act4. 其々の平穏
act4. 其々の平穏
――無知とは、無力だ。
宵闇と夕焼けを並列させたグラデーションの短髪が、少女の歩行に合わせて揺れる。
少女の片目は髪と同じグラデーション、そしてもう片方の目は黒く染まった眼球に鮮血の様な赤い虹彩を煌々と輝かせていた。
――故に、僕は無知を憎悪し、情報を畏敬する。僕が信じているものは、既知によって生成されたこの体と、未知に潜む既知を塗り替える可能性のみだ。
未知を偽りだと固持するのは、低脳のする事である。我らが見るべきは、現実だ。現実とは変わらぬ事実。ただそこに聳え立つ脅威。我らを押し潰す、圧倒的で嫌悪感を伴う未知。
少女が歩みを止める。隣に立つのは、ワービースト族である証の小さな猫の耳を生やした少年。
「カーミラ、マリーベルマリス、ザンシア、シードル。我らが馥郁たる闇の眷属へ、彼を歓迎しようではないか。これが僕が肉体を再構築した半人造ワービースト、アリステア・チェシャリー君だ」
「……チェシャと呼んでくれ。頼む」
本名を嫌うのは少女も同じ。これは失礼したね、と自嘲気味に笑い、少女は小柄な少年に向き直る。
「改めて自己紹介をしよう。僕はジャック。南瓜のジャック。切り裂き魔のジャック。ジャック・グリムリーパー」
ジャックは演者の様に仰々しくお辞儀をすると、4人の仲間に向き直った。
その顔は、自信とこれから始まる不条理に、耳まで裂けたような笑みを浮かべていた。
「ただいま、おねーちゃ〜」
「お帰りリエル。長かったわね」
屋敷に戻り、庭にてドラゴンを取り敢えず首輪で繋いでいたところに、精霊界との裂け目が現れた。そこからぴょんと軽やかに飛び降りたのは、アシュリエル。アンジェリカの弟だ。
「精霊界の王が悪魔崇拝にハマりそうだから説得してくれって、女王から救援要請が来てたの〜」
「それはまたシュールね……」
アシュリエルは明るい水色の長髪をさらりと流し、ハイエルフの特徴である翼は腰から蝶に似た形で顕現していた。アンジェリカと良く似て可憐な顔は非常に中性的で、初めてヴァレンタイン姉弟を見た他人は決まって絶世の美少女姉妹だと勘違いするが、彼はれっきとした少年である。
「何でも、精霊界の王が夢で悪魔族と交流したらしくて、我らは同盟を結ぶべきだーって急に言い出したらしいよ。僕が思うに、夢魔のテロだったんじゃないかな〜」
「夢魔も馬鹿ね。直接精霊を召喚すればそれは強力な魔法が使えるけど、魔力自体を取り込む事は出来ない。悪魔が精霊に触れれば蒸発してしまうのに。…… ところで」
アンジェリカは背後のドラゴンを親指で指し示す。
「このドラゴン、うちで飼う事になったから」
「ふぇぇ、ドラゴン!? でも凄く傷付いてるよ、どうしたの〜!? 僕が治してあげるね!」
アンジェリカが頷く。彼女の怪我の原因はアンジェリカの法撃であるとは言えない。
リエルが両手を広げて楽しげにくるりとその場で回ると、治癒魔法円が手の軌跡に沿って体の周囲に現れる。
「―― 出ておいで。太陽の下で共に遊ぼうよ。闇無き世界は明るいよ。明るい世界は暖かいよ。フェアリーサークルで踊ろう。僕等と謡おう。ミコールよ、ああ汝、精霊達の女王よ」
詠唱が終わると、精霊の女王ミコールが青白い輝きを纏いながら召喚され、直接触れられはしないがリエルの頬に軽くキスをした。ミコールとリエルは直接精霊界での交流もある為、友情でも結ばれていた。
「ミコール、このドラゴンの時を戻して〜、あるべき姿にぃ」
柔らかく微笑みドラゴンの頭を撫でるリエル。ドラゴンは目を細めて精霊を眺める。ミコールが両手をドラゴンへ掲げると、強力な治癒魔法が作用し始めた。
アシュリエルは治癒魔法と光属性に特化した魔法使いだ。まだ魔導資格は受講していないものの、その適応力の高さにはアンジェリカも一目置いている。恐らく、リエルが魔導資格を取得した暁には医療魔法業界と召喚魔法学会に大きな革命をもたらすだろう。
「おねーちゃぁ、この子の角、どうする?一度外部からの干渉によって強制成長と捕縛の痕が残ってる。体と同じ年齢に戻すと角までちっちゃくなっちゃうよぉ?」
時間逆行魔法でそこまで見抜けるとは、流石だ。そして角はドラゴン族の力の象徴であり、誇りである。それを配慮しての戸惑いだった。
「良いわ。この子は子供だもの」
「はぁい」
