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続・原発震災日誌  作者: 山口和朗
70/77

処刑待つ部屋 ~草川たかし~

続 原発震災日誌70


S・Tのこと


中卒、夜間高校中退、文学少女で、働く事が苦痛で、プライドが高く、しかし文学で芽が出ることも無く、文学で喰うことも適わず、結婚するが共働きで、依存ではなく共同生活で、子供は作らず、愛は宙吊りで、つれ合いには去られ、生き難さはつのり、母の自殺を思い出し、自らも自殺へと、


私のこと


中卒で、夜間高校卒業、文学青年で、ラジオ工場に働き、社会主義思想に目覚め、しかし仕事が苦痛で辞め、組織活動の仕事にかわり、そこで組織と個人の問題に悩み、再び文学熱が頭をもたげ、組織を離れ、結婚し、伴侶の理解もあって、以降、文学と生活が両立可能となり、現在まで生き延び、

続 原発震災日誌70


S・Tのこと


中卒、夜間高校中退、文学少女で、働く事が苦痛で、プライドが高く、しかし文学で芽が出ることも無く、文学で喰うことも適わず、結婚するが共働きで、依存ではなく共同生活で、子供は作らず、愛は宙吊りで、つれ合いには去られ、生き難さはつのり、母の自殺を思い出し、自らも自殺へと、


私のこと


中卒で、夜間高校卒業、文学青年で、ラジオ工場に働き、社会主義思想に目覚め、しかし仕事が苦痛で辞め、組織活動の仕事にかわり、そこで組織と個人の問題に悩み、再び文学熱が頭をもたげ、組織を離れ、結婚し、伴侶の理解もあって、以降、文学と生活が両立可能となり、現在まで生き延び、


戦争と個人の考察から、志願し、戦場に赴いたカミュ、従軍し、個人の脆さを体験したサルトル、徴兵逃れをした三島、組織と個人の問題は戦争において、頂点に達する問題であるのだった、


ジャン・ピエール・デュピュィと村上春樹は似ている、核を善悪、又はシステムとして捉えようとしている、善も悪も無い、絶望、無、であるとの観念は無い、調べるとデュピュィは原発関係者であった、ギュンターにしても、アーレントンにしても、核に警告を発してはいるが、絶望はしていない、絶望としては捉えられないのだった、


事実や科学がどうであれ、絶望すること、絶望し続けることがすべての意味である、絶望の上に私を据えることは、癌、死の上に私を据えて蘇った、あの今、世界と同じことであるから、


自殺した作家たち


私対世界で生きていたのだろうが、生き難かった、生きている事に疲れた、虚しさに捉われた、自己責任で身を処したのだろうが、背景には自己への絶望、世界への絶望があり、世界に絶望しても、人間で在り続ける事の困難、戦後を生き延びた作家、哲学者たち、晩年の加藤、井上、小田、丸山、etc、etc、人存在の不条理は自明なものとして、世界の考察にあて、後を生きるものと連帯し、託し、しかし、本質はムルソーの世界の無関心、私対世界と一体の感情にあり、


処刑待つ部屋 ~草川たかし~


かつて癌で病んだとき、生と死を見つめたとき、無二の歌集として読んだもの、自然への、自由への、生命への希求が、掛け替えのない感情となって定着されている、花、鳥、風、鉄格子に阻まれてはいるが、掛替えのない、間もなく失うものとして、見納めのものとして、見出され、発見されたものとして、綴られていた、

新しき人において、この死刑囚のもつ視点と感情が必要とされ、獲得されればならないものとなる、私の生命ではない、万物の、この星の生命への哀悼、罪、草川がこの世界の核汚染の視点に至ったなら、いかなる歌を詠んだかが、これからの人の課題となる、花鳥諷詠は我がこととなり、我が罪故に、この星は死に絶えると、楽園から死刑囚を見る視点から、痛みに耐え、間もなく去る生命から見るとき、生命は世界と一体となり、核から逃れえぬ、全生命の一つとしての我が生命となる、核は我が罪ではあるが、自然裡なことであり、草木と何ら替わらぬ、同じ有機物としての我が生命であるとの、世界を愛おしむ、世界を味わう、去る世界の、存在の愛おしさ、我、彼らと共に在りと、


