思い出す、断片的に
朝、玄関を出た瞬間、春の匂いがした。
ツンと甘い沈丁花と、粉末スープの様なヒサカキの香りを混ぜ、燻して綿に仕立てたようなこの匂い。
ああ今年も春が来たのだなあと感じる。
午前8時25分。窓越しには自転車に乗る高校生たちが通り過ぎていく。
有給休暇で朝早くから用事をすませた私が、優雅な朝を過ごそうと入ったこの喫茶店。ここから5分ほど自転車で進むと、公立高校がある。
この一帯では有名な進学校「矢倉高校」のすべり止めとしてよく受験される、「矢倉北高校」である。
進学率は中の上の、規則は緩やかな共学校。何故か代々女生徒は綺麗なお嬢さんが集まるとまことしやかに噂され、近隣の学生からは「ヤキタブランド」ともてはやされていた。
この学校こそ私の愛すべき自慢の母校であり、青春をともにした場所である。
そんなヤキタにほど近いこの喫茶店で、朝から優雅にミルクコーヒーを飲みながら窓の外を見ていると、登校に必死のギリギリ族のヤキタ生たちが自転車立ち漕ぎで駆け抜けていく。
「間に合わないだろうに。」
朝のチャイムが鳴る5分前にも関わらずなぜこんなにもの生徒が学校に辿り着いていないのだろうか、社会に出たら困るぞ後輩たち。などと考えたのはほんの一瞬で、自分もギリギリ族だったことをすぐに思い出した。担任の教師が職員室を出て歩き、教室に着くまでには時間があり、ホームルームの開始は8時35分から40分なのだ。彼らは皆、ホームルームの出席確認には間に合うよう計算して生きている。
母校の年の離れた後輩たちを見て、高校時代の記憶が蘇ってくる。
ああ、自転車登校中に鼻血が出た時は本当に参った。止血のためコンビニに立ち寄ったもののなかなか血が止まらず、セーラー服にじわり一滴広がった血痕のシミ抜きをしながら、焦る気持ちを紛らわせたなあ。遅刻した旨を伝えると心配してくれ遅刻を免除してくれた、当時新任の担任ピーちゃん。もう別の高校に転勤しているのだろうか。正直なところ鼻血が出ていなくてもあの日は遅刻していたと思うので、有り難かった。
校則とスクールカーストの意識に縛られていた中学生から、急に解放された入学当初。先輩たちの姿が眩しいほど輝いていた。あの時から10年経ち、将来なんて何も考えていなかった15歳の私はいつの間にか25歳になった。
いわゆるゆとり世代全盛期に学生時代を過ごしてきた私は中小企業で働き始め、社会の暗黙の了解とやらもようやく暗黙で了解できるようになってきた。その人の意志と何か間違うと「普通わかるよね?」「あの子は変わっている」と陰口を叩く職員もいるため、平穏に生きていくためにそこを押さえるのは大切だ。本当は、感覚なんて人それぞれで「普通」ほど定義するのが難しいことは無い。と、25歳の私はそう思う。
年齢なんて関係なく、誰しも心をすり減らしながら、自分を押し殺し社会のルールに自分を馴染ませている。特に、新人は大抵「学生上がりの若者」というレッテルを貼られた状態でアウェイ戦を必死に戦っているのだ。
戦いの時期を経て、社内でも安定したポジションにいると自負しているが、物足りない毎日を過ごしている。人並みに音楽は聴くし、映画も好きだ。好きなアーティストのライブや野外イベントにもよく行く方だ。また素敵だと思う俳優に胸をときめかせることもある。最近始めた観葉植物の世話やベランダ菜園も趣味と言えるだろう。ファッションにも興味はあり、友だちとも休日にたわいもない話をしたり出かけたりする。「本当の友だちがいない…」なんてこともなく、あまり会えなくても変わらない関係の尊敬できる友人もいる。充実しているように見えるが、きっと胸の中に漠然とした未来への不安や、現状の毎日への不満があるからどこか物足りないのだろう。
久々に思い出した青春の日々は、シャンパンの泡のように小さく輝き、はじけるような気持ちで胸をいっぱいにした。何となく入ったこの喫茶店でこんな嬉しい気持ちになれるとは思わなかった。
たくさん入った暖かいミルクコーヒーを飲み干し、何も考えず喫茶店を出た。
この頃は車での移動ばかりだったため、イヤホンから音楽を聴くことも無くなっていたなあとふと感じる。ふしぎなもので、同じ音楽を聴いてもイヤホンから聴くと心が揺れるほど美しいフレーズに気づける時がある。まず心のアンテナが働いていることが前提であるため、どちらにせよ近頃は圧倒的にそんな機会が減っていた。
車で帰宅しながらそんなことを考えていたら、いつの間にか家に着いていた。自分で生活してみたいという一心で一人暮らしをはじめて、2年ほどが経つ。ヤキタと実家のちょうど中間にあるこの町は、大型スーパーもコンビニもあり生活するには困らないが、車がないと移動手段に困る程度の田舎だ。白い床と、白と茶色の二色の壁が気に入ったこのアパートの両隣は、果樹園とたまねぎ畑で、夜はとてもとても静かである。
久々に音楽プレイヤーにイヤホンを挿し、学生時代に何度も繰り返し聴いた曲を聴きながら歩いてみることにした。