TKとの
続 原発震災日誌75
TKとの、
「両手のない女性が、そのハンディを克服し、生きる姿を追ったTV番組で、発言していた坊主が、彼女には心の手がある、仏教的な、無いものをねだるのではなく、有るものをと、説教をのたまった、それに対し一事言いたいと、その坊主の住む石川迄バイクを飛ばし、手を失った社会的原因を問わないで、そこに至る彼女の困難を考えないで、有るもので充足するなど、社会の不備を免罪することになると議論してきた」と、
「脳性麻痺で子をもち、子も同じ病気にかかったその男が、欝病になり、自らの運命を嘆いた、それへ言ったことは、昔母島へ行ったとき、島の人に聞いたことで、外来の植物が流れ着いても、三代しないと島の植物にはならないと、脳性麻痺も孫の代まで続かなきゃ脳性麻痺にはなれない、君はまだ脳性麻痺なんかじゃないよ」と、
続 原発震災日誌75
TKとの、
「両手のない女性が、そのハンディを克服し、生きる姿を追ったTV番組で、発言していた坊主が、彼女には心の手がある、仏教的な、無いものをねだるのではなく、有るものをと、説教をのたまった、それに対し一事言いたいと、その坊主の住む石川迄バイクを飛ばし、手を失った社会的原因を問わないで、そこに至る彼女の困難を考えないで、有るもので充足するなど、社会の不備を免罪することになると議論してきた」と、
「脳性麻痺で子をもち、子も同じ病気にかかったその男が、欝病になり、自らの運命を嘆いた、それへ言ったことは、昔母島へ行ったとき、島の人に聞いたことで、外来の植物が流れ着いても、三代しないと島の植物にはならないと、脳性麻痺も孫の代まで続かなきゃ脳性麻痺にはなれない、君はまだ脳性麻痺なんかじゃないよ」と、
「昔、ガーデニングの講座があって、そこで教えていることに、疑問を感じて言ったことが、その地に、その季節に合った花壇造りが大事じゃないのかと、人工的な、華やかさだけの、作り物の花壇は不自然じゃないか」と、
T・Kは私の差別問題、自然農法の話題に対して、自分の経験を語り、共感する、それらは脳性麻痺者と生活を共にしてきた中で発想され、行動されたものであり、私が絶望を通して希望を考えるのと、同じ源泉であるのだった、差別、障害は、人間を、その人を鍛える大事なものであるとの一致、
義父の大塚から始まって、どれだけの人間を私は切ってきただろう、それは父母、妹にもおよび、今、妻、子にも及ぼうとしている、ここだけは守らねばとしているが、切れるかもしれないのだった、何故なら、妻も子も、今や私を必要とはしていないのだし、私が書く事を意味ともしていないのだから、私対世界とはそうした、必要とされない一人の人間からの視座であるのだった、絶対的孤独、私という絶対存在の確立であるのだった、人間にはこうした心が誰にも多かれあり、それが故に、愛し、愛されることに喜びを感じるのだが、作家とは揺れる存在であるのだった、留まる存在ではないのだった、私の個たる、私を知りたいのだった、生の意味づけ、自己完結へ向かって進みたいのだった、世界の絶望を個人の絶望と重ね、この世界を見る、考える、私の生をそこに探る、幸せや、楽しみを求める存在ではないのだった、考え、突き詰めることを喜ぶ存在であるのだった、私とは、それらを生身で体感したい存在であるのだった、父の死を願った私という存在、人間の絶対的孤独を通して、人間の絶望存在を通して、私は母を恨んでいたのだろうか、父を犯罪に走らせたのは母のせいだと、父を精神障害にしたのは母のせいだとどこかで思っていたのだろうか、それを自分も、母と同じ思いをもっていて、免罪していたのだろうか、父と暮らそうと覚悟して出所してくる日を待ってはいた、が父は獄死した、母の癌を、私は母と子の絆の確認のために、自宅で看護しようと覚悟を決め準備していた、そこへ妹の態度だった、父を愛せなかった母、家出した母、子に頼る母、が、最期は私を見限った母、私対世界の、母へのまなざし、この不条理の人間への、
鎌で首を切って自殺した母をもつT子、自らも鉄道自殺、Kは女に子を孕ませ、女が自殺、K君の母は自殺、Tちゃんは数日前に電話してきて自殺、Y君はうつ病から自殺、Oの自殺未遂、Tも自殺未遂、父の尊属殺人未遂、放火、O君の引きこもり、その母のアル中、G君も引きこもり、M君の弟も引きこもり、H君は知恵遅れ、U君の子供がダウン症、N君のいじめ、S君は脳腫瘍、友人、知人、親戚の、多くの癌死、脳梗塞、T君の家の離婚、Hの、Kの、Sの離婚、F、K、Y、D、T、M、etc、etcの未婚者群、300万の戦死者、一億人の戦争体験、何という世界であることか、
本日、様々なこれ迄の私対人間、組織のことを、絶望という視点、認識から、対することによって超えることが出来た、人間というものを理想化することなく、邪悪、罪あるものとしてみること、核汚染とは、まさに全生命への犯罪であることの、人間への視点は、けっして共存ではなく、破壊、殺戮の歴史であることの確認、
アポロ捏造を通して考えること、
