裏の顔 2
門番の居た通路を進み、次の角を曲がった頃、そこには昔見た光景そのものがありました。
外套を羽織り、顔を見せないようにするほぼ全ての人々。間隔を広く取って商品の見易さを優先させる露店の配置。表の市場では絶対に見る事の無い品物とその金額。剥き出しとなった欲望で静かに牽制し合う雰囲気。
何もかも数年前から変わっていません。
「あー……なるほどねー……。ここに用があったんだ……」
リリィさんも知っていたのか、この場が何か理解したのでしょう。来た道へと数歩戻り、社長さんに『影に戻った方が良い?』と訊いています。
「いや、このままの方が良いかな。大多数にリリィの姿を見て貰う事で、あの門番たちの罰を出来る限り小さくなるようにしておきたいの」
そう答えた社長さんに、私とリリィさんだけでなく主任さんも目を見開いて驚いていました。きっと私と同じく『そんな義理とか義務とかあるの?』と思っている事でしょう。
「お前また悪い癖出てんな……。いつか良いように利用されっぞ」
「利用したいのならば利用すれば良い。ただ、その時はそれ相応のモノが還るだけだよ」
……恐ろしい事を言いますね。つまりはアレですか? 害を与えてくるのならば容赦はしない、と?
先程の門番に対する話術の事がありますので、きっと私では考えもつかないような『お返し』をするのでしょうね……。
ただ、ふと思います。逆に言うと社長さんにとって得になるような事をしていれば、相応のモノが還ってくるという意味なのでは?
思ってみれば心当たりがあります。ミルクティーの時もそうでしたが、彼女は無報酬でミルクティーを作ってくれ、その作り方も教えて下さいました。もしかすると、初めて会った時に仕事の報酬を全て渡したり商工会へ口添えをすると約束した事のお返しだったのかもしれません。お二人と仕事をする為の契約ではありましたが、彼女は『お願い』をしたりされたりしようとするくらいです。そう思っての事だと言われても不思議ではありません。
ただ、これは少し考えすぎでしょう。あの時の社長さんはこうなる事まで予想なんて出来なかったでしょうし。……いえ、社長さんならどうか分かりませんね。この方は分からない事が多過ぎます。もう何をしても納得してしまうくらい色々な事をしていますもの。
「でも良いの? あたし魔族よ?」
「大人しくしてくれていて、私の言う事を聞いている振りをしてくれていたら問題無いでしょ。あのベネットですら使い魔なら見逃すってくらいだしね」
「あっぶねー橋渡るなぁ……お前……」
引くわー、とでも言いそうな顔をする主任さん。ホント、私もそう思います。足を踏み外せば一気に崖下へ落ちてしまうような危険な橋を、社長さんは臆する事無く堂々と踏み入っていきます。その姿があんまりにも堂々とし過ぎているので、見ている私達も『大丈夫なんだ』と思ってしまうくらいです。
「本当は使い魔の契約を交わせば誰にも文句を言わせられなくなるけど、流石にリリィもそこまでは嫌でしょ?」
「え? 別に良いけど?」
「は?」
思わず声が出てしまいました。
……おバカだとは思っていましたが、貴女やっぱり相当頭が悪いんじゃないですか? 契約内容にも因りますが、基本的に使い魔になったら今までみたいに自由にあちこち行く事が出来なくなりますし、主従関係で精神的な拘束もされますよ?
「安心しろ。俺も心の底から同意してる」
「だから、どうしてわたくしの心を読むのですか」
「読まれやすいお前が悪い」
本当に調子を狂わされてしまいます。読まれやすいって……貴方ってさっき仮面を外してから怒れって言いませんでしたか? それとも透視能力をお持ちで?
