act25. 堕天使が遺したもの
act25. 堕天使が遺したもの
「アンジェリカ、お前の父親アザゼルは、厳密には悪魔ではない。堕天使なんだよ」
祖母ガブリエラから語られた衝撃。
ヴァレンタイン姉弟は顔を見合わせた。
「つまり、私達はハイエルフだけど—— 悪魔じゃなく、天使の血が混ざっているということ?」
「その通り」
ガブリエラが短く頷く。
「天使はお前さん達も知っている通り、元は天界から生まれる存在だ。上位天使以外は冥界に派遣される。お前さん達の父親、アザゼルはね——」
エルフの女は充分に間を置き、重い口を神妙に開いた。
「チャラ男だったんだよ」
「はい?」
思わず聞き返す。誇り高き奇跡の大魔女の夫が、ふしだらな男?
「アザゼルは元々、あたし達の平和を見守るグリゴリという立場でね、天界に居たんだ。それが女にめっぽう弱くてねぇ……。たかが現世の女一人、マリアに一目惚れしちまったのさ」
アンジェリカもアシュリエルもぽかんと口を開けて話に聞き入る。
「天使のお偉いさん—— 特に熾天使達は止めたよ。しかしアザゼルったら聞きゃあしなかったらしい。アザゼルが魔導界に降りたら、便乗してこっちの女と結婚しにくる下っ端天使も流れ出す始末。当然天使業はクビ!天使としての魔力や地位は剥奪、堕天使入りさ」
「……なんだ、そういう事だったのね」
アンジェリカは背後で指を組み、照れ臭そうに微笑んだ。
「例え愛が罪でも、お父様は最期までお母様と私達を大切にしてくれたわ。自分の信じた愛を一途に貫いたのね。素敵な恋愛じゃない。チャラ男なんて言うから、不倫でもしてたのかと思っちゃったじゃない」
「うんにゃ、可愛い女の子へのナンパ癖は直らなかったらしいぞ」
「前言撤回」
アンジェリカは即答し眉間に皺を寄せる。
それでも、アンジェリカは覚えている。
彼は最期の瞬間まで、妻と子を護っていた事を。
天使としての魔力を失って、どれ程の戦闘力が残っていたのかは分からない。もしかしたら、人間と同程度だったのかもしれない。
それでも、愛する命を身を呈して庇っていたシルエットが脳裏に焼き付いている。それは愛の証明と同時に、痛みを伴う記憶でもあった。
確かに『チャラ男』だった様だが、アンジェリカはやはり父親への愛も変わらなかった。寧ろ、ほんの少しだけ誇り高く思え、アンジェリカは自然と表情が和らいだ。
そもそも、子が簡単に親を嫌いになれる訳がないのだ。例えどんな事情があっても。どんな人でも。どんな事をされても。どんな記憶があっても。
子は親からの愛を狂おしい程に求めてしまうのだ。
何故なら、生を受けた子がまず受け取るのは母親の胎内という状況だから。それが例え、愛情から生まれた子供ではなかったとしても。
子が初めて信じるものは、母親の胎内。そして己を形作った精と卵なのだ。
さて、これでアンジェリカの片翼が上手く顕現されなかった理由は大方推察が可能になった。
半分が堕天使の血という事で、天使でも悪魔でもない中途半端な魔力が顕現するべき場所にこうして作用したのだろう。
悔やんでも仕方の無い事だが、アンジェリカはその一歩の足りなさが悔しかった。
そしてアンジェリカには、ひとつ引っかかる点があった。
「ねぇ、待って。その時、お父様以外にも降り立った天使が居たと言ったわよね?」
「ああ」
アンジェリカの脳裏によぎるのは両側頭部の天使の翼。自分と同型のハイエルフ。
「ノエルにも、天使の血が混ざっている——!?」
全員がアンジェリカへ目を向ける。
「その可能性は高いね」
長らく沈黙を保っていたキルケが、腕を組んだまま琥珀の双眸を上げる。
「双子の姉は異形の翼と瞳。ならば、純正な天使の魔力が全て妹ちゃんに流れてしまったと考えられる」
「純血天使のハイエルフ……」
「僕も、同じだよ」
凛とした眼差しで口を開いたのはアシュリエルだった。
「おとーさんの天使の魔力は、堕ちた血も含めてお姉ちゃに流れた。そして、残ったハイエルフとしての形は僕に現れた。それがこの羽でしょ。ね、ノワちゃ」
アシュリエルが腰に携えた綺麗な蝶の両翼をはためかせ、傍らに立つノワールを見上げた。
「多分…… そういう事ですわね」
ノワールが顎に手を当て思案する。
やはりアシュリエルは年齢に反して妙に鋭いところがある。
「だから、天界生まれの魔力がお姉ちゃに秘められていてもおかしくないね」
「問題は、それをアンジェリカが扱えるかだけど」
キルケが片目を閉じてアンジェリカに目配せする。
アンジェリカは歳の割に豊満な胸を張って長杖を掲げてみせた。
「…… 当然!このアンジェリカ様に不可能は無くってよ!」
キルケがふっと笑い、他の一同も安堵の微笑みを浮かべた。
アンジェリカならば、どんな壁が立ち塞がろうとその両翼で鮮やかに飛び越えてみせる。悲しい過去も寂しい心も抱えて、尚軽やかに魅せる。
それはまるで一輪の薔薇のように。美麗な花の側にはそれを護る様に棘が立つ。花弁は最も大切な中心を護る様に折り重なる。その深部は、最も輝くに相応しい時期に気高く開花する。アンジェリカという薔薇は、只では折れない強さも備えていた。
「アンジェリカ、強くなったねぇ」
ガブリエラが懐かしむ様に呟く。傍らのキルケが得意気に歯を見せて笑う。
「これがアタシの教育だよ。——あの子は、強いよ。一人でどんな敵にも立ち向かえる。でも、今は仲間が居るからこそ、より高い壁も超えていける。アタシはあの子に強いまま、幸せになってほしい。いや、きっとそれが可能だ。あの子なら」
「本当にね。あたしはあの子を育ててくれた貴女にも感謝を言いたい。そしてこれからも—— 現世であの子達を支えてやってくれ」
ガブリエラはヴァレンタイン姉弟を眺めながら、優しい微笑みを浮かべていた。
キルケも視線を辿って子供達を眺める。
アンジェリカの片翼には、希望が秘められている…… そう信じて。
お読み頂き、大変有難く存じます。
アンジェリカ達には希望に向かって進んでほしいですね。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。