act9. 魔導界
挿絵ありの頁です。
act9. 魔導界
魔法円が曇天を覆い、鉛玉の降り注ぐ激戦区。
破壊された建物の陰に身を潜めながら、敵の様子を伺う傭兵。
「おいジャック、こっちは圧倒的に数で劣ってる。どうすんだ」
声変わりしたばかり程の幼い少年が、魔導銃砲の弾を換えながら隣を見やった。
少年の長い茶髪は両目を覆っているが、時折風に揺れて琥珀の瞳を覗かせる。
「ふん、どうせ質より量の雑魚だ。盛大に暴れてみるかい」
禍々しい蝙蝠のそれに酷似した翼を両側頭部に携えた少女は、中性的な声で笑った。
「暴れるって、どうする気だ」
「僕の闇魔法で総て吹き飛ばす」
鮮血の色をした片目に灯る邪悪な輝き。死神は提唱する。
「闇魔法に爆発系の作用は無ぇだろ」
「炎魔法との掛け合わせさ」
「炎魔法だって?そいつは因縁のアンジェリカの十八番なんだろ?何でお前が……」
「子猫君、良い事を教えてあげよう」
ワービースト族の少年の頭上、小さな猫の耳がぴくりと震えた。飾られたリングピアスが鈴の様な金属音を立てる。
「人は他人を吸収し、学習し成長する。これが極自然な姿であり、本能だ。いつまでも留まるのは枯れた植物だけだよ」
「はぁ、つまりパク……」
「アリステア・チェシャリー」
遮り、ドスの利いた声で本名を呼んでやれば、途端に口を噤む。彼は己を捨てた親に焼印された様な本名を忌み嫌っていた。その気持ちが分かるからこそ、ジャックは何度でも弱味を利用するのだ。
彼は尻尾の毛を逆立たせ、不快感を露わにする。
「解ったよ。お前に任せる。行って来い、死神」
「飼い猫の癖に随分と生意気じゃないかい」
不敵な笑みを交わし、二人は瓦礫の陰から飛び出した。
「お茶が入りましたわ、リカ様」
クリスマスローズの咲き乱れる丁寧に手入れされた中庭。ガーデンチェアで足を組み、優雅に魔導書を読む少女がひとり。
長い睫毛は頬に影を落とし、艶やかな唇が昼下がりの光を反射する。
「あら、早かったわね。ありがとう」
声の方向に耳を傾け、『容姿端麗』を独占した少女は華奢な指先でパタリと魔導書を閉じた。
エルフに属する特徴である長耳は、本人の魔力によって形状が変化する。より長い程、魔力は強力になる。彼女の耳は頭の全長の二分の一程の立派な長さで、その魔力への適性が如実に表れている。
「時にリカ様、またあの子に裏工作で仕事を押し付けたでしょう」
「あら、なんのこと?」
贅沢なチョコレートケーキを乗せた皿を並べながら、ノワールはアンジェリカをちらりと見やった。
「奪われた王家の魔石を取り返してほしい、とかいう小国同士の戦争です」
「ああ、この前の依頼ね」
紅茶を優雅に一口啜る。音を立てずにソーサーに戻す。
「何処ぞの暗黒南瓜が、暇だと欠伸をしていたから…… 親切なこの私が、仕事を回してあげたのよ。きっと今頃歓喜に泣きながら報酬を受け取っているでしょうよ」
「あの子が泣く事なんかがあったら、それは世界の破滅を意味しますわ」
アンジェリカがくすくすと笑い、また一口紅茶を嗜む。無邪気な天使の愛らしさは、しかし狡猾であった。
「でもリカ様、傭兵としてあまり仕事をさぼり過ぎるのは感心しませんわ。というか、明日のデザートが無くなります」
ノワールの突き付けた現実に、アンジェリカが小さく唸る。
「貴女は現実を悲観し過ぎなのだわ。私は偉大なるヴァレンタイン家の当主なのよ……」
しかしその語尾は消え入った。
「あのね。私、今でも過去の夢を見るの。きっとこれは呪縛。一生離れない、いえ、離してはいけないのね」
「リカ様……」
ノワールにはかける言葉が見つからなかった。
こうしてヴァレンタイン姉弟と自分がまた同じ屋根の下に帰れたのは、『情報屋』のお蔭だった。
その代償として、ノワールは自分のメカニックの技術を売った。
それが形となってノワールの前に現れたのは、マリーベルマリスというフレイヤ型と名乗るドールロイドだった。
――今の平穏は、ジャックに救われたのだ。
それはアンジェリカには表明していない。言う事などできない。
己を裏切り、片目を潰した敵として、アンジェリカはひたすらにジャックを憎み、ジャックもまたアンジェリカを弄んでいた。
ノワールはアンジェリカの主観的なジャックに関する悪事を聞かされていたが、ジャック側の経験も気になっていた。
何がジャックを狂わせてしまったのか。
可能ならばアンジェリカとジャックに仲直りしてほしい、そんなノワールの願いは恐らく叶わないだろうとも感じていた。
「争いで優劣を付けたがるのは、皆本当は等しく劣等人種だと解っているから」
ノワールの背後から現れたのは、幼い少年。かつて自分が命を呈して護った少年。
「人は、醜い群れの中に埋もれたくないんだよ。それで良いと思うよ〜」
柔らかく笑いながらも、彼は時々真を突いた事を言う。まるで普段の天真爛漫さは演技だとでも言うように……
特に反魔術勢力では、魔族と人間は共存出来ないと声高く提議される。
確かに魔族は人間の命を軽視しがちだし、しかし人間も魔族を見ただけで敵であると判別しがちだ。
実際に、ただ食料を買いに街へ赴いた魔族の母子が『魔族だから』という理由だけで人間の通り魔に殺される事件は多々あった。
正当防衛だと言うならば、人間と魔族はどちらが先に殺したのか?どちらが多く殺したのか?どちらが正義なのか?
この問題は永劫解決しないだろう。
しかしそこに魔法という統治が加わる事により、人間も魔族も共に防衛手段を得た。
それが『マザー・マーリンの守護』と呼ばれる魔法。
この魔導界を見守る神であるマザーマーリンが、魔力適正の無い人間を含め、全ての生命に等しく己を防御する魔法を与えたのだ。
しかし、それでも両者の突然の争いは絶えず、今日に至る。
ピンと張り緊張した中立の元、大戦争にならない程度の平和を保っているのが今の魔導界だった。
「ノワちゃ?どうしたの?」
「あ、いえ……」
幼い声に現実に引き戻される。
怪訝そうにノワールを見上げる紫水晶の大きな瞳は姉と同じで、ロングブーツとショートパンツの間に覗く華奢な足は陶器の様に白い。
――ここで魔導界を憂いても、どうする事も出来ない。
そして、この平和を脅かす存在がまた現れるならば、今度こそこの身に代えてでも守り抜こう。
ノワールはアシュリエルの頭をふわりと撫でる。
「リエル様の言う通りだと思いますわ」
「えへへ〜」
はにかむ様に笑う主人。
「アンジェリカ様、アシュリエル様、このノワール、何があっても必ず御二方をお守り致します」
「どうしたのよ、急に改まって」
アンジェリカが照れ隠しの様に苦笑しながら頭を垂れたノワールから目を逸らす。
「少し―― 胸騒ぎがするものですから」
「やめてよね、気のせいよ。気のせい」
「そうだと良いのですが……」
他種族よりも勘の鋭いワービーストの瞳は陰りを帯びたままだった。
お読み頂き大変有難く存じます。
挿絵は拙作ながら私が描きました。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。