……深く考えるのは止めましょう。このままでは主任さんの良いように玩具にされてしまいます。どうせなら主任さんを盛大に振り回したいくらいですわ。
「……ふぅ」
深く息を吐き、リリィさんへと目を向けます。彼女はどうやら本気で使い魔になる気になっているらしく、社長さんが手に持っている初心者用の魔導書をワクワクしながら一緒に眺めて説明を受けているようでした。
その魔導書を参考にしつつ、リリィさんは刻印を自身の掌に描いています。内容は……貸した力の度合いで吸精させる……と書いてあるようです。恐らく契約の内容でしょう。その契約に則り使い魔が力を与え、主が対価を支払うという、基本中の基本の契約のようですね。
「──内容に間違いは無い?」
「えーっとねー……。無いわね!」
「はい、主任の腕にバシッとしておいで」
「そいやーッ!!」
パッシィーン!
軽快な音が響きました。まさしく肌と肌が勢い良くぶつかり合った音です。
「……は?」
またもや思わず声が出ます。
私の耳がおかしくなければ社長さんは『主任の腕に』と言いました。ええ……社長さんのではなく主任さんの……。叩かれた主任さんも現状を理解していない様子です。ただただ叩かれた箇所に淡く光る契約の印を『なんぞこれ』とでも言いそうな顔で睨みつけていました。
「あ、本当にいけた」
「でしょー? 言ったでしょー?」
感嘆とする社長さんと、自身の胸元に現れた刻印を見てキャッキャと喜ぶリリィさん。対照的に、主任さんの顔はみるみる険しいものへとなっていきました。
「……チェンジで」
「誠に残念ながら当店では契約の変更を受け付けておりません。潔くリリィの主になりやがれ下さい」
間髪入れず社長さんが事務的な対応をしました。主任さんのドスの利いた声なんて一切気にしていない様子です。
「おい剥がれねえんだけどコレ。剥がし方教えろ」
「主任、それだけど……本人に同意の意志が無かったらそもそも契約できない刻印だよ?」
「……嫌じゃあああああああああ!! 俺こんなんの主になるとか嫌じゃああああああああああ!!!」
「ちょっとォ!? いくらなんでも『こんなん』って失礼過ぎでしょーがぁ!?」
「黙れェ!! 誰が腐ったスカンクのケツみてーなユルユル脳ミソのお前なんかと契約せにゃならんのじゃああああああ!?!」
「あんたホンッッットーに失礼ねぇ!!? こちとら一回あんたの精気吸ってるから相性バツグンなの知ってるんだからね!?」
騒ぎ始める二人。いくら露店の死角となっている場所とはいえ、流石にこの場で目立つような事をすれば何が起こるか分かりません。……気持ちは非常に分かりますけど。
「……社長さん、主任さん、察しているとは思いますが念の為に言っておきます。ここでは大人しくした方が面倒な事は起きません」
「ん、分かったよ」
「ねえなんであたしを抜いたの? ねぇ? あたしだって大人しくしろって言われたら出来るわよ?」
「ちくしょう……ちくしょう……!」
リリィさんを無視してお二人にそう言います。その言葉に社長さんだけ頷き、主任さんはただただ奈落より深く嘆いていました。……なんだか少し可愛いかもしれません。いえ、そう思うのは変だと自覚していますが。
しばらくして落ち着いた頃、私達は曲がり角の先にある、多くもなく少なくもない人の往来に入って行きました。
リリィさんを連れ歩いているからか多少の視線は集めていますが、契約している淫魔だと分かると皆さん道を譲ってくれています。それだけ『高位魔族である淫魔と契約している魔術師一行』という肩書きは強烈のようです。もしくは、ルーファスと一悶着あった人達という噂のおかげでしょうか?
