act20. 歪な不協和音
act20. 歪な不協和音
魔神召喚魔法円の組成完了まで時間がない。
アンジェリカはジャックを追いかけ、ジャックはアンジェリカを追いかけ、縺れ合う様に次々と法撃を発動する。
アンジェリカは、自分と出会った頃は魔力適正があるかさえ分からなかった程のジャックが、これ程の魔力を使いこなしている事に内心驚愕していた。
それも、魔神と接触したことによる覚醒なのかもしれない。
「ジャック!貴女は、何故境界を壊そうとしているの!?」
「僕はただ、僕等を歓迎しなかった世界に報復したいだけさ」
ジャックから放たれた闇属性の爆風にアンジェリカの翼が引かれる。
「くッ…… ガキね。そんなの我儘と八つ当たりじゃない」
「——知ったような口を利くな!」
爆風の中から瞬時に手が伸びて来る。転移魔法でジャックがアンジェリカの背後へ移動していた。振り向くアンジェリカの眼前へ魔法円が浮かび、アンジェリカの体は雷撃に包まれた。
悲鳴と共に、アンジェリカが落下する。
即座に滑空し、ジャックが後を追う。
「姉さんには—— 何も分からない!」
アンジェリカの鳩尾へ、槍が叩き込まれる。
即座に展開した防壁を槍の矛先へ集中展開させる事により串刺しは免れたが、それは純粋な打撃となってアンジェリカを襲った。
肉弾戦への耐性のない幼いアンジェリカは、地面に蹲り、堪らず胃液を吐き捨てる。
「ああ…… 醜いねぇ。最高の景色だよ、姉さん……」
アンジェリカが咳き込みながら、しかし即座に杖を掲げる。ジャックから追撃として放たれた氷の矢を辛うじて弾いた。
地面に片膝をつき、治癒魔法を発動。即座に横に転がる。数秒前まで膝をついていた場所から岩の刺突が噴出する。
アンジェリカはまた翼を広げ、上空に舞い上がった。ふらつく視界を治癒魔法で強制的に修復する。
「…… 南瓜は南瓜らしく…… 地に転がってなさいな」
「減らず口だけは元気だねぇ」
アンジェリカは満身創痍の姿であった。長杖の肢は先の衝撃により欠けていた。
対するジャックは、軽傷。魔神から魔力の補助を受けているのか、強力な治癒魔法が瞬時に展開していた様だった。
アンジェリカは時間逆行魔法を発動。杖に光の粒子が集まり、欠けた肢を修復する。
「しかし時間切れだよ、姉さん」
ジャックの声にハッと目を上げると、上空に巨大な魔法円が組成されていた。
——御影の前の魔法円は、偽物。ただ光で描かれただけの擬似召喚魔法円だったのだ。
「あの姉さんが気付かないなんてねぇ!」
可笑しくて堪らないという様に、ジャックが笑う。
「さぁ、僕の愛しいノエルよ、出ておいで!」
両手を広げて天を仰ぐ。
無防備なその胸に、矢が突き刺さった。
「——ぇ、」
ぐらりとジャックがよろめき、翼のはためきが止まりそうになる。しかしその体は巨大な羽毛で構築された腕に受け止められた。
同時に、ケルベロスも矢に貫かれていた。
突然の敵の自滅に、ノワールとアシュリエルが戸惑い、まるで敵意が宙に浮遊した様な表情を浮かべていた。
目を凝らすと、その矢が巨大な羽根である事が分かった。
「どうして……」
ジャックが錯乱したように瞳を見開く。口の端からは鮮血が一筋流れ落ちた。
「——やっと時が満ちましたわ」
矢には糸が繋がっていた。ケルベロスの魔力が糸を通じて吸い取られると同時に、魔獣は倒れ伏した。その巨躯が砂の粒子になって消えていく。
魔法円から徐々に現れる全貌。
雪の様に白い髪に、鮮血のような瞳。両側頭部の翼に加え、白いワンピースの少女の背には計6枚の純白の翼が生えていた。
