新しい道 ─made rail─
雛鳥の刷り込みというものがある。
ローレンツという人がハイイロガンの卵を自分の目の前で孵化させてみた所、その雛はローレンツを親と見なし、庭で一緒に散歩したり、彼から泳ぎを覚えたらしい。
ただし、この刷り込みは絶対的なものではないらしく、刷り直しも出来るらしい。例えば他に世話や姿が最適な対象が居たり、そもそもの刷り込みが弱かったりした場合だ。
詰まる所、雛というのは最初に親と認識した相手に刷り込まれやすく、尚且つ親とコミュニケーションを取る事でより強力に覚えるのだろう。
「ヒューゴさんヒューゴさん、これなんてどうですか?」
裾や袖の端々が破れ、汚れた純白の聖服の彼女が、小さな木の実を両手の平いっぱいにしてやって来た。
サクランボのように赤く小さなソレは、この世界で読んだ本に載っていた食用出来る木の実の特徴とそっくりだった。
「ありがとう、リア。僕も近くで山菜を見付けたから、今日はこれでご飯にしよっか」
はいっ──と満面の笑みで答えるリア。そんな彼女と同じ声、同じ姿の僕は、彼女より控えめに笑顔を零した。
ただ違うのは、僕の着ている聖服の大半に赤黒い染み出来ている事くらいだろう。──だけど、その傷はもう無い。跡すら残っていないし、痛みすら完全に消えている。自分でも、なぜこうなっているのかが分からなかった。
「……ヒューゴさん、身体の具合は如何ですか?」
まるで親のように心配をしてくれるリア。乱れていたのか、僕の横髪を優しく整えながら僕の青い瞳を青い瞳で真っ直ぐ見詰めてくる。
その綺麗な瞳にドキリとしつつ、元気だよ、と返す。その言葉に安心したリアは、とても穏やかな顔で僕の隣に座ってきた。
触れるかどうかくらい近い距離。雛が親鳥と寄り添うかのように、彼女は僕と一緒に居てくれる。
それが堪らなく心地良かった。きっと、今の僕達はお互いがお互いを必要としていた。
「……随分と、遠くまで来ましたね」
「うん……。本当、すっごく遠くまで来たよね」
彼女に命を救われた僕と、僕に命を救われた彼女。リアと僕は、翳りゆく空と、その先にある山へ視線を向けた。
「この先に、全てを受け入れているという噂の傭兵団があるのですよね。はみ出し者の魔族ですら受け入れている……と」
「社長と主任って人の方針って聞いたけど、本当なのかな」
もしそうであれば私達も受け入れてくれるでしょうか、と不安げに語るリア。その表情は、弱々しく触れれば壊れてしまいそうなほど小さかった。
「もう、王国の領地ではないんですよね」
「…………そうなるんだよね……」
チラリ、と道の端に押しやられた馬車だったらしき木片を見たリアの手に、そっと手を重ねる。すると、リアは空いているもう片方の手で僕の手に重ねてきた。
「……ありがとうございます。少し……ほんの少しだけ、私に温かみを下さい……」
そう言って、彼女の手に力が篭もる。
不安を掻き消すように──
怖いものから逃げるように──
温もりを欲しがるように──
僕に出来る事はただ一つだけだ。こうやって、弱った雛鳥に温かみを与える親鳥のようにリアの傍に居る事……本当に、ただそれだけだった。
──雛鳥の刷り込みというものがある。
それは刷り直しが可能な、一種の洗脳のようなもの。刷り込みが強力であれば強力であるほど、雛は親を必要とする。
仮に親が途端に居なくなってしまえば、雛に残された道は『死』という冷たいものだろう。
今の僕達はきっと、雛鳥のようにお互いがお互いを必要としていた──