act19. 宿敵
act19. 宿敵
『マザー・マーリンの御影』。
それは魔導界、『妖精の森』の奥にあり、各階層の境界の守護を司るマザーマーリンの魂が眠ると言われる礎だった。また、精霊界との常設的な裂け目でもある。
石段の上に、十字と天使の翼が絡まった様なモニュメントが建てられ、各エレメントに対応した色の宝玉が飾られている。
通常、神聖な静寂に満ちていたそこは、今や臨戦状態の張り詰めた緊張に大地さえも呼吸を忘れているようだった。
「やはり、来たね」
「そっちこそ、単細胞で助かったわ。私の仕事が減ったもの」
アンジェリカとジャックが、長い時を経て戦場で向かい合った。
各々戦いを終え、ヴァレンタイン姉弟とノワールは合流し、キルケは未だ魔界からの襲撃が止まぬという学院の援護の為に戻った。ヒューマノイド達はデウスモードを解除、アピティと共に引き続き屋敷の警護へ着いた。屋敷に人間は居ない為、デフォルトモードで充分だろうという計算だ。
アンジェリカが協力を要請した魔導士軍は、セフィロト大陸各地に現れた魔界との裂け目から進軍してきた魔族達と戦っているようだった。
「まさか、あの姉さんが世界を守る勇者気取りで進軍して来るなんてねぇ」
「世界を守る為?はんっ、冗談はよして。正義と秩序は比例しない。綺麗事なんて反吐が出るわ」
ここに、情熱やら友情の為に戦う勇者は存在しない。魔力の供給が途絶えれば、アンジェリカの富と名誉に支障が出る。人間を殺さなければ、ジャックの復讐が達成されない。世界の危機を横目に、二人のエゴイズムが火花を散らした。
「このアンジェリカ様に歯向かって、生きて帰れるとお思い?」
「今すぐ姉さんの心臓を抉り出して、腸で縄跳び遊びでもしてやりたいところだけれどねぇ。僕にはまだやる事がある。代わりの玩具をあげよう」
ジャックの周囲に例の魔神らしき姿は無かった。ジャックの次の目的は、魔導界の結界を破り魔界から魔神を引き摺り出す事だろう。
ジャックの足元に魔法円が浮かび、円柱状に防壁が噴出する。
——詠唱を止める!
アンジェリカが疾駆しながら、法撃を複数同時展開。ジャックの頭上を囲むように無数の巨大な氷柱を出現させる。それは、亡きフィオナの得意技であった。
杖を振り抜く。氷柱は防壁と激突し—— 結果氷柱が粉砕された。アンジェリカは舌打ちする。
「讃えよう。大いなる暗黒、混沌の漆黒。覆い尽くせば果てなど無く、深淵に堕ちた魂は総て貴方の糧となる—— 出でませ、地獄の番犬、ケルベロス!」
ジャックの詠唱が完了した。
それは魔神召喚ではなく、魔獣召喚であった。面食らったアンジェリカは、しかし不敵に微笑む。
「——確かに、玩具だわ」
地面に巨大な魔法円が完成され、三つ首の巨大な獣が咆哮をあげながら現れる。
「灰塵と化せ!」
アンジェリカは先手必勝とばかりに、未だ体の半分のみを現した魔獣の足元から、炎の柱を多数発生させる。猛る炎の柱はうねりながら獣の頭を捕縛し、燃え殻にせんと熱度を上げる。
しかし、炎は獣の咆哮と、地を踏み締める颶風により掻き消された。
アンジェリカ達の前にその全貌が現れる。
獣の背後を一瞥すると、ジャックが次の魔法円を組成しかけていた。今度こそ魔神召喚の魔法円だろう。
「リカ様、ここは私達にお任せを」
ノワールからの提唱。アンジェリカは敵を見据えたまま振り向かない。
「いける?」
「リカ様、私はワービーストですわ。力の解放の許可を」
「……いいわ。許可したげる」
アンジェリカの声と同時に、ノワールの全身が炎の如く魔力を放出した。その影は瞬時に膨れ上がる。獣の咆哮があがると共に、ノワールは完全な二足歩行の狼の姿になっていた。
「リエルはノワの後方支援を」
「わかったにゃ〜」
余裕といった様子で、アシュリエルの間延びした声が届く。
「——ジャック!!」
「くっくっく…… 良いよ、遊ぼうか…… 姉さんッ!!」
ジャックの魔法円は時限式の様で、飛び退いたそこには魔法円が徐々に描かれていく様子が見えた。
「ほぅら、鬼ごっこだよ、姉さん!何年振りかなぁ!」
ジャックが愉快そうに笑いながら飛翔する。三又の槍の切っ先にそれぞれ埋め込まれた小さな宝玉が煌き、闇を纏った雷撃が放たれる。
アンジェリカが翼を広げ、低空飛行し回避。そのまま飛翔し、炎の弾幕を広げる。
「そんなままごとじゃあ、効かないねぇ」
「それはどうかしら!」
ジャックを囲った弾幕が、火炎を放射させる。
「くははっ、そうでなくちゃあね!」
ジャックはいつもの様に、壊れた玩具の様な笑い声を上げながら氷で相殺していく。
その間にもアンジェリカは時限式魔法円を狙って炎弾を放っていたが、それらは全てジャックに見透かされ、弾かれていた。
アンジェリカは舌打ちし、さらに飛翔した。
ジャックよりも上空に降り立つ。
長杖の切っ先で燐光が魔法円を描き、無数の光の矢を放射する。
ジャックは両側頭部の翼を盾のように広げ、それらを弾く。——否、反射した。
アンジェリカは魔法防壁を展開。矢は防壁に突き刺さり、消失する。
「……やっぱり、そう簡単にはいかなそうね」
アンジェリカが呟く。
ジャックには幼い頃に自身の魔法を披露していた記憶がある。得意とする組成式は読まれているのだろう。
しかし、アンジェリカも馬鹿の一つ覚えの様に炎を放つだけではない。
杖に供えられたクリスタルが緑の輝きを放ち、空中に魔法円を描く。大気が集まり、それは刃の一閃となって無数に放射された。
ジャックは即座に飛翔、風の刃から上空へ飛び退く。空振りとなった刃は木々の上部を薙いだ。
炎を始め、光や氷、雷、そして風、多種多様な法撃属性——エレメントを使い分けても尚、傷を負わせられないという事は、ジャックも相当な戦闘訓練や法撃の研究を積んだのだろう。アンジェリカにとっては不愉快でしかないが。
しかし、アンジェリカは戦闘中にも関わらず、気分の高揚を感じていた。
——やっと骨のある敵と自由に戦える、と。
空を駆けるアンジェリカは気高く、しかし口元には獰猛な笑みが浮かんでいた。
「——撃ち落したげる」
お読み頂き大変有難く存じます。
宿敵の戦いは次話に続きます。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。