act21. 集結と可能性
act21. 集結と可能性
——アシュリエルがシルフィを冥界に送った直後の事だった。
「妾の仕事がまた増やされたようじゃのぉ」
鼻先が触れ合う程眼前に天からふわりと舞い降りたのは、アシュリエルと同じかそれより幼い、和装に身を包んだ少女だった。
「だ、誰!?」
アシュリエルは思わず瞬時に後退し、弓で防御姿勢をとる。
「冥界への道を使っておきながら、妾を知らなんだとは。…… いや、致し方無いか。妾は末妹、最後の審判じゃからの」
少女は帯に忍ばせていた扇を広げ、アシュリエル達に向き直る。
「妾は輪道 環。冥府で亡者に審判を執り行う、冥界の王が一人よ」
「め、冥王様……!?」
それはあまりにも唐突で、意外だった。冥界の王が直々に降りて来るなど。しかも、こんなに幼い姿をしていたとは。
「妾から助言じゃ。よぅく聞くが良いぞ」
アシュリエルとノワールの混乱はさて置き、冥王は話を続ける。
「マザー・マーリンの御影……あそこに御霊が宿っているというのは只の伝承じゃ。マーリンは天界に実在しておる」
「!?」
二人は必死に話に食いつく。
「しかし、あれが精霊界と繋がる裂け目であるのは事実じゃ。守って損は無い」
「それに、リカ様は既にそちらへ向かっておいでです」
ノワールはアシュリエルにそっと耳打ちする。幼いハイエルフは頷く。
「なれば、行く先は決まったようじゃな」
環が穏やかに微笑む。
「生者よ。現世を頼んだぞ」
言い終えると、環の姿は煙を纏った風のように消えていった。
マルクト皇国、首都アルモニア。そこに構える屋敷兼拠点である事務所へ、強制瞬間転移魔法が成功した。
アンジェリカの転移魔法円の中にはジャックも確かに含まれていた筈だが、屋敷に着いた時には彼女の姿は無かった。
アンジェリカは魔法詠唱中に外部からの干渉を感じていた。ジャックは恐らく、何処か別の場所へアンジェリカの魔法円を突き破り自力で飛んだか、ノエルの手から逃れられなかったかのどちらかだろう。
後者の場合はいよいよ物質と霊体の境界が壊されかねないので、アンジェリカ達に安寧のひとときは許されなかった。
アシュリエルの精霊式治癒魔法を終え、ノワールから説明を受ける。アシュリエルの治癒魔法は相変わらず完璧で、アンジェリカの傷は瞬く間に完治した。
「なら…… ノエルの魔力は天界クラスという事ね」
アンジェリカは細い顎に華奢な手を当て、杞憂する。
アンジェリカは天才と銘打たれど、若干13歳。大魔女でもない彼女の経験値で、勝てる確率は少なかった。
「アンジェリカ、何もアンタはひとりじゃない」
聞き慣れた声。そこには屋敷の扉に上半身を預ける様に、腕を組むキルケの姿があった。
「師匠!?学院は?」
「襲撃がピタリと止んじまったのさ。——犠牲は、帰らないがね」
その言葉に、アンジェリカは悲嘆を思い返し下唇を噛んだ。
——フィオナ……。護ることが出来なかった。自分にもう少し力があれば、何か変わったのだろうか。
「魔導界各地を襲ってた魔族が一斉に帰っちまったのさ。帰るというより—— 強制的に引き摺られるように。第三勢力により壊滅し、全身が砂に変化したという報告もある。アンタ達のトコで、何かあったんだろ?」
あの同時刻、各地で強力な魔族達はノエルに吸収されたのだ。同胞を喰らう、異形の死天使。
「天界クラスの魔神が、アストラル体を補う為に誰彼構わず食い散らかしてるのよ」
「そりゃあ一大事だね」
キルケは言葉とは裏腹に驚いた様子もなく、欠伸をしてみせる。己の師匠は竹を割った様な性格であった。旧知であっても、精神的に余裕の無かったアンジェリカは厭わしげに見上げる。
「師匠?何か考えがあるの?」
