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レヴィアタンの魔天使  作者: 姫野いつき
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act18. 死を重ねた人魚

 act18. 死を重ねた人魚




 かつて自分を禁忌へ誘ったハイエルフ—— ジャック・グリムリーパーに呼び出されたのは、案の定穏やかなお茶会などではなかった。

 ジャックは新たな同胞、半人造ワービーストの少年を紹介すると、自分の親友へ左右色の違う双眸を向けた。

「さて、シードル…… 君はその姿が不満ではないかね?」

 仰々しい口振りで、燕尾服の少女は糸に支えられたセイレーンの下半身を眺めた。

「不満だとは、思わない」

 ジャックの予想に反して、桜貝の瞳は否定した。

「私は生まれた時からこうだったから、きっとこうあるべきなんだと思う。この姿であり続けるのは、犯した罪—— 食べた人間達への贖いでもあるの」

 シードルは息を吐き、呟くように続けた。

「……でも夢を見るのは、二本の足ね」

 漆黒の中心、鮮血の瞳に光が宿る。

「僕が子猫君を作った技術、これを君達に与えても良いと思ったのさ」

 君達。甘美な悪魔が眺めていたのは半魚人と、それを支える蜘蛛だった。

 今やネクロマンサーと化したアラクネの少女—— ザンシアは、ジャックに疑問の声を上げる。

「そんな事が可能なの?」

 ふと思惑に気付いたシードルは、翳りを帯びた眼差しで沈黙する。

「出来るさ。ここには部品が腐る程ある。……マリー」

 呼ばれたドールロイドが運んできたのは、籠に収められた女の下半身だった。形状から、人間の子供と思われる。その断面は、人間が家畜を切るように、精錬されたものだった。

 思わず目を逸らすザンシア。

 シードルはそれを真っ直ぐに見据え、血濡れた断面に過去を映していた。




 セイレーンによる食人事件は稀に勃発していた。


 ある日、漁師が釣り上げた網の中に、人間の赤子が混ざっていた。

 悲鳴を上げた漁師は、あることに気付く。その赤子の下半身は、魚のそれと同じであったのだ。よく見れば腕は羽毛で構成されていた。耳は薄膜状に突出していて、まるで(ひれ)のようだった。

 その赤子はセイレーン。

 漁師は好奇心から、ある実験を思いついた。

 ——セイレーンに人間の血肉を与えず育てると、どうなるのか。


 漁師はセイレーンを人気の無い森の深くの湖に沈め、観察を続けた。

 セイレーンは通常、魚を同族と見做し、食す事は無いとされるが、その赤子は湖の魚を食べ尽くした。

 共喰いの悍ましい姿に、興味本位で足繁く通っていた漁師も寄り付かなくなっていった。


 不運にも、森に迷い込んだ旅人が居た。

 人の子が酸素を吸う様に、セイレーンは如何様に行動するべきか、次の行動を本能的に悟っていた。

 唇は天使の如き歌声を紡ぐ。

 それはやがて至る死者への手向け。

 その声が旅人の耳に届き、引き寄せられたのは—— 温もりの届かない水底。

 人間の首筋に牙を立てた瞬間、痩せ細った瀕死のセイレーンは人間の血肉を知った。

 己に必要な食糧を、知ってしまった。


 それからは、迷い込んだ人間を喰らった。喰らって、喰らって、喰らう度に満たされる渇望を感じた。

 ある日は旅人を。ある日は迷い子を。

 ——ある日は恋人の片割れを。

 女の方が肉が柔らかく、美味い。それだけの理由で細い腕を引っ掴み、水中で噛み付いた。何時もの様に水底へ引き込もうとした。

 その時だった。

 男の悲痛に叫ぶ声。水へ引き込まれていく女の服を掴み、陸へ引き上げようと抵抗する。

 ——何故?

「どうして!」

 男とセイレーンの声は、一致していた。

 どうして?それは、己が生きる為。

 何故?生きる邪魔をされるのか。


 赤子は、善悪など知らなかった。

 赤子は、他者の愛情など知らなかった。

 魔族の力は人間より強靭である。無力な女も鬱陶しい男も喰い尽くし、しかし、満たされない。彼女は疑問を抱いたままだった。

 何故、誰かと一緒にいたの?

