act8-2. アンジェリカ・ヴァレンタイン
act8-2. アンジェリカ・ヴァレンタイン
「ほんと、ジャックってばお料理全然できないのね」
「今まではやってくれる人が居たからね」
「まぁ、私みたい。でもね、私はお母様のお手伝いをしていたのよ」
―― 台所に立つ幼い背中を、何となく重ねてしまう。
自分がまだこの村の跡地に留まる理由も、森の中を彷徨っていた子供を招いた理由も分からない。贖いを求めたのかもしれない。
住人が存在しない、焼け焦げた廃墟のような村に辿り着いたアンジェリカは、ジャックと名乗る少女と出会った。
ジャックは不思議な少女で、孤独であると聞いた時に共に居ようと決めた。
―― ひとりは、さみしい。心細い。悲しい。
アンジェリカにはそれが痛い程分かった。
「でも本当に不思議ね。誰も住んでる人が居ないのに、ご飯の材料はあるなんて」
「街へ買い出しに行くのさ。今度一緒に街を見てみるかい?」
金は根こそぎ奪ったから、という台詞は飲み込む。
「…… いいえ。私はまだ暫くここに隠れていなくちゃ」
アンジェリカが実家を強襲され、誘拐されたという経緯はジャックも聞いていた。初対面にこんなに心を開くなんて、と内心馬鹿にする気持ちもあった。
しかしその真摯な眼差しと無邪気さは、『彼女』と重なって見えた。放ってはおけなかった。
「そうだね」
「暗い話はお終い!朝ご飯よ!」
「まるで君は母さん…… いや、姉さんのようだね」
「…… ええ、私もそう呼ばれるのは嫌いじゃないわ」
こんなひょんな事から、柔らかく笑う紫水晶の瞳の少女を『姉さん』と呼ぶ事になった。
どれだけの時を共に過ごしただろう。時計もカレンダーも無い場所で、共に何度も朝焼けと夜空を見上げた。
『姉さん』は毎日髪を親に結って貰っていたようで、初めこそ慣れなかったものの、それは徐々に上達して綺麗なツインテールを結べるまでになった。
そしてジャックは、平和な日々は長くは続かない事もよく知っていた。
長くなった桜色の鮮やかな絹髪を結い上げ、アンジェリカは言い放つ。
「ジャック、街に行ってみたいわ」
「…… もう良いのかい?」
アンジェリカの双眸には揺らがない決心の輝きがあった。
「分かった。じゃあ、ささやかだけど、僕の服を着てお行き。男装していれば例の大人達に見つかる確率も減るだろう」
「ありがとう」
アンジェリカはジャックの少年の様な服を纏い、帽子の中に髪を隠して街へ降りた。
村から街は遠く、ジャックはこれまでどれ程の苦労をしていたんだろうと思考を巡らせる。
思えばアンジェリカはジャックの事を殆ど知らないままだった。
ジャックは何かの核心に触れそうになると、すぐに話題を変える。過去を語りたくないのだろうとアンジェリカは察した。
自分だって、あの事件の日を鮮明に思い出すのは嫌だ。あれから何度も悪夢にうなされては、息を切らし起きた。自分は攫われた事で、母を、弟を見捨てたのではないかと、自責の念にも駆られた。
今日街に来たのは、マリアが提供した魔術がまだ活きているか確かめる為。
瞳を閉じ、大気に集中する。
しかし、マリアの魔法の気配はしなかった。雑踏の中、様々な魔術体系が入り乱れている。
「お母様…… リエル……」
呟きながら、アンジェリカは歩道の端をなるべく顔を上げずに歩いた。
すると、何者かとぶつかってしまった。小柄なアンジェリカは弾かれる様に後ろに倒れる。
「あっ、ごめんなさ……」
伸ばされた手を掴もうとして、二人は目が合った。
「アンジェリカ様!?」
「ノワール!?」
アンジェリカは、旧知のメイドと再会したのだ。
「アンジェリカ様、何故ここに…… いえ、ご無事だったのですね!」
「待って。声が大きいわ、ノワール。私、逃げたの」
「ああ、お嬢様がご無事で…… 何より……」
ノワールはアンジェリカを抱き締め、アンジェリカもそんな背中に手を回し、肩口に顔を埋めた。
「ねぇ、アシュリエルは無事なの?お母様は?」
「アシュリエル様はご無事です。しかし、お母様とお父様は……」
ノワールはアンジェリカを優しく離し、目を逸らした。
「そんな…… だって、あんなに戦って、あんなに強かったのに…… 嫌…… 嫌ぁぁ!!」
アンジェリカは再会したメイドに背を向け、制止の声も聞かずに駆け出した。
ーーお母様は私を守る為に戦った。私は、お母様を殺してしまったも同然だ。
アンジェリカは村に帰るなり、ベッドに顔を埋めて泣き崩れた。
「アンジェリカ、何が…」
「ジャック……」
ジャックの首元に縋るように腕を回し、アンジェリカは泣き続けた。
その日以来、アンジェリカは骸のように生気を失った。魔法を披露しては自慢してみせた瞳の輝きも失い、食事すらまともに摂らなくなっていた。
痩せ細りやつれたアンジェリカに、ジャックは過去の己を―― あの日死んだジャンヌを重ねてしまった。
無知とは、無力だ。
無力な存在は、ただ奪われるだけだ。あの日のように!
「アンジェリカ!今の君が、僕は大嫌いだ!!」
激昂したジャックは側にあった適当な何かを掴み―― アンジェリカの頭部へ振り落とした。
「ぎ、ぁ、あああぁッッ!!」
劈くような悲鳴。ジャックが掴んだものは、鋏だった。
鋏はアンジェリカの顔右半分を鮮血に染めていた。
アンジェリカは倒れこみ、顔を抑えて泣き叫ぶ。
「――ぁ、ぁ」
ジャックは、己への怒りで我を見失っていた事を自覚した。言葉が出てこない。
アンジェリカは何事かを叫びながら、鮮血を振り乱し村を飛び出した。
治癒魔法にも今のアンジェリカの魔力では限界があった。片目が燃えるように熱く、いつまで、何日、何週間経っても蠢く様に痛む。膿が発生しているようで、触れると血ではない何かが指を濡らす。
森を進み、もう帰らない村と街から遠ざかっていく。
森の奥深くに、一軒の家を見つけた。
玄関の周りには薬草畑が広がり、玄関扉には護符のペンタクルが刻まれている。明らかな魔法使いの家だった。
…… もうここに、頼るしかない。
アンジェリカは玄関を叩いた。
アンジェリカ過去編後編でした。アンジェリカとジャックの因縁の始まり。
お読み頂き大変有難く存じます。
次回もお付き合い頂ければ幸いです。