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レヴィアタンの魔天使  作者: 姫野いつき
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act1. 箱庭の日々

act1. 箱庭の日々



 この箱庭は、幾つもの階層に分かれている。

 多くの人間はこの分岐に気付かず、ちっぽけな鳥籠の中で死に往く。

 しかし認識さえすれば、生命は存外容易に彷徨してしまう。

 そんな森羅万象を束ねる『魔法』を会得した生物も、確かに存在する。



 何時も通りの風景。赤い月夜。

 数匹の蝙蝠を引き連れて、藍色の影が降り立つ。

 悪魔の羽が畳まれた場所は、小規模の教会。しかしそれは崩れ、廃れ、只の廃墟と化していた。とても日曜日にミサを行える場所ではない。

 扉を無造作に開け放つ。ずかずかと靴音を響かせ、割れた聖母像の鎮座するホールに辿り着く。

「お帰りなさい」

 徐に若い女の声が落とされる。薄暗い月明かりの下、ジャックは己の頭上にぶら下がる蝙蝠の群れを見上げた。

「ただいま、カーミラ」

 一匹が天井を離れると、他の蝙蝠も後に続く。それは人型となり、音も無くジャックの前に降り立った。

 彼女は純血ヴァンパイア族、カーミラ。

 真紅のドレスを纏い、漆黒の髪を後頭部で一つに纏め、ドレスと同じ紅薔薇のコサージュをあしらっている。彼女はジャックの数少ない協力者である。

「遅かったのね。いえ、今日も、かな?」

「闇の住人は夜遊びが人生なのさ。もっとも、今日は仕事をしていたけどね」

「そう…お疲れ」

 くすりと笑ってジャックの横をすり抜ける。ジャックの背後には今さっき開いた玄関扉。

「散歩かい?」

「ええ、美味しい赤ワインを求めて」

「新鮮な処女の生き血の間違いだろ」

 カーミラが振り向いて、それでは御機嫌よう、と妖艶に微笑む。同時に彼女の体は、ドレスの裾から薔薇が綻ぶ様に崩れていく。

 体を幾百の蝙蝠の群れに変えた吸血鬼は、夜空に羽ばたいていった。

 蝙蝠を見送り、やがてジャックはくつくつと笑う。

「…これから面白い事になりそうだよ」

 人差し指の先を舐め、肩越しに大きな窓を見やる。

 上弦の月は、煌々と雲の姿を映し出していた。



 ――この宇宙は、全6種の層によって構成されている。

 深淵には、魔界。魔物や悪魔の世界である。

 その上には、下界。人間や、霊、妖怪が住まう。

 次に魔導界。極少数の人間と、人型の妖精や幻獣が闊歩する。

 次に精霊界。精霊や穢れなき妖精が総ての世界に魔力と生命そのものの活力を送る。

 そして冥界。閻魔や死神、魂、天使達の世界。

 最後に天界。此処は限られた大天使と神のみが存在できる。



 物質と霊の境界を弄れば総ての均衡が壊れる。

 魔界と精霊界が交われば精霊が滅びる為、精霊から供給される魔力と精神力は消え、魔界も精霊によって穢されれば人間界にまで魔族が流れ出す事になる。そして精霊と物質の境界が壊れれば人は死ぬ事が出来なくなる。

 さて、魔法とはその均衡を守りつつ魔力を操り、自然法則に干渉してイレギュラーな現象を発生させる事。法撃とは魔法を攻撃に転用する行為の事を指す。

 魔導界で魔導士がこの均衡を保てるよう総ての魔力を制御する謂わば神に等しい存在が、マザー・マーリンである。



「……さて、此処まで聞いていたかな?アンジェリカ・ヴァレンタイン」

 ――モルガナ魔導学院。

 数多の魔導士を養成するため、大魔女モルガナの元に種族を問わず魔力に適応していると判断された者達が集う。

「勿論よ、キルケ先生。私、不良に見えたかしら?」

「とても上の空に見えるが?」

 現にアンジェリカは退屈極まりないといった不機嫌さを全身から放ち、授業で現在参照している魔導書より上級の魔導書を頬杖をついてパラパラと捲っている。

 長い前髪で片目は隠れているが、もう片方の紫水晶の瞳は今にも眠りそうに伏せられつつある。

「調べたい事があったのよ…… 授業の要約は、こう。魔法こそが森羅万象を紡ぐの。癒したいなら癒せばいい。殺したいなら簡単に殺せる。私達魔法使いがエーテルの支配者」

 アンジェリカは得意気に華奢な指先を振って小さな桃色の炎を出現させ、可愛らしくハートの形に軌跡を残して消滅させた。

「まぁ…… そういう事さ。魔法を高度に会得した者は最終的に魔導士と呼ばれる。こうなれば万物の覇者だ。簡素に言えば賢者だよ。魔導士は知識の塊、他の種族より狡猾だからアタシらに口喧嘩を挑むのは止した方が賢明さ」

