときています。そんな子が王国第三魔術部隊長であり、王国附属魔術学校の教師でもあるルーファスの助手になると……? いくらなんでも夢物語が過ぎるでしょう……。
「だけどメアリー……。アンタは病気でまともに働けないじゃないか」
「それでも!」
またもや意外です。この少女、こんなに強情な性格でしたでしょうか? ……いえ、そんな事はないと思います。もっとふわふわとした性格だったと思うのですが……。
……違和感があります。そもそも、この手の杜撰な話は社長さんが理論で相手を制するはず。なのにその社長が諦めているという事は……?
(……もやもやしますね。一体、この少女の何がここまで動かすのでしょうか?)
「ほっとけ。やっすい家族愛だよ」
「だから主任さん、わたくしの心を読まないで下さい」
「分かられる方が悪い」
はぁ……。まあ、私達にどうこう言う権利はありません。依頼の内容でも永氷晶さえ手に入れたらこの人達を放っておいても良いとありましたし、好きにやらせましょう。
…………………………………………。
場所は変わり、私達は少女達を連れてルーファスの屋敷へ。ハーメラの中でも貴族が住まうような一等地。その中でも大きく場所を取っているのがこのルーファスの自宅です。
私の家がいくつ入るのか分からないくらい大きな敷地に加えて三階建て。それが二つ並んでおり、片方が普通の家として機能し、もう片方が魔術の研究施設だそうです。噂ですが地下にも召喚専用の石部屋があるとか。
全く解せませんね。どうして権力者というものは大きな家に住みたがるのでしょうか。掃除の手間も掛かりますし、移動するだけでも結構な時間が掛かるではありませんか。
そんな大きな家には大きな玄関が付き物です。取っ手に大きな金属の輪が付いており、それで扉を鳴らすようにしてあります。
──ゴン、ゴン、ゴン
「はい。少々お待ち下さいませ」
社長さんが扉を叩くと、中からすぐに返事が返ってきました。一つ二つの呼吸を挟める時間の後、その大きな扉は中の者の手によって開かれます。
可愛らしい給仕の服を着た女性が姿を見せると、初めに一礼をしました。
ふむ。やはりルーファスに仕える家政婦となると礼儀もしっかりとしておりますね。
「どのようなご用件でしょうか? 申し訳ありませんが、只今ルーファス様は魔術の研究中です。言伝で宜しかったらルーファス様のお時間が空いた際にお伝えします」
「私は社長。ルーファスから依頼を受けていた者だよ。例の永氷晶を持ってきたと伝えてくれるかな?」
「っ! ……し、失礼致しました! どうぞ、お入り下さい……!」
社長さんの名前を聞くと、家政婦は顔を強張らせてから扉を大きく開き直します。心なしか、声も緊張して上ずっているようです。
中に入るとすぐさま他の家政婦が現れ、初めに出迎えてくれた家政婦から話を聞くと、大急ぎでどこかへ走っていきました。
「しばしお待ち下さいませ。直にルーファス様がこちらに来られます」
あのルーファスが?