ただ、それでもどの店の前を通っても店の主は一言も声を掛けてきません。ここでは、店主が客を呼び込むのではなく、客が店主に交渉するといった方が近いからです。それに、単純に関わりたくないというのあるでしょうね。
「金貨40……確かに」
そんな中、ボソリと後ろの店から声が聴こえてきました。なんとなくそちらの方へ視線を向けてみると、どうやら外套を羽織った客が店主に物を売ったようです。ジャラッと重みのある金貨の音を鳴らしながら、体格からして女性らしき客はこの場から去っていきました。
「……………………」
「どうしたの、主任?」
それを主任さんが目で追っていたからか、社長さんが問います。
「……いや、なんとなく?」
「ふぅん……?」
曖昧な返答だったからか、社長さんは首を傾げました。ついでと言わんばかりに主任さんも難しい顔をして首を捻っています。
……いえ、なんで主任さんも分からなさそうな顔をしているのですか? 貴方が不思議な行動を取ったからこうなっているのでは。
「まあええか……んで、俺らのお目当てのブツはどんな見た目してんだ?」
主任さん、考えるのが面倒になりましたね? 何を考えているのかはよく分からない人ではありますが、奇妙な事に今何を思っているのかはよく分かる人です。機嫌が良ければ性格の悪そうな笑顔を見せますし、機嫌が悪ければ頭のてっぺんから足のつま先全てで不機嫌さを出しますし、興味の無い事は耳にすら入っていない感じです。
しかし、永氷晶の見た目ですか……。ええと、確か……。
「見た目は水晶と非常によく似ておりますが、特徴として不可思議な存在感を放ち、濁りも何も無く、透明な硝子のように透き通っています」
「ガラス……?」
話している途中、社長さんが目を細めました。
硝子と言いましたが……その言い方には違和感があります。社長さんともあろう人が硝子の存在を知らないはずはないと思うのですが、さっきの言い方ではそんな風に聴こえます。
腕を組み、左目を閉じて深く考え込む社長さん。顔を少し傾けているからか彼女の長い髪はサラリと音を立て、後ろ髪の一部が前に流れています。
時間にすると十秒ほどでしょうか。自分の世界に閉じ籠った社長さんは、前に来た髪を手の甲で後ろへ戻す事でこちらの世界に戻ってきました。
「……え? もしかして社長ってガラス知らないの?」
「いや、知っているよ。疑問に思ったのはそこじゃない。……いつか理由を話すよ」
「はぁ……」
リリィさんの質問に答えた社長さんですが、何の話をしているのか分からず、私は思わず口から溜め息のような声を漏らしてしましました。
まあ良いでしょう。社長さんがそう言うのですからいつか話してくれるはずです。今は永氷晶の話に戻しましょう。
「他にも、永氷晶は別名で『溶けない氷』とも言われています。永氷晶は触った感じ氷なのですが、比較的気温の高い南部都市ノトに一日中野晒しにしようとも、手でしばらく触れていようとも溶ける事がありません。自然の力で凝縮された膨大な魔力が氷の状態を維持しているようです」
「へぇ。興味深いね。後で詳しく聞かせて貰おうかな」
そう言った社長さんの光の無い目に、一瞬だけ光が戻ったような気がしました。ですが、それは本当に一瞬の事で、私の見間違いだと言われればそう思ってしまうくらいの出来事でした。
……最近になって思った事なのですが、社長さんは少し前の私とどこか似ているのかもしれません。感情が死んでいて、それを隠すように感情のある仮面を付けている……そんな気がします。
もしそうであれば、社長さんは不可思議で曖昧なこの仮面の下で、どんな顔をしているのでしょうか。
「……おい」
少しばかり社長さんの横顔を見ていると、主任さんが声を掛けてきました。何かあったのでしょうかね?
