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続・原発震災日誌  作者: 山口和朗
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T・Tとの対話

続 原発震災日誌61


T・Tとの対話


潤と同じように絶望の中から生きてきた世代、27才クラブの生き残りであるような、親のバブル崩壊後の姿と、物質的なものの背後で失われた心の問題を見て、心の中にこそ、絶望の後の希望があると知り、仲間や身近なものの中に、生きる中に、意味や希望を探り、生きている世代であるのだと、絶望の共有がある彼らの思考の中に、3.11以降のこれからの希望が、そこにはあるのではと、誠実、素直、理想で物事を見ない、等身大、差別意識はない、意見の違いを認め、それでいて支えあう、逆境、困難を、家族友人の支えによって耐え生きていくとする、現実の中に意味と喜びを探っている世代、彼らより下の世代の、自らの目的に向かって突き進む姿に羨望はするが、現実を見据え生きる世代だとの、

続 原発震災日誌61


T・Tとの対話


潤と同じように絶望の中から生きてきた世代、27才クラブの生き残りであるような、親のバブル崩壊後の姿と、物質的なものの背後で失われた心の問題を見て、心の中にこそ、絶望の後の希望があると知り、仲間や身近なものの中に、生きる中に、意味や希望を探り、生きている世代であるのだと、絶望の共有がある彼らの思考の中に、3.11以降のこれからの希望が、そこにはあるのではと、誠実、素直、理想で物事を見ない、等身大、差別意識はない、意見の違いを認め、それでいて支えあう、逆境、困難を、家族友人の支えによって耐え生きていくとする、現実の中に意味と喜びを探っている世代、彼らより下の世代の、自らの目的に向かって突き進む姿に羨望はするが、現実を見据え生きる世代だとの、

死んだAちゃん、在日のYッチらと共に、良い潤の友人たち、私たちの理想を掲げた形とは違った、等身大の、生身の、飾らない姿は、人間という動物の自然な姿に思える、自分の人生を特別視、理想化することもなく、絶望を見据え、現実を見据え、今という時を生きている彼ら、


Tとの対話


Tが神秘的宇宙美や、縄文美を大雪の自然美を、希望と見ても、絶望の子らに、逞しさを見ても、簡単には解けない、私の絶望の意識、

個人の絶望ではない、存在の絶望を絶望しない人間にとっては、私の絶望は大切なことだと、障害、困難は人間にとって大切なことだとの、逆転の核礼賛のような、転換が生まれないと、解けない私の外の絶望というもの、


罪の意識とは、一体何者か、人類のさまざまな悪業が、悪業を犯したと認識しないまま、またそれらを忘却、合理化のまま、葬りさられ、責任と義務との喪失感が歴史であるのか、経済主義、国益、etcの多数の幸福と弱者、少数者の切捨て、政治は多数の幸福をと、文学、宗教は少数の弱者の、否、真実の追求であるか、故に問題となる人間の罪の問題、哲学はそれら一切を問うものとしてあり、その鍵を私は核に求めているのだった、絶望こそ人類がそれら一切を超える武器であると、どんな悪業も核の悪に比べれば可愛い事だと、人類が平安をそこに、合理化をそこに見出していくのだと、


アメージンググレイスが、奴隷解放の歌で、イギリスの奴隷貿易禁止法案の可決のために、生涯をかけていく一人の議員の活動を描いた、その自伝映画であるが、その世論、議会を動かしていく情熱を、かつてなら賛同して見るのだが、今、何も感じられない、人権や革命やも、原発、核の前には無力との、今、原発廃止となっても、核廃棄物の、人間の生き方の、この社会の仕組みの、私はやはり絶望しているのだった、

この個人的苦悩が、人間への、原発への絶望へと、個人の絶望が全体の絶望には不可欠だとの、絶望とは、個人の苦悩があってはじめて持続可能なものであることの、苦悩の共有こそ、その共有の中の、安らぎと喜び、それが希望ではないのか、一瞬の安らぎ、その時の中のそれが希望、絶望の中の希望、

かつてならレジスタンスの行動に、そこにある悲劇性と正当性と、英雄、犠牲精神に泣き、心躍らせたのたのだが、3.11以降そこにある人間というものの理想主義への懐疑と現実の絶望感から、何ら肯定、受容が適わず、警戒する心がある、愛国というもの、人を愛するということの、それらが作ってきた思想、歴史というもの、その結果が3.11だとの、たとえ3.11が人間の抵抗、愛国がなかったために迎えた結果であり、反抗、自責性の喪失がそうさせたのだとしても、これからは、この反省をもとに新しき時代を形成することがと説かれても、現代の子供たちのように、そうした新たな、または旧態の理想は信じないし、求めはしないように、私も絶望の中で、希望や理想は求めなくなっている、核の世界に希望や理想はない、全人類が無であるとの結論に至るだけであった、


