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外れた格子から顔を出した少女が、男に向かってにっこりと笑った。心のすべてが素直に顔に出る少女は、とても分かりやすい。今日は何か、とてもいいことがあったのだ。
いつも通りの『贈り物』のやり取りの後――今日はどこからとってきたのか、大きな白い羽だった――少女はとっておきの秘密を打ち明けるように少し声を落とした。
「将軍様、飴をもらったわ」
見て、と男が中を見られる位置で、小さな布の袋を開けた。確かに、薄い黄色に透ける丸いものが二つ、入っている。
「お兄様からいただいたのよ」
「……飴が珍しいのか」
「初めてもらったわ。すごく綺麗なのに、甘くておいしいの。さっき一つ口に入れてもらって、とても驚いたわ」
「そうか。よかったな」
北皇国なら、普通の子供でも知っている駄菓子だ。雑多な疑問が頭をかすめたが、飛び上がりそうなほど無邪気にはしゃぐ少女に、ただ頷いてみせた。
「一つ、あげるわ」
「いるか。子供じゃない」
「おいしいのよ。甘いの、お嫌い?」
嫌いではないが、好んで食べる性質ではない。が、拒絶すれば、いつになく肩を落としてあからさまにがっかりしてる。さすがに、ばつが悪くなった。
別に、拒む理由はないのだ。
ち、と舌打ちしてから……わかったよ、と口を開けた。
少女がぱっと笑顔を浮かべて、いそいそと男へ近づく。細い指が唇をかすめて舌の上に飴を落とした。
知らない味ではなかった。よくある、ありふれた甘みが口の名で広がり、あふれた唾を飲み込んで。
同時に――
「がっ――」
痛みが、喉を焼いた。
飴が、口からこぼれ出た。吐き出されたのは飴だけでなく、赤い血も一緒だ。呼吸が苦しかった。
「あ……」
まさか、と。
頭をよぎったのは、少女と自分が、敵同士だった事。今の今まで、忘れ去っていた。
これまで、多くの人間から余りある憎しみを、一身に受けてきたはずなのに。
だが、必死に顔を上げた先で見た光景に、全く違う意味で凍り付いた。
呆然と立ちすくむ、少女。指は小さな飴を、今にも口へ入れようとしていた。
「……め、ろぉ!」
がん、と鎖が鈍い音を立てた。伸ばせない腕を伸ばしたせい。歩けない足を動かしたせいだ。固い戒めは容赦なく男を傷つけたけれど、もう痛みなんて感じなかった。
響いた音に、びくりと少女が体を縮める。強張った指先から、飴が落ちた。こん、と軽い音を立てて、牢の隅へ転がっていく。
動けたのは、そこまでだった。急激に手足から、体中から力が抜けていく。男は今や、ただ鎖に宙吊りにされているに過ぎなかった。
視界も、あっという間もなくぼやけてかすんだ。
かなり即効性の、それも強い毒だったのだ。
体力や気力があれば、抵抗を付けていた男なら、乗り切れたかもしれない。だが今は囚われの身で、決して体が万全とは言えない状態だ。
勝敗は……分かり切っていた。
「将軍、さま……?」
まだ事態に追いつけないのか、少女の声は震えてもいなかった。逃げろと言ってやりたいのに、もう声が出ない。口の中は生ぬるい血であふれていた。
目は見えなくなっても、気配は分る。少女は……逃げるどころか、今までにないほど、男の近くに寄ってきた。
「どうしたの? ……どうして、急に……」
触れる。小さな手が、赤くなっている男の服をつかんだ。身じろぎ一つしない男の肩に、腕に、触れる。
「わ、たしのせい……? 飴が……」
少女は全くの無知でもなかった。細かい知識はなくても、得られる少ない情報から、すぐに答えを導く。飴は、毒だった。男は、そのせいで……死にかけている、と。
「……将軍、様」
呼びかけに、もう男が答えることは出来なかった。気が遠くなっていく。せめて、せめて自分が死んだとしても、この少女が咎められなければいいと、そんな願いが胸をよぎった。
少女は、一向に男から離れようとしない。
かすんだ視界に、これ以上ないほど近くに、顔があった。
体温が、伝わる。
額が、当たっていた。鼻先が男の顔をくすぐる。そして。
男の唇が……舌の上が、ありえない感触を捉えていた。
「……っ」
少女の手が、頬にあった。男の顔はわずかに上向いて、ちょうど少女のそれと同じ高さになっている。口の端から、中であふれていた血が一筋零れて、男のあごの方へ伝っていった。
――感覚が、戻っていた。
視界が徐々に像を結ぶ。目の前には、間違いなく少女が……いた。息をするために、ほんの少し離れてから、もう一度――少女は男に口づけた。
澄んだ空と同じ色の瞳は、伏せられている。
小さな舌先が、確かめるように男の歯列をなぞった。
動く、その先を。
今度は男が絡めとった。驚いた少女の目が丸くなる。止まった舌先をさらに奥へと誘い込んだ。
――甘い。
混じる唾液は、先ほどの飴よりもずっと甘かった。
堪えきれなくなった少女が、男の肩を押した。離れようとする意図をくみ取って、腕を無理やりにつかんで引き寄せる。近くなった分、少女が上向いた。そこをさらに、今度は男が相手の奥へ進んだ。小さな相手に見合う、小さな口腔は……どれだけしゃぶりつくしても、飽きなかった。
息継ぎが出来ないのか、少女の肩が上がり始めた。最後に……上の唇を甘噛みし、舐めてから顔を離した。どれほど苦しかったのか、まるで走り切った後のよう少女は息を弾ませていた。顔は真っ赤だ。白い肌との対比で、一層美しい。
男のまともな思考が……ここで戻ってきた。
毒に侵されていた苦しみが、どこにもない、と。
「……お姫さん、よ……」
あり得ないことに言葉を失った男へ……少女はいつもと変わらない笑みを向けた。
「元気になった? 将軍様」
小さな体が、唐突にくずおれた。




