act26. 生きているから
act26. 生きているから
不思議、否、不気味な程にノエルの動きはその後数日途絶えたままだった。
アンジェリカは各地のレギオンメンバーの人員を確認し、各員も魔力の貯蓄は万全だった。
アンジェリカへの報告の中に、魔族との戦闘で犠牲は避けられなかった事も届いた。
アンジェリカはその度に胸を痛めた。
『マザー・マーリンの守護』が具体的にどんな条件で、どのように発動するのかは解明されていない。
彼女が天界に実在し、各階層の境界と均衡を守護している事は冥界の王から開示された。
しかし、この世界で連鎖する悲劇を思い浮かべ、『神』などは存在しないのではないか?とさえ思えてくる。
神とは、形が無くとも非力な人々が縋る為に空想した、曖昧な役割を担う存在なのだろう。ならば、それが非情なのも不思議ではない。神やら運命とやらには心が無いのだから。
ただ運命を突き付けるだけが神ならば、アンジェリカはそれにも抗ってみせようと思った。
これ以上悲劇を生まない為に。
アンジェリカはこの日、再建を進める学院へ赴いた。
建築魔導士の技量もあって、破損した柱や壁は修復が完了していた。
あとは生徒の精神的な問題だ。
目の前で仲間や友人、恩師が散った姿を、容易くは忘れられない。
忘れられなくとも、止まる訳にはいかない。
生のバトンを残された我らは、果たさねばならない使命や目標を抱いている。
生徒達は僅かにだが確実に出席率を戻しつつあるようだった。
—— そもそも、魔導士は精神力を武器にした戦士。アンジェリカだけではない。皆、それぞれが違う形や歩みの速度で強さを持っている。
失った者は戻らない。しかし、残された我らが新たな場所や可能性を創造する事は可能だ。
「アンジェリカ、来ていたのですね」
中庭のベンチに腰掛け、学院を象徴する大魔女の石像を眺めていたアンジェリカは、己に近寄る足音に気付かなかった。
「……モルガナ校長先生」
それは学院を代表する大魔女のモルガナだった。
裾の大きく広がった豪奢なドレスを纏ったモルガナがふわりと隣に座る。アンジェリカは何となく気まずくなって、石像に目を戻した。
アンジェリカはこの中庭で学院の仲間達を守りきれなかった事に、未だ重い責任を感じていた。
広い鍔の先に宝玉が飾られた三角帽を被った美しい魔女の石像。ボディラインがしっかりと窺えるようなドレスを着て、天使の翼を象った変則的な長杖を抱き締めている姿をしていた。長杖の中心には、七色に太陽光を反射するイミテーションの魔石が飾られている。
——天使の翼。天界の希望の存在と崇められている筈の天使が、今や異形の怪物となって各階層を巻き込んで生者を脅かしているとは皮肉な話だ。
「アンジェリカ、貴女は充分に強く、戦っています」
少しの沈黙が過ぎ、穏やかな口調でそっと告げられたモルガナの言葉。
「私は貴女に無理をしてほしくはありません。先の学院強襲事変—— あれも、貴女の責任だけではありません。私も、大魔女を名乗りながら戦力とはなれなかった事を悔やんでいます」
モルガナを恐る恐る見つめる。
アンジェリカは無意識に、自分が責められると覚悟していた。しかしそれは正反対の優しい言葉だった。
「…… モルガナ先生は、」
やがてアンジェリカは呟くように問いを紡ぎ始めた。
「大魔女として長く生きてらっしゃいますね。…… その、人の、死には、慣れるものでしょうか」
苦渋を噛み締めた表情で一言一言を絞り出す様に、膝の上で両手を握る。
「慣れませんよ。でも、それが自然の摂理なのです」
モルガナが目蓋を伏せる。
「人の一生とはあまりにも短い。それ故に彼らは絶えず輝く。彼らは奇跡として誕生したひとりなのだから、ただ呼吸をして立っているだけでも、それは尊い事です。何物にも代えられない価値があります。それがどんな理由であれ、生を終了し冥界へ昇り、また輪廻を辿り生を受ける。私の仲間であった人間達も幾度となく亡くなりました。しかし、私は同じ分だけ多くの人間に出会いました。その連鎖を美しいとは思いませんか?」
「天寿を全う出来ずに、理不尽に殺されたとしても?」
アンジェリカは無意識に口調が強くなっていた事に気付き、すみません、と付け足し肩を竦める。モルガナは穏やかな微笑みを崩さなかった。
「それは、確かに悲しい事です。しかし彼らは少なくともまた輪廻を巡る権利を得ています。往来の安易なこの多層宇宙において、それは再び巡り会える可能性を充分に秘めています。そして私達は長寿を約束された魔女。アンジェリカ、貴女がやがて大魔女となった時に、貴女の仲間は再び貴女の隣に訪れるかもしれません」
モルガナはそっとアンジェリカの手を取った。
「可能性を信じる事は、私達生者にしか出来ない事です」
アンジェリカはモルガナを真っ直ぐに見つめる。
そうだ。我らは生きているのだ。
改めて自覚した。失った彼らの仇と、生きる筈だった分の生まで、やがて大魔女となる自分が抱えていく。
生きている。
それだけで可能性は無限にある。
「——大丈夫ですよ」
大丈夫。なんて曖昧で、なんて包容力のある不思議な言葉だろう。魔法の言葉なのかもしれない。それは張り詰めていたアンジェリカの心をそっと溶かした。
モルガナはアンジェリカの幼い頭をそっと撫でて微笑む。
まるで母親の様に温かな掌だった。
アンジェリカは熱くなる目頭を抑える事は出来なかった。
「……はい」
アンジェリカは帰宅すると、本棚から使い込まれた手製の魔導書を手に取り、厨房に立った。戦闘用に精霊召喚の媒体を蓄えておこうとしたのだ。
アンジェリカはいつも魔術の研究結果やレシピを手製の魔導書に書き込んでいる。アンジェリカだけではない。多くの魔導士は手製の魔導書を作成し探求を積み重ねている。
魔法薬の材料は薬草や妖精、魔石の粉末など。
動物の中でも豚は家畜に、犬はペットになるように、妖精の中にも家畜化された部類がある。
魔法薬生成に使うのは家畜化された妖精の羽や脳、用途によって様々だ。残酷に聞こえるが、それはまさしく料理に例えられる。
軽く羽ばたいて、戸棚から大釜を取り出す。
「リカ様?魔法薬の生成ですか?」
長時間飛んでいるのも面倒なので、身長の低いアンジェリカ用に用意してある踏み台を設置していると、ティータイムの用意に来たノワールと鉢合わせする。
「ええ。余分に作っておくわ」
アンジェリカは爪先立ちで各粉末を鍋に入れ、最後に妖精の森の泉で採った魔水を均等に、円を描く様に注ぐ。
魔水とは魔力に適用しやすい特殊な水の事だ。精霊界と繋がりの深い特定の場所でのみ採取が可能である。魔法薬の生成では水道水より魔水を使った方が効率や効果も高くなる。
材料は充分に煮込まれた後、適量ずつ冷やし、乾燥させて完成となる。
鍋を火にかけ木の棒でかき混ぜながら、アンジェリカはノワールに微笑んだ。
「私は、私に出来る事をやるわ」
お読み頂き、大変有難く存じます。
現実世界でも『神様が見守っている』とは言いますけれど、実際歩いてお金を稼いで自分を支える人は自分しか居ません。そして、いつも誰かが何処かで車に撥ねられ、或いは首を吊り死んでいる。大いなる守護とはその程度のものなのでしょう。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。