ドストエフスキーに、貧しき者の、社会の不条理への描写力は、確かさとスケールがあるが、テーマが、解決の方法が取って付けたような、それしかないかの様な、神への懺悔で救済する他ない、彼の絶望であった、現代の絶望が、神への懺悔で何ら解決しない絶望である点が、今の私にドストエフスキーでさえ役に立たないのだった、ニーチェのツァラトウストラにしても、虚無といえど、人間の生存を可能肯定した上での虚無、超人、永劫回帰であるのだった、絶対的絶望というものの定義付けとその世界観を、人間が絶えて、多く生物さえ絶えて、全生命への罪という問題、人間世界の問題ではない、人間にしっかり絶望すること、人間の歴史文化、存在そのものに絶望すること、絶望の後に希望を見るなど何も見ていないということ、絶望しても希望は持たない、求めない、絶望のままに絶望を見据え、時を生きる、何が問題かは、理想と希望を信じ求めるなということ、絶望=時の公式は、絶望-理想=時、となるのだった、人間的な愛や、希望や、文化や理想やらを排除した時、時そのものが現れてくるのだった、時とは存在の属性であって、世界がどのようであっても、存在、自然、宇宙であるのだった、


アウシュビッツと原発


ラーゲリ、アウシュビッツが存在したことと、今もモンタナ、世界の刑務所が存在していることと、原爆が投下されたことと、今も2万発の核があることと、この人の狂気が原発の存在を許していることであることの、戦争というもの、国家、社会というものの、この人の狂気、人不在の、人への絶望を突きつける、誰でもがアイヒマンであることの絶望、この絶望は本質的、根源的、人と言うものの原罪であることの、絶滅あるのみとなることの、この星の悪魔であることの人存在と言うものへの、全否定の中にしか未来は無いという、

人間の歴史といわれているものが、政治の中の出来事が、ことごとく権力争いであり、謀略、陰謀で形作られているということが、権力と言うものの悪魔性、そしてそこにかかわるものの悪魔性、9.11、ボストンマラソン事件、マレー半島地震、3.11東北地震、日航機墜落、etc、etc、意図された、隠蔽された、権力維持の一端に過ぎず、これらに考えが及ばないと言うことは、人間を理想のもとに見と言う、歴史の絶望を見ない、見ていないと言うこと、人間絶望していては生きていけない、信じ、理想をもって、楽天的に生きなければつまらないと、人は絶望を排除し、虚妄と捉え、絶望し続けることはない、


絶望を通して確信するに至った、資本における世界支配の構図、が、これは3.11以前も、共産主義に目覚めた頃より自明であった、革命はこれらを変革することにあった、それは今も変わらない、たゆまぬ人類の変革だけ、が、今、自己救済を真に考える、この悪の世界にあって、私の孤塁、私の世界、私対世界を、3.11を通してより鮮明に、より確信的となり、世界は彼らのもの、私のものではないことの、自責性ではない、ツァラトゥストラのようには、この世界に干渉はしない、彼らの世界なのだから、それは彼らにとって自然裡なこと、私はこの時を生きることのみとの、この時の生き方をこそ問わねばならないのだった、


マレーシア航空機の失踪は、アメリカが中国全人代へのテロを行うために乗っ取りを図ったが、中国に知れることとなり、撃墜されたという説には直ちに了解できることではあるが、世界が政治が、そのように常に謀られているという、歴史とはそのように過ぎて来た事ではあるが、核だけは恐れてほしかった、恐れを知らぬ人間という動物、もはや運命は決まっているのだった、何も憂うことはないのだった、


何のために、誰のために書くのか、絶望した世界への思いからか、人間への共感と意味を感じてなのか、人間として生きる、生きたその感情が書かせるのか、人間達、核汚染の世界でも様々なことに興味、関心を持ち、喜怒哀楽の中を生きている、戦争もすれば、休戦もし、神も様々に持ち、わずか2000年の歴史で自らの遺伝子の組み換え、宇宙、存在の歴史を知ろうとしている、宇宙の成り立ち、生命の仕組み、それらがわかり、自らの命をコントロール可能となったとし、また放射能の無毒化、癌の征圧、再生医療と、欲望の自在化、望むものがすべて自在な人間になったとして、そこに人間という動物の特徴が残せるものなのか、喜怒哀楽の感情が人間を作っている、絶望も、個人の絶望があって世界に広がっているだけ、太古よりの絶望を忘れず、人間の感情を形作っている、希望があるから絶望がある、希望を求めているから絶望を考える、


トルストイの絶望


自らの死への怖れと、生きる意味の喪失感、人間存在の無への突然の覚醒、全作品を否定し出奔へと、多く人間はこれらを、信仰、神の存在を通して解決しようと、仏教、キリスト教と、しかし、それで絶望は解決されるのか、ではなぜ私は、私対世界と規定、対置出来たのか、この世界の絶望においても、そのように規定すれば良いのに、なぜ今癌宣告の日のように私と世界が一体となってしまっているのか、どのように分離していったらよいのか、実存主義はこれらを出発としていたのに、私は途中から理想主義となってしまっていたのだった、現代の子どもらこそ実存主義者であるのだった、虚無から出発した彼ら世界を理想しない、世界の現実を知るにつけ、絶望を深めていく、子どもら、意味や目的を求めはしない、何が壊れても、何が襲っても、世界の絶望はそれらを超えていることを知っている、

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