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「――閣下」
張られた糸と同じ緊張をはらんだ声は、男の意識をすっと覚醒させた。
「戦況は」
「さして変化はございません」
ただ、と静かで淡々とした報告がなされる。
「ご指摘の通り、国王はこちらへ戻る動きがございました」
「王太子は」
「もとより、城を離れてはおりませぬ」
「……」
絶好の機会だ、と戦神と畏れられる自分の一部が、そう確信した。
北皇国の将軍が、南の小国に捕らえられた。違えようもない、事実だ。
戦とはそういう物だ。兵士が死に、土が踏み荒らされ、国も人も果てていくもの。あの時連れた部下がどうなったのか、たとえ報告になくても察していた。
だが、それだけで終わるなら――男は大陸で名を馳せてはいない。
奥深く、城の中枢に入ったのなら……たとえ囚われていたとしても、否。囚われていると相手が確信しているからこそ、動けることもある。
事態は、男の想定内でもあった。
予想外だったのは、その後だ。
内部に侵入しているはずの部下と、連絡がつかない。小さな国の、小さな城だ。牢の数も多くはない上に、男ほどの大敵を捕らえておける場所は、今いる北東の牢塔以外になかった。
なのに、待てど暮らせど音信はなく。
危うく餓死を仕掛けたところを、忌々しくもあの少女に救われて。
その直後に、ようやく目の前に座る男と対面を果たした。
目立たない黒の服、顔は平凡で、どこの国の人間とも知れない。覆面のいらない、町に、城の中に埋没する優秀な部下は、着々と仕事をこなしていた。
そして今。この国は、崩壊に向かっていると断言できる。
もとより、北皇国にこの国が敵うはずもなかった。
先端が切られたのは、皇国の王が痺れを切らしたからに他ならない。
つい数年前まで、ほどほどの平穏が大陸にはあった。その穏やかさを嫌うように周囲と対立し、孤立を深めていったのが、この南の国だ。
調べれば、一人の男が王としてあるまじき行為を繰り返していた。良識のある家臣も、大切にすべき領民も、その後継ぎである王太子さえ、逆らえば殺しかねないほど。
じき潰れると、周囲は傍観を決め込んだ。
ただ、堪えかねたのは、北皇国だ。交易でのつまらぬ難癖に始まり、主要道路の封鎖や、果ては国境の侵犯まで。わずかではあるが境を接するために起こる揉め事に、誇り高き北皇国の王は、ついに腹に据えかねた。
わずかな挑発で、あっという間もなく戦争となった。
それが、二年前。
小競り合いを繰り返し、存外しぶとく、拮抗の続く戦い。
圧倒的な軍事力の差を前に、どうしてこうも抵抗が出来るのか。その理由の一つに、「天の御使い」の噂があった。
南の国の王城にいる、「天の御使い」。
かの方がいずれ天に還られ、この国の危機を神に告げ、救いをもたらすのだと。そう信じる敵国の民の、なんと多い事か。
一年がたって、これ以上の長期化を忌避したがために、男が旗頭となった。
バカバカしい噂の正体に、男は多少の興味があった。
ゆえに、囚われたこと自体には、さほどこだわりがない。
いま、あるとするなら。
目を落とした石の床の上にさえ浮かぶ、あの少女の残像が。
振り払えない幻が――苦々しくてならない。
戦争は終わらない。
今は、北皇国が終わらせないように、調整をしている。
どんなうまみを取るか。どんな益を取り、何を捨てれば周囲との軋轢を生まずに済むか。
雑多な思惑を、あちこちで交錯させながら、滅びの時を図っていた。
「――閣下」
「時期は追って伝える。今はそれだけだ」
「はっ」
鋭い部下は、何も言わない。
男も、まだ。下せる決断は何もなかった。