 しかしアンジェリカ・ヴァレンタイン……。キルケは思案する。


 弱冠13歳にして飛び級で魔導学院に転入した…… 実はアタシと契約を結んだ弟子だ。

 彼女は所謂天才。本来なら大学卒業レベルの知識と技量を既得しているが、年齢上高等部への受け入れで限界だった。そんな彼女にこんな基礎の授業は児戯以外の何物でもないだろう。彼女が今指先で弄ぶ高等魔導書も、同クラスの仲間達には解読すら出来ないレベルだ。

 故に……アタシは彼女の孤独を心配している。



 キルケを現実へ引き戻すように、チャイムの鈍い音が室内を震わせた。

「あぁ、今日はここまで。暗記問題としてテストに出すから、各自復習しておくように」

生徒達が一礼し、魔導書やノートをカバンに無造作に突っ込んでは教室から駆け出す。用が済んだら早く帰りたいのはいつでもどこでも、誰でも同じだ。



 しかし、帰らない生徒が一人、アンジェリカに歩み寄る。

「アンジェリカ・ヴァレンタイン」

 少女は明るい茶髪を縦に巻き、ウサギの耳のように大きなリボンが飾られたカチューシャを着けていた。

「わたくしと決闘なさい!」

 少女が踏ん反り返って人差し指で文字通りアンジェリカの顔を指し、声高く宣言すると残りの生徒達がざわつく。

「あら、どちら様?失礼、私クラスメイトの名前を覚えていませんの。魔法の発動には無関係な情報だから」

 高慢さではこちらも負けてはいない。

 一言多いアンジェリカのあしらいに眉をひくつかせ、活発そうなリボンの少女は答える。

「わたくしはフィオナ。フィオナ・エダーニア。エダーニア財閥をご存知ありませんの?」

「あぁ、勿論既知よ。魔導用品の市場へ大きく貢献しているわね。ただし、こんな場所で群衆に紛れてご令嬢が魔法を学んでいるなんて間抜けな話は初めて知ったけど」


 コンプレックスを指摘され、フィオナの堪忍袋の尾は切れた。そう、フィオナは魔導商社の令嬢であるが魔法への適応力がそこまで高くはなく、飛び級制度の対象にはなれなかったのだ。

 それでも彼女自身の必死の努力によってこのクラスのトップはフィオナだった―― アンジェリカが来るまでは。

「キーッ!もう決闘よ!決闘!」

「決闘って…… 何かを掛けるの?それともお遊び?」

「当然、負けた方は次の飛び級試験を欠席で譲って頂きますわ!」

 くだらない。アンジェリカの感想はただ一つだった。

 きっとアンジェリカがこのクラスに留まっている理由を知らないか、または気付いていないのだろう。

「……よくってよ。暇潰しには丁度いいわ」


 桜色のツインテールをふわりと振り払い、あどけない幼顔が覗く。しかしアンジェリカは鼻で笑う。

 天使のように優雅、しかし性格のよく現れたその一つ一つの仕草がフィオナの神経を逆撫でする。

「場所はこれから、中庭にいらっしゃい。放課後だしギャラリーも多い筈ですわ。私がこの大魔女キルケ先生の特進クラスで最強だって事、思い知らせてあげますわ」

「目立つのは悪くないわね。好きよ、そういうの」

 薔薇が綻ぶようにふっと微笑む可憐なアンジェリカに一瞬怖気付きながらも、フィオナはくるりと踵を返し、鞄を整理し始める。



 一連を呆然と見ていた大魔女は、生徒に決闘権などない事をフィオナに諭そうとするが、読心の魔法で直接脳内に響くアンジェリカの小声で制される。

「わかってるわ。早めに切り上げて鎮圧させたげる」

「あまりからかうんじゃないよ?彼女はあれでも必死なんだ」

「別に私は成績の序列なんてどうでも良いもの。だって……」

 アンジェリカは既に、魔導士と名乗る資格を得ているから。モルガナ魔導学院は魔導界最大の魔法特化養成所であるが、そもそもそんな天才をここに加入させたのはキルケの提案だった。