「えーひょーしょーってアレじゃねえよな?」
私達の斜め後ろ──そこにある商店へ指をさす主任さん。
……何を言っているのでしょうかね。通ってきた商店にある物は全て見てきていますよ。少なくとも永氷晶やその類いの物は見掛けて──
「──え?」
──いないはずでした。
しかし、目に映るは水晶状の氷の塊。どことなく不可思議な雰囲気を醸し出しているその様は、紛う事なく永氷晶です。
「あ、本当だー。あたしもこれ見た事あるわよ」
「しかも、これは……」
さっさと見に行ったリリィさんの後に続くよう道を戻り、その商店の前で立ち止まります。
無造作に置かれたソレ。一応、店主も価値を分かっているのか自身に一番近い場所へ、私達の目的である高純度永氷晶を陳列していました。
「……おや、コレが何か分かるようだねぇ?」
深い被りで顔は分かりませんが、声からすると老婆のようです。
その老婆は私達へ一瞥すると、社長さんへ視線を定めました。
「どうだい? これだけの物はなかなか見掛けんよぉ?」
しわがれた声でヒッヒと上機嫌に笑う老婆。……なんと言いましょうか。酷く胡散臭いですね。こうなってくると、良く出来た偽物の可能性すら考えてしまいます。しかし、私も多少なりとも魔術を扱っていますので分かります。これは間違いなく本物です。
「ちなみに値段はいくらかな?」
「70でどうだね?」
両手を広げて指を七本伸ばしています。……話になりません。いくらなんでもぼったくり過ぎでしょう。恐らく値下げ交渉をされる前提の金額設定なのでしょうが、如何せん高過ぎます。
さて社長さん、どのように対処するのですか?
「へぇ……良い値段だね。そうだね……50くらいで売っているのなら即決するかもね」
しかし、彼女は意外な言葉を投げ掛けました。金貨50なんて大金、私達は持っていませんよ? そもそもルーファスの報酬も金貨10枚。相当な赤字です。
……いえ、社長さんが考えも無しにそんな事を言うなんてありえません。何かしら策があるのでしょう。
「足元を見るんじゃないよ。どんなに安く出来ても60だよ」
「なるほど。金貨60だね?」
「ああそうだとも。銀貨や銅貨じゃなく、金貨だよ」
なるほどなるほど、と社長さんは腕を組んで頷いています。チラリと主任さんの方へ視線を向けてみると、どこかしら憐れみを感じている表情を浮かべていました。この顔で確信します。社長さんは間違いなく何かとんでもない秘策を考えているのでしょう。
「安い命だね」
「んん……?」
突然、社長さんは微笑みながらそんな事を言いました。当然、老婆は私と同じくどういう意味なのか分かっていないようで、疑い深く喉を鳴らしました。
「何の話をしているんだい」
「勿論、貴方の命の値段の話。金貨60枚を手にしようとする代わりに命を落としたいだなんて、そんな珍しい人はなかなか居ないからね」
「……小娘、もう一回だけ聞くよ。何の話をしているんだい」
明らかに敵意を向けた声で老婆が訊きます。社長さんはそれに怯む事無く、むしろ老婆の被りの奥へと視線を送りながら言いました。
「この高純度永氷晶……実はルーファスが注文した代物って知っているのかな?」
ルーファス。その名前を口にするだけで老婆の雰囲気が変わりました。落ち着く為なのか、それとも気分が落ち込んだのか、老婆は深い溜息を吐いています。
「……これがルーファスの注文した物だって証拠はあるのかい?」
「無いよ。ただ、それを判断するのは私じゃない。私達はあくまでルーファスの依頼をこなすだけ。現在ハーメラに存在する高純度永氷晶の在り処を探す、ね?」
「……………………」
社長さんのその言葉を聞いて老婆は黙り込みました。恐らく老婆は予想にもしていなかったでしょう。まさか自分が今商品として置いている物が、あのルーファスの注文品かもしれないだなんて。
