青春という時が在ったことを
続 原発震災日誌58
絶対とは、この宇宙存在をおいてない、神の方へとは、この絶対的な宇宙のエネルギーをおいてない、天才とはこれらを人間に語れるもののこと、モーツアルトであり、ミケランジェロでありと、絶対と永遠性、人の永遠性を生命の現象、人無き後にも、ジャングルは広がるであろう地球という永遠、存在に無限の喜びと神秘を見る人の意識、この意識を持っているだけで神に比する奇跡の感情なのだ、
青春という時が在ったことを
続 原発震災日誌58
絶対とは、この宇宙存在をおいてない、神の方へとは、この絶対的な宇宙のエネルギーをおいてない、天才とはこれらを人間に語れるもののこと、モーツアルトであり、ミケランジェロでありと、絶対と永遠性、人の永遠性を生命の現象、人無き後にも、ジャングルは広がるであろう地球という永遠、存在に無限の喜びと神秘を見る人の意識、この意識を持っているだけで神に比する奇跡の感情なのだ、
青春という時が在ったことを
写真に、ビデオに、日記に刻まれている表情、生命の初々しさがそこには、心は、希望と不安と、悲哀とを、紐解けば、期待と可能性とを、知りたいこと、やりたいこと、今という時への、掛け替えのない感情に満たされて、
チョムノフスキー
アメリカ社会の現状と打開
中流の崩壊が、社会の崩壊を進め
反権力の行動を示す
核が、階級、利害が違うだけで、同じ被爆者であるのに、世界が野となれ山となっても構わないなどありえず、この核の絶望をこそ共有できるなら、世界は変えられるはず、
絶望などという言葉はどんな時にも使うことはないだろうと生きてきた、それが、これ程書き、使っている、エミコが世界はどこを見ても、嫌なことばかり、生きているのが嫌になってくると、かつてそんなことを口走る子供らに、理想や愛を説いた、それが今や何も説けない、ただ今を生きるとしか、世界は忘れ、浮かれ、今を楽しんでいる、3年経ち、5年経ち、被害者があふれても、仕方がなかったと、核汚染が世界に蔓延しても、仕方がなかったと、
拳銃で脅して遺書を書かせ、首吊り自殺に見せかけ殺す手口が、多くの利害関係の自殺にはあり、背景に暴力団、その又背後に政財界が、放射能も、人の悪も、存在という、人間という、社会の自然なこと、天災、自然現象と捉え、全肯定し、人間の奇跡存在を生きる生き方、3.11以降の暫くは、ショックと錯乱で、それまでの生活感が喪失、が、絶望と無を書き続け、世界の絶望が私に侵食し、何も楽しめなくなっている、旅行も気分転換の一時的なもの、音楽会は鑑賞の気分になれず、行けない、美術は誘われ観に行くも、何も印象とはならず、我が家の本の全ては文献に過ぎず、紐解かずとも解り、核を絶対悪と規定する限り、私で解決する外はなく、何か希望はないかと、未来の希望とは一体どのようなものかと、今の希望では希望とならず、未来につながった希望にならない限り、マルセルの希望とは、人智を超えたものとして、希望を希望するとした考えだが、それはどこかで、人間の科学と発展を信じることに繋がり、が、3.11以前はそれで良かった、が、今や、世界の破滅が想定され、希望は在るとの規定だけでは希望とはならないのだった、
エミコが世界に希望がないと言う、私も示せる希望はない、形而上の希望など、何の役にも立たないのだった、人類は希望とは、人間の思いを超えた、大地のように存在するものと信じて来た、が、その希望が揺らぎ、存在しないことが露になった今、神が死んだように、空虚、暗澹に陥っているのだった、人間のやっていることは、人間と言う種の自然な行為、ライオンが他の動物を狩るように、人間といえど、自然、存在から遊離して存在しえず、自然の属性、存在であるのだから、人間の邪悪を全て自然界の出来事と同じように、自然裡として受容した上で、原発、戦争、etcを捉え、その上での人間の実存を考えるなら、絶望+愛=希望が希望となる、絶望=希望-愛であるとなる、愛=希望-絶望となる、絶望が人に想像できるなら、愛を+していけば希望に繋がることとなる、愛とは何か、絶望しない、希望し、求め続ける、人の生物の喜びのために生きる等の、人間であることの感情への絶え間ない精神の中に育まれ、