一瞬そう思いましたが、依頼の高純度永氷晶を持ってきたのですからそれもそうでしょうかね。彼ならば自分の目で確かめたいでしょうし。
少し暇になったので周囲を見渡します。目の前に広がるのは赤い絨毯が敷かれた大広間。細かい部分を見ても埃一つすら落ちていないので、掃除は徹底しているようです。そこから各部屋に繋がるであろう廊下が何本も続いており、上階へと上がる為の階段も美しい白さで輝いております。天井から吊り下げられた大照明は魔術でも使っているのか、炎とはまた違った感じの光でこの大広間を照らしています。
しかし、見る物はそれだけで終わってしまいました。他にもいかにも貴族が好きそうな装飾などもあるのですが、如何せん私はそういう物に興味が惹かれないので困ってしまいます。
が、それもすぐに解決する事となります。
「おお君か! 随分と速いじゃないか。よくぞ訪れてくれた」
ルーファスが妖しさの残る笑みを浮かべながらやって来たからです。喋り方も少々粘ついた感じがしてどことなく上から目線なので私はあまり好きではありません。仕草も貴族のそれであり、やはり私にとってはあまり好ましいものではないですね。
「話はこっちでしよう。ついて来たまえ」
そう言うが早いかルーファスは歩き出しました。
通された場所は明らかに貴族と食事をするであろう豪奢な部屋。暖炉があり、中央に備えられた長机とズラリと並ぶ座り心地の良さそうな椅子。程よい明るさで照明が灯されており、その明るさだけでも心が落ち着きそうです。
「掛けたまえ」
ルーファスがその椅子の一つに座り、声を掛けられたので私達も腰を下ろしました。
「さて……早速本題に入らせて貰おう。永氷晶はどれかね」
「これだよ」
社長さんが布に包まれた永氷晶を取り出し、ルーファスの前に置きます。ルーファスは布を丁寧に取ると、感嘆とした声を漏らしながら目を輝かせました。
「間違いない。高純度の永氷晶だ。よくやってくれた! これで我が研究も大きく進む事だろう」
ルーファスは機嫌良く布を再度被せます。そこで、社長さんが口を開きました。
「それともう一つ。助手も募集していたよね」
「ああそうだとも。永氷晶の事ですっかり忘れていた。なにかね? 君が私の助手になってくれると言うのかね? 勿論、私は大いに歓迎しよう」
「違うよ。助手の希望を出しているのはこの子」
うん? と喉を鳴らして社長の手の先を見るルーファス。そこにはメアリーさんが少し緊張した様子で座っています。
「初めまして! メアリーと申します!」
「……んんん? どういう事かね? 大した腕も無さそうだが……」
訝しげな形相でメアリーさんを観察していますが、本人は真正面からそれを受け止めていました。
どんな理由があるのかは未だに分かりませんが、どうやら本気のようですね。
「とりあえず事情は二人から聞くと良いよ。ただ……これは私の経験則から言わせて貰うね。死の覚悟を持った者は、強いよ」
それだけ言うと、社長さんは席を立ちました。
「報酬は永氷晶の分だけで良いよ。その代わり、ルーファスの研究資料を見せて欲しいんだ」
「研究資料……? 今やっている研究のか?」
「いや、私が興味を持った物だね。私もとある研究をしていてね。少し行き詰ったから手を借りたいんだ」
「ほう……。どんな見返りをくれるというかね?」
「完成した魔術をルーファスの目の前で説明付きで公開してあげる」
「なるほど。良いだろう。あっち側の建物が研究施設だ。入ってすぐ左に書物がある。それであれば見ても構わん」
「ありがとう。──私はすぐに調べに行くから、報酬は主任達に渡してね」
簡単に約束をすると、一人でさっさと部屋を出てしまう社長さん。……報酬を確認もせずに向かうなんて、どれだけ興味をそそられているのですかね。
ルーファスはというと、手元に置いていた鈴を鳴らしていました。
すぐに部屋の扉を叩く音が鳴り、また別の家政婦が姿を現し、頭を下げました。
「金貨を持ってきたまえ。10枚きっかりとな」
「畏まりました」
指示を受けた家政婦は入ってきた時と同じ動作で頭を下げ、扉を閉めて姿を消します。
……こうして見ると、私には家政婦が似合わないというのが実感できます。何せ、人を使うという事に抵抗があるからです。今まで一人で仕事をして、一人で生きてきた私にとって、誰かに使われる事はあっても誰かを使う事なんてほとんどありませんでした。故に、家政婦という存在は私には合わないでしょう。
なんて言っていますが、私が家政婦はおろか、従者を持つなんて事はないでしょう。私は昔と違い、好きに生きて好きに暮らしていくと決めているのですから。
──この頃の私はそう思っていました。ですが、それはそう遠くない未来で打ち砕かれる事となったのです。
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