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続・原発震災日誌  作者: 山口和朗
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雨ニモ負ケズ(核ニモ負ケズ)

続 原発震災日誌59


タルコフスキーは自らの生い立ちを「鏡」の中で時代や、歴史の中の、意味として捉えていた、翻弄された父や母と、それらを見つめ自我を形成していく私を、出来事の断片を積み上げ、繋ぎ、意味を探り、私が私の生い立ちを探るなら、タルコフスキーのようなノスタルジーは無く、親無き子の、異邦の少年としてのイメージ、親や家庭への素朴な憧れはあったものの、私は世界に自律していた、父~放火、尊属殺人未遂、母~逃亡、親戚~翻弄され、子~養護施設、これらから捉えられる私の意味とは、異邦人ということであり、世界は私に対置しているもの、その私とは国家、社会、組織に抱合しない存在としてあり、世界の絶望を描く必然はないのだった、

続 原発震災日誌59


タルコフスキーは自らの生い立ちを「鏡」の中で時代や、歴史の中の、意味として捉えていた、翻弄された父や母と、それらを見つめ自我を形成していく私を、出来事の断片を積み上げ、繋ぎ、意味を探り、私が私の生い立ちを探るなら、タルコフスキーのようなノスタルジーは無く、親無き子の、異邦の少年としてのイメージ、親や家庭への素朴な憧れはあったものの、私は世界に自律していた、父~放火、尊属殺人未遂、母~逃亡、親戚~翻弄され、子~養護施設、これらから捉えられる私の意味とは、異邦人ということであり、世界は私に対置しているもの、その私とは国家、社会、組織に抱合しない存在としてあり、世界の絶望を描く必然はないのだった、


ドストエフスキー「悪霊」

1871年50歳の作品、2500枚、~1841年流刑5年、1860年「死の家の記録」、1866年「罪と罰」、1868年「白痴」、1871年「悪霊」、1880年「カラマーゾフの兄弟」農奴制の社会と、流刑の体験が、悪霊を描かせ、スタブローギンを誕生させたのだった、絶望を通した、絶望の果ての人間存在とはを、描かないではいられなかったのだ、スタブローギンはドストエフスキーその人でもあるのだった、

どんな形が有効な現代批判となり、3.11に対する、個人ではない世界の悪霊に対する方法があるのか、絶対、普遍の喪失感が現代の病、宗教の絶対、真理、愛は人間の知恵ではある、人間の文明、どれだけ多く人はそのことを生きてきたか、この絶対、永遠を生きんとする人間、そこへ核という悪霊が登場している、


雨ニモ負ケズ(核ニモ負ケズ)


絶望する人間の誕生、人生とは絶望を糧に生きるものとの、核(放射能)を通して希望に至るとの、人間技術が悪霊と化した核汚染の中で誕生した子供たち、ナウシカのような、悪霊と共に生きる、生命を賭して生きる子供たちのへの希望、希望それ自体、過去の遺物ではあるが、現代を生きる私にあっても、絶望の中を生きる子供たちに希望を見たいのだった、新しき人間、真の人間、生命を生きる人間、自然状態ではない、苦難を生きる、生物としての人間、神を生きる人間の誕生こそ希望とするのだった、それがツァラトウストラの誕生であり、超人であり、キルケゴールの絶望しても尚生きる生物としての人間であるのだった、


価値観の変更


人を殺しても良いへの価値観の変更へと、何故そうなったのかを、それ程のことが、この核である点、人間の意識への、精神の内部被曝とはこうしたこと、理性的にも感性的にも、人が変化するということ、


芥川の「蜜柑」、あれは不安と絶望の中から一瞬見つけた芥川の希望であったのだと、現代の理性、知性が不安と絶望を作っている、その体現者が自分でもあることの、一人世界を見詰めていることの不安、


絶望+怒り=希望と秋山豊寛、7代恨んでやると、芥川の「蜜柑」、梶井の「檸檬」、核に対して希望足りえない日本文学、カミュの「ペスト」であってさえ希望足りえない、リュウ医師の誠実も、ただの労働に過ぎない、私において希望とは、絶望-文明=希望、ゴーギャン、ソーロのような中に、文明を忘れる中に、一時の希望を見る、自然の中なら文明を忘れられる、希望の自然が支えてくれる、人間は柿田川さえあれば生きていけるとの、Tさん、絶望-文明が希望だよ、あの大自然の、放射能も、動植物達もすべて抱擁してくれる、あの知床の、大雪の、私がここに誕生していることの意味を、