「……言ったろう。アンタはひとりで立ち向かう訳じゃない」
キルケが長杖を振ると、一斉に立体魔術映像で多数の魔導士達が現れた。
「皆、アンタに賛同してる。——覚悟も、してるさ」
「皆……」
魔導士達が頷く。そこには老若男女、エルフ、人間、そして限られた魔族、様々な種族が整然と並んでいた。
レギオン・レヴィアタン。そう名付けた同胞達。アンジェリカは目頭が熱くなるのを感じた。この同胞達の顔を目に焼き付けておこうと思った。
「けど、トドメを刺すのはアンタだよ。アンジェリカ」
「——え」
周知の事実ではあったが、改めて他者から確定されると間の抜けた声を上げてしまった。
「アンタの片翼——その白い方には、天界クラスの魔力が秘められているかもしれない。怪物だか魔神だかとやらの翼も見てきただろう?」
確かに、ノエルの翼はアンジェリカと同じ形状であった。
指摘されてみれば、偶然とは思えない。
何故なら、アンジェリカの母が奇跡の大魔女だったからだ。そして、自らが高い魔力の潜在を約束されたハイエルフであるという事。
「——皆さんに、魔神出現予測位置の地図を送るわ」
覚悟を決めた様に、アンジェリカは長杖を握り締め、力強く眼前に翳した。
一方ジャックは魔界に辿り着いた。
魔界の拠点——廃墟の教会に戻り、己の血を吸って重さを増した燕尾服を引き摺る。椅子に雪崩れ込む。
「ジャック!?」
駆け寄ったのはカーミラ。チェシャとマリーベルマリスは不在だった。彼等には魔導界襲撃の指揮を取らせている。
己の顔を覗き込むカーミラはこの身を案じていた。彼女の治癒魔法が発動する。
ノエルの一撃は鋭く胸を貫いていたが、辛うじて心臓への直撃は免れていた。皮肉にもこれがマザーマーリンの守護の発動だろう。
徐々に胸からの出血の軌跡は細くなっていく。
「飼い犬に、手を……噛まれたようだよ……」
息も絶え絶えに、ジャックが自嘲の笑みを浮かべる。
「ノエルちゃんの暴走、か。ねぇ、貴女がまたノエルちゃんの元に赴いたら、今度こそ殺されてしまうかもしれないよ?」
「くっはは…… それも悪くないがね。僕はそんなものじゃ終われない。それじゃ僕の憎悪は最果てに届かない」
そう、こんな所で止まってはいられないのだ。
一度決めたなら、成し遂げなければ意味が無い。悪役となったジャックにとって、過程の努力を他者から評価されるとか、そういう話ではないのだ。
やがて治癒魔法が完了した。カーミラの魔力では止血で精一杯で、傷が完全に塞がった訳ではなかった。
アンジェリカの転移魔法の中で、抗わずに合流していたらあのアシュリエルとやらの精霊召喚による迅速かつ完全な治癒を受けられたかもしれないが、アンジェリカの血縁者に頼るなど真っ平御免だった。
しかし、あのアシュリエル…… 精霊に近い魔術組成式を持っていた。ノエルも一見して精霊界系に近い魔術組成式を使うと読んでいたが、あれは違う。
同胞を食らって己の器を補う。
それはまさしく悍ましい魔界の魔術だ。
魔界から生まれた魔神と呼ぶべきか、死の天使と呼ぶべきか。
ジャックは正直現状をどう捉えれば己の利になるか考えあぐねていた。
暴走したノエルはジャックの管轄をとうに超え、強大過ぎるのだ。
今頃彼女は自分を探しながら、器を補強しているのだろう。ジャックは念の為、魔術による追跡を断絶する魔術を発動していた。これでノエルに居場所は伝わっていない筈だ。
——ノエルの目的は、自分の死。
何もかもが予測を裏切った。
ジャックは忌々しげに親指の爪を噛んだ。
お読み頂き大変有難く存じます。
環は個人的にお気に入りのキャラクターだったりします笑
次回もお付き合い頂ければ幸いです。