ノイマンがコンピューターのプログラミングを考え、原爆を作り、原発を推進してきた男であった、ノイマン型コンピューター、原爆のレンズ、GEの役員、「博士の異常な愛」の映画のモデルにも、核で人類を滅亡させる事を手中にした物語、これは今や世界がどうでも良くなった事の証、この核が無でなくて何だろう、この無に抗う、この無を無化する哲学が、私には必要なのだ、それが考えられぬ限り、私の絶望と無は終らない、有史以来の、預言者の想像通り、最悪の絶滅プロセス、科学など大したものではなく、ただの滅亡の道具、文明が有っても、無くても、人の幸福には変わりなく、ライオンが幸せで他の動物が不幸せなとどいうことはなく、健常者が幸せで、障碍者が不幸せということもなく、核の絶望はすべての存在を平等にする、新しい哲学とは、絶望の定義化と、この平等性の明証化であろう、

絶望を通して無に至る、この無とは、シュティルナー、アナーキーの無ではなく、ピカートの言う、沈黙のような、宇宙の絶対的な無、無限の無との一体感であるのだった、少年の日、感じた、世界の無限への不思議と、それを感じる私というものの喜び、私という意識、私が今あるということの万感、この無の上に私を据える、そこからすべてを見るということ、それが可能である事の、人というものの私の姿への、癌を通して、3.11を通して、私に至ったということ、絶望と無限大を獲得するということ、世界にこの両極を見るということ、ジャコメッティーは人間強制収容所を描いているということ、


身近な美しいもの、小さな喜びの時を、存在の沈黙ということ、戦争とは国家犯罪である、正義、不正義を問わず、仕掛ける者と、戦わされる互いの市民がいる、

絶望を通して、罪を通してではない、人間存在の絶望的な存在を通して、現在に至る、過去も未来もまた、現在という無、次々と消えていく現在に住む、人存在という、過去も未来も絶望という、現在という、時間の中に人間はあるという、私対世界の私をこの絶望世界の時間の上に据える、記憶としての過去と私は在る、想像としての未来と私は在る、世界が悪いのではなく、私が悪いのだと、


丁寧に、大切に、一日一日を生きた記憶があって、そこに取り巻いていた空気、存在への無限の深さに、いつ死んでもいいかなーと、世界の絶望があろうがなかろうが、哲学の提起する諸問題、宗教の提起する諸問題、これらが3.11以前は、観念的、形而上的で、生身の現実感を伴っていなかった、そして今、すべての問題が、只の観念にしか過ぎないと思え、唯一生身の現実感のあるものは、絶望であるという、核汚染の現実の視点、ここには何のレトリックも思考も必要なしに、規定、定義できることであった、ギュンターを読んで何か光を見出せそうなどと思わないこと、希望など無いという事を納得する事、


ギュンター・アンダーソン~時代遅れの人間


見ることを見る、生きることを生きるこそ意味、世界は観念化、幻影化されている、ベケットも、カフカも、無化する現代という絶望から世界を捉えたならどんなものが、ベケットやカフカの世界が懐かしいものに、無の実在性が立ち現れて来るような世界、無化された世界であっても、無化されて在ることの、在ること、在ったこと、それ自体で意味となるものが、絶望の世界であるのだった、

ギュンターは絶望状況の分析と、その説明をしているだけで、絶望はしていない、絶望の確定と、諦観ではない、1969年という時代と、原発への虚無の観点が違う、アポカリプス(終末論)として絶望を論じているだけ、絶望ではなく、終末論という、論として論じているだけ、世界は今や絶望以外の何ものでもないとは、断じてはいないのだった、

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