夢を見た


私は核兵器製造工場に潜入していた、核を溶かして、成型する工程を見つけた、そこに知り合いが来ていて、「君はまだ反原発の運動をしているのか」と、「ここでは核のリサイクル施設として核兵器を作っているが、兵器として再生させれば、核は安全に管理できる」と、様々な核廃棄物の濃縮技術を説明した、「地下に埋めるなどもっての外、核物質は貴重なエネルギーだ」と、場所が多治見だった、


御用という言葉

御用学者からはじまって、御用商人、御用記者、御用新聞、御用組合、


我マルテの手記


癌サバイバーとして、マルテスタイルで深めてみなければ、


私の青ざめた馬


核テロのもつ意味、人間の全否定への


私の悪霊


絶望との共存、核との共存


ドン・アスカリアンの映画


かつて、アルメニア大地震を映像詩で捉えた映画監督、タルコフスキー、パラジャーエフと、存在を問う視点、映像でしか表現できない世界を捉えている、


世界経済の絶望~


原発依存、戦争依存の世界~


エバンゲリオンの人工人間の悲しみ、悲しみすらも奪われた半人間の世界、現在の人間が、自らを振り返る時、現在の人間も同じだと、ロボット人生ではない、一人生き始め、そこから人生を振り返るなら、なんとロボットの半人間の人生であったことかと


遺書として、遺言として書いておかねばと、が、私はまだどこかで希望を探している、絶望を切り離せば得られるのではと、多く人間はそのように処して生きてきた、これからもそうするだろう、それが生活であり、日常と言うことであるのだから、が、私に絶望は去らない、希望は見出せない、私を生きるとは、癌と核を通して生きるということであるのだったから、知性、理性、文化を排除しての希望、その希望を支える生身の人間がいない、自然がない、かつて生身の確認を通して、私対世界に至り、それは世界がどのようであっても機能する構図であったのに、今や全てが懐疑に包まれ、再構築を迫られ、3.11から早や3年、何も兆しは見えない、ただ絶望、絶望と書き続けているばかり、それが私の誠実であるかのように、それがカフカの自己救済であるかのように、

死に至る病である胃全摘の低血糖、症状の中にある肉体の不安、震るえ、発汗、意識混濁、呼吸困難、心拍数の増加、視野霞、何より生命力の減衰、

放射能の精神への被曝をした人間の不安、芥川の漠然とした不安などではない、もっと確実に実証的に、全身の病として発症してくる、原爆病と言われる形への不安、原爆作家達が死に至ったような、彼らの不安、人間への不信、絶望、描かれねばならない、

今や日本の嘘が次々と、フクシマの嘘以前に、大東亜共栄の、満州事変の、第二次大戦の、陰謀、謀略、etc、そして敗戦、反省のないまま朝鮮戦争、冷戦、高度成長へと、公害、薬害、原発利権、汚職、これらが原発震災によって、不加逆の嘘となって現れ、「フクシマはコントロールされている」と安倍が言い、オリンピックへ、佐村河内の嘘、STAP細胞の嘘、その前にメディアの嘘、学者、政治家の嘘、嘘で出来上がっていた日本であったことが自明となり、隠しおおせなくなった日本、


所得の再分配が適度に成されるなら良しとする、社会民主的な考えに対し、世界はそれを許さず、氾濫、テロ、革命へと、この流れは有史以来繰り返され、最後に核の汚染だけが残された世界となった現代であるということ、


子供の内部被曝の不安は、癌の五年経てばとは違った、生涯に渉って被曝し続ける問題、この不安は深い、すべてに放射能が関係してくる、結婚も、病気も、人生そのものも、いくら10万人に何人と言われても、人為の、毒を飲まされ続けることの、核への嫌悪、不快、世界に対し忘却することはない、今を生きることへ、無への挑戦であるのだった、


自殺した子供たちの手記を親が出版し、世に伝えているが、絶望しても死ねない、生きていく未来の子供たちの不安を、絶望の子のことを、その生涯の苦悩を、誰かが描かねば、タルコフスキーの水のシーン、絶望の中のイワンのシーン、私においてそのシーンが出せればいい、希望がなくともその絶望が、

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