一握りの人間によって、世界が絶望に、取り返しの付かないことに陥るということ、バンアレン帯に穴を開けようと、核爆発を行い、その放射能が今も地球を覆っているということ、2000回の核実験によって自らも汚染に取り巻かれていること、アポロ計画総予算が40年前の9兆円、今の金銭価値なら100兆円くらい、一握りの人間による、核支配の利権ということ、
全てが仮りそめとなってしまって、不安な日々、自民党の4年間延長政治、放射能の全国拡散、経済停滞、etc、武田泰淳の「審判」侵略戦争によって罪を感じた男が民族的根無しを良しとする話、原発によって存在への根源が失われ、絶滅という不可逆という取り返しの付かないという絶望に捉われ、かつての宙に浮く、無重力などの快感、概念が霧散し、存在への足がかりを失った世界の絶望、自らが日本を逃れても世界は汚染されてしまっているという、闘う以外にはないと、しかし闘っても、闘わなくても、核汚染は変わらず、ただ絶望の忘却でしかなく、やはり癌と同じ、癌と生きる、死を見据えて生きるとなるのだった、
私はキルケゴールの言う、世界と私との関係性から絶望しているのではなかった、絶望しても死ねないほど、死が私以外のこととなってはいない、私が死ねば絶望は終わり、後は知らないことであるところの絶望にしか過ぎないのだった、これはキルケゴールの時代とは違って、世界が取り返しの付かない所に来てしまっていることへの絶望感から来ているのだった、誰か取り返しの付く方法を、いつの日か放射能を無毒化する方法を、そして人が希望を生きられることの証明をしてくれないかと、死にいたる病に抜けている点は、生死を越えた、解決しなければならない、哲学、生活、文化、あらゆるものに先立つ核の問題であることが私において、死んでも死に切れない、私のテーマであるのだった、
人間関係において、社会生活において、不本意な、嫌なことで満ちており、そこからの逃避、脱却が、私のテーマであったのに、私において解決不能なテーマ、人間が人としてのプライドを生きるとは、権力者といえど、一人の遊牧民と違わず、この世界に共存して生きているという、自然の摂理に従うように、しかし人として考え助け合い、また社会、国家を作りと繰り返してきた人の歴史、ヴァンデンポルスト、ソーロ、縄文人と現代の絶望、彼らこの世界の絶望を、自然の驚異と同じように見つめ、悲しみ、しかし自然と共に、自然の力を借りて生き続けていくのだろう、文明も人間のなせる業だし、自然共存も人間のなせる業として、宇宙のような悠久を考えと、これが人間の思想であろう、この中に文化哲学があり、人が生きる人生観となり、
マリオ・ベルエラ
クラインのようなピアノの調べ、
憂愁と魂と、静かな喜びと、
絶望の中のアンニュイ、孤独、存在への共感、
絶望の果ての透明な世界、
この世界から見たい、味わいたい、
あの死を見つめた日々のように、
友の死、母の死、ブンの死、死が漂っていた、
孤独な散歩者の夢想
再読だが、よく記憶していない、私に似るところが多く、彼の至った境地が幼く思えたのか、今読んでも、リルケ、ソーロほどの感興はなく、つまらないことであった、ただ絶望に抗する、孤独に抗する、核時代への何か手がかりがないものかと読んだのだが、これは私が未踏でやってきたことであった、癌の日、核があったって、絶望があったって、今あることを喜び、生きていた、いつの時代であっても、人間という動物はそうしたもの、奇蹟の子であるのだから、存在が楽園であるのだから、存在を捉えることが出来る存在なのだから、地球の人間のことなど、宇宙は何も知らない、地球の過去の何千億人の死など、誰も知らない、そこに在った人の喜怒哀楽など、その人のもので、今ある人間のものではないのだった、
絶望の問題、核の問題が哲学の、人生とは何ぞや、人は如何に生くべきかの課題であるのなら、私の生きた人生で、生きる人生で答えを出すしかないのだった、絶望は国家社会をも破壊するものであるのだから、核とはそうしたもの、人間のあらゆる営為を打ち砕くもの、その全否定の意志を押さえて、世界の片隅で生息するものとしての、生きるとはが問われ、
原発を無化する方法に挑んでいるということ、科学によってではなく、私において、生と死のように、哲学として、文学として、
SF作家が、地球の未来を絶望、絶滅として、警告のように描いてきたのだが、それが現実となった今、彼らの作品には、救いも、希望も、解答もないのだった、彼らの生存中は、まだ未来のことであったから、タルコフスキーの映像の中にある世界が、一縷の答え、物それ自体、ノスタルジーが彼の答えだった、ダビンチも、バッハも、彼にとってはノスタルジーに過ぎなかった、地球の文化がノスタルジーに帰す今という時、私の重さとは、星の、風の、水の、それらを感じる重さであった、私に帰ろう、間もなく無に帰るのだから、フクシマ、チエルノブイリは未来の地球の姿であり、障害、奇形で生まれてきた子供たちは、未来の私の子供たちである、そこで生きることの文化は、未来、過去でもない、今の人間同士の支えあいだけ、放射能に負けないで生きている生き物たちと接することが喜び、




