act27. 希死と略奪と
act27. 希死と略奪と
足りない。足りない。
肉体の糧も。世界の色も。愛も。足りない。
「お姉様」
アストラルの虚ろな空間。
純白の少女は独り、虚空に手を伸ばす。
蔦の様に蠢く羽根が魔族達の生命力を吸収していく。吸収したアルラウネ族の力を借りている。
徐々に補われていく自分の肉体。しかし、まだ足りない。
「お姉様」
在りし日を追憶する。
自分は、姉を誰よりも愛している。
ぶっきらぼうで、少し不器用で、でも誰より強い。自慢の姉は自分の全てだ。
——少女は愛を求めるあまり歪んだ依存に陥っているなどとは気付けない。
「お姉様…… 私も強くなったの」
ずっと二人で生きてきた。だから、死んでも、永遠に二人だけで居よう。
もう、虐められて悲しむ事のない世界で、痛みなど無い世界で、二人だけで居よう。
その為なら、他に何も要らない。他の全ては、どうでもいい。
「お姉様…… 私を見て」
虚空に伸ばした手は何も掴めず、少女は両手で顔を覆った。指の隙間から赤い涙が伝い落ちる。
「私を愛して。私を愛して……!」
少女は錯乱した様に柔らかな髪を力任せに掻き毟る。
「お姉様ァ……!!ねぇ…… 誰を、見ているの……」
顔を上げた少女は、黒い眼球に赤い虹彩を煌々と光らせ、見開いていた。
永遠に赤い月夜。
鮮血の様な空の下で、機械人形の球体関節が軋む。
人形は仕事用の清楚なドレスを鮮血に染め、揺らぐ様に歩みを進める。
「ふふ…… ふふ……」
陰鬱な湿りを孕んだ笑み。
マリーベルマリスは身の丈程ある棺を鎖に繋ぎ、引き摺りながら屋敷へ向かっていた。
「素敵な部品……細い腕に白い足…… どこに飾ろうかしら……。お人形を作るのも良いわ…… そろそろサリーの首を交換したい頃だったわ……」
くすくすと笑う狂った人形。しかし、突如ぴたりと言動が止まる。
「……ああ、半分はジャックに渡さなければいけなかったわ。勿体無い…… 独り占めしたかったわ」
ぷっくりと頬を膨らませて不機嫌になるその顔は欠点の無い程端麗な少女。
その趣味がたまに傷だった。
「良いわ…… 今は階層の境界に歪みが生じている。今なら簡単に狩りに出掛けられる。今度はお人形を連れてピクニックに出掛けましょう……」
独り言で満足する結論が導き出せたのか、ころりと元の陰鬱な笑みに戻り、再び歩き出した。
「姉さんは……いつもと変わらないなんて。馬鹿だなぁ。僕もノエルも、新たな戦術を身につけている」
両側頭部に悪魔の翼を持つハイエルフは後方を振り返った。
そこには無数のアンデッドの軍隊。
その殆どは魔導界で『狩った』屍の再利用だった。
しかし、同胞として集めた筈の魔族の姿もあった。ノエルから逃れられたという事はその程度の魔力しか持っていないのだが、アンデッドとなったならば物理的な盾くらいにはなる。
「殺し合え。かつての同胞と、家族と、全てと。憎しみよ、悲しみよ、痛みよ、連鎖しろ」
三日月型に歪む瞳と口角。ジャックは不気味に笑む。
何故、自分ばかりこれ程苦しまなくてはならないのか。
ジャンヌはその疑問に縛られて毎日を過ごしていた。
息も出来ないような悲しみと憎しみ。
しかし、それもこれまでだ。
最早ジャックには、力がある。情報も、禁忌の魔術も、軍勢も。
——世界に報復してやる。ジャックを突き動かすのはその暗い野望のみ。
「冥界は…… 姉さん側に付いたのかな?良いさ。いずれ冥界にも僕の刃は届くから」
くつくつと愉快そうに笑いながら、水面に世界を映す魔水を張った盃を掲げる。そこへ、機械人形が到着した。
「ジャック…… 頼まれていたパーツよ。こっちはマリーの分だからね。あげないわ」
心なしか不服そうに棺の蓋を開けるマリーベルマリス。それはあらゆる種族の切り取られた死体で埋め尽くされていた。
「やぁ…… ご苦労様、マリー」
人形はその中でも一本の腕を手に取ると、頬擦りして恍惚の表情を浮かべる。
「これなんて今までで一番の作品だわ。ねぇ、見て。この断面。美しいでしょう。決めたわ。この腕はベッドサイドに飾るの」
マリーはさも嬉しそうに腕に腐敗停止魔法を掛けると、冷たい手の甲に軽くキスをした。
「ああ、はいはい……。それは良かったね。僕は役に立つならどれでも良いんだが……」