 水底は寂寞の中心で、自分を包むそれはあまりにも冷たかった。

 ——何故、私はひとりなの?



 何十年と孤独の底で過ごし、ある日手首を引いたのはアラクネの少女だった。

 この子は自分と同じ。

 一目見た時から、理由も無くそう感じた。


 アラクネの少女は地上と、海を教えてくれた。

 そこで孤独なセイレーンは同族と出会った。同族の中には規則があり、人間を喰らう量にも制限が課せられていた。

 集団生活など知らない彼女は当然、疑問と共にそれに従う事はなかった。異端児と弾かれた彼女に、それでも尚話しかける同族が居た。

 シルフィと名乗る同族は、天涯孤独だった少女に感情を教えてくれた。

 彼女は共に、悔恨を知った。


 そうか。愛とは、友情とは。

 あの日食い殺した男女が何故、最期の瞬間まで互いの存在を庇い合って縺れ合っていたのか。

 自分は—— なんて事をして来たのだろう。


 人が家畜を食すように、それは必要な事。

 しかし、家畜は悲鳴を上げない。

 生を呪い、人を呪い、悲嘆の声を上げたりはしない。

 少女—— シードルには、人間の声が理解出来た。

 途端にこれまでの悲鳴が全て意味を持って蘇る。

 耳を塞いでも、体内の人間達が自分を責める声が聞こえてくる。

 どうして!どうして!どうして!

 ——ごめんなさい。

 貴方達の輝かしい未来を奪って、ごめんなさい。

 シードルの世界には色が宿った。それは鮮やかで、残酷なものだった。



「仕方ないわ」

 浜辺に座る蜘蛛の少女は、憂いを帯びた瞳で応えた。風が吹く度、黒いドレスに砂が舞い散る。

「こう考えられない?彼らの未来まで、私達が生きるの。死を抱えて、贖いに、私達は生き続けるの」

 ——贖い。

 その言葉は砂の様にするりとシードルに流れ込み、納得させた。

 ならば、この生は死者へ送ろう。

 人間達と共に生きていこう。




 歪な形ながらも、唯一無二の友人によって生き永らえたこの体。それに、これ以上人間の死を重ねたくなかった。

「……私は、そんなものは望まない」

 苦痛を堪えるように、絞り出されたシードルの一声。

「——君の否定には意味がない」

 しかし、悪魔は残酷に言い放った。


「アンデッドは人間の生き血や肉が無ければその身を保てない。自らでは最早それらを生成出来ないからだ。今朝君に与えた食事…… アレは、ソレの一部だよ」

 ジャックが親指で指し示す先には、女の断面。

 シードルの理解が至った時、彼女は堪らず叫んでいた。

 傍らのザンシアがその細い肩を抱き締める様に支える。

「——ごめんなさい」

 ザンシアはそっと呟いた。

「私は貴女に、酷い事ばかりしているのかもしれない。でも…… 貴女はたった一人の友達なんだもの。私には、貴女が必要なの」

 ザンシアはもう一度、細く震えながら謝罪した。今にも泣き出しそうなその声は、床に転がる様に、誰にも届く事は無かった。

 それでも、自分を必要としてくれる。その言葉が、再びシードルの世界に光を灯した。

 歪で継ぎ接ぎだらけで、しかし繊細に輝きを放つ硝子細工にも似た友情だった。シードルには、それで良いと思えた。

「……謝らないで」

 シードルは意を決した瞳で悪魔の誘いに答えた。


「私は、その死も抱えて行くわ。抱えていける。もう独りじゃないもの」

 傍らの友人を安心させる様に、手を重ねて微笑む。彼女も、微笑み返してくれた。

お読み頂き大変有難く存じます。

シードルが独りで湖に居た理由でした。

こんな親友が居たら素敵ですよね。

次回もお付き合い頂ければ幸いです。

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