癌が見つかったら、検診をしていないのだから末期となる、そこで無治療をとり、最後は痛み止めだけで、断食もして、眠るように死んでいいのだ、ネットの何人か、皆最後までブログでつぶやき去っていった、
サルトルは従軍して、怯え、己の卑小さを思い知り、後自由への道を書き、それはサルトルの理想であったのだ、現実の自分は、主体も選択も叶わない不条理な肉体であることを知っていたのだ、
カミュには反戦の意志はあったが、反抗するからには、当事者であることが必要だと、従軍した、後、反抗的人間に至るのだが、運命に対して、反抗し続けることだけが存在を可能にする事を、体験で知っていたのだった、
マルセルの形而上学日誌と同じ、ひとつの主題を追いかける日誌、最後に希望に至ることが出来ればいいのだが、それは私の希望にしか過ぎないのだが、人生とは私の人生なのだから、私対世界、誰も絶望などしていない、私は誰にも何もいうことはないのだから、世界は一人の私と世界なのだから、これはマルセルが最後に至った、病人の超え方なのだから、私の人生に至ることが希望である、実存の超越と言うことであり、私の時の所有なのだから、
①絶望にあって、自己を持っていることを意識していない場合
②絶望して自己自身であろうと欲しない場合
③絶望して自己自身であろうと欲する場合
私の楽園を失ったという、取り返しがつかないという絶望、いや、癌患者たち、もし完治したなら、この世界であっても、楽園であろう、だとするなら、私の絶望は私の主観であるのだった、再びの癌からの完治のプロセスを経るほかないのか、
法律と言う、世界に社会を営む上で契約したところの、その法によって、善悪の感情が作られ、それらを犯した時発生する感情に支配される多くの犯罪者の犯罪に至るまでの、至った後の、発覚するまでの心理、更なる言い逃れや、諦め、覚悟、後悔とを、その日を、後10日、後何日と待つ、逮捕されるかもしれないと逃亡する犯罪者の心理と重なり、ドストエフスキーがギロチン台の体験後、罪と罰をもたらし、あの緊迫と心理が創出されたことの、国家の犯罪と、個人の犯罪との、白痴、賭博、悪霊と、犯罪というものの価値観の変更が、人間の精神と言うもので超えんと書き綴った、私には養護施設の体験、革命運動の、癌体験のと、山ほどの養分があるのに、それらを結晶化させられないでいる、3.11という世界の絶望に対して、悪霊を現代において描き出せるなら、3.11はどんな今までの悪霊より、悪霊なのだから、死を賭して、この悪霊を言葉において捕らえる事の、3.11とは世界が悪霊を法的に露呈したということ、悪霊を、利益、科学、合理の名の下に偏執した人間の産物、人間の凡庸な悪では済まない、全生命への犯罪、私は本気で、小説形式において、この悪霊の本質を、生涯の仕事として描き出さねば、これこそが絶望の果ての希望、私の希望、生きる意味であると、全人類、全世界を敵に回して、神の裁断を下す悪霊を明らかにする、それが人間を目覚めさせるきっかけ、流れに、私がするのだ、やらねば、それが癌サバイバーの勤め、期待、希望、全人類への遺言ではなく、手紙を、生きているうちに書かねば、死んでも死に切れない、あと10年をこの絶望主義のために、否、ニーチェのように、1ケ月でだって書けるはず、まっしぐらな私の絶望を、世界の絶望へ、希望はなくとも意味が、私が生きる意味があることの、キルケゴールの絶望が、人間が人間でないことの絶望である、人間が人間であることが人間の絶望であることの、絶望しない人間ではない、絶望し続ける人間が、私の悪霊であることの、悪霊のテーマがキリストへの反抗ではあったのだが、それが現代人の最大の悪であるのだが、その悪霊が世界を跋扈し、その結果が3.11であり、人類の滅亡、絶望に至っているのだから、私が人間であるのなら、人間としてこの世界に誕生したのなら、過去の文化が人間の誕生であるのなら、私においてやらねばならず、これを意味としなければならず、