しかし、その上半身は獣の口から突き出ていた。先程吸収したケルベロスが純白に染まり、頭の一つが大きく口を開いて少女を生やしていた。
純白のケルベロスが地に降り立つ。
その巨躯からは、ジャックを受け止めた巨大な羽毛の腕に加え、蜘蛛の足も突き出ていた。
「吸収——したのか!」
「私の器には足りなかったのですわ、この世界の何もかもが」
静かに申告する、死を収束させた天使。
結界を破る力が無かったのではない。
マザーマーリンの守護に統治された魔導界では、自らの膨大な魔力を収められるだけの器が足りなかったのだ。
「あの蜘蛛の足…… 屋敷で見たアラクネの子だ……」
アンジェリカの隣に駆け寄っていたアシュリエルが呟く。
アラクネだけではなかった。あらゆる生物が、ケルベロスの下半身から異形に突き出ていた。
——異形の怪物。
そうとしか、あの魔神を表現できなかった。
胸から矢を抜かれたジャックが、羽毛の腕に包まれたまま魔神の隣へ持ち上げられる。
ジャックから流れ出る鮮血が、純白の羽毛を染めていく。
「会いたかったですわ、お姉様……」
「……お姉様…!?」
ジャックに妹が居たなんて初耳だった。しかも、あんなに高い魔力を有する異形の怪物なんて。
「さぁ、こちらへいらして……私と同じ存在に……」
「ッ、いけない!」
アンジェリカの頭に閃光が走った。
あの魔神は、ジャックを己と同じエーテルの存在にしようとしている。
アンジェリカは即座に氷の斬撃魔法を飛ばし、巨大な腕を切り落とした。
「何故、邪魔しますの?私とお姉様を……!」
少女は激昂していた。所構わず鋭利な羽根の矢を降らせる。
アシュリエルの強力な大規模防壁により、全て弾く。
「お姉様!オ姉様ヲ渡シて!」
その声は少女だけではなく、吸収したあらゆる種族の声が交じって、不協和音になっていた。
「ねェ、お姉様…… アの日、何故私ガ貴女を庇ったと思ウ?」
防壁の中のジャックへ、ノエルは手を伸ばす。宙で頬を撫でるように、愛しげに手首が動いた。
「私以外に、お姉様ガ殺されルのが許せなかッたカらデすわ」
「——!」
アンジェリカ達には何の話かは分からない。しかし、眼前のジャックは確かに狼狽えていた。
「ねぇ、お姉様…… 愛されたいんデショウ?でも、愛が怖いんデショウ?愛の果てには深い悲しみが待ち伏せている事を知っていルから。貴女は強くナんかない。怖がりさんなノ。デモ私は貴女を愛してる。そんな貴女を愛せるのは私ダケ。ほら、貴女には私だけで良いデショウ?」
なんて執着と依存だ。アンジェリカは異常な愛の形に悍ましささえ感じた。
「だから早ク—— こちラへいらして」
「リカ様!撤退を推奨します!」
「は!?御影は!?」
「ここに魂が眠るというのは言い伝え、実際は天界にいらっしゃると言伝を預かっておりましたの!」
「早く言いなさいな、そういうのは!」
アンジェリカは大規模な転移魔法を紡ぐ。青白い燐光が地に魔法円を描いていく。
その中には、ジャックも含まれていた。
純白の少女は、理解が出来ないといった様子で首を傾げている。しかしその目は見開かれ、見る者に謂れなき恐怖を与える。
「転移!」
アンジェリカの詠唱終了と共に、ジャックを含めた全員が消え去る。
その場に残された魔神は一人、幼げに人差し指を咥えていた。
「良いですワ…… オ姉様、もウ離さないから……」
不協和音が、空に溶けていった。
お読み頂き大変有難く存じます。
ついにノエルの全貌が明らかになりました。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。