act28. やさしい樹海
act28. やさしい樹海
「困ったわねぇ〜」
下界と魔界を繋ぐ境界に鎮座する小さな店。
それはサキュバス族の少女が運営する風俗店であった。少女と言っても、見た目のみの話だ。
サキュバス族とは有名な夢魔である。人間男性が夢精をした場合、夢の中で彼女らに襲われた確率が高いとされている。
通常は夢の中で彼らを性的に襲う悪魔だが、他の魔族と同様、実体のまま作用をもって襲う方がより魔力を蓄える事に効率が良かった。
襲うと言っても、襲われた人間に特に害がある訳ではなかったので、特に駆逐される事もなく、魔界でも魔導界でも人口は多く分類される種族だった。
たまに下界で異端宗教信者に捕らえられては、祀られたり、はたまた拷問されたりと、まるで人間が人間にする様に扱われ方は様々だった。
性という本能的な欲求で繋がれた縁。ある意味、最も人間と近く歩んできた種族と言えるだろう。
「ここなら人間にバレずに大儲け出来ると思ってたんだけどぉ……」
少女の見た目をした彼女は、ピンクとライトブルーで交互に染められた派手な長髪をツーサイドアップに結い、さらに毛先を縦に巻いていた。
服装はほぼ裸体と言っても過言ではない。レースのガーターベルト、派手なビビットピンクのピンヒールに、扇情的に透けた黒いベビードールを纏っていた。
「ここのところ急にお客さんが減っちゃったわぁ〜……。何でかしらぁ?」
少女はカウンターに両肘をつき、深い溜息をついた。
暫くすると玄関に据え付けられた鈴が清涼な音を弾ませ、扉が開いた。
「あぁらぁ!いらっしゃ〜い!……って、あら」
「どうもッス〜」
軽い挨拶と共に扉を開けたのは、『そういう事』を求めそうにもない……少女だった。
「お客さんじゃないのねぇ……残念だわぁ、郵便屋さぁん」
「へへ、覚えて頂けて光栄ッスよ〜」
郵便屋と呼ばれた少女は、山羊のワービースト族だった。爪先まで届くクリーム色の長髪を毛先で軽く二つに分けて結い、ボーイッシュなハーフパンツ姿。纏われた制服らしいものは帽子のみである。そこから山羊の耳が覗いていた。
「名前も覚えて貰えたら嬉しいッスね〜、ウチはメイル!こっちは相棒のフロムとディア!」
少女はまず自分を指差し、次に肩先に留まる白と黒の二羽の小鳥を順に指差す。小鳥達は応える様に小さく鳴いた。
「お得意さんの名前を覚えるので手一杯だしぃ、面倒だから郵便屋さんで〜」
「そっすか…… ま、慣れてますけど……」
格好良く決めたつもりの自己紹介を面倒扱いされ、がっくりと肩を落とすメイル。
「ま、それはそうと仕事ッス、リリンさん」
サキュバスは肘を組み直し、カウンターに前のめりになった。郵便屋の手元を覗き込む。
「貴女が何でこんな自殺志願者の集う樹海に店を構えたのか、聞きゃあしませんけど……」
「最期にイイ思いさせてあげようって善意に決まってるじゃなぁい。効率ぅ?とかよく分かんないしぃ。アハハ」
——分かりやすっ。魔族の思考回路とはこんなものだ。メイルは敢えて口には出さず、肩に掛けた鞄を漁る。
「旦那の弁当から死者の遺言まで…… 想いの強さに神出鬼没、何でも届ける幸福の郵便屋メイル!リリンさんにはこれを賜って来たんスよ」
メイルがそっとリリンに手渡したのは、一枚の紙切れ。
とても手紙とは呼べない、手帳の切れ端のようだった。
「ここの元お客さん、からッス」
「なぁにぃ?」
リリンが紙切れを赤い爪で摘み、目を細めて文字を追う。
「……『僕に優しくしてくれてありがとう。幸せでした』」
二人を暫し静寂が包んだ。
先に口を開いたのはメイルだった。
「お客さん、それをウチに託して首を吊りました」
「……そう」
リリンは紙切れを優しく両手で包んだ。
「樹海のこんな深くに来るコ達は、初めから揺らがず心に決めてるコが多いのよ…… 死を。進むにつれて決意が固まるんでしょうねぇ。多分、ここに溜まった数多の死が、誘うのねぇ」
リリンが玄関を仰ぎ見た。情熱的な薔薇の瞳は、現世を憂いていた。
「下界って、そんなに生きにくいのかしらねぇ」
「そうッスね……。下界からの依頼じゃ、何度もそれに立ち会いましたし……」
様々な階層を渡り歩くメイルが過去を思い返し言葉を詰まらせていると、リリンはカウンターの下から一枚のカードを取り出した。
「何スか、それ」
「ポイントカードよぉ、うちの」
リリンは軽くウィンクをして答える。
樹海に風俗店にポイントカード……突っ込み所満載である。無言で見守るメイルの前で、彼女はピンクのハートの飾りが付いたペンを手に取ると、カードに何事かをさらさらと書き綴っていく。
最後にカードにキスマークを付けると、メイルに差し出した。
「お・へ・ん・じ・よぉ。ちゃぁんと届けて下さいな」
「おっと、内容が見えちゃうッスよ?」
メイルはわざとらしく左手で目を覆いながら右手でカードを受け取った。
「んふふ、別にイイわよぉ」
「いつでもどこでも!が信条ッスけど、多分お客さん、今頃閻魔様の審判を終えて地獄デビューしたばっかくらいッスよね〜。地獄って、行って良い気分はしないんスよぉ……。でも自殺なら地獄行き確定ッスよね〜、はぁ……」
メイルの深い溜息。メイルだけに滅入っている様だ。
「閻魔様の言い分も正論ッスけど…… 自殺課、みたいな審判を新設してくんないッスかね」
「がぁんばってぇ、郵便屋さぁん」
「あそこで毎日仕事してる閻魔様姉妹は感情が無いのか、麻痺してんのか、外道なのか……」
リリンがくすくすと笑い、メイルは愚痴を零しながらカードを大切に鞄に仕舞った。
「ところで郵便屋さぁん、最近お客さんが減ってるんだけどぉ、もしかして下界の経済がイイ調子にでもなったのかしらぁ?」
「あれ?知らないんスか、リリンさん」
山羊の耳が跳ねる。
「なぁに?」
いつの間にか羊の角と蝙蝠の羽、そして尻尾という真の姿に戻っていたリリンが、欠伸を噛み殺して気怠げに尋ね返す。
「この辺は最近、他の魔族の狩り場になってるんスよ。ちょっと散歩してみたらどうッスか?無残なバラバラ死体がゴロゴロ転がってるッスよ」
親指で背後の玄関を指し示す。
「さっきも不自然に切り落とされた手首に躓いて、危うく転びかけたんスから…… まるで飽きて捨てられた玩具みたいに……。何なんスかね〜、新しいプレイ?」
「えっ、えっ、嘘ぉ〜!?獲物、横取りされちゃってたのぉ〜!?」
「獲物って……認めましたな……」
郵便屋が苦笑する。
次の郵便物として大切に携帯されたポイントカードの表には、リリンの丸く可憐な字体で一文だけ綴られていた。
『生まれ変わったら、またいらっしゃい』
お読み頂き、大変有難く存じます。
今回は他の住民にもスポットを当ててみました。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。