リエルが魔法を再開すると、確かに砕かれた傷痕は修復されたが、角というよりは突起と言うに相応しい程の大きさに戻った。恐らく同世代のドラゴンの中でも群を抜いて小さいのだろう。
ドラゴンは悲しげな眼差しで首を傾ける。
アンジェリカはそんなドラゴンの角に、自分の翼を重ねていた。
「アピティ、さっきはごめんなさいね。貴女の暴走を止めるには破壊するしかなかったの」
横たわるドラゴンに歩み寄り、アンジェリカはしゃがんで語りかける。ドラゴンは応える様に鳴いた。
同時に緑色の光の輪も消え、ドラゴンの治療が完了した。
「アピティちゃんっていうの?痛いの痛いの、飛んでったからね〜」
此方も爪先立ちで幼い手を伸ばし、ドラゴンの角を撫でるリエル。ミコールを精霊界へ還元させる。
「リカ様は慈悲深くいらっしゃいます」
ノワールはアピティに歩み寄り、優しい藍色の瞳で語りかける。
「かつて身寄りも無く、体を売って泥に塗れながら生きていた私を拾ってくださったのがリカ様です。貴女も、拾われた命となりましたね」
記憶を馳せる様に瞳を閉じる。
幼い頃から盗み、売り、道行く馬車から泥を被りながら生きてきたノワールに手を差し伸べたのは、幼いアンジェリカだった。
「まぁ、拾った娼婦にこんなメカニック技術があったなんて驚いたけどね」
「独学ですわ。少しでもリカ様のお役に立てればと」
「現にマキナはよく働いてくれてる。今日だって、マキナが屋敷の留守番をしてくれなかったら南瓜の使者に火でも放たれていたかもしれないわ。貴女は素晴らしいメイドよ、誇りなさい」
「有難きお言葉」
ノワールが軽く会釈し、一歩下がる。
「さて…… ドラゴンをペットに持つ家なんてそう無いと思うんだけど。小屋とか作るべきなの?」
「ペットとして野晒しは可哀想ですけれど、小屋…… というか…… 家、というか……」
少女達は共に、ドラゴンの扱いを考えあぐねていた。
「あっ、分かったぁ!」
そこに一人、太陽の如き笑顔で挙手する少年。
「あのね、普段はアピティちゃんを精霊と同じくらいの大きさにすれば、お屋敷で一緒に過ごせるよ! えへへ、どう?」
弟の提案に、アンジェリカは虚を突かれた様な表情をし、前髪から覗く片目はドラゴンへ向けられる。
「正にペットね。異論は無いかしら?」
ドラゴンは嬉しそうに、キュー、と鳴いた。
「で、貴女の弟子の様子はどうです?」
聖母の如き微笑みをたたえた大魔女は、その広い鍔の三角帽を揺らし傍らの大魔女を見やる。
「どうもこうも、成績は優秀だが出席状況では不良だねぇ。今日も、午後には帰っといでーって言ったのに。ていうか、アンタも知ってるだろう」
「ええ。しかし数百年もの間弟子を取らなかった大魔女が、突如弟子を編入させてくれ等と仰った。晴天の霹靂として私の興味を誘うには充分です」
モルガナ魔導学院の校長室で、二人の大魔女が珈琲を嗜んでいた。
「あの子はね、こんなちーちゃい時にウチの門から転がり込んで来たのさ。曰く両親も亡くなったそうでね。アタシの弟子兼娘の様なもんさ」
宵闇を映す窓枠に肩を寄せ外景を眺めていたキルケは、モルガナの向かいのソファに移動する。深く腰を沈め、足を組む。
「で、アンタの方はどうなんだい。卒業生は魔導業界で活躍してんのかね」
「私達教師は生徒の未来の可能性に関与はすれど、強制はするべきではない。今のところ、魔導系研究学会に所属した卒業生は五分五分といったところでしょうか。私は卒業してくれただけでも満足ですがね」
モルガナが微笑み、指を振ると背後の本棚から一冊の厚い本が取り出される。それを眼前の机に置き一頁開いて見せる。
「卒業アルバムかい。ホンット、アンタはそれを眺めんのがお好きなようだねぇ」
「私の事業が無駄では無かったと、その実績を確かめるのは私のエゴですが…… この子達はそれ以前に愛おしい教え子です」
「そうさねぇ……」
二人は笑みを交わし、モルガナはアルバムを捲り始めた。
「ところでさァ、もう一人…… 編入させたい生徒が居るんだけど」
「また弟子ですか?」
モルガナが目を見開く。
「うんにゃ、実は……」
キルケは声のトーンを落とし、密やかに情報を開示し始めた。
お読み頂き大変有難く存じます。
ジャックの暗躍が始まりました。これからアンジェリカがどう巻き込まれていくか…… 引き続き、お付き合い頂ければ幸甚に存じます。