act17. 勇者の定義
act17. 勇者の定義
アシュリエル、ノワール、封印を解いたアピティ、そしてヒューマノイドの軍勢ヴァルキリーは屋敷で小型の魔族達を圧倒していた。
「ノワちゃ、やっぱりおかしい!こんなに弱い敵をジャックちゃが送ってくる筈ないよ!」
舌足らずな幼い声で、アシュリエルが叫ぶ。アシュリエルは魔導弓で光の矢を射た。その一本は即座に無数の雨となり、ゴブリンの部隊をひとつ壊滅させた。
「リカ様はジャックさんが御影に居ると睨んでいます」
ガーゴイルを一体討ち取ったノワールが、獣の腕のままアシュリエルの横に降り立った。
「そんな所を壊したら、階層の境界が壊れちゃうよ〜!」
「——ジャック様は、それを狙っておいでです」
敵軍勢の後方から放たれた応答に、アシュリエルは即座に目を向ける。その声には聞き覚えがあった。
「——シルフィ、ちゃ……」
浅瀬色の瞳には見覚えがある。シルフィだった。シルフィは軍勢の最後尾で部隊に指示を送っていたのだ。
「私達は捨て駒よ」
シルフィが歩を進め、アシュリエルと向かい合う。
「そんな…… なんで、そっち側に…… 僕、君とは戦えないよ……」
「ごめんね」
シルフィは手に持つ短剣を振り上げ、容赦無くアシュリエルに振り下ろそうとした。
ノワールの爪がそれを弾く。
「説明して貰いましょうか、シルフィさん」
アシュリエルの混乱に、ノワールは背後に庇ってシルフィを睨みつける。
間を置いて、シルフィが呟くように口を開いた。
「……シードル……」
その名は、シルフィが探していたセイレーンの名だったと記憶している。
「シードルは、死んでいたわ」
「——!?」
では、あの教会で見た姿は?と、アシュリエルが問う前に、シルフィが続けた。
「海で人間に殺されて、アンデッド化していたわ」
「ネクロマンサーが居るの!?それは大犯罪の筈!」
ノワールが驚愕に声を張り上げる。
「知っているわ…… ジャック様は、最早死者をも同胞として使える…… だから、私は死を恐れてはいない!」
短剣から己に向けられた魔法円を、アシュリエルは光の一閃で打ち消した。
「シルフィ、君は僕に勝てないよ。もうやめよう」
アシュリエルが冷静にシルフィを見据える。
「やめる訳、ないでしょ!」
その間にも攻防は続くが、アシュリエルが圧倒的に魔力を使いこなしている事は明白だった。魔導の天才アンジェリカの弟。その戦闘力は血筋を如実に表していた。
「やめられないわよ—— ここまで来て!人間は!何故シードルを、私達を殺すの!?」
シルフィの悲痛な叫びに、アシュリエルは答えられなかった。
アシュリエルも、反魔術派に殺されかけた過去がある。
「魔族を殺せば勇者!?冗談じゃない!ただの快楽殺人じゃない!私達にだって家族が、仲間があったの!」
シルフィの斬撃は続く。アシュリエルは無言で弾き続ける。
「……人間はいつまで人間を最上位種族だと思っているの……」
剣と光の矢が衝突する音。シルフィは、両の瞳から大粒の涙を零しながら、崩れ落ちた。
シルフィの下半身がセイレーンのそれに戻っていた。魔術作用時間が切れたのだ。
その細い肩は、訳も分からぬまま不条理に家族を失って、悲しみに暮れた幼い頃の自分のように震えていた。
「シルフィちゃ、降参してくれたら、もう戦わない」
アシュリエルは一言ずつ慎重に紡ぐように告げる。
「この軍も、君の仲間なんでしょう。今でも、僕達のヒューマノイドが応戦してる。もうやめようよ」
屋敷を囲む様に、各所でヴァルキリー部隊と魔族軍の戦いが激化していた。
「もう、終わらないわ……」
アシュリエルが無言でシルフィに手を差し伸べた。
「大丈夫。僕達が終わらせるよ」
シルフィが顔を上げ、乱れた前髪とぐしゃぐしゃに崩れた泣き顔でアシュリエルを見上げる。その手を取ろうとした時だった。
「終わらせないわ」
負の感情を含んだ低い声。
シルフィの心臓を、鋭利な白い何かが貫いていた。
伸ばしかけた手はアシュリエルに届く事はなく、地に落ちた。
シルフィの体が後方へ引き摺られていく。
「貴女はもう、使えない—— この方が、役に立つ」
空中に現れた裂け目から、肩まで届く漆黒の髪を縦に巻き、同じく漆黒のドレスを纏ったアラクネが現れた。
その隣では、セイレーン族を示す鰭に似た耳の少女が微笑む。しかし、彼女は下半身を人間のそれと縫い付けられて歪な二足歩行になっていた。
「シルフィ——」
アシュリエルが手を伸ばすが届かず、追い掛ける事はノワールによって制止された。
ノワールも苦渋に顔を歪めていた。
アラクネが空中に魔法円を描き、糸によって貫かれたシルフィがその顔を上げる。虹彩は遥か上空に向けられ、それでも尚緩慢な動きで腕を上げ魔法円を描いた。
アンデッドの誕生だった。
シルフィが描いた補助魔法の作用により、他魔族軍の攻撃がより強化された。
「リエル様、もう駄目ですわ……彼女を、討ちましょう」
「シルフィちゃ……」
シルフィの悲痛な叫びを忘れられず、他魔族を矢で射る手が躊躇われる。
しかし、戦場での躊躇は命取りだ。
一瞬の隙を見て、アシュリエルの首を目掛けて爪を振り下ろす魔族。
「——ぁ、」
庇ったのは、ノワールだった。
ノワールの片手に爪が貫通していた。
ノワールは爪が貫通した腕をそのまま振り上げ、敵を吹っ飛ばす。
「リエル様、終わらせましょう。これ以上——死者を辱めないよう」
アシュリエルの強力な治癒魔法が発動。ノワールの傷が即座に塞がれる。
アシュリエルは、何も答えない。
答えられなかった。
殺せば、憎悪が生まれる。
殺さなければ、殺される。
魔族と人間は、どちらが正義なのか。
やがてアシュリエルは応えた。
「……終わらせよう」
その目には、穢れ無き涙が浮かんでいた。
屋敷前での戦いはアシュリエル達が風神の如き速さと圧倒さで制した。
あのアラクネとアンデッドのセイレーン——シードルは裂け目から転移した様だった。
最後に残るのは、空中に浮かぶ魔法円から糸で吊られたシルフィ。
アシュリエルが歩み寄り、ノワール、マキナ、アピティが見守る。
アシュリエルは、魔法円から伸びる糸を短剣で切り落とした。
シルフィが瞳を開いたまま、マリオネットの様に崩れ落ちる。
「さよなら……シルフィ」
アシュリエルは、短剣を眼前に翳し、浄化の魔法を発動した。短剣に飾られた宝石が輝きを放ち、魔法円がシルフィを包む。
安らかに彼女の目蓋が閉ざされ、その体は徐々に光の粒子となって冥界へ昇って行った。
消え逝く光の粒子にそっと触れながら、アシュリエルは天を仰いだ。
お読み頂き大変有難く存じます。
シルフィの台詞は、私が日頃疑問に思っていた事です。どうしてもこの台詞はこの物語に必要だと思いました。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。