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 片手をあげるだけでよかった。


 ただそれだけ。人とは比べ物にならないほど視力のいい「相棒」は即座に男の命令を理解した。

 仮面も槍も取り払う。

 次に起きたことに冷静でいられたのは、男ただ一人だ。


 現れたのは、銀灰色の鱗と翼。そして金色に黒一筋入った鋭い目。衝撃を殺さず、そのまま突っ込んだのは、男が鋭く手を振り下ろしたからだ。

 祭壇――絞首台じみているのが笑えた――が半壊し、土煙が猛然と上がる。誰かが叫んで、足音が入り混じった。すべてに構うことなく、男は欲しいものにただ手を伸ばした。


 望んだ。ようやく、この間際になって。


 雪が、見たい――と。 


 きっと誰も拾えない、もしかしたら声にした自覚さえないかもしれない。

 だが、男には聞こえたのだ。

 最後の最後まで。諦める気は毛頭なかった。死に際こそが絶好の機会だとさえ思っていた。理性では取り繕えない瀬戸際こそ、心の奥がさらけ出されるものだと。


 そして、その通りになった。


 細い体を担ぎ上げる。そのまま、鞍のついた飛竜の背に飛び乗った。鋭く息を吐けば、足元が悪い中、器用に飛び上がり、羽ばたく。土煙がさらに舞い上がり、姿を見難くしてくれた。羽ばたくごとに、遠ざかる。大地も人も、男を捕らえた国もすべて。


 ぐしゃり、と崩れ落ちた祭壇の真ん中に、倒れ伏した人影があっても。

 わずかに目を逸らせれば、茫然としながらも、口元には乾いた笑みを張り付けた人間がいても。


 空へ行く男には、何の関係もないことだ。

 ただ……あの気に食わない王太子の声を、切れ切れに拾えば、おのずと先は見えていた。


『われらの御使いは天へ召された。人々よ、希望を捨ててはならぬ』

『だが天は争いを否定された! 王はその罰を受けたのだ』


 策略家と名高いあの者なら、この混乱をどう利用するのが、一番「妹」のためになるか、すぐに判断を下すだろうと踏んでいた。


 戦争は、終わる。

 あの新しい王が、終わらせる。


 もとより、皇国ではこれ以上の死者は望んでいない。戦争は早計だったとさえ意見があるから、あの王太子がうまく動けば和睦の道もある。


 それに、と腕の中の少女を見る。

 気を失ったのか、目を閉じたまま身動きもしない。それでも、傷一つなく、確かに胸の鼓動が支える腕を通して感じ取れた。


 早く、目を開ければいい。

 あれほど焦がれて、散々話をねだった空が、目の前にある。

 空は青く、雲は白い。太陽は澄み渡った天の真上にある。



 このまま北へ進めば、北皇国だ。囁かれた望みの通り、雪を見せてやりたかった。



 たとえもう一度、人の思惑のただなかに引き戻したのだとしても――これからはすべてを自分が断ち切っていけばいい。

 限りない世界を、どこまでも共に。

 




 暗く、闇に沈む檻は、もうどこにもないのだから。









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