実際の所、本当にそうなのかどうかは分かりませんし判断もつきません。ただし、もし本当だった場合はどうなるのか……。王国第三魔術部隊長。魔術に身を捧げてきたと言っても過言ではない、彼の魔術への執着。そんな彼がこんな場所でこの老婆の持つ高純度永氷晶を見たら何を考えるでしょうか。
「……これはちょっと困ったねぇ」
想像に難しくない未来。それを予想したのか、老婆は考え込んでいます。
何度か頭を掻き、頬を掻き、老婆は言いました。
「なら、40でどうだい。それがアタシの仕入れた値段さね」
「えー……それでも結局大金じゃないのー……」
「お前ちょっと黙ってろ。こういうのは俺達が口出ししても上手くいかねーんだよ」
老婆が提案した所でリリィさんが不満を口にします。しかし、少々意外な事に主任さんが彼女を制しました。むしろ主任さんが何か口出しをするかと思ったのですが、主任さんは主任さんでちゃんと考えているようです。
頬を膨らませるリリィさんと、その頬を面倒臭そうに小突く主任さん。どう見ても深く考えていなさそうな感じにしか見えません。
……やっぱり、この人は何を考えているのかいまいち分かりませんね。
「なんだったら35でも良い。相場より遥かに低いこの値段なら悪い話じゃないだろう?」
「……残念だけど、交渉にもならないね」
明らかに安値を提示した老婆に対し、社長さんは溜め息交じりにそう言いました。これには流石に老婆も困ったように唸ります。
(……ああ、もしかして)
そこで、なんとなく社長さんの思惑が読めました。きっと、社長さんはこの永氷晶を売ってきた人の情報を掴む気です。
「もっと良い方法があるでしょ? これを売りに来た人の素性を話す、とかね」
やはりそうでしたか。……まあ、素直に買う訳にはいかないので、残る選択肢はこれか強奪するかのどちらかですからね。
「……アタシは知らないねぇ」
「そっか。──じゃあ皆、帰るよ。ルーファスに報告しなくちゃ。ここでの出来事は細かく纏めておくから、状況をしっかり覚えててね」
「むぅ……ちょぃと待ちな」
社長さんは帰ろうとした足を止め、流し目で老婆へ視線を送ります。老婆は嫌そうに溜め息を吐き、頭を横へ数度だけ振りました。
言葉にしなくても分かります。間違いなく心の中で悪態をついています。
「……本当なら客の情報は渡さないんだけどねぇ」
「あら? 貴女は不当にお客の情報を渡しているのではなく、強盗犯の目撃情報を提供しているのでしょ?」
「ふん、詭弁だねぇ。アタシぁそういうの嫌いだよ」
「でも長生きは出来るよ。──情報提供代はこれで良いかな?」
社長さんは再度店の前に立つと、ジャラリ、と5枚の銀貨を並べました。それに対し老婆は有無も言わず枝のように骨ばった手を広げます。何をしているのか一瞬分かりませんでしたが、社長さんが追加で銀貨を5枚出したのでその時に理解しました。強かですね、この老婆。
目の前に置かれた10枚の銀貨。それら一枚一枚しっかりと確認して老婆は懐へ仕舞うと、周囲に人が居ない時を見計らって語り出しました。
「奴はこの中央ハーメラで北東に家を構えているよ。青色の屋根が並ぶ中の赤い屋根で二階建て。玄関には薄汚れて何を書いているのか分からない板を鎖でぶら下げているからすぐに分かるだろうねぇ。ただ、気を付けなよ? 奴は警戒心が強い。何かしら手段を持っていくんだね」
ふむ、と言って社長さんは腕を組んで左目を閉じます。老婆の言葉を噛みしめるように深く考え込んでいるようです。
……何かあったのでしょうか? 必要な情報が手に入ったのですから、すぐに向かうべきだと思うのですが……。
「……銀貨10枚にしては些か情報が少なくないかな? こちらも譲歩した以上、そちらも何かしらおまけをくれても良いと思うのだけれど」
「ちっ。強かだねぇ」
「お互い様ね」
渋々といった感じで老婆は頭を掻きました。