しゃがんで棺を物色し始めたジャックへ、猫背を瞬時に伸ばし信じられないと言う眼差しを向けるネクロフィリア。
「どれでもですって!?死者への冒涜だわ!」
「わぁ、それ君が言っちゃう?」
「パーツにも個性があるのよ!尊重しなくては!これなんて骨が細くて愛らしいでしょう!?」
「……分からないねぇ」
「これだから貴女に分けるのは嫌だったのよ!ああ、貴女の持つその足!私なら高貴なその肌にエリザベスと名付けていたわ!」
死体の話になると人が変わった様に感情の起伏が激しくなるのがマリーベルマリスだった。
そもそも、彼女の性格を歪めたのはマスターであるジャックなのだが、ここまで拗らせたのは人工知能の暴走、或いは宜しくない進化としか説明不可能である。
「あー、ええと。じゃあ、この足…… エリザベス?に似合う胴はどれかな?」
「……。うふ……。マリーに任せて……」
ころりと暗い笑みに変わり『パーツ』を探り始めるマリーベルマリス。
ジャックは溜息をひとつ吐くと、廃れた椅子に腰掛ける。
「しかし…… 君も今や立派な殺し屋だね。共犯だ」
片手で頬を支え、にやりと不敵に笑む。
「殺し屋?マリーは収集家よ……」
自慢のコレクションを抱き締めながら小首を傾げてジャックを見上げる。
「でもね…… ひとつ疑問があるわ」
「何かな?」
「今日の狩りはね…… 下界にも行ったの」
「ふむ」
ジャックは足を組み、興味深そうに異形の双眸を輝かせる。
「下界の樹海には、マリーみたいに自ら死を望む者が集まりやすいらしいの……。効率的だと思ったわ……。でもね、不思議なのよ……。彼らに会って、どうせ死ぬなら綺麗なままそのパーツを頂戴と言うと…… 彼らは怯えるの」
マリーベルマリスが跪き、棺の底からぬらりと取り出したのは、ナイフ、鋸、鉈……、殺害から解体に使用する凶器の数々だった。人形はそれらを床に並べ、指先でなぞる。無垢な子供が玩具を広げる様だった。
なぞられた軌跡に沿って、凝固しかけて粘度のある血液が指を追う。まるで死者の未練の様にも見えた。
「でも、マリーは切るわ。刺すわ。刻むわ。そうしないと欲しいものは手に入らないもの。手に入れるためにマリーは動くわ。マリーの為に動けるのはマリーだけだもの」
愉しそうに首を揺らす彼女は、不気味な程突如ぴたりとその動きを止めた。
「ねぇ…… 何故彼らは怯えるのかしら?死への渇望と、殺される事象は相反するのかしら?」
血の滴る指先をじっと眺め、やがて興味を無くした様に床に擦り付けた。
「彼らは、弱者だ。きっと同じ死でも手段を選ぶ権利を主張しているんだろう。弱者らしい。目の前しか見えないのさ」
ジャックの眉間に皺が寄った。床に投げられた目線は、虚空を呪う様に鋭かった。
「死にたいのに、殺されたくはないの?……ああ、解ったわ!死にたいのね、自らの手で!じゃあマリーに手段を奪われる事を危惧していたのね!あら嫌だわ、マリーったら配慮が足りなかったみたい……。そうよね…… 肉を切るのは楽しいもの…… マリーも早く死にたいわ……」
口元を隠し上品に笑う愛らしい人形に、悪魔は苦笑する。
「ちょっと、違うかな……。まぁ、それでも良いんだけど」
彼女は歪な人工知能しか持ち得ていない。細やかな思惑が相違してしまうのも無理はない。
「時にマリー。普段死にたいと連呼している者程、長寿になるというジンクスをご存知かな?」
「えっ……。何、それ…… 絶望だわ……」
「くっはははは!」
冗談を言い笑い飛ばしたつもりだったが、気分に陰る闇は晴れない。
ああ、重なる。
弱者であったジャンヌと。そしてノエルと。
囚われ続ける様に、あの日を忘れられはしない。自分はあの日死んだノエルと、そしてジャンヌを今でも眼前に映している。
だからこそ、床に転がる死体達の様に、目の前の未来へ足掻くアンジェリカが気に入らない。
「ノエル……」
ぽつりとジャックが呟く。
君は今、何を見ているんだい?
再び逢えたのに、僕達は何処で違ってしまったのだろう。
赤い窓枠に目を移す。
アンジェリカ、ジャック、ノエル。
三つの思惑は並走していた。
お読み頂き、大変有難く存じます。
一応今回はギャグ回のつもりです… マリーちゃんは自由で良いなぁ。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。