 かつてアンジェリカは幼い頃からキルケの元に住み込みで修行をしていた。そして魔導士レベルに達した頃、キルケはアンジェリカに魔導試験を受けさせようとした。

 しかしアンジェリカは学歴が空白の為、何れかの学校の初等部だけでも卒業する必要があった。

 キルケの読み通り、アンジェリカは初等部の卒業試験を一発合格、そのままの勢いで高等部の入学試験までを楽々クリアしてしまったのだ。

「でも、このアンジェリカに敗北は不愉快だわ」

「そう言うと思ったよ……」

 キルケは誰も居なくなった教室で一人、額を押さえた。




「よく逃げずに来ましたわね、褒めて差し上げますわ」

「貴女に褒められて何の価値があると?」

「…… つくづく不快ですわ、アンジェリカ・ヴァレンタイン」

 木漏れ日の差し込む放課後。

 中庭には一体何事かと様々なクラスからの見物客に囲まれた二人の生徒が一定の距離を保ち、向かい合って居た。

「その減らず口も溶かして塞いで差し上げますわ―― わたくしの炎で!」

「……あら」

 フィオナが発動しようとしたのは炎の魔法のようだ。

 しかし、不運にも炎魔法はアンジェリカの専売特許。窓から見下ろすキルケには既に勝敗が見えた。

 フィオナの持つ魔導書に赤い魔法円が浮かび上がり、それが上級魔法である事を周りに知らしめた。ギャラリーから感嘆の声が上がる。しかし……

「炎の塔の守護者よ、聞け!我は炎を統べる者!我、汝を………」「炎よ」

 フィオナの詠唱を遮るアンジェリカのごく短い喚起。アンジェリカの指先から放たれた茜色の炎の玉はフィオナへ高速直線飛翔する。

 ――否、フィオナの持つ魔導書へ。

「え」

 炎の最初級法撃だった。

 炎はフィオナの魔導書を包み込み、頁の端からじわじわと焦がしていく。

「ちょっ、待って、何ですの!?」

「さ、貴女の炎とやらを見せてご覧なさい?出来るものなら」

 アンジェリカは口の端を吊り上げて悪戯が成功した子供のように嘲笑う。

「ひ、卑怯ですわー!水よ!水の守護者よー!」


 てんやわんやと魔導書の火消しにかかるフィオナ。

 水の初級魔法によって鎮火はされたが、魔導書は水浸しになり使い物にはならなくなった。

「それじゃ、失礼するわ。私、貴女みたいな素人に構ってられる程の慈愛は無いの」


 ――フィオナとは踏んだ法撃の場数が違うのだ。

 アンジェリカは魔族と実戦で幾度と無く炎を喚起している。一方フィオナは実戦は未経験。その場に最適な魔法を演算できるのは経験と知力の差だ。

 キルケはほっと胸を撫で下ろす。

 あのアンジェリカの事だから、中庭で最大級の炎竜でも召喚されたらどうしようかと思っていたが、その見立ては逆。フィオナがそれを阻止される形になった。


「待ちなさい!まだ終わってませんわ!」

「魔導書無しで貴女に何ができるの?それに、貴女が召喚しようとした竜……この庭に収まる規模だとお思いかしら?」

 丸腰のアンジェリカが軽く指を鳴らすと、その足元に半径1メートル程の魔法円が浮かび上がり、地面から巨大な炎竜の手が伸びてくる。

 手が地面を踏みしめた瞬間、地響きのような音を轟かせ見る者へその強大さと畏怖を知らしめた。

「ひっ……」

 フィオナがたじろぎ、涙目で氷の防壁を召喚する。

「召喚者が幻獣を畏怖してどうするのよ」

「ち、違いますわ…… それより、貴女魔導書無しで召喚を…!?」

「…… あのね。教えたげる」

 アンジェリカが空中の火の粉を振り払う様に片手を振り降ろすと、炎竜と周囲の炎が一瞬にして鎮火された。

「私がこのクラスに留まっているのは、私が13歳だからよ」

アンジェリカが一歩踏み出し、フィオナの防壁へ人差し指で軽く触れる。

「へ?」

「私に年齢が足りていれば、こんなクラスは踏み台にしかならなかったのよ」

 アンジェリカの人差し指から亀裂が走り、屈強な壁は真冬の湖に張った氷の膜の様に呆気なく霧散した。

「なっ…… 何ですって!?13歳!?」

「あらあら、あんなに熱心に私を見ていたフィオナさん?読心の魔法を会得していれば分かる事だと思うけど。それとも…まだ授業で習ってないからご存知無いかしら?」

 くすくすと意地悪く笑うアンジェリカ。もうフィオナの頭上にはハテナマークしか浮かばない。

 混乱する頭で彼女はへなへなと座り込む。


「それじゃあね」

「…… お待ちなさいよ」

 くるりと踵を返したアンジェリカを、尚もフィオナは呼び止めた。

「わたくしと…… お友達になってくださらない?」

 ……アンジェリカはフィオナに読心を使っていなかった事を後悔した。

 フィオナは最初からアンジェリカを羨望の眼差しでのみ見ていると自負していたが、そんな願望もあったとは。

「……よくってよ」


 意外な展開。

 キルケは魔法で会話を聞きながら目を見開いた。あのアンジェリカが他者に心を許すとは。しかし彼女に切磋琢磨出来る友人が出来るのは悪い事ではない…… という師の安堵を知ってか知らずか、アンジェリカは言い放つ。

「貴女、珍獣みたいで面白いもの」

「何ですってー!?撤回なさい!お待ち!アンジェリカ!アンジェリカ・ヴァレンタインー!」

 つかつかと中庭を後にするアンジェリカを、未だ水の滴る魔導書を抱えたフィオナが小走りに追いかける。



 キルケは溜息と共に、これが新たな平穏になれば良いと思った。

お読み頂き大変有難く存じます。


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