act12. 白い闇の開花
act12. 白い闇の開花
アンジェリカが帰宅すると、抱き締められる程のサイズへ縮小魔法を掛けられたドラゴンが嬉しそうに飛びつく。
「あはは、擽ったいってば。ただいま、アピティ」
ドラゴンは尻尾を振りながらアンジェリカの足にまとわりつく。
「お帰りなさいませ、リカ様」
ノワールが荷物を受け取る。いつも通りの景色だが、一人、欠けていた。
「あら、リエルは?」
「アシュリエル様は魔界へ出掛けております」
「はぁ!?あのリエルが魔界へ!?似合わないわね」
「それが……」
衝撃だった。普段光属性の魔法しか使わないアシュリエルが魔界へ赴くなんて。
「リエル様の友人のセイレーンから、指名が入ったそうなのです」
リエルはその性格から、あらゆる階層に友好関係が広い。しかし、魔族とも友人だったとは。
「シルフィと名乗るセイレーンですわ」
「そう……」
アンジェリカは嫌な予感がした。魔界はジャックの本拠地だからだ。そんな懸念を察し、ノワールは付け加える。
「恐らくジャックさんには関係ありません。シルフィさんの知人のセイレーンが突然行方不明になったから、探して欲しいとの依頼でしたの」
「…… 成る程」
しかし妖精を召喚できない魔界での人探しとは、骨が折れそうだ…… と、アンジェリカは懸念しながらソファに沈み込んだ。
念の為、愛用の杖を召喚し傍らに立て掛けながら。
アシュリエルは魚人化の魔法を使い、人魚の様な姿になった。セイレーンの後ろをついて泳ぐ。
「最後に会ったのは?」
「この湖よ。この湖は人間界と繋がっている裂け目だから、狩りがし易いの。あと、思い当たる水辺と言ったら、ここらで一番大きな浜辺よ。あそこも人間界との裂け目なの」
「ひとつ…… 気になってたんだけどね〜」
リエルは切り出す。
「魔界から人間界へ手を伸ばして食べた人間は、その後どうなるの?」
「存在ごと消えるわ」
シルフィは顎に手を添え、記憶を手繰り寄せる様に慎重に回答する。
「普段は食事にそんな事は気にしないんだけどね…… 常設的に人間界から魔界へ繋がらない様に、その人間が一生で築いた周りへの記憶を含めて、全部空白になるわ。それから、喰われなかった死体は直ぐに消える」
それは、寂しい事だと思った。
やはり、魔界と人間界は精霊界に次いで繋がってはいけないと思う。魔導界の中立的な統治はやはり必須だ。
「人間にとって植物は食糧。魔族にとって人間は食糧。狩りを絶やす訳にはいかないの。でも、私達も無用な殺生を好む訳じゃない」
シルフィの双眸には揺らがぬ信条が輝きとなって宿っていた。アシュリエルは、そんな彼女だからこそ友人になれたのだ。
「殺しを快楽と捉えるシリアルキラーは、魔族にも人間にも居るけどね……」
アシュリエルは頷く。自分の姉は、そんなシリアルキラーとずっと戦っている。
そして、密かに相手に対し現在進行で借りがある事をアシュリエルは知っていた。対価としてヒューマノイドの基礎構築技術を売ったが、それで対等だとは思っていない事も。
アシュリエルは年齢よりもずっと聡い。
「待って」
シルフィの制止。アシュリエルが怪訝そうに背後で止まる。
「血の跡が残ってる。これ、セイレーンの血だわ」
シルフィが岸を指でなぞる。アシュリエルの初級の時間逆行魔法で、跡が辿った道が一瞬浮かび上がる。
「陸の上に続いてる……?」
二人は顔を見合わせ頷き、アシュリエルがシルフィへ人型化の魔法を掛け、一時的な足を与えた。
「ここだわ……」
シルフィとアシュリエルが木の陰から眺めるのは、廃れた教会。
魔界で神を崇める者は稀だろう。張り巡らされた魔術的結界や魔法円から、この教会は魔導界へ繋がる常設的な裂け目であると考えられる。
教会に忍び寄り、そっと窓から中を覗く。そこには数十の魔族の群れ。
「……シードル……!」
シルフィは小声で呟く。アクアマリンの長髪に、セイレーン族を示す鰭の様な耳、ピンクのドレス。あの後ろ姿は間違えようもない。
探していたセイレーンが居たようで、アシュリエルもそっと覗く。
集った数十の魔族は、それぞれの長のようだった。ヴァンパイア、アンデッド、メデューサ、アラクネ、ワイバーン、ガーゴイル、そして純血の悪魔…… 様々な魔族が雑然と並んでいる。
トリフォリウム構造の教会。祭壇の上に一人立つのは、燕尾服のハイエルフ。
「親愛なる同志諸君。闇の眷属らよ」
芝居掛かった大仰な語りで、ハイエルフは魔族らに向き直った。
「君達は上界のものどもから忌み嫌われ、迫害され、深淵の魔界まで堕とされた。そうだね?」
魔族らが各々頷く。
「僕は、反撃の狼煙を上げる事をここに宣言する」
騒然となる魔族の長達。
「何度もそれを挑み、散っていった先人の殉死をご存知でしょう」
疑問の声。口々に続く魔族ら。
「ああ、彼等は蓋し勇敢だった。だが、足りなかったものは力だ。僕は今、エーテルとアストラルを味方にしている」
言葉の意味が分からず、騒めく。
ジャック。彼女は一体何を言っているんだ?アシュリエルは窓に背を貼りつけ、尖った耳を動かしながらそっと聴覚を澄ませる。
「エーテルの檻を壊し、アストラル体として顕現した魔神がここに居る」
「——!!」
そんな事が可能なのか?その境界に干渉出来るというなら、それは精霊を超え、マザーマーリンと同程度の力だ。しかも、それを悪用しようと言うのだ。
「紹介しよう—— 僕の愛しい、ノエルだ」
「シルフィ、避けて!」
アシュリエルが小声で叫び、シルフィを突き飛ばす。
窓ガラスが粉砕され、破片と共に数本の魔力矢が向かいの木に突き刺さる。アシュリエルがシルフィを庇った肩から腕へ、鮮血が滴り落ちる。
肩に貫通していた一本の矢は、標的を捕らえた事により魔術干渉が終了。黒い煙となって消失する。
「——ごめんあそばせ、そこに鼠が居たものですから」
ジャックの背後から、影が集まる。
空中で漆黒の花弁が開く様に、白い魔神が姿を現した。
お読み頂き有難く存じます。
ノワールの読みは見事外れたのでした。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。