なるほど、と感嘆します。確かに情報が追加で得られるのでしたらそれに越した事はありません。諜報の仕事をしていた時も、情報は得られるだけ根こそぎ得る方が事の進みがすんなりとなりますものね。
「奴には妹が居る。足を悪くして働けないから養っているって話を聞いたよ」
「へぇ……。それは良い情報だね」
少しだけ目を細めて社長さんが微笑むと、彼女はまたもや銀貨を5枚だけ取り出しました。
「その永氷晶だけど売らないでおいてね。強盗犯が金貨40枚で買い戻しに来るかもしれないよ」
「アタシがそれを聞くとでも?」
「その時はルーファスに『永氷晶は売られた』って正直に報告するだけだよ」
「……ちっ。今日は厄日だよ」
「ふふっ。素直は長生きするよ」
手に持った銀貨5枚をまた老婆の前に置くと、社長さんはくるりと踵を返しました。必要な情報は得られたという事でしょう。ついでに永氷晶の取り置きもさせる事が出来ましたし、拍手を送りたくなるくらい上首尾で、私も同じような事をしたいとすら思いました。
「さ、今度は本当に帰るとしよう。目的地は北東。すぐに向かうよ」
そう言って社長さんは出口へと足を進めます。主任さんとリリィさんも彼女の後ろへと続いていきました。
それに対し、私は逆方向である永氷晶を仕舞う老婆へと足を進めます。
「……なんだい微笑みのロゼ。アンタの仲間はもう行っちまうようだよ」
「最後に一言、お伝えしなければならないと思いましてね」
いつもの表情。主任さんの言う微笑んだ『仮面』を付けたまま、私は老婆へ視線を合わせました。
「約束は守って下さいね? ……わたくしは、どこまでも追い駆けますよ?」
「っ……。あ、ああ……勿論だとも……」
念の為、釘を刺しておきましょう。この老婆が逃げ隠れでもしたら面倒ですもの。
明らかに怯えた老婆は首を何度も縦に振りました。これで老婆は逃げられないでしょう。長年ここで取引をしている老婆です。仮にどこかへ逃げようともすぐに足を掴んでみせます。それが分かっているからこそ、私を『微笑みのロゼ』と呼んだからこそ、逃げられません。
私は社長さんを真似するように踵を返します。そして、こちらへ手招きしている主任さん達へと足を進めていきました。
「……珍しいですね」
ふと声に出てしまいます。今回、社長さんは最後の詰めが甘かったと思います。あれだけでは老婆を逃がさないようにするのは弱いでしょう。やるならば逃げられない恐怖を相手に与えてやるべきです。そうしなければ人は簡単に約束を破りますし、簡単に逃げ出します。この世界では、やり過ぎるくらいが丁度良い時もあるのです。
「……………………」
歩きつつ、少しだけ羨ましく思いました。きっと、彼女はそんな世界を知らずに暮らしてこれたのでしょう。
裏切り、騙し、仲間を売り、逃げる。それがこの裏市の常識ですし、この国の暗い部分でもあります。法の国と呼ばれてはいても、抑圧すればその分だけどこかで裏の顔が出てくるのです。
……いけませんね。どうにも昔の事を思い出してしまいます。後で主任さんをイヂメておきましょう。あの人が『仮面』なんて言うから悪いのです。いつもよりもう少し踏み込んでイヂメてやります。
クスッ、と私は笑ったのが分かりました。その事に少しだけ驚きながら私は三人に追い付きます。……なんだか主任さんが私の顔を見ているような気がしますが、イヂメるのはもう少し後にしましょう。楽しみは後に取っておくべきですし、最高の瞬間を見計らってイヂメるべきです。
「……なんか嫌な予感がすっけど、まあ良いか」
そう言って主任さんは歩き始めました。やっぱり勘が鋭いですね。その予想、合っていますよ。
敢えて何も言わず、私は社長さんと主任さんの後ろを歩きます。段々、こうやってお二人の後ろを歩くのが当たり前になってきましたね。
──さて、社長さん主任さん。今度はどんな方法で私を楽しませて下